エピソード3【愛、買いませんか?】④




* * *




――1週間後。



ドンドン!──

ドンドンドン!──



ひ、ひい!



「コラァァァ! 出てこんかい!!」

「居るのは分かってんだぞ!!」



ひ、ひぃぃぃ!!



私は、リビングの片隅で毛布を頭から被り身をかがめ、ブルブルと震えていた。


「こ、恐い……恐すぎるわ……」


家のドアの前では、ブラックスーツにサングラスをかけた2人の男が、ドアを蹴りながら怒鳴り散らしている。

こ、これが、取り立てってやつなのね。

ドラマでよく見ることはあっても、まさか自分にふりかかってくるなんて夢にも思わなかったわ。


「う、うぅ……こ、恐いわ……」


この1週間で、事態はさらに急変した。

なんと、法外な利子設定のおかげで、1億円は減るどころか、これからさらに爆発的に増えていくというではないか。

現時点では、まだ1億円のまま。

だが、これから先は分からない。

とりあえず、近いうちに、五割増しぐらいになりそうなのは目に見えている。

さすがは闇金、さすがはヤクザ、と言ったところかしら。


「ドアぶちやぶるぞぉぉぉ!!」

「殺すぞ! コラァァァ!!」


って、感心してる場合じゃないわ!


ど、どうしよう。

でも、いま出ていくわけには絶対いかないわ。

だって、お金がありませんもの。

財布の中にある所持金は、3万7500円。

これでも、普段の私からしたら結構持っているほうなのよ。

でも、こんな額で、許してもらえるわけがないわ。


どうしよう。

本当に、どうしよう。


あっ、そうだわ!

警察に相談すればいいのでは!


「いや、待って……」


そんなことをしたら、その場で殺されるんじゃ……


「あ~! もう、どうすればいいのよ!」


でも、とりあえず今は、じっと息を潜めて隠れなければ!

どんなに怒鳴られても、どんなにドアを蹴られても、忍者のように気配を消して耐えなければ!



「早く出てこい! コラァァァ!」



嫌だよ!



「風俗で働け! コラァァァ!!」



それも嫌だよ!



「どっかの研究所で、薬づけのモルモットになりやがれぇぇぇ!!」



絶対、嫌だよ!



「よ~し、もう許してやるよ!」



え?



「なんて言うわけねえだろ! コラァァァ!!」



ですよね!

ですよね!

許してもらえるわけないですよね!


「よ、よし……こうなったら……」


耐えるわ!

私は、無になって耐えるわよ!


それから、私と取り立て人のドアを隔てた果てしない戦いは、実に40分にも及んだ。

そして、偶然にも、マンションの同じ階の住人には、鉢合わせることはなかった。


この階は3部屋あって、私の部屋だけが2LDKで、あとは1LDK。

お隣りさんは、私より若い女性……名前は確か、中川リツコさんだったかしら。

たまに千葉の実家から送ってくる落花生や鰹節なんかを、おすそ分けに持ってきてくれるのよね。


その隣は……フランス人みたいなイケメン君が住んでたような……

あれ?  そういえば、あの2人、何回か一緒にいるとこを見たような……ひょっとして付き合ってるのかしら……

ま、まあ、今はそんな事どうでもいいわ。


とにかく、たまたま居なかったのか、それとも恐くて出て来られなかったのか、他の住人にこの状況を目撃されることはなかった。


そして、さらに10分が経過した時──


「くそっ!」


取り立て人が、よりいっそう声を荒げ叫んだ。


「また来るからな! その時までには金を作っとけよ!」

「絶対用意しとけよ! あてがないなら宝くじでも買いまくって運試ししてみろ!」




ドン!!!──




ひぃぃぃぃ~~~~!!



今日1番の蹴りが、ドアに突き刺さった。


で、でも、とりあえず、今日は助かったのかしら。

私は息を殺し、急いでドアに近づき耳をピタッとひっつけた。

つ、冷たい。

ドアのひんやり感が、身に染みるわ。

いやいや、そんなことよりどうなの??

奴らは帰ったの??


遠ざかる話し声。

小さくなる靴音。

ブラックスーツの男達が帰っていったのは、間違いなかった。


「よ、よかった……」


私は、膝から崩れ落ちるように、ヘナヘナと玄関にへたりこんでしまった。

とりあえず、今日の所は乗り越えたようね。

あ~、よかった、よかった。



…………って!



全然良くないわよっっっっ!!



こんな事が、これから毎日続くわけ!?

ムリ、ムリ! 絶対ムリだわ!

こんな日常を送ってたら、ノイローゼになっちゃうわよ!

今回は、コウタが保育園に行ってたから良かったようなものの、こんな危ない家庭見せられないわよ!


『ヤクザが訪れる愉快な家。今日もドアをドンドンドン♪』


なんて、サブタイトルがついちゃいそうじゃないの!


「ど、どうしよう……本当にどうしようかしら……」


私は、玄関に座り込んだまま考えに考えた。

でも、全く良い案は浮かばない。


「ハァ……」


やっぱり……このままだと、風俗に行かなきゃいけないのかしら。

そりゃ、私はまだ29よ。

胸やお尻が垂れないように毎日ケアしてるし、体には自信があるわよ。

でも、いくら何でもそれだけは……


「いや……でも……」


そんなことも言ってられないのよね……私だけならいざ知らず、コウタも守らなきゃいけないし。

あの子だけは、何があっても守らなければいけないし。

嫌だ、なんて言ってる状況じゃないのよね。

それで1億が返せるなら、やるしかないのよね。

だって、他に方法は何も……


「あっ……そういえば、さっきのヤクザ……」


『あてがないなら、宝くじでも買いまくって運試ししてみろ!』


……って言ってたよね。


「そうだわ……」


1週間前、郵便受けに宝くじが入ってたんだわ。

確か、あの宝くじは財布の中に入れていたはず。


「よ、よし!」


私は、急いで財布の中を探し始めた。

確か、フォーエバー宝くじという名前だったはず。

『おぼれる者は、わらをも掴む』

全く、ことわざというのは、うまくできているものね。

こんな、たった1枚の宝くじに、私は全てを託しているんだもの。


「あったわ!」


宝くじは、千円札と五千円札の間に、忘れられたように入っていた。


「新聞! 新聞!」


そして次に、急いで今日の新聞をめくり始めた。

そう。

まさに今日が、フォーエバー宝くじの当選発表の日だった。

私の番号は『38組41756023』


「38組の……」


私は、目を凝らして番号の確認を始めた。

たった1枚の宝くじなのに、その番号を必死で探している自分が不思議だった。

でも、今の私にはこれしかないわ。

広大な海のど真ん中にポチャンと落ちてしまった、小さな小さな指輪を探すような、そんな確率の低いことなのに。


当たってください!

当たってください!


本気でそう願っていた。



「38組……」



ドキドキ、ドキドキ──



私の胸の鼓動は、どんどんとスピードを増していった。

――すると。



「あっ!」



う、嘘!



「あ、当たったわ!」



私の両目に『38組41756023』と、全く同じ数字が飛び込んできた。


奇跡が!

奇跡が起こったわ!


「やった!」


やった、やったわ!


私は、両手を天高く突き上げた。


やった!

やった、やった!


見事に的中だわ!




1等5千万円!――――




よしっっっっ!!

これで借金ともおさらば……


「え……? あ、あれ……?」



──その時だった。

私の浮かれていた笑顔がピタッとフリーズした。




ご、ごせんまん……?




「な、なんと!」



たりないわぁぁぁぁ~~~~!!

半分たりないじゃないのぉぉぉぉ~~~~~~!!


やはり、奇跡というのは、そうそう簡単には起きないもよう。

いや、そりゃね。

普段の生活で5千万円が当たれば、すごいことですよ。

奇跡中の奇跡だわ。

びっくりしすぎて失神しちゃうかもしれないわよ。

でもね、今は困るのよ……5千万じゃ困るのよ……


「い、いや、ちょっと待って……」


これを元手に競馬に行って……単勝2倍の馬に賭ければ、ちょうど1億……

いや、ダメよ、ダメ。

そんなことして、0円になったらどうするのよ。

それこそ、東京湾やオホーツク海に沈められちゃうわよ。

とりあえず、この5千万を渡して、当面は大目に見てもらおうかしら。

うん、そうだわ、それが1番いい選択だわ。

いかに、悪どい闇金といえど、5千万も一気に差し出せば、いくらか返済は待ってもらえるわ。


「よし! これでしばらく大丈夫だわ!」


私は、いま出来る最高の選択をしたと思っていた。

――だが、またまた事態は急変した。




コトン――




ひっ!!



な、何!?

何、今の音は!?


それは、とてもとても小さな音。

ドアの郵便受けに何かが入る音に、心臓が止まりそうになるほど敏感に反応してしまった。


ダメだわ。

もう、トラウマになってるわ。

ドアの音が恐くてたまらないわ。


「ハア……何なの……また、ピザのチラシかしら……」


私は、郵便受けに入っている1枚の紙を手に取った。

――すると。


「え……?」


その紙は、領収書だった。

私の借金1億円が全て完済したと、その領収書には記してあった。


「え? ど、どういうことなの??」


わ、私、借金なくなったの!?


「う、嘘! 本当なの!?」


私はもう1度、穴が空きそうなほど、その領収書をじっくりと眺めてみた。

確かに、あの闇金の会社名も記してある。

内容も、何回読んでも間違いない。

私の借金が完済したと書いている。


「な、何で!? 何でなの!?」


分からない。

全く、意味が分からないわ。

で、でも、この際、何でもいいわ。



やった!

やった! やった!



何だかよく分からないけど……




私、助かっちゃったわ~~~~!!







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