第137話 女神ルナリア

 ダムネシア地方を離れ、陸をなぞるように飛行するクゥーエルの背に揺られる最中。

 わしらは遠く望む東の海上に、不気味なものを発見した。

 向こうの様子が窺えないほど、かなり濃い黒い霧に覆われている一帯だ。

 おそらく、以前娯楽の町ダグハースにて行商から聞いた、魔王城のある海だろう。

 あんな禍々しく不吉なものが在ったなら、誰も沖へ漁に出ようとは思わんだろうな。

 城がどんな姿をしているのか見ることは叶わんが、あの向こうに大魔王がいると思うと体が戦慄く。

 恐怖ではない。武者震いかというと、それともまた違う気がする。似て非なる感覚だ。いま考えたところで詮無いことだが。


「――しかしクゥーエルは霧に見向きもせんな。ただただ進路を真っすぐ北へ取っておる」

「あたしらがやっと女神の塔への入場を許可されたんだからな。そりゃ急ぐだろ」

「それに、いまのままでは行ったところで意味がないですし。優先すべきことを弁えているんですよクゥちゃんは」

「やっとお家に帰れるし、女神様に会いたくて急いでるっていうのもあるかもしれないね。ここまでかなり待たせちゃったから」

「主人想いの優しい子だねー、クゥちゃん。いい子いい子してあげる」


 そう言って楓はクゥーエルの背を撫でさする。

 いつもであればそれに反応を示すクゥーエルも、やはり気が急くのか、構うことなくひたむきに飛び続けた。

 少しだけ寂しそうに肩を落とした楓だったが、その想いを汲むようにやさしく背中をポンポンと労わる。

 しばらくし、ヴァストール地方の平原を越え山脈に差し掛かったところで、クゥーエルは緩やかに東を向いた。

 そこからおよそ十分少々で、ようやくわしらは海に出る。

 そして視線の先。ラグジェイル地方との間の海域に浮かぶ、虹色のプリズムに煌めく結界の張られた大きな島を視界に収めたのだ。


「あれが女神の塔のある島か……。というか、ラグジェイルを目指していた時に船から遠望していた陸地ではないか。まさかあれがこの島だったとは……」


 しかしまあ、あの時に立ち寄ったとしても入れなければ意味がないしな。

 結果としては無視してよかったのかもしれん。

 寄り道などして、イグニスベインの手下どもが朱火たちのいるエイレム村を襲わないとも限らなかったからな。

 それになんといっても、グランドロックマイマイに地下が崩されでもしていたら、わしの剣と盾はいま存在しないことになっていたかもしれん。

 英断がその未来を回避したのだっ! ……まあ、気に留めなかったというのが正直なところだが……。

 と、そうこうしている内に、クゥーエルがなんなく結界を抜けた。


 まず肌で感じたのは、常春のような温かくて穏やかな空気だ。

 風も荒れるような印象すらなく、見下ろす大地は緑も豊かで色とりどりの草花が彩を添えていた。

 楽園というものが存在するならば、まさにこの島のことを言うのだろう。そう思わせる説得力を感じる。

 そんな島の中央には広大な湖があり、小島に一本だけ突き出る塔が建っていた。

 離れて見ていた分にはあまり大きく感じられなかったが――。

 壁のない柱だけが立ち並ぶ最上階の、バルコニーと思しき部分にクゥーエルが降りたことで、塔の大きさを実感した。

 体長二十メートルはあろうかというドラゴンが、体を丸めているとはいえバルコニーからはみ出ることなく収まる広さ。円柱の塔自体は直径五、いや六十メートルくらいはありそうだ。

 バルコニーからは回廊が続き、奥へとわしらを誘っている。

 この先に、女神がいるのだ。


「……時間短縮になってよいとは思うが。下から登ってこなくてよかったのだろうか?」

「クゥーエルが連れてきたんだから別にいいんじゃねえのか?」

「逸る気持ちは、女神も竜も人も変わらないということですよ」

「行こうよ、勇者さん。女神様が待ってる」

「そうそ、ここまで来たら細かいことはなしだよーオジサン」


 わしを置いて、躊躇することもなく女子たちは廊下を行く。

 クゥーエルに「ちょいと行ってくる」と言い置いて、わしもその背中を追った。

 壁に刻まれた荘厳なレリーフに見守られながら少し歩くと、奥行きのある円形のホールに出る。

 艶やかな大理石の床の一面には複雑な魔方陣が彫られており、常に鈍く輝きを放っている。

 その中央にある二脚の玉座はこちらを向いていた。しかし、そこには誰の姿もない。

 いつの間にかわしを先頭に、魔方陣の中へ足を踏み入れ玉座に近づいていくと――

 突然、左の玉座前に人型をした光が現れた。キラキラとした発光は緩やかに収まっていき、やがて姿を見せた真っ白いローブの女性。

 その容姿を見た瞬間、わしは思わず「んんぅうううんっ?!」と驚愕に目を剥いてしまう。


「る、ルミナス嬢……? ルミナス嬢ではないか――」


 そこにいたのは見紛うことがない、間違いなくアルノームの酒場にいた女主人、ルミナスそのものだったのだ。金色の長い髪、美しい青い瞳、そしてなんとも美味しそうな――ああいやいや、素晴らしいプロポーション。

 驚くわしの背後で、「たしかに似てるな」「でも雰囲気は違うわね」と、ライアとソフィアがひそひそ話をしている。

 違いないというのになにを別人みたいな感想を抱いているのか……。

 涼しげな目でわしを見つめていたルミナスは、薄桃の可憐な唇を開き呟いた。


「あなたがなにを勘違いしているのか興味もありませんが、私はルミナスではありません」

「お前さんこそなにを言っとるんだ。その容姿、わしが見間違えるはずがないだろう。お前さんはルミナス嬢だ違いない」

「聞く耳くらい持ちなさい。それは違うと言っているでしょう」

「では誰だというのだ?」


 ルミナスではないと言い張る女神は「はぁ」と小さく嘆息すると、呆れた様子で続けた。


「私は女神ルナリア。ルミナスの双子の姉です」

「……………………ん?」

「ですから、双子の姉だと言っているのです」

「言葉の意味は解るが、わしの理解が追い付かんのだ。かしこさ53を舐めてはいかんぞ」

「意外とあったのですね。というか、その程度で威張る前に読書でもしなさい」


 いやどう見てもルミナス嬢なのだがな。

 ……しかしこの短いやり取りの中で、たしかに違うのではと節々に思えたことがある。

 まず、ルミナス嬢はわしに対してこんなにも冷たくないはずだ。

 見た目は変わらなくても、性格がまるで違う。常にわしのことをからかっていたあの女神だとするならば、目の前の女子がまさしくそうなのだろう。


「本当にお前さんル――」

「姉のルナリアです」


 食い気味でそう断言される。

 ここまで否定し続けるのならば信じるほかないだろう。

 ……それにしても、プロポーションまで瓜二つとは。これは一粒で、いや二粒で二度どころではなく四度、いやいやそれ以上に美味しいではないか! 嬉しい誤算という奴だ。

 い、いかん……ルナリアのおぱーいを見ていたら、ルミナス嬢の谷間を弄った時のことを思い出してオティムティムが大変なことになりそうだっ。


「……まったく、いつまで経ってもイヤらしい。ルミナスはなぜこのような男を勇者になど……」

「人の妄想を勝手に覗き見んでくれ。というかその口振りからすると、わしが勇者になるように仕向けたのはルミナス嬢ということになるが?」

「そうです、ルミナスです。私だったら、あなたになど勇者の証を渡すわけがないでしょう」

「そこまで毛嫌いせんでもよいと思うのだが……」


 ちょっぴり傷付きわしが肩を落とすと、ルナリアはそうなった経緯を簡潔に説明した。

 なんとなくまとめるとこうだ。

 大魔王が力を取り戻す前に、正しく力を行使でき、かつ戦力として十二分に使える人間をなんとしてでも得るために、大魔王の目の届きにくい上の世界へ向かったルミナス。

 勇者の証をアルノームのパン屋の息子に与えたはいいが、素質がなかったことに落胆した。(まあ、隣の村ヤーゴにたどり着くまでに十数回死んでいれば嘆きたくもなるだろう)

 半ば諦めかけたそんな時。偶然勇者がわしへ反抗し、代わりにわしが城から叩きだされたことを面白がったルミナスは、わしを勇者にしようとルナリアに進言する。

 最初こそ、わしなんかに務まるわけがないからと冗談半分に見ていたルナリアだったが。思いのほか健闘していることで認めざるを得なくなり、正式にわしに勇者の証を与えたそうだ。


「……あの時ゴブリンキングもどきを倒した時にはしゃいでいたのも、やはりお前さんか?」

「似非とはいえ、まさか一人で小ボスを倒すとは思わず、エキサイトしてしまったのです」

「あの時テンションが高かったことは今でも覚えておる」


 役立たんとか何とか言っていたのも、いまではいい思い出だ。


「それで、なぜルミナス嬢は大魔王に囚われることになったのだ?」

「本当であれば、このエグゼリカ島で力が戻るまで安静にしていなければならないのです。上の世界へ行ったことで、ルミナスは継続的に力を消耗する状態にありました。下の世界へ転移する際に力をほぼ失い、不安定な力の行使によりこの島に戻って来られず、イグニスベインによって捕らえられてしまったのです。……もう少し勇者の選定が早く済んでいれば、こんなことには……」


 最後にそう呟き、ルナリアは唇の端をわずかに噛んだ。

 妹が攫われたことへの悔しさ、守ってやれなかったことへの不甲斐なさ。

 ……それと、わしなんかでも勇者をやれていることへの情けなさとか、諸々を噛み潰すような苦い顔をしている。

 からかうのはもちろん違うし、励ますのもどうかと思って言葉を選びあぐねていると、代わりに仲間たちが口を開いた。


「ルミナスが囚われてる場所は分かってるのか?」

「ええ。魔王城のある島の東、ユグドラシルからはやや北西の海上に浮かぶ小島です」

「魔王城の地下牢獄とかではないのね」

「理由は定かではありませんが、どうやらイグニスベインがそこへ幽閉したようなのです」

「あの魔物、戦ってみたけど武人って感じだったよね。卑怯なことを嫌いそうだし、もしかしたらいつかこうなることを想定していたのかも……」

「でも大魔王ってやつがよく許したよねー。フツーは問答無用で牢獄に放り込みそうなのにさ。無理やり連れ出したりしないのはなんでなんだろ?」

「大魔王も私たちと同じ。魔王城から動くと力を取り戻すのにより時間を要するからです」


 そこで少しばかり引っ掛かりを覚えたわしは、ルナリアに問うた。


「それならば手下どもに連れ出させれば事足りるのではないか?」

「それが、どうやら島には特殊な結界が張ってあるようなのです」

「特殊な結界?」


 聞き返したその時、いままで無言を貫いていたベルファールが静かに口を開いた。


「――紅魔炎の結界のことだな」

「そのなんとかいう結界は、そんなにも特殊なものなのか?」

「紅魔炎だ……まあいい。私も聞いた程度で実際に見たことはないが、ヤツが持つ大剣でないと斬り払えない代物だそうだ。禁術ならば判らないが、並みの魔物が行ったところで一瞬で消し炭だろうな。ちなみに死んだ後にも効果は残るらしい。滅多なことでは使わなかったようだが」


 それを聞いたライアが、なにか気づくように軽く目を瞠った。


「ってことはあいつ、あたしらと戦った時には使わなかったってことか。何人か閉じ込めておけばもっと楽に戦えたかもしれないってのに……」


 感慨深そうに呟くその口元には、わずかに微笑が浮かんでいた。

 ややあって、おもむろに道具袋を開けたライアは、中からイグニスベインの大剣を取り出す。炎が鎮まり返る、ただの剣だ。


「あいつの大剣ならここにある。結界はこれで問題ないな」

「その剣をライアが使うのですか?」

「まあ剣聖の証になるかもって理由で受け取ったんだが、なにか問題でもあるのか?」

「その剣は、魔力を有していないと真価を発揮できない魔剣です。なので、魔力のないあなたには扱いきれないかと」

「なら話は早い、ほらよ」


 そう投げやりに言って、ライアはベルファールへ剣を押し付けた。


「……なぜ私がこんなものを振るわなければいけない」

「魔力がある、剣も扱える。なによりストレス発散したいだろ? 結界全力で叩き斬ったら、憂さ晴らしになると思うんだよなあ」

「そんな口車にのせられるか、やりたければ自分たちでやれ」


 二人のやり取りを傍目に眺めていたクロエが、ずずいと前へ出て言った。


「じゃあ、わたしがやるよ。魔力あるし」

「がんばれークロエちゃん」


 そんな楓の声援を受けて、ベルファールから剣を取り上げたクロエだったが。


「――って、おもっ」


 手にした瞬間まるで重力に押しつぶされるように剣だけが手から滑り落ちた。

 魔法以外は普通のか弱い乙女なのだなクロエは……なんだかほっこり。

 ガランと重そうに転がった大剣を見つめ、ほんのり頬を染めたクロエは明後日の方を見やる。


「わたしじゃまあ、無理みたいだね。ていうか重すぎるよ」

「……というわけだベルファールよ。やってはくれんか?」

「捕虜だから従えとか都合のいいことを言って私を丸め込むつもりか?」


 わしは小さく首を横に振った。


「いや、ここは仲間として頼みたい」

「なったつもりはない」

「ならば未来の嫁候補の一人としてだな」

「妄想も大概にしろ、なぜ貴様のような男と」

「一緒に住むと誓っただろうっ」

「誓ってない、貴様が勝手に誘っただけだ」

「だが行く当てがないからと付いてきたのだろう?」

「ハイエルフどもの世話になるよりはマシだと思ったからだ」

「ならばマシついでに結界は頼んだぞ、お前さんしかいないのだ」


 さらにわしが言葉を投げると、ベルファールは飽きたように頭を垂れて大きくため息をつく。


「はあー。貴様との問答は面倒が過ぎる。分かった、仕方がないからやってやる面倒くさい」

「うむ、そう言ってくれると思っていたありがとう」


 礼を告げたわしに背を向けて、ベルファールはため息を重ねながらバルコニーの方へと歩いて行った。


「よし、なんとか結界の件は落着したな。それで先の会話中に思い出したことがあったのだが」

「なんです?」

「仲間たちの最上位のクラス、つまりは『聖』クラスというのは女神に認可してもらう。このことに相違はないだろうか?」

「ええ、その通りです。武具の祝福ついでに済ませましょう」


 女子たちがいよいよだと色めき立つ中。

 ルナリアは急にスッと表情を真顔に戻して、わしらを見据える。


「――ですがその前に、あなたたちには試練を受けてもらいます」

「……試練? それはまさか絵本でよく見る、一人一人に与えられるものか?」

「いいえ、私がそんな七面倒くさいことをすると思いますか?」

「いいや残念ながら思わん」


 そんな余裕がなくなったことも一因だとは思うが、いつの間にか戦闘の実況じみた脳内の声も聞こえなくなっていたしな。

 そういえば、面倒くさいから辞めたといつぞや聞いた気がするが、気のせいだろうか?

 とまあそんな女神ルナリアだから、言葉通り七面倒なことはしないのだろう。


「それで、試練ってのはなにすればいいんだ?」

「あなたたちには、私と戦ってもらいます」


 そんな非常識な発言に、揃って目を瞠る女子たち。

 わしは気が乗らず、さらに言葉が紡がれる前に進言した。


「お前さん、たしかベルファールが暴れても問題にはならんというようなことを言っていたが。そんなお前さんと、わしらが戦うだと?」

「そう言いました」

「戦って、どうするのだ?」

「倒せばいいんです。でなければ大魔王には届きませんよ」

「……倒してしまったらルミナス嬢が悲しむだろう」

「あなたはバカですか? 本気で殺せと言っているわけではありません。というか、あなたたちに私は殺せませんよ」


 そこに絶対の自信があるようにルナリアは言い切った。

 目を見る限り、冗談というわけではなさそうだ。


「その勝負に勝たなければ、クラスチェンジも武具の祝福もなしなのか?」

「そうなりますね。ですが、私にもし勝てた上でそれらを行えば、さらなる力を手に出来るでしょう」


 その言葉を耳にし、わしらは誰ともなく顔を見合わせた。

 いまのままでは大魔王に届かない。それならば、やることは一つだ。

 皆、決心は固まった、そんな顔で頷いた。


「……わかった、お前さんと戦おう」

「では私は準備しますので、あなたたちも階下にある泉で回復してきてください。階段は回廊の途中にある扉の中です。準備が整い次第ここへ戻ってきてください」

「分かった――」


 そうしてわしらは回廊の真ん中辺りに設えられた扉を開け、階段を下りた。

 石造りの泉は階段のすぐそばにあり、どこからともなく滾々と湧き続けている。

 水浴びするにはいささか小さすぎることに戸惑っていると、女神から『水を飲むのです』と脳内に語りかけられた。

 指示に従い泉の水を掬って飲んだところ、HPとMPがたちどころに全回復した。

 清涼感のある喉越しに清々しさを得、わしらはクリアな頭と気を新たにし、再び階段を上ったのだ。

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