第2話
俺と湊は周りを田んぼと山に囲まれた小さな町に生まれてから今までずっと暮らしている。湊が生まれたのは夏が終わりかけた9月29日で、俺が生まれたのは秋が始まりかけた10月7日。同じ頃に同じ病院で生まれ、その上お互いの両親が元々同級生という仲。道を挟んでほぼ向かい同士に住んでいた俺たちは、双子の様に一緒に育てられた。小さな頃からきゃあきゃあとはしゃぎまわり、活発だった湊。一方、俺は正反対に物静かで絵本を室内で読む方が好きなタイプだった。全く性格の違う俺たちは、それでもずっと一緒にいた。湊が外で遊びたいと言えば、他の同じくらいの子供たちとの鬼ごっこや追いかけっこに俺も参加した。俺が今日は部屋でパズルを作りたいと言えば、じっとしているのが苦手なはずの湊は何も言わず黙って一緒にパズルを作った。
そんな俺たちを、周りの大人は「そう’s」と呼んだ。湊に蒼。どちらも「そう」と読める漢字の名前の俺たちは、どちらも「そう」ではないのにそう呼ばれた。別に嫌、とも喜ばしいとも感じなかった。俺たちはお互いがお互いに、すぐ隣にいることが当たり前であったし、それにどんな名前がつこうが一向に構わなかった。
隣町の高校の2年生になった今でこそ、別々の部活に入った俺たちは日中一緒にいる時間はそれほど長くない。それでも学校が終わり、この町に戻ってくると結局俺たちは一緒にいる。それは俺たちがただ幼馴染だからというわけでも、ただ家が近所だからという理由があるからでもない。両親がいない俺たちの帰るところはいっしょだからというだけだ。
それは2年ほど前、俺たちが中学3年生の夏がはじまる少し前の頃、受験生になってしまったことを憂鬱に思いながらも、それなりに勉強をしていた時期だった。俺と湊の両親は、同じ車に乗って山を越えた先にある町の大型ショッピングセンターに向かった。確か俺の母は「今日の夕飯はみんなでバーベキューだから、楽しみにしててね。」なんて言っていたし、湊のお母さんも「だからちゃんとお勉強しててね!」とかなんとか言っていたように思う。
俺と湊は、学期が始まってすぐの実力テストの勉強をしなくてはならず、2人揃って俺の家で留守番をすることになったのだった。ぶつくさ文句を言う湊に黙れと言いつつ、俺も勉強には辟易しながら、母の言っていたバーベキューを楽しみにそれなりに勉強を頑張ったのだった。
しかし4人は夕方の5時を過ぎても、6時を過ぎても帰宅せず、俺たちもすっかり勉強に飽き漫画を読みふけっていた。心配になり電話をかけてみたが誰一人として出てはくれなかった。
結局うちの家電が鳴ったのは8時を少し過ぎた時だった。表示された番号は俺の父のものだったと思う、いや確かにそうだった。ワンコールで電話を取ったとき、聞こえてきたのは若い女性の声で俺は確かその瞬間にものすごい嫌な予感がしたのだった。それは隣に立って、俺のもつ有線受話器を挟む様に耳を寄せていた湊もきっと同じだった。小さく息をのむ声が聞こえたのを覚えている。
「…こちら大垣総合病院ですが、シノザキさまのお宅でよろしいでしょうか。」どこか張り詰めた、しかしはっきりとした声だった。聞き間違えるわけがなかった。大垣総合病院、県内で一番大きい病院からだ。
「はい、そうです。篠崎ですが。」確か俺はそう言った、すでに頭は真っ白になりかけていたと思う。声が少し震えていた様な気もするし、片言になっていた様な気もする。明確に覚えているのは湊がより一層近くによったのを感じたことだ。
「篠崎悠さまと里香さまの息子さまでしょうか。」
「そうです、息子の蒼です。…父と母に…何かあったんですか…。」何もないわけがなかった。通院したことも、ましてや検査に行ったこともない病院からの電話なのだから。
「実は先ほど、ご両親がこちらに運ばれてきました。こちらに来ていただくことは可能ですか。…できる限りすぐにでも。」
「い、いまからすぐ向かいます、もしかしてそこにさわ…澤田ご夫妻も運ばれていますか。」この時点ですでにパニックに近かった。でも冷静になれと頭の奥から声が聞こえていた気がする。湊の速くて浅い息遣いが右手首にかかっていた。湊にもきっと全部聞こえている。そしてわかっている、この絶望しそうな状況を。俺はやけにはっきりそう思ったはずだ。
「澤田さまご夫妻のお知り合いですか、実は澤田さまのご自宅には繋がらなくて…。」
「息子の湊は今いっしょにいます、すぐに二人で向かいます。」確かそんなことを言って俺は受話器を叩きつけた気がする。もっと支離滅裂だったのかも知れない、でもそんなことを覚えていられる状況じゃなかった。必要なものも、道順も浮かばなかったおれの横で、湊は携帯でタクシーを呼んでいた。俺なんかよりもずっと冷静だと思った、それでも、顔は青かったし手も小刻みに震えていた。そんなことばかりが強烈に記憶に焼き付いている。
タクシーを呼び終えた湊と目が合い、一拍空いてそれから弾かれたように二人して動き出したはずだ。俺は両親の書斎の、一番奥にある無駄に古めかしい戸棚から保険証をなんとか探し出した気がする。保険証と財布と鍵。それだけを持って玄関から飛び出した。そのすぐ後に湊も自分の家から玄関をぶち破る勢いで出てきたし、タクシーも狭い狭い道に入ってきた。
それから、それからは本当に何も覚えていない。気付いた時には息をしていない両親の顔を見ていた。今にもガバッと起き上がり、「ひっかかったなぁ〜!」とか言いそうな顔だった。でも俺の両親はこんな悪質な冗談を思いつくような人たちではなかったし、二人の生体反応は確実に消えていた。俺はなんだか全てが普通に写っていた。夢の中にいる感覚だとか、全てがスローモーションになるだとか、俺が読んでいた小説にはそんな風に書かれていたこの状況は、俺にとっては現実だとしっかり理解できたし、何事も普通のスピードで動いていた。
それでも俺にはわからなかった。何をどうすればいいのかも、何を自分が感じているのかも。頭と心の回路はものの見事に遮断されていた。視覚情報が示す現実を、俺の頭は心に伝えることを放棄した。無意識に困り果ててしまった俺の体は、これまた条件反射の様に湊の方を向いた。湊もそうだったのだろう、同じ様にこちらを向いていた。目がぴったりと合った。今回は何拍空いても、俺たちが動くことはなかった。
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