第136話 勇者の鎧――神竜鎧エルファリス
レブルゼーレの背に乗って、絶海の孤島ドラゴニルから発ったわしら。
来た時同様、物凄い速度で飛行をした黒竜は、一時間とかからず眼下に広がっていた白波の踊る大海を横断した。
そしてあっという間に、ダムネシア地方の東端コルベドの町を見下ろす陸地まで辿り着いたのだ。
「やはりドラゴンがいると移動が楽ちんだな。船旅ものんびりしていて実に良いものではあるが、急ぎの時は本当に助かる」
「もうダムネシアだもんな。船じゃこうはいかねえ」
「そうね。レブルゼーレの推進力があってこそだと思うけれど、今となってはクゥちゃんの背も懐かしいわ」
「ようやく、帰ってこられたんだね……」
「ま、ここまで来たらもうなるようにしかならないよ。無事なことを信じよクロエちゃん」
わずかに表情を翳らせたクロエを励まし、楓がその背中をポンと叩く。
うん、と頷いて進路の先を見据えたクロエの瞳からは、仲間を想う強い気持ちが感じられた。
コルベドの上空からは、ほんの二、三分だ。
少々荒っぽい飛行ではあったが、その甲斐あってか、懐かしいその存在をようやく視界に収めることが出来た。
わしらがこの下の世界アルドベルガに降り立った最初の場所。心苦しくも置いて行かざるを得なかった、クゥーエルのいるあの場所までやってきたのだ。
クゥーエルから少し離れた場所に着陸しようと、黒竜が降下する最中。
弱まる結界でなんとか雑魚を寄せ付けまいと頑張っているクゥーエルの周りに、群がる魔物を見咎めたクロエは、降下途中にもかかわらず真っ先に飛び降りた!
まだ高さがある。このまま地面まで落ちれば大怪我は免れない。と肝を冷やし慌てたのも束の間。クロエはすかさず浮遊魔法レビテーションをかけて、緩やかに下降する。
同時、クゥーエルの上空に青い魔方陣を展開すると、「――ヴァレスティーリオン!」周囲に群れる魔物目掛けて、えげつない鋭さを持つ両刃の大剣にも似た巨大な氷柱を複数本落とした。
クゥーエルを囲うように地面に突き刺さった氷柱は、見事すべての魔物を貫き両断し、一瞬で光の粒子へと変える。砕け散った氷が光とともに舞い、そして消えた。
先に地上へ下りたクロエは、心配そうにクゥーエルへ駆け寄る。
遅れて着陸したレブルゼーレの背からわしらも下りて、聖竜の元へ急ぐ。後ろからはレブルゼーレも、地面を揺らしながらついてくる。
わしらの姿を見て安心したのか。クゥーエルは結界を解いて、苦しげな息をつきながらも上体を起こした。
「大丈夫……?」と、そんな痛ましい聖竜の頬を優しく労りながら、クロエが振り返る。
わしは一つ頷き、大切に道具袋へ納めていた『神竜の首飾り』を取り出した。
オーブの色と同じ宝石が散りばめられた、美しい装飾品。
しかし改めて見てみると、竜の首周りにはかからなさそうだ。
一体これをどうするのだろう。そう小首を傾げたちょうどその時、突然首飾りが輝き始め、わしの手から離れるとひとりでに浮遊した。
「なにが起こるのだ……?」
留め具が外れ、首飾りは輪を広げながらクゥーエルの首元へ。
首飾りがしっかりと留められ聖竜の首元を彩ると、今度はクゥーエルの体が輝きだした。
しかしこの光景には覚えがある。
初めてクゥーエルと出会った時も、たしかこのような輝きに包まれた。そして――
「――やはりその姿になったか……」
案の定、クゥーエルは鮮やかな紺青色をした鎧兜に身を包んだ姿を見せた。
まるで体力が全回復でもしたように、急に勢いづき「グゥオオオオッ!」と雄々しい鳴き声を上げる。
すっかり元気を取り戻したようで良かった。
今しがた雄たけびを上げたかと思えば、抱きつくクロエに擦り寄り、「クゥ」と甘えるような声を出すクゥーエル。
やはりまだまだ子供のような印象を受けるな。
ライア、ソフィア、そして楓も聖竜の元へ歩み寄り、今まで頑張ってきたクゥーエルを労う。
一通り再会を喜んだところで、突然クゥーエルがわしを真っすぐに見据えてきた。
「……ん? ど、どうしたのだ? わしの顔になにか付いとるのか?」
「もしかして、離れすぎてて誰だか判らないんじゃねえのか?」
「離れていた時間はお前さんたちも一緒だろうに……」
「それとも、丸みが増して認識するのに時間を要しているのでは?」
「残念なことに見た目に変化はないのだ。増えても減ってもいないからな。自慢するようなことではないが……」
もう少しまともな意見はないものかと、一人しょげていたところ。
クゥーエルが急に天を見上げてまた「クゥ」と鳴いた。甘えるような声ではなく、どこか返事をしているような声色だ。
ややあって、視線をわしへと戻した聖竜の様子がなんかおかしい。
瞬きもせず、わしから目を外そうとしない。試しに左右に動いてみたが、わしの目をずっと追ったまま。はぁ、とため息をつき、観念してわしもまんじりと目を見返した刹那――
突如として、わしの脳内にわしのものではない記憶のようなものが雪崩れ込んできた。
「――――――っ?!」
かつての女神と魔王の壮絶な戦い。
神竜が魔王にやられる間際に残した一つの卵。孵化を見守ることなく先に逝くことへの悲しみ、後悔。
その卵を何重もの結界で覆い、大切にドラゴニルの神殿へと送った母の愛情。
目覚めた時、確かな記憶のある母の姿がないことへの慟哭。
女神に引き取られた後の穏やかな日常に、悲しみも少しずつ癒されていく感覚。
魔王が力を増していき、ついには女神の妹が囚われ、勇者を迎えに行く使命を負った日のこと。
そして、オーブを嵌め込んだわしらとの邂逅――。
クゥーエルも様々な想いと覚悟を以って、わしらと旅をしていたことをここで初めて知った。
「……そうか。お前さんにそのような過去が」
「どうしたの、勇者さん?」
「クゥーエルの生い立ちから今までの記憶を垣間見た」
「クゥちゃんの過去?」
小首を傾げた楓に頷き返し、わしは静かに告げる。
「どうやら、クゥーエルは神竜の卵から孵ったドラゴンらしい」
「ってことは、神竜の子供ってことじゃん」
「……やはりそうか」
のしんと地面を揺らすと同時、レブルゼーレがそう呟いた。
わしが振り返ると、黒竜はクゥーエルの姿をジッと見つめながら口を開く。
「神聖性しか感じられないその在り方。そしてなによりその鎧兜だ。神殿の転移装置が起動した時に感じた、懐かしさのようなものを覚える。この感覚が竜族の魂に刻まれた過去の記憶だとするならば、恐らくその鎧兜は神竜に縁のあるものだ」
「神竜の……」
そんな話を聞き、わしは改めてクゥーエルの姿を眺める。
互いに視線を交わらせ、しばし見つめ合っていたが。ゆっくりとした足並みで、先にクゥーエルがこちらへと歩み寄ってきた。
まるで撫でてほしいかのように頭を地面に横たえたので、わしはそっと手を伸ばして鼻先を撫でてやった。
すると、再びクゥーエルの体が光に包まれ――なんと同調するようにわしまで発光し始めたのだ!
まさかドラゴンにでも変身するのか? 女子を抱けなくなるのは困る! わしは人間でいたいのだっ!
そんな考えが一瞬脳裏を過ったのも束の間。――ガシャッという音につられ地面に目を向けると、そこには今の今まで着ていたアールジェラの鎧と肌着が転がっていた。
「どういうわけだ……? なぜ着ていた物が地面に……あ、ということは、いまのわしは裸⁉ これは恥ずかしいぞっ! わしは露出狂ではないのだ!」
「なに言ってんだおっさん。自分の体をよく見てみろよ」
ライアの声に我を取り戻し、わしは自分の体を注視した。
するとなぜか、先ほどまでクゥーエルが着用していた鎧と同じものが、わしの体を覆っているではないか。しかも下に着こむ黒い衣服もすべてが新品だ。
なぜ? と小首を傾げかけたが、その前に「あっ」と思い出した。
「……これは、この現象は昔読んだ絵本で見たことがあるぞ。魔法少女とやらが変身する際に着ていた衣服が弾け、特殊な装束に着替えるというシーンを。ある意味サービスのようなシーンだったが……ハッ! そうか分かったぞ! わしにもそれが起こったということは、誰かがわしのサービスシーンを求めているということだな!」
「誰も求めてねえよそんなもん」
「それを許容するほど世の中は甘くありませんわ」
「絵面を考えてよ勇者さん……」
「あははっ、オジサン面白すぎでしょ」
「ダメか……、それにしても手厳しい。しかし、なぜわしがこれを着ているのだろうな? 色合いとしてはすべて揃っていて統一感があり、キレイだとは思うが」
輝聖剣アールヴェルクの鞘、そして金剛魔盾セヴェルグの表面、そしてこの鎧兜。鮮やかな紺青色で見事にコーディネートされている。
しかも鎧なんかは、まるでわしのために拵えられたようなフィット感。
腹の丸みなどオーダーメイドのようにぴったりで、兜もかぶっていることを忘れるほど違和感なく収まっている。
だが着用してみて初めて解ったこともある。この鎧は強い。アールジェラとは比べ物にならんほどの力を感じるのだ。
しかし気になるのは、胸元の円形の窪み。なにかを嵌めるのだろうが……。まあ、なくても強そうだからあんまり関係はなさそうだな。
あちこちをペタペタと触れてみて――以前からかっちょいいなと思っていた、兜の両サイドに伸びる白銀に輝く羽根飾りに触れようと手を伸ばしたその時だ。
ピキーンといった耳鳴りのような感覚に襲われ、同時、脳内に懐かしい声が響いた。
『――勇者よ、ようやく鎧を手にしたようですね』
「その声は女神。いやそんなことよりも体は大丈夫か? 息災か?」
『クゥーエルが力を取り戻したことで、多少はよくなりました。しかし、妹がいなければ私たちの力は完全には戻りません。一刻も早く妹を救出しなければ……』
「その妹女神はどこに囚われているのだ? このまま直行出来るのならすぐにでも向かうが」
『魔王城のある島近海に浮かぶ小島です。ですが強力な結界が張られているため、いまの状態で行ってもどちらにも入ることは叶いません』
「それではわしらはどうすればよい?」
『神竜鎧エルファリスを得たあなたたちならば、女神の塔のある島へ入ることが出来るでしょう。そこで新しく手に入れた武具の祝福も先に済ませます』
「エステルが以前言っていた、北の海にある島というやつだな」
それにしても、神竜鎧エルファリスか。名前からして強そうでかっちょいいな。まさに勇者の鎧にふさわしい。
「よし、ではさっそく女神の塔へ向かおう――」
と、そこで一つ気がかりが。
「ところで、ベルファールは連れて行ける場所なのか?」
『元は四天王。ですが、いまはあなたの捕虜なのでしょう? 魔剣はもう手元にないようですし、ドラゴニルで禁術を使用したことには目を瞑ります』
交信は出来なかったが、わしらのことをちゃんと見守ってくれていたのだな。
毒舌なだけかと思っていたが、なかなか思いやりのある女神ではないか。
「すまん、礼を言う」
『まあ、万が一暴れるようであれば大人しくはさせますが』
「そうならんよう気をつけるつもりだ……」
口振りからして、力が戻っていなくとも四天王など相手にはならないと、暗に示しているようだな。女神とはそれほどの存在か……。
これは下手に怒らせない方がよさそうだ。
『勇者、なにを考えていますか?』
「いや、なんでもない。ではわしらも急ぐゆえ、いましばらく待っていてくれ」
『分かりました――』
交信が終わった。
いつものあれは、もうやる必要がないな。少々寂しいが、いまはそんな時と場合ではない。
「……というわけだお前さんたち。なんとなくわしの発言で察しているとは思うが、これから女神の塔へ向かう」
「ああ、二人の会話なら聞こえてたぜ」
「話の腰を折るのも悪いと思って黙っていたんです」
「もちろん、その鎧がエルファリスって名前なのもちゃんと聞いてたよ」
「オジサンにはちょっと可愛すぎるくらいの名前だねー」
「なに、わしもこのパーティーの中ではマスコット的なアレだろうという自負があるからな。むしろわしに合っているさえある」
「ねえよ」
せっかくドヤった顔も、ライアのすげない一言でしょんぼりだ。
だがここでこうしてはおられん。
次の目的地が決まった以上、早いところ向かわねば。
仲間たちの武具の強化にも関わることだからな。
「よし、ならば気を取り直してそろそろ向かうとするか」
翼を広げ立ち上がったクゥーエルの元へ向かう仲間たち。その背について行こうとわしも足を踏み出したところで、背後の存在に動きがあった。
振り返ってみると、レブルゼーレが後退りをしている。
「どうしたのだ、レブルゼーレ?」
「どうやら俺の旅はここまでのようだ」
「お前さんは来ないのか?」
「行ったところで大して用もないしな」
「そうか……それは寂しくなるな。――お前さんはこれからどうする?」
わしが訊ねると、レブルゼーレは南東の方角を眺めた。
「そうだな。暇だしドラゴニルでも守っていてやるか。神殿は崩れはしたが、いまだにあそこは魔物が来るようだ。暇つぶしにはなるだろう」
「お前さんが守護してくれるなら安心だ」
フッと笑った後、地面を蹴って翼を扇ぐと、レブルゼーレは少しだけ高度を上げて浮揚する。
わしは見下ろしてくるその瞳と視線を交わした。
今生の別れではない、その決意を以て赤い瞳を見つめ返す。
「あの時聖都エーデルクルスでも言ったことだが、お前さんにも伝えておく。すべてが片付いたら、きっとまた会いに行くと約束する」
「ああ。そうしてくれると楽しみが出来て、待つことにも退屈せずに済みそうだ。……皆、気をつけていけ」
「うむ、ここまでありがとう」
礼を告げたわしらに頷き返し、レブルゼーレは空高く昇っていく。
そして進路を南東へ取ると、力強い羽ばたきで空の向こうへ消えていった。
「よし、ではわしらも行くとするか――」
そうして。久しぶりに皆でクゥーエルの背に乗って、空から地上を眺めた。
そうそう、この感じ懐かしい。なんて話に小花を咲かせる女子たち。
初めて背に乗るベルファールなんかは、いつものツンケンした様子もなく穏やかな表情で揺られていた。意外過ぎる横顔に、思わず見惚れてしまったのは内緒だ。
だがしかし。レブルゼーレと違って優しい飛行ではあるが、やはり急いでいるのか、わしには聖竜の羽ばたきがどことなく慌ただしく感じられた。
主人の危機に、クゥーエルも焦燥を感じているのだろう。
心優しきクゥーエルのためにも、妹女神救出を強く心に誓った島への往路となった。
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