さようなら青春

みずうみ

第1話

こんな田舎では恋もできない。

もはや彼女の口癖といえるせりふに、私は足を止めた。

隣を歩く女の子、あきちゃんが田舎と評したここ佐用町は、兵庫県の西の端にひっそりと位置する小さな町だ。10年ほど前にもっと小さな4つの町が合併して新生佐用町になったけれど、どうしたところで田舎に違いはなかった。

そんな田舎の片隅であるときは授業の合間の短い休み時間をため息で埋めながら、またあるときは公園で5時を告げるチャイムを聞き流しながらあきちゃんは同じ言葉を口にする。こんな田舎では恋もできない。

今回のシチュエーションは、自転車を押して帰路に着きながら、だった。

部活に入っていない私たちは授業が終わると大抵、こんなところにもう用はないとばかりに高校をあとにする。部活に向かう子や放課後の寄り道プランを練る子たちを横目に見ながら。ぎりぎりまで睡眠をとるために全速力で走らなければならない朝の代わりのように、帰りはことさらゆっくりと歩くのが常だ。

私はこのどこか間延びした時間が好きで、だからあきちゃんの口癖をこの時間に聞きたくはなかった。

「恋、できないのかな」

止めた足を再び進め、少し早口で答えたのは動揺を隠す意図があってのことだ。そんな私の心境に気づいてか気づかずか、あきちゃんはいつも通りのマイペースさでいう。

「できないよ。かっこいい子なんていないでしょ」

芋っぽいっていうんだよ、と教えてくれた。

あきちゃんはこんな大それたことをいえるほどにはかわいい。あきちゃんの斜め後ろの席を陣取る本田君は時おりあきちゃんを盗み見ている。去年卒業した先輩のなかにはあきちゃんをアイドル視する人もいくらかいた。


クラスメートのなかには我らが故郷を「なにもない田舎」と揶揄する子もいるけれど、なにもないなんてことはない、と私は思う。

川底が見えない程度に濁っている川では5月の終わりになると蛍が命を燃やし、その幻想的な美しさは思わず川端に足を止めてしまうほどだし、夏にはあちらこちらで向日葵が太陽に笑顔を向け、わざわざそれを見るために県外からやって来る人も毎年かなりの数にのぼる。

何より家屋も外灯も少ないこの町の星空は、毎日眺めても私の胸に新鮮なときめきをもたらしてくれる。

大きなショッピングモールはない。カラオケのような施設もない。けれど至るところに腰を据えている自然はこんなにも素晴らしいではないか。

しかし私がいくらそう思ったところで、前者を重視する人からすればこの町は紛うことなく「なにもないところ」なのだ。

あきちゃんは「なにもない」とは言わない。ただ、「恋ができない」と呟く。


似たような歩幅で歩くふたつの影に視線を落とす。こうしてあきちゃんと並んで帰ることができる機会はあと何回なんだろうと不意にさみしくなった。

高校生活3年目、様々な行事にふされる『最後の』という一言は否が応にも私たちに卒業を意識させる。

3年生になってすぐのころ、進路についてあきちゃんと話し合ったことがある。彼女が進みたい道として挙げたのは関東の大学だった。保育所から今までずっと側にいて、大学も同じところに行きたいと漠然と考えていた私は、しかし家族から離れて関東まで行くことはできない、ここで私たちの道は分かたれるのか、と愕然としたことを覚えている。

「大切なのはなにをするかではない、誰とするかだ」なんて格好つけて言わなくても私は実感を持ってわかっている。

夏の星座を観察しよう、と誘ってくれたのはあきちゃんだった。大して変わりはないんだろうけれど少しでも星空に近づこうと家の裏の山に登って寒さをこらえながら星座をなぞった。

蛍を狩ろう、と誘ってくれたのもあきちゃんだった。あきちゃんの家に程近い川には毎年蛍が群れているのだと自慢気に話していたからよほどのものなのだろうと膨らませていた期待をかなりの勢いで越える美しさだった。

ひまわりを眺めたのもさよひめ祭りでリンゴ飴を食べたのもあきちゃんと一緒で、私の思い出はどれもあきちゃんが隣にいて初めて完結するみたいだった。

あ、と聞こえるか聞こえないかの声をあきちゃんが発する。どうしたのと伺うように顔を見ると、あきちゃんが空を指差している。細く伸びる指の先に目をやると、白い月がぽっかりと浮かんでいた。

「綺麗だねぇ」

夕方とも夜ともつかないくすんだ青色の空にぽつりとたたずむ月はたしかに美しく、同時に無性にさみしくなった。

あきちゃんの言うとおり月はあまりにも美しい。しかし私の目に月がこんなにもまばゆく美しく輝いて映るのは隣にあきちゃんがいるからに他ならない。

こんな田舎でも恋はできる。

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