求めたのはきっと雨じゃない

オノマトペとぺ

第1話

 右腕を斜め45度に掲げ、一拍の後左腕を135度の位置に振り下ろす。何拍分かの間があったかと思いきや、いきなり両腕をぐるりと回したり振り子のように揺らしたり、動きが判別できないようなスピードをもってせわしなく変化しはじめる。


 場所が場所でなければ新しいジャンルのダンスかとさえ思えただろうが、場所が場所なのである。新しく植えられた苗が遠慮がちにパサパサと風になびく田んぼのあぜ道。とてもダンスを披露する場所とも、足場がいいとも言えぬ、そんな場所でヤツは狂ったように動き回る。そのヤツとは俺の幼馴染、澤田湊さわだみなとである。

 

 こんなことをしている人間と一緒にいるのを見られたら俺まで変人扱いされてしまう。ただでさえ田舎でいっしょに育った幼馴染だ。いくら俺が否定しても周りからはひとくくりで見られてしまう。こんなときは見なかったふりが一番だ。ヤツに気づかれさえしなければなんとかなる。幸い見渡す限り人影はないし、いるのは常に眠そうな近所の野良猫だけだ。とはいえ、いつ誰が家から出てくるかもわからない。今のうちに避難しよう、とヤツに背を向けた矢先に聞きたくない声が響き渡った。



「お!あおいじゃん!おーい!おおおーーーいい!」



 この声は確実に俺の頭のおかしい幼馴染だ、聞かなかったことにしよう、まだ間に合う。間に合ってくれ!



「無視するなぁ!!!蒼!逃げんなぁ!!!」



 先ほどよりもだいぶ近くで声がすると思ったら、ヤツは猛スピードでこちらに迫ってきていた。こうなったらもう逃げられない、(ヤツの足の速さはピカイチだ)しかたないので苦虫を噛み潰したような表情を隠すこともなく、俺はヤツと向き合った。



「なんで無視するんだよ!俺たちの仲じゃねーか、声かけろよ!」


「…今猛烈にその仲を作り出した神を俺は恨んでいる。なんなんだお前は、さっきまで訳のわからんダンスに夢中だっただろ。黙ってやってろよ、あのオタ芸。」


「な!オタ芸じゃねぇー!大体その言い方はオタ芸をバカにしてんだろ!あれはあれでかっこいいじゃねーか!」


 

 つくづくうるさい男だ。オタ芸じゃないのならなんだ、なんなんだあの目が回るような動きは。

 


「誰かを応援するという目的があるオタ芸ならまだよかったんだがな。なんだあの狂った様な動きは。」


「俺の舞にだってちゃんと目的はあるぞ!フリだって一晩かけて考えた自信作だ!」とムッとした表情で湊は言い返してきた。

 


「あれは舞なのか…しかも一晩てお前、まさか昨晩じゃねーだろうな。」


「なんでだ?昨日の夜の話だぞ。」


「はぁ…まじかよ…」

 


 俺は溜息を漏らさずにはいられなかった。なぜかって俺たちは日々学業に勤しむ高校生であり、今日の2時間目には割と大事な世界史のテストがあったのだ。テスト中に斜め前に座るこいつが視界に入っていたが、そのときの様子からするとこいつは確実にいい点は取れていない。そんなヤツが一晩かけてわけのわからんフリを作っていたとは一体どういうことなのか。俺にはさっぱり理解ができなかった。テストよりも大切な目的とは一体なんだというのだ。



「雨乞いだよ!さっきの舞を見ればわかるだろ?」


「…。」



 いや、わからない。一切わからないし、わかりたくもない。そもそも先ほどの動きに雨を乞うような雰囲気は一切感じられなかった。

 


「なんだよ、めっちゃぽかったろ!特に中盤の右腕を振り上げながら…」

 


 事細かく自信作であるらしいフリの説明をする湊には申し訳ないが、あの奇妙なフリに興味はないし、どうこう文句をつけても仕方がない。それは感性の違いということで簡単に片付く話しなのだ、知ったことじゃない。それよりも問題なのは、雨乞いだということだ。この時代に雨乞いなど、俺の幼馴染はどうやら本格的にヤバくなってしまったようだ。これは病院に連れて行くしかないが、田舎に精神科などあるのだろうか?今まで精神科を必要としたことのない俺にはわからなかった。



「お前だってみたいだろ、雨!」


「…は?」



 幼馴染としての情がある俺は頭のなかで一番近くにある精神科医がいそうな病院を検索していたが、湊の予想だにしない言葉に引き戻された。


 雨が見たいと湊は言った、そして俺もそうだろうと言ってきた。物語と教科書の中でしか現れない、自然現象のひとつを。空が雲に覆われ、その雲が涙を落とすかのごとく地上にたくさんの水が降ってくるというそれ。俺にも湊にも、いま現在生きている世界中の人が経験したことのない雨。歴史の授業で習ったことによると、最後に地球上に雨が降ったのは1000年以上前のことのはずだ。正直見たいも見たくないもない。俺にとってはそもそも信じられる話ではないのだ。空から水が降ってくることなど起こり得るとはどうも思えない。科学的には可能だと知っているが、半信半疑が正直なところだ。



「別に見たいなんて思わない。空から水が降ってきたら困るだろう、そこらじゅうがびしょびしょになっちまう。」


「なに?!見たくない?!ロマンがねぇな、降ったら絶対に綺麗だっていうのに。」

 


 ふざけたような喋り方をしていたかと思いきや、至極真面目な顔で綺麗だと言い切る湊に、俺はなんと返せばいいのか皆目見当もつかなかった。綺麗なのだろうか、雨というものは。俺にはわからないし、きっとわかる人なんて今の時代そうはいない。

 


「……なんで綺麗だと思うんだ、見たこともないくせに。そんなに頭上から水が落ちてきてほしいなら、シャワーなりスプリンクラーなり浴びればいい。ほら、そこにちょうどよさそうなホースが落ちてるぞ。」


「想像してみろよ、俺たちのずっとずっと上から水が降り注ぐんだぞ?誰の意志でもなく、ただひたすらに自然に。綺麗じゃないわけがねぇ。」



 俺の提案をまるっきり無視しつつ、やはり綺麗だと言い切る湊を見ていたら、俺は想像してみずにはいられなかった。真っ青な空を見上げて目を閉じ、そこを分厚い雲が埋め尽くすイメージを頭に浮かべた。その雲から水がポタポタと、それとも滝の様になのだろうか、わからないが、とりあえず水が落ちてくる様子を想像してみた。


 ………そうしてみるとなぜだか不思議な気持ちになった。綺麗かどうかと聞かれれば俺の想像力ではわからないというしかない。だが、空を見上げた俺の顔に、体に、誰がもたらしたわけでもない水が落ちてくる感覚を想像してみた。きっと、シャワーともスプリンクラーとも違う、温かさと冷たさをはらんだ水だ。


 ───── 気持ちいいだろうな。そう思ってしまった。

 

 俺はゆっくりと目を開いて顔を湊の方に向けると、ヤツは期待を込めた目で俺を見ていた。──ああ、やっぱりこいつとは一緒にされてしまってもしかたない。俺も思ってしまった、湊と全く同じことを。雨を見てみたい、感じてみたい。



「……気持ちはいいかもな…。」

 


 綺麗だろうとは言い切れないし、思っても意地っ張りの俺はそれを絶対にこいつには言わない。それでも湊は嬉しそうに笑った。昔から変わらない、八重歯をのぞかせる大きな笑みだった。



「いつか一緒にみようぜ、蒼。祈ればぜってぇ見れっから!」



 どこからそんな自信が生まれるのか俺にはやっぱり見当もつかないが、小さく頷かずにはいられなかった。1000年以上も起きていないことを、たかだか高校生2人が祈ったところで起こせるとは思えなかった。それでも雨に触れたいという気持ちは一切しぼむことはなかった。



「バカは若いうちにやっとけ、できなくなる日は嫌でもいつか来るんだからな。」



 記憶の中の寡黙な父がそう言ってきた。随分昔の記憶のようで、でも実際はそう何年も前のものではない。すっかり忘れてしまっていた。あの真面目で仏頂面、必要最低限しか言葉を発しない父が言っていたことだ。

 


「…でも何事も、全力でね。」



 これまた記憶の中のやさしい母が言ってきた。バカなことをしようと思ったことも、何かに全力を出そうと思ったことのない俺なのに。バカなことを、全力で?でも母の言うことに間違いはなかった、いまさらながら、そう思い出した。

 


「…湊。」

 

「ん?なんだ?」

 



「どうせやるなら…全力でやろうぜ。」

 

「…珍しいな、お前が全力なんて言うの。嫌いだろ?努力とか全力とか。」

 

「うるせぇ。たまにはいいだろ。」

 

「いいに決まってんだろ、それに俺は元々全力だぜ!」

 


 やっぱり無駄に爽やかに笑う湊はどこかムカつくが、頼もしい。こいつとなら、なぜか雨を見るのは無理じゃないような気がした。

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