第129話 未来への小さな一歩

 レブルゼーレの背にベルファールを強引に乗せて、わしらは聖都へ戻る。

 飛行中、火花を散らすような険悪な雰囲気を互いに醸し出していたが、そこは無言を貫くことでなんとか冷静さを保っているようだった。

 まるで会話もない空気の中、鼻息すら殺すように黙っていたおかげで、わしの方は気まずいどころの話ではなかったがな。

 しかしドラゴンの飛行能力だ、帰還するのにさほど時間がかからなかったことは幸いと言えるだろう。

 町の人々や聖域、皆は果たして無事だろうか。女子たちが『任せろ』と頷いて送り出してくれた故、そこまで心配しているわけではないが、やはり気持ちは逸るようで。

 ちょうど森へと差し掛かった頃、ゴツゴツとした竜の首越しに地上を覗いた。

 結界の役目を持つ第一魔法障壁である石柱があった部分は、見事にピンポイントで消し飛んでいる。おそらく暗雲が立ち込めた際に発動された、ベルファールの雷撃魔法によるものだろう。

 門から町へと続く道、そして聖都エーデルクルスは、近辺から煙が上がったりしているものの、大した被害はなさそうだった。

 リーンベル宮殿も無事なようで胸を撫でおろす。

 脇道を目でなぞり、大方大事なさそうかと安堵しかけたその時。

 聖域の広場がある場所を見て、わしは驚愕に目を見開いた。

 森を離れる前には、たしかに木々が茂っていた場所が根こそぎ吹き飛び、広場の面積をさらに拡大させていたのだ。

 草が生えていた部分もめくれ上がったかのように地面が露出し、その中央には巨大なクレーターが出来ていた。

 それらは聖樹からおよそ二、三百メートル離れた場所にまで及んでいて、ここでの戦闘の苛烈さを物語っている。


「これはあの四体のドラゴンによるものか……?」

「地面が吹き飛んで更地になっているのは、運悪くブレスが重なったんだろうが、……こいつは……」


 レブルゼーレの呟きを引き継ぐように、ベルファールが背後から声をかけてきた。


「これは禁呪によるものだ。どうせあの堅物が我慢できずに使ったんだろう」

「堅物……エステルか。そういえば以前、神聖と暗黒魔法には禁呪が存在すると聞いたことがあるが。もしかしてベルファールも禁呪が使えるのか?」

「一応はな。だがレギスベリオンの方が手っ取り早く消耗も抑えられる。だから魔剣を好んで使っていた。禁呪などというあんな燃費の悪い馬鹿げた魔法を使うのは、正真正銘のバカだけだ」

「そ、そうか。……ちなみに言っておくが、魔剣はいまわしが預かっておる。だからといって禁呪で暴れてくれるなよ?」

「貴様に言われなくても大人しくしてやる」


 禁呪が使えるということに焦りながらも釘を刺し、一応、『約束その二』を取り付けられたことにホッとする。

 レブルゼーレは首を右に左にと振りながら、広範囲に渡るブレス跡を眺め言った。


「だが、ブレスが重なった割には被害が小さいな。聖樹も危ういレベルだと思ったんだが……」

「ドラゴンレクターどもの能力は全盛期の三分の二ほどだ。それでも私からの魔力供給でその頃に近しい力があったはずだが……大方、私の魔力増幅に共鳴したドラゴンどもがブレスを放ったのを、魔法障壁にブレス軽減でも混ぜて防いだんだろう。その上で禁呪を使った。忌まわしいハイエルフだ」


 強力な攻撃を合わせ技でなんとか耐え凌いだ、そんな様子がありありと目に浮かぶ。

 きっと仲間たちもそこに尽力したはずだ。会ったら褒めてやらんとな。

 よく頑張ったとわしが胸の内でこぼしたところで、レブルゼーレが「ふん」と不愉快そうに鼻を鳴らした。


「誰もお前になど聞いていない。ただの独り言だ、いちいち話しかけてくるな」

「私も貴様になど話していない。勘違いも甚だしいな。長らく隠居していたせいで耄碌でもしてるのか?」

「なんだと?」


 ピタリと止まりその場でホバリングするレブルゼーレ。

 きっかけがあれば今すぐにでも戦闘へ発展しそうなほど、場の空気が一触即発のピリッとした緊張感を孕んだ。

 わしは慌てて止めに入る。


「だぁああ、分かったからその辺にしておくのだ! まったく、お前さんたちはもうまったくだな! レブルゼーレはわしに聞いた、ベルファールもわしに話しかけた、これで良いだろう?」

「俺が無知なお前に聞くわけがないだろう……」

「私も貴様なんかに話しかけていない。独り言だと言ったろう」

「……ほぅ、意見が合うじゃないか」

「不愉快だ、黙っていろ」


 そう強制的にやり取りを終わらせるベルファールを、「フン」と鼻の先であしらってレブルゼーレは飛行を再開する。

 …………。

 わしを余所に置いて話を落ち着かせないでほしい。

 気まずい上に情けなさまで盛られて肩を落とすわしを乗せ、ドラゴンはようやく広場の上空へとやってきた。

 徐々に降下していく最中、「――あっ! オジサンやっと帰ってきたー!」といった楓の元気な声が地上から聞こえてくる。

 この明るさならば、死者などは出ていなさそうで一先ずは安心か。

 ズズン、と大地に降り立った竜の背から身を乗り出し、わしはひょこっと顔を出す。

 ライア、ソフィア、クロエ、楓、そしてエステル。

 皆土埃に塗れ汚れており、鎧や衣服に付いた血を見る限り、ここでの戦いは激闘だったことが窺える。だが、回復魔法で治癒出来る程度の傷だったであろうことは幸いだな。


「お前さんたち、皆無事か? 大事ないか?」

「心配すんな、おっさん。死人も出てねえよ」

「ケガ人は出ましたけど、皆で手分けして治療したのでもう大丈夫ですわ」


 その言葉にうむと頷いて、わしは竜の背から飛び降りた。

「ふが……っ?!」着地した瞬間、体のあちこちに激痛が走る。……忘れていた、結構な回数槍を食らっていたことを。グリーブの中はもう血でぬるぬるだ。


「だ、大丈夫、勇者さん?! いま回復するから!」

「すまんなクロエ。それと、レブルゼーレにも頼む。二人してまあまあ被弾してしまったからな」


 クロエはさっそく両の手を向けると、わしとレブルゼーレに「クラウセンディア」という魔法を順にかけた。

 すると肉が裂けていた傷もたちどころに塞がり、生命力が満ち満ちるような感覚を覚えたのだ。


「この回復力は……」

「単体にしか使えないけど、最上級の回復魔法だよ。ドラゴンレクターとの戦闘で、わたしたちも成長できたみたい」

「でもまさか三回も復活するなんて思わなかったよねー。しかも満身創痍のくせして力だけは増すしさー」


 辟易するように言う楓は、もうやりたくないとでも言いたそうに疲れた顔をしている。

 もしかしたら、ベルファールが強力な魔法を放つたびに魔力が流入していたのかもしれん。


「それよりもわしが気になるのはこのクレーターだ。空の上で教えてもらいはしたが、やはりこれは禁呪によるものか?」

「うん、エステルのねー。名前なんだっけ? アルヴェロがなんたらって」

「楓ちゃん、アルヴァーディル・エンペリウムだよ」

「そうそ、それそれ! もうね、凄かったんだから! オジサンにも見せてあげたかったなー」

「そんな威力か?」


 わしは周辺を見渡し、唖然としながら疑問を口にする。

 すると、ライアが「ああ」と頷いた。


「巨大な魔方陣の上に光の球が現れてよ、あれはとてつもない魔力の膨張だった。あのまま結界なく爆発してたら、下手すりゃあたしらも全滅、おまけに聖樹もヤバかったんじゃねえのか?」

「しかしそんなものを囲い、被害を最小限にしてよく防げたな」

「ええ。ハイエルフたちはもちろん、私たちも力を尽くしました。でも私たちだけでは防ぎきれなかったんです。ですが無理かと諦めかけたその時、オルハが突然現れて手伝ってくれたんですよ」

「あのわんこが?」


 ソフィアの話によると、半球状の結界に亀裂が入り、あわや膨大な魔力が外へ向けて爆ぜかけた時、結界の天頂にオルハが現れ遠吠えのような声を上げたそうだ。

 すると結界は息を吹き返したように強固になり、内部で爆発した禁呪を外へ漏らすことなく抑えることが出来たという。ちなみにその後、オルハはイルマのもとへ飛んで帰っていったそうだ。あやつら、すっかり仲良しだな。

 だがいまさらながらに思い出す。オルハは聖獣なのだということを。それを考えれば、別段おかしなことはないな。

 そこまで大変な戦闘だったのかとわしが深々と頷いたところ、エステルがこちらへとやってきた。


「勇者、此度は助けになった。初めて会った時はまさかこんな奴がと思ったが、お前は本当に勇者であるらしい」

「い、いまさらなのか……?? それに礼を言いたいのか貶しておるのか……まあそれはこの際どうでも良いか。それよりお前さんは大丈夫か? 禁呪はMP全消費と聞いたが」

「それなら心配無用だ。クロエが使わなかった聖樹の実を分けてくれたからな」

「そうか、ならばよかった」

「ああ。……これでベルファールの脅威も去った。この大地は再び聖樹とともに歩んでいける。――ありがとう」


 そう言って手を差し伸べてくるエステル。

 わしはその美しくたおやかな手を取ろうとし、少々気まずくなってやはり引っ込め、手持無沙汰にそのまま自分の頬を掻いた。


「エステル、そのことなのだがな――」

「ん……?」


 エステルが不思議そうに首を傾げる。その時、わしの背後で気配が動いた。

 ざっ、と砂地に降り立つ足音が聞こえ……同時、目の前にいるエステルの目が驚愕に見開かれる。


「――ベ、ベルファールッ!? なぜお前がここにいるッ!」


 エステルは杖を構え、敵愾心を露わにする。

 わしは背後に目を向けた。ベルファールはひどくつまらなそうな顔をしながらも、手のひらを上向きに構え魔法の準備をしていた。

 わしは咄嗟に止めに入る、こちらもその二だなまったく。


「ちょいと待て! ベルファールもエステルも、この場は双方ともに納めよ!」

「……勇者、説明しろ。なぜ倒したはずのベルファールがここにいる? まさかお前、裏切るつもりか? 同盟を組んだ我々を」

「裏切るつもりなどさらさらない。それとついでに言っておくが、わしは倒すなどとは一言も口にしておらんよ」

「裏切るつもりもなければ倒すつもりもない、だと? お前はなにを考えている? 事と次第によってはこの場で排除することも止む無しだぞ」

「お前さんこそ、めったやたらに物騒なことを考えるものではない。そもそもベルファールはわしが捕虜として預かった。処遇如何はわしに任せてもらいたい」


 わしの言葉を訝るように、エステルの眉がピクリと動いた。

 猜疑的にも見える目で、わしの双眸を強く睨んでくる。


「捕虜? なにをふざけたことを。そいつが何をしようとしていたのか、よもや忘れたわけじゃないだろうッ」

「お前さんこそ忘れたわけではなかろう。直接関わりのない過去のこととはいえ、ハイエルフがダークエルフにしたことを、その末路を!」

「黙れ! そのような安い同情で裏切るというのなら、いまここでお前もろとも消し飛ばしてやる――」


 エステルの持つ杖に魔力が漲った。青い宝玉がそれを増幅するように高めていく。

 危害を加えるつもりはない。が、これは止めねばならん、なんとしても。

 わしもアールヴェルクの柄に手を添えた。その時、「――待ちなさい!」と凛とした声が響いたのだ。

 叱られた子供のようにビクッと肩を跳ねさせて、エステルは声の主へ体を向けた。わしも振り向くと、そこにはアルティアの姿があった。

 じっとエステルを見据えるその瞳は、わずかに怒りが滲む。


「アルティア様……」

「エステル、冗談でも言っていいことと悪いことがあるわ。本気なのだとしたら尚のこと悪い。武器を納めて」

「……ッ……はい……」


 納得できない風な表情を一瞬見せたものの、やはりプリンセスの命は拒めないのか、エステルは素直に杖を下ろした。しかしその代わりと言わんばかりに、視線でわしを刺してくる。

 なんとも居心地が悪いな。いやしかしそんなことより。

 先ほどから微妙に震えているアルティアの様子が気になり足元に目をやると、なんと膝が笑っていた。


「ところでアルティアよ、お前さん休んでいなくて大丈夫なのか? 第一の石柱を失った状態で第三魔法障壁を張り続けて、立つのもやっとなのでは?」

「し、心配はいらないわ。それに聖都と民が大変な時に、死ぬほど疲れたからって私がのん気に寝てる場合じゃないでしょう」


 強がりが言えるのならば、まだ大丈夫そうだ。次期女王としての自覚や矜持もすっかり板についているようだな。

 大きな慈愛と思いやりと、困難に立ち向かえる強い心が彼女にある限り、この大地はこの先なにがあろうと大丈夫、そんな気にさせてくれる。

 やわらかく笑みを返したわしに、アルティアは小さく吐息をついてから「そんなことより、」と急に真面目な顔をして言った。


「ベルファールを捕虜にしたと聞こえたけど。それはどういう経緯なの? あなたが何を考えているのか分からない。説明してくれる?」


 アルティアの青い瞳が、真摯にわしを見つめてくる。責めているわけでもなく、ベルファールを憐れむでもない。ただ単純に、真意を問う眼差しで。

 わしは誠意を以ってその目を見返し、口を開いた。


「……以前、ハイエルフとダークエルフの過去について話を聞いた時から、わしはずっと考えていた。いままで一人で生きてきて、他を憎悪し怨嗟を唱え、ひたすら負の感情を折り重ねるだけの年月を過ごしてきたベルファールのことを。人並の幸せも、孤独と絶望に流され泡沫となった悲しき運命をな」

「まるでハイエルフがすべて悪いみたいに聞こえるわね。なにも知らないくせに」


 表情はまだやわらかい。だが、呟かれた言葉には少しだけ棘があった。

 エステルは彼女の腹の内を代弁しているとでも言いたげに、糾弾するような厳しさをもってわしを睨んでくる。……コワイな、さすが禁呪を放つだけはある。

 たしかに、あの時に聞かされたことしかわしは知らん。両種族の間にある溝の深さもその歴史も、わしにはほとんど知る由もない。

 一人責められるているような状況に、程度の差はあれどベルファールも似たような気持ちだったのだろうかなんて、ふと思った。

 寂しさに少しだけ俯いたわしの代わりに声を上げたのは、ベルファールだ。


「だが、ハイエルフが私たちダークエルフを迫害した事実に変わりはない」


 アルティアは小さく息をつき、ベルファールへ視線を転じる。


「……たしかに過去、私たちの祖先はダークエルフを迫害し、憎み合い、やがて戦争へと至ったわ。それこそ血で血を洗う凄惨な戦いよ。でもそもそものきっかけは、住みわけがされていたにもかかわらず、そっちが私たちの土地を妬み先に手を出してきたことが発端でしょう? 歴史書にも記されていたわ、土地を侵略しようとしたダークエルフと口論になった末、戦闘に発展し十数名の同胞が殺害されたって」

「聖樹の恩恵を直に受けていた貴様らを妬んでなにが悪い。辺鄙な森で魔物に怯えながら暮らしていた私たちの気持ちなど、平和の内で脅威を知らずただ生きてきた貴様らには分からない」

「だからといって暴力に訴えることはなかったわ。手段を選んで手順を踏んでいれば交渉は出来た。きっといまのような状況には陥っていないはずよ」

「いまさらそのような言葉が信用できるかッ」


 吐き捨てるように言ったベルファール。

 いままで冷静に振舞っていたアルティアだったが、ここへきて瞳に怒りが灯った。


「だったら聞くけど。そもそも土地を分けたとして、あなたたちにこのエゼルミストの森の守護が務まるの? 私たちは私欲のためにこの森に住んでいるわけじゃない。代々伝わる家々の役割を全うし、聖樹を守り育んで、この大地を、果ては世界の清浄のために守り人として存在しているのよ。むやみに森を拓くことなどあってはならないの。それを理解した上での暴挙だったわけ?」

「だからとて、ドラゴンがのさばる土地に追いやることなどなかった! 貴様らは迫害した挙句、同胞を皆殺しにしたんだッ!!」


 言っても聞く耳を持たない相手に疲れたように、アルティアは嘆息した。

 互いの主張は平行線のまま。少しでも傾けば交わるだろうに、そのような気配すらない。

 静観しているつもりだったが――わしは痺れを切らして口を挟んだ。


「……お前さんたち双方の言い分は分かる。過去の悲劇や憎悪、軋轢はそう簡単に払拭できることではないだろうし、関係が容易に修復されるものでもないだろう。過去を忘れることなど出来んし、忘れてはならん歴史だ。それは心に沈殿しわだかまる、しこりのような負の遺産だろうと思う。だがな、お前さんたちは過去に生きているのではない、現在いまを生きているのだ! いつまでも過去に囚われていても前へは進めん。割り切れないのならばそれでもいい。ただ、互いの存在だけは認め合ってはどうだろう。このまま憎み合うだけの関係など、未来など、あまりに悲しすぎるだろう」

「…………」

「…………」


 二人からの返事はない。ただ気まずそうに別々の方向へ視線を投げている。

 講釈やら高説やらを唱えるつもりはなかったが、なんだか今になって急に恥ずかしくなってきたぞ。

 どこか適当な穴はないかと砂地に目をやっていたところ、ザッと砂を踏む足音が聞こえてきた。

 そちらに目をやると、なんと女王が姿を見せに来たのだ。


「母様、寝ていなくて大丈夫なの?」

「ええ、もう大丈夫。……いまはそのようなことより。話は聞こえていました。勇者、あなたが言うことにも確かに一理ある。私たちは過去でなく現在を生きている。互いに憎み合うだけの負の連鎖は、いずれどこかで断ち切らなくてはならない。私もそう考えたことがなかったわけではありません。しかし両種族の間に横たわる溝は、時を経るほどに深くなり過ぎました。故に断ち切るという手段が、打倒という形でしか講じれなかったことは、真、女王として恥ずべきことです」

「陛下! お言葉ですが、そうしなければ我々がやられていたのです。女王であるあなたが頭を垂れる必要などありません!」


 これは潔いというのだろうか。臣下の前であるにもかかわらず、敵に対して種族の長が愚策だったと認め頭を下げている。

 ベルファールも驚いているように軽く目を瞠っていた。

 わしが王であった時ならば、自らの非を詫びたりしていただろうか。おそらく否かも知れん。これが器の大きさという奴なのかもしれんが、きっとそれだけではないのだろう。他種族を寄せ付けなかったハイエルフの女王にも、やはり深い慈愛の心はあったのだ。

 ゆっくりと頭を上げた女王は、ベルファールを見つめた。


「過去の出来事はすべて過ぎ去ったこと。どう足掻こうとも、失ったものはもう還っては来ない、私の母でさえ……。ですが、見据える先の未来を明るく照らす努力は今からでも出来るはず。たとえそれが頼りない小さな明かりであったとしても、さらに向こう側への標にはなるはずです。……こんな風に口に出来たのも、勇者、あなたがきっかけをくれたからです。感謝いたします」

「いや、わしらは大したことは何もしとらんよ」


 女王は小さく会釈をして、再びベルファールに目を向けた。


「……両種族の過去の過ちを忘れず胸に留め、前を向いていくために――私はあなたを認めます、ベルファール」

「…………私は、馴れ合うつもりはない」

「ええ、いまはそれでよいのです。誰も先のことなど識れない、解らない。だからこそ前を見据えるのです。前を見なければ小さな明かりも見逃してしまうから。……願わくば、あなたの未来に光溢れんことを」

「…………」


 調子が狂うとでも言いたげに、気まずげな視線を地面に落とすベルファール。

 相変わらず愛想のない女子だな。だがこれがベルファールなのだろう。

 そう納得したところで、わしは思い出して道具袋から魔剣レギスベリオンを取り出した。


「そうだ。女王よ、ベルファールから預かった魔剣を返しておこうと思う。彼女にはもう必要のないものだからな」

「分かりました。もとはこの地で生み出された物。厳重に封を施し聖域に安置しておきましょう」

「よろしく頼む」


 女王へ魔剣を返還し下がると、横からエステルが不機嫌そうに言った。


「ベルファールには魔剣がなくても魔法がある。それで襲ってこないとも限らないだろう」

「なに心配いらんよ。また暴れ迷惑をかけるようなことがあったら、わしがエッチなお仕置きをしてやると約束したからな」

「そんな約束した覚えはない」

「ならばここでするのだ。なに自信があるならば出来るはずだぞ?」

「約束はしない。だが暴れるつもりもない。捕虜は捕虜らしく大人しくしておいてやる」

「…………だそうだ」

「なんで残念そうな顔してんだよ、おっさん」


 そりゃあ残念な気にもなるだろう。

 だがまあそうだな、本人も大人しくすると言っているのだし、信じてやるのがわしの役目だろう。わしがいの一番に彼女の存在を認めたのだから。

 そういう小さなことでも積み重なれば、大きなものへと育ってゆくこともあるのだ。種が芽吹きやがて大樹へと成長するようにな。

 話が一段落といったところで、女王はアルティアへ体を向けた。


「アルティアも、これで良いですね?」

「いまの女王は母様だし、私もこのままじゃダメだって気はしないでもなかったっていうか。勇者の言葉で目が覚めたっていうか、見た目アレだけど……」

「最後の一言は余計ではないか……?」


 この期に及んでも弄られるわし、勇者、四十三歳、独身。

 げんなりどころかげっそりしかけたわしを置いて、女王はエステルへも目を向ける。


「エステルはどうです?」

「……納得はいまだ出来ません。ですが、陛下がお決めになったのであれば、そう考えられるよう私も努力する所存です」


 二人の言葉を聞き、感じ入るように胸に手を当てる女王。

 両種族間で起こった悲劇による傷を癒すのは、決して容易なことではない。

 だが、その一歩を確実に踏み出した。歴史的なその第一歩を、わしらは見届けたのだ。


「まあ、すべてを水に流しいますぐに仲良くしようと思っても無理だろうしな。こういうことはゆっくりでいいのだ、たとえ亀の歩みでも」

「……それはそうとして。これからベルファールをどうするつもりなの? この町には過去を許せないという者が少なくないわ、置いておこうにも厳しい環境よ」

「それなら問題はない。わしらがしばらく連れていくことにする。それならばお前さんたちも安心できるだろう。それに、ベルファールの力が役に立つこともあるやもしれんしな」

「そう……」


 そう呟いたアルティアは、少しだけ申し訳なさそうに柳眉をひそめた。

 微かにでも、そんな風に思えるようになったのであれば、恥ずかしいことを言った甲斐もあったというものだな。


「そういうことなら、あなたたちに任せるわ」

「うむ、任された!」

「それと今夜はゆっくりと休んでいって。部屋を用意させるから」

「すまんな、何から何まで世話になる」


 そうして夜も更けていき、和やかなムードの中催された食事会の後にお開きとなった。

 ベルファールとの相部屋を期待したが、まったくそんなことはなく……。

 一人部屋の寂しさに、人知れず枕を少しだけ濡らした夜になったのだ――。

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