第128話 黄昏の空の下で――獄黒のベルファール

「――ムシけらどもが勢ぞろいだな」


 バサバサと羽ばたく邪竜マディルの背からわしらを見下ろし、ベルファールがそう吐き捨てた。

 聖樹の方をかばうように背にし、エステルは危機感を露わに強く睨み上げる。


「ベルファール、ずいぶんと早いお出ましだな。そんなに急ぎの用なのか?」

「声がわずかに震えているぞエステル。動揺してるのか?」

「誰がッ!!」


 激昂するエステルを、「フッ」と鼻であしらってベルファールは続ける。


「準備ならとうに終わっていた。貴様たちが竜の巣から出てきた時分にな」

「……すぐに攻めずに、いままで待っていた理由はなんだ?」


 問うエステルから視線を転じ、ベルファールはわしを見た。

 視線を交換し合ったかと思えば、すぐさま彼女は目線を下げる。その目は、わしが携える剣に注がれていた。


「待つのにも飽きてきたところだったが、合図が聞こえたからな。そろそろ頃合いかと思って出向いてやったんだ。案の定、剣は完成していたようだな」

「合図? ……まさか呼び笛の音を聞いて――」

「貴様らハイエルフが聞こえる音なら私にも聞こえる」

「……わざわざ剣の完成を待っていたのか」


 軽く目を瞠ったエステルを嘲るように、ベルファールは肩を揺らしてクックと笑う。


「ドワーフと手を組んでまでオリハルコンを鍛え、その男に剣を与えた。貴様らにとって勇者という記号は希望の象徴でもあるわけだ――」


 ベルファールの持つ魔剣レギスベリオンが、妖しい黒いオーラを発し始める。穏やかな風たちも慌て逃げ出すような禍々しさだ。


「ならば私はそれを怨嗟と憎悪でへし折り叩き潰し、貴様らを絶望に染めてやる。この大地で聖樹と共に朽ち果てろ、ハイエルフどもッ!」


 直後。邪竜マディルに魔力の増幅が見て取れ、苦しみを吐き出すような悲痛な大咆哮を上げる。発散された邪気が四方へ散った。

 すると突然、地響きと共にバキバキと森の木々をなぎ倒しながら、この広場へ向かって何かが猛進してくる。

 勢い任せに吹っ飛ばされた無数の木々が、広場へと無造作に積み上がっていく。

 感じた凶悪な気と存在感に嫌な予感がし、思わず顔をしかめかけたところ――四つの巨大な影がズボッと森を抜けてきた。

 影はぶるぶると身震いすると、纏っていた闇を振り払う。

 嫌な予感は、現実となった。姿を現したのは、赤、青、緑、そして白い体をした、四体の大型のドラゴンだったのだ。

 存在を見咎めたエステルが驚愕に目を大きく見開く。


「あ、あれはドラゴンレクターッ?!」

「ドラゴンレクター……?」


 聞き馴染みのない言葉に訊ね返すと、レブルゼーレが静かに答えた。


「マディルと同じく支配階級にあった古竜種だ。まさかヤツらをすべて復活させるとはな……」


 そのことを知っていたのだろうエステルは焦った顔をし、急いで草笛を吹いて魔導士たちを招集する。

 集まった者たちに、エステルは叫ぶように言った。


「ユグドラシルから半径二百メートルに魔法障壁を張る、急げッ! いまは王家と聖樹を守ることが最優先だ!」

「エステル様は――」

「私は逃げ遅れた非戦闘員と子供たちを連れてから合流する! 死ぬ気で守れ、行けッ」


 そう言い置いて、部下たちの返事を聞く間もなく転移したエステル。

 魔導士たちは聖樹の方へと慌ただしく駆けていった。

 森の外からは剣戟の音が響いてくる。放たれた魔物との戦闘が繰り広げられているのだろう。

 レブルゼーレの呟きを、エステルたちの狼狽ぶりを見ていたライアが、微かに好戦的な笑みを口端に浮かべ訊ねた。


「レブルゼーレ、あのドラゴンたちはそんなに強いのか?」

「強いと言えば強い。だがマディルと違って一度朽ちて滅んだ身だ。全盛期ほどの力はないだろうが、しかし今はベルファールの魔力によって動いているからなんとも言えん」

「今のあなたと比べて、どうかしら?」

「マディルの力を継承した今、全盛期であったとしても一体ずつならなんとかなるが、四体同時はさすがにキツいかもな。それにもしもブレスが重なろうものなら、下手すればこの一帯が吹き飛びかねない」


 ソフィアの質問にレブルゼーレは首を振った。

 そうなれば聖樹も消えてなくなると、危機感に顔を歪めたわしだったが、女子たちは違っていた。

 安堵というわけではないが、少なくとも不安を感じさせるような表情はしていない。


「それって要は、一体ずつならいまのレブルゼーレよりはぜんぜん弱いってことだよね? だったら大丈夫。厳しい戦いになるかもしれないけどね」

「だよねー。ブレスは同じ方向に頭向けさせなければいいしさ。それに一回死んでるんなら、他の竜頭の魔物と同じ生まれ方してるってことでしょ? ならなんとかなるっしょ、アタシたちならさ!」


 クロエと楓の言葉に否が応でも前を向かされる。やる前からそうなった後のことを考えても仕方がないのだと。

 いまは目の前のことに集中しよう。

 そう気を引き締めたところで、「――のん気なムシけらどもだな」バサバサと羽ばたく音と声が遠ざかっていくことに気付く。

 ふと空に目を向けると、マディルが上昇し聖都を離れようとしていた。


「見よ、ベルファールが逃げてゆくぞ!」

「違う。ヤツは俺がここにいる意味を理解している。戦場を変えるつもりだ……」


 竜の背から見下ろすベルファールの視線は、たしかにレブルゼーレに注がれている。邪竜マディルの息子である、彼に。


「……乗れ、勇者」

「む? なぜわしが……。いまは聖都の防衛が先決ではないのか?」

「俺のけじめに付き合うって言ったのはどいつだ? いいからさっさと来い」

「のわっ!?」


 ベルファールに鷲掴みされたわしは、そのまま背中に乗せられる。するとどこからともなく手綱が現れ、わしの手の内に納まった。


「これは……」

「竜族は認めた者にしかそれを握らせない。仕方がないからお前を仲間として認めてやる、だから振り落とされぬよう握っていろ――いくぞ」


 それだけ言って飛び立とうとしていたレブルゼーレを「ちょいと待て!」と慌てて制止する。そしてわしは地上に目を向けた。

 時間がないことは分かっているが、どうしても声をかけずにはいられなかったのだ。


「お前さんたち。勇者なのにこの場を離れなければならんわしのこと、どうか許してほしい……」

「行ってこいよ、おっさん。んなこと気にせず、ここはあたしらに任せてさ。その代わり、ちゃんとベルファールの野郎をぶっ飛ばして来いよ」

「ぶっ飛ばす? 倒して来いではなくてか?」


 何を言っているのかと小首を傾げるわし。

 微笑を浮かべた仲間たちが、ライアに続いた。


「勇者様にもなにか考えがあるのでしょう? ダークエルフの話を聞かされた時も、そう顔に書いてありましたし」

「勇者さんは隠すの下手だよね。……でも、それが良いことなのか悪いことなのか、どうなるのかはその時になってみないと分からないけど。わたしも似たようなこと考えてたから」

「ま、オジサンはオジサンのやりたいようにやってみればいいんじゃないかな? このパーティーのリーダーなんだしさ。ここはアタシたちに任せて先を行けーッ」


 女子たちの心遣いに痛み入る。

 頼もしい言葉を受け、不思議と皆を信じてこの場を預けられる気持ちになった。それは偏に、ここまで共に戦ってきた絆がそうさせてくれたのだろう。

 剣を背負い、そして手綱を握りしめて、わしは大きく頷いた。


「皆ありがとう、この場はお前さんたちに任せた!」


 女子たちから力強い頷きが返ってくる。

 レブルゼーレは「いくぞ」と呟くと、静かに空へ羽ばたいた。

 あっという間に皆の姿が小さくなり、聖都を高いところから見下ろす。空から俯瞰する景色が懐かしい。

 進路を東へとった竜の背に乗りながら、わしは皆の無事を願うとともに、心の中で「頼んだぞ」と呟いた。



 ワルドがレブルゼーレとともに聖都を離れた直後。

 気色ばむように地団太を踏むドラゴンたちを前に、仲間たちは小さな作戦会議を始めた。


「――さて。問題はおっさんが居ない中で、あいつらをどう処理するかだな」

「そうね。一度死んでいること、いまのレブルゼーレよりは弱いことを考慮しても厳しいことに変わりはないわ。腐っても竜族でしょうし」

「エステルも驚いてた古竜種みたいだし、やっぱり一筋縄じゃいかないよね」

「なんだかんだで、名前はダサいけどオジサンの必殺技って強いからねー。魔神剣破壊してもらってからは上り調子だし」


 あんななりでもな、と仲間内で苦笑いをこぼしたところ、半円を囲うように放射状に広がる敵に動きが見られた。大きく息を吸い込み始めたのだ。

 その予備動作を目敏く察知していた楓がすでに動いていた。素早く印を結んで大地に手を叩きつける。


「土遁、狐面防塞・黒鉄!」


 いつも通りの防壁ならば四角い壁一枚であるはずが、今回は様子が違っていた。

 半円をぐるりと囲うように城壁と呼べるほどの巨大な壁が屹立したのだ。もちろん中央には狐の面、そこはぬかりがない。

 ゴオォオオとすさまじい火勢の音に混じり、吹雪くような音と雷撃音が混じって向こうから聞こえてくる。

 しかし、レブルゼーレの時ほど早々に溶け出したり壊れたりはしなかった。


「防壁からの応用術か。やるな楓!」

「これけっこう消耗するんだけどねー。でも意外と持ちこたえられてるみたいだし、今のうちに散開しよ!」

「一人頭ちょうど一体。ブレスを交差させないよう上手く立ち回るのは前提として。危ない時はフォローし合いましょう。クロエはなるべく接近戦は避けて。出来る限り私に注意を向けさせるわ」

「うん、わたしは火力で援護するよ。出来るだけ早く倒すから」


 ライアの「いくぜ」の掛け声で方々に散る。

 ブレスを吐ききったドラゴンは、今度は力任せに壁を叩きつけている。ガンガンと音を響かせながら壁がべこべこに凹まされていくところからも、膂力のすさまじさが窺い知れる。

 やがて術の効果時間が過ぎ、ガラガラと崩れ土へと帰っていく防塞。その向こうでは竜が翼を大きく広げていた。

 咆哮の四重奏がびりびりと空気を震わせる。

 それぞれ対峙するのは、ライアが《赤》、ソフィアが《青》、クロエが《白》、そして楓が《緑》だ。


 まずソフィアが先制し、気を纏わせた蹴りによって無数の刃を飛ばす「アゼルドラクト」で、離れた場所にいる白竜を攻撃する。

 クロエから自分に注意を引き付けるためだ。

 その勢いを殺さずに体を回転させながら飛び上がり、今度は青竜の顎目掛けて横っ面へと遠心力を加えた強烈な蹴りを見舞う。横倒しになったドラゴンはすぐさま起き上がると、唸りながら大地を足で掻いた。

 逆鱗に触れられた怒りだろうか。激昂したような血目を見せる二匹は、その間に泰然として立ったソフィアへ敵愾心を剥きだす。

 青竜の口元からは電気が、白竜の口元からは白い靄が漏れる。

 互いに口を開けると電撃のブレスと、冷気のブレスを同時に吐き出した。

 ソフィアは樹に向かって跳躍し、三角飛びで青竜の頭上を取る。

 彼女の目論見としては、雷撃と霧状の冷気がぶつかり合い電気分解でも起こすのかと思っていたようだが。しかしその予想は外れた。

 互いのブレスがぶつかって弾け飛ぶと、広がった霧状の魔力を伝い四方八方へと電撃が伸びて暴れまわったのだ。


「物理法則を無視したデタラメさ……竜言語魔法ってめちゃくちゃねッ」


 空中でろくに回避も取れない状況の中、あわや伸びてきた電撃の餌食になりかねなかった刹那――


「タイタンロックフィート!」


 クロエの放った土属性魔法、まるで巨人の足かと見紛う巨大な岩石が、竜の混合ブレスの中心を踏み砕く。

 砂塵を巻き込んだ爆風がブレスを消し飛ばした。

 ソフィアは舞い上がった風を利用してさらに上空へ逃れると、闘気を拳に集中させ、落下速度を利用した「武威穿孔撃」を青竜の頭頂部へと叩き込む。

 ドゴン! と鈍く重たい音をさせた一撃は、確実に青竜の体力を削っている。

 膝を屈して、脳震盪でも起こしたかのように体を震わせていたからだ。

 レブルゼーレには効かなかった攻撃が、このドラゴンたちには通る。ソフィアはそれを確信した。


「これならいけそうね」

「うん」


 クロエはソフィアと目を見合わせると、続いて緑色の魔方陣を展開する。

「――テンペストグロムゲイル!」魔法名を唱えた瞬間、白竜の足元にも同じ色をした魔方陣が広がった。地面から光が迸り、外界と隔絶する結界のようにドラゴンの周辺を覆う。

 やがて結界内に黒雲が立ち込めると、稲妻が雲雷となって走り回った。その時、まるで内部を攪拌するかのように暴風が荒れ狂う。

 雷を伴った局所的な大嵐が白竜を襲った。

 しばらくして魔法が収まると、白竜は火傷と裂傷を負った体を半分土に埋めた状態で、麻痺するように痙攣していた。


 ソフィアとクロエが二匹を相手にしている間中、離れた場所ではずっと剣戟の音が響き渡っていた。

 ライアがあえて技を使用せず、単純に刀での力比べをしていたのだ。

 振りかぶられた右前腕から繰り出される赤竜の引っ掻きを刀を立てて受ける。さすがの膂力に火花を散らしながら押され続けていく中でも、ライアの好戦的な笑みは消えない。

 押される勢いを利用して、往なしながら跳ねては手の甲側へ身を翻すと、大振りにより生まれた隙をつき、竜の右の脇腹へ鋭い斬撃を加えた。

 神凪一文字は鱗を切り裂き、刃は肉にまで到達する。バタタと、どす黒い血液が噴きこぼれた。

 しかし痛覚がないのか、赤竜は苦悶の声すら上げない。


「ベルファールの傀儡、か。死してなおもそんなんじゃ、竜族としての誇りもなにもあったもんじゃねえよな、お前」


 ライアの言葉は届かない、聞こえない。

 もはやドラゴンレクターたちにとっては、下された命と破壊衝動がすべて。自我など微塵も残ってはいないのだろう。

 その証拠に、かなりの怪我を負ったことも顧みず、赤竜はさっそく次の攻撃に転じた。

 竜の口腔内で火花が弾け、焔が収束していく。


「……なんだよ、せっかく力で殴り合えると思ってたのによ。そっちがブレス使うってんなら、あたしだって技出すからな」


 バックステップで距離を取り、ライアは獅子咆哮で闘気を高める。

 上段に構えた刀に紫光を漲らせ、赤竜の瞳を睨む。

 先んじて行動したのはドラゴンだ。大口を開けて吐き出した息の長いブレスは、紅炎を噴き上げながら一直線に伸びてくる。

 冷静に軌道を見極め確実に張り合える部分を目掛けて、「紫光黎明!」ライアは刀を振り下ろした。

 魔力の塊のようなブレスと闘気の押し合いは、しばらく続くかに思われたが――少しもしない内にライアの技が火勢を殺し、やがて赤竜ごと完全に飲み込んだ。

 ズズンと腹ばいに倒れこむドラゴン。ぶすぶすと焼け焦げたその体は肉が削げ落ち、いつかのドラゴンゾンビのように体の骨まで見えている。


「おい、こいつら頭だけじゃねえぞ……」


 驚きの言葉を発したライアから離れた場所で、楓もまた竜を相手に戦っていた。

 次々と繰り出される爪、牙、尻尾の攻撃を「よっ、ほっ、はっ!」と軽快な身のこなしで避けながら、妖刀・淡墨でその都度斬りつけていく。斬撃の軌跡が薄い墨を散らしたようで美しい。

 鱗は剥がれ落ち、肉は裂け、どす黒い血を噴きながら尚も連撃を繰り出し続ける緑竜。その口から淡い緑色の吐息が漏れ始めたことを認めた楓は、警戒して距離を取る。


「なになにー、なにするつもり? アタシも力比べなら負けないかんねー」


 いつでも来なよとでも言うように二ッと笑う楓に向かって、竜はなにやら危険な様相を呈する霧状のブレスを吐き出した。

 竜の近場に生えていた植物が緑の霧に触れた瞬間、ぐずぐずと溶けるようにして腐敗していく。


「楓ちゃん! それ腐食性の毒ブレスだよ、気を付けて!」

「でぇえええ!? またアタシそんなヤツ相手してんのっ?! まったく毎度毎度――」


 文句を垂れながらも見たことのない印を手早く結ぶと、「陰陽術・土、臥龍鳴動!」を使用した。

 突然地鳴りがし、大地が大きく揺れ始める。次の瞬間、地面が大きく陥没したかと思ったら、土砂が盛大に噴き上がった。「――いまだ、火遁、閃華爆裂陣!」続けざまに繰り出した術が、舞い上がる砂塵に火をつけると小爆発を起こす。

 周囲の砂埃を巻き込みながら燃焼が瞬く間に広がり誘爆を引き起こすと、やがてひと際大きな爆発となってブレスごと周辺を吹っ飛ばした。


「陰陽術? 初めて使わねえかそれ?」

「傀儡操術はあったけど、たしかに初めて聞く術だわ」

「まあこれもお師匠から教えてもらった妖術みたいなものなんだけどね。五行に対応した術があるんだけど……。あんまりアタシに適正ないみたいでさ、大して種類は使えないんだ」

「見たところ粉塵爆発みたいだけど、砂って燃えないよね?」

「そうそ、それがこの術のいいところなんだってさ。土や砂があればそれを巻き上げた拍子に可燃性に変質させられるんだって。だから火遁と合わせて使えって教えられてねー」


 なるほどと頷く仲間たちの目は緑竜へと向けられる。

 ブレスを吐き出していた最中だったからか、爆発が及んだ口元が大きく吹き飛んでいた。

 クロエとソフィアも、まともに身動きが取れないでいた青と白を同時に倒し、広場は静けさを取り戻す。

 ライアは沈黙した四体のドラゴンを見渡した。


「……終わったのか?」

「意外と呆気なかったわね」

「んじゃー早いとこ聖樹に向かおうよ。アルティアたちが心配だしさ」


 楓の言葉にライアとソフィアが頷き、踵を返した。

 しかし、四体を注視していたクロエが「待ってみんな!」と声を上げたことで、緩みそうになった緊張の糸が再び張られることになった。

 倒れるドラゴンの体に注目し、皆一様にまさかといった顔をする。

 四体それぞれの体が闇色のオーラに包まれると、力を取り戻したようにゆっくりと起き上がったのだ。


「くそっ、やっぱ一筋縄じゃいかねえのか!」


 再び武器を取り構えた仲間たちに、ドラゴンレクターらの咆哮が浴びせられた――。



 気が付けば、空が徐々に暮れ始めていた。

 一人竜の背に乗ってベルファールを追ったわしは、しばし竜族同士の攻防に付き合わされていた。

 ブレスの応酬に、とんでもないスピードで飛びながら爪やら牙やらで攻撃するものだから、手綱が手からすっぽりと抜け振り落とされるのではないかと不安に思うほどだ。


「ふぬぅ……も、もう少し、大人しめに飛んでくれんか?」

「マディルはヤツの魔力を直接受けている。支配階級にあった当時とほとんど変わらない力、俺とはほぼ五分だろう。手加減できるような状況じゃない、我慢しろッ」


 翼を大きく扇いで突進したレブルゼーレを、ひらりと身を翻して躱したマディル。レブルゼーレは急停止し、おもむろに振り返る。

 軽い船酔いにも似た気持ち悪さに、わしは思わず嘔吐きかけた。

 ベルファールはそんなわしを見て、馬鹿にするように「ふん」と鼻を鳴らす。


「情けない勇者だ、この程度の戦闘で」

「あいにく、わしはお前さんほどドラゴンの背に乗り慣れていないのでな。特にこんな高速戦闘など知らんのだ」

「ならばおさらいにでも私が試してやる。以前使った魔法だ、今度は全力でな――サディスティックメルギス」


 唱えたのは以前強襲してきた時に使った魔法だ。闇色をした無数の小さな竜を魔力で具現化して飛ばすもの。セヴェルグの魔法障壁を突破されたのは記憶に新しい。しかし前の時よりもさらに夥しい数が空を埋め尽くした。


「な、なんちゅう数だ……まるで黒いカーテンではないか」

「おい勇者、どうにかしろ。あんな数、俺でも一度に処理など出来ないぞ」

「わ、分かっておる! 見ておれ――」


 彼女の魔法の前では盾など役に立たない。となればもはや剣でどうにかするしかない!

 わしは逆手に持った剣にギガルデインを落とした。手元でバリバリと激しく鳴る雷の音。さらに加えて剣身にオーラを伝える。生半可な剣ではこの状態で砕けてしまうだろうが、さすがはオリハルコンだ。

 聖なる輝きと雷纏うアールヴェルクは、まさに輝聖剣の名に恥じぬ風格に満ちている。

 ぐぐっと背後に腕を回し、わしはベルファールを見つめた。

 愉快げに口端を歪めた彼女の合図とともに、闇色の竜が放たれる。

 一斉掃射されたそれらに向けて、わしは会心の「ギガルトラッシュ!!」を放った。


「ダサい名前だな……」


 ぼそりとそう呟いたレブルゼーレは、直後目を瞠ることになる。

 一本の巨大な雷のような極光の刃は、襲い来る小さな竜たちを容易く吹き飛ばしたのだ。直接触れていないにも関わらず消し飛んでいるのは、おそらく魔法をまとわせている影響だろうと思われる……詳しいことは知らんが。

 きれいさっぱりいなくなった自身の魔法とこの現状に、ベルファールの片眉がわずかに動いた。


「……ほう、ヤツらがお前に剣を託したのも頷ける話だな。だが、これならどうだ――フェルゲルトギルティ!」


 珍しく怒気を孕んだ声音で魔法名を告げる。

 これは以前危うく食らいかけた魔法だからよく覚えている。どこからともなく魔力槍が襲ってくるものだ。あの時はエステルに吹っ飛ばしてもらえたから、なんとか避けられたが……。


「レブルゼーレよ、お前さんの機動力だけが頼りだ、頑張れ!」

「言われなくても分かっている。クソ、そこいら中に魔力の火種が燻ぶっているのを感じる……避け切れるのか」


 少々弱気になっているレブルゼーレ。

 わしは盾の魔法障壁を彼の周囲を囲うようにして張った。きっとないよりはマシだろう……たぶん。

「来る」小さく呟いた竜は右の翼を強く扇ぎ右側へ緊急回避。そこへ寸秒遅れて、魔力槍が紙一重で左脇をすり抜けていった。

 今度は両翼を下方へ扇いで急上昇すると、無数の槍がわしの腿付近と竜の尻尾を掠める。「ぐおっ!」わしの鎧などは容易く裂け、腿の肉を少々やらかした。竜も被弾し「ぐっ」と苦痛の声を漏らす。まるで障壁が役立たんとは、なんという貫通力……。

 血を流すのはいつぶりだろうか。熱く、そしてぬるっとしたものがグリーブの方まで垂れていくのが分かる。

 わしは気をしっかりと持ち、手綱を握り続けた。

 それから二人して時折被弾しながらも、バレルロールで槍を避け続け――レブルゼーレがいきなり翼を畳んだかと思ったら、ほぼ垂直に急降下しながら言った。


「このままじゃジリ貧だ。勇者、俺のブレスに技を合わせろ。ヤツの鼻を明かしてやる!」

「うむ、分かった!」


 わしは再び剣にオーラをまとわせる。

 レブルゼーレは体を反転させながらバサッと翼を広げると、カッと巨大な火球を吐き出した。わしもそれに合わせてワルドストラッシュを放つ。

 横一文字の光と紅蓮の球が、上空にいるベルファールとマディルへ真っすぐに向かっていく。

 ベルファールはマディルの背から飛び、邪竜は高度を素早く下げてストラッシュと火球を避けた。――と、彼女は邪竜と自分自身になにやら魔法をかける。魔方陣の種類から、エステルのものと同じ転移魔法だと思われる。

 わしにはどこに現れるか予測も出来ないが、レブルゼーレは違っていた。

 気配を察した方へ顔を向けると、魔方陣が出現した刹那を狙いブレスを吐く。


「なにッ?!」


 現れたばかりのベルファールは吃驚の声を上げ、マディルと共に火球をくらい爆発に巻き込まれた。ぶすぶすと炎が燻ぶりながら黒い影が落ちていく。

 わしは竜の背を軽く叩いて労いの言葉をかけた。


「やったではないか」

「あの程度で落ちる奴らじゃない。……大してダメージも負ってはいないだろう」

「……そうだな、そうでなくては。――ところでレブルゼーレよ、わしらの連携としてあの技はなんと名付ける?」

「名付けなくていい、ダサいのが目に見えている」

「ひどいことを言うものだな、初連携なのに。ではドラトラッシュというのはどうだろうか?」

「勝手につけるな、ダサいと言って――――くッ!?」

「おわっ?!」


 会話途中で急に宙返りをしたレブルゼーレ。逆さまになったちょうどその時――竜の頭頂部付近を闇の奔流が掠めるようにして、ゴォオオと物凄い速さで通り過ぎて行った。風鳴が呪詛を唱える亡者の声にも聞こえ、不気味さに背筋が粟立つ。

 マディルのブレスか、ベルファールの魔法か……。


「いまのはシュタルフェルマルムか。かなり全力で撃ったようだが、まさかな――」


 魔法の方だったか。一瞬でも反応が遅れていたら、わしらは確実にやられていただろう。急な出来事で危うく落っこちそうになったが、手綱のおかげでなんとか事なきを得られた。

 バクバクと荒ぶる心臓を労り、わしは胸に手を当てる。

 それにしても、レブルゼーレが危惧を口にしたのが気になるな……。

 すると不意に目の前に転移の魔方陣が出現した。

 そこから怒りを露わにしたマディルと、背筋が凍えるほど冷徹な目をしたベルファールが揃って姿を見せる。

 ふと、彼女の持つ魔剣レギスベリオンの魔力が、これ以上ないほどの励起状態になっているのが気になった。


「……どうやら俺たちは本気でヤツを怒らせたようだな。ヤバいのがくるぞ」


 レブルゼーレは仰け反るようにわずかに首を引く。


「そんなにもマズいものか?」

「あの頃は幼かったがいまでも覚えている、あの目……。竜の里を消滅させ、数百いた同胞を屠った技。魔力量によっては空間断絶さえも引き起こす、破壊の魔剣レギスベリオンの真髄だ」

「空間断絶?」

「お前にも解るように言ってやると、触れただけでこの世界から消えてなくなるってことだ」


 んな?! と目を瞠ったわしを冷たい琥珀の瞳で見つめてくるベルファールが、静かに口を開いた。


「そろそろお遊びも終いだ」

「それは焦燥過ぎやしないか? もう少しくらい遊んでくれても良いと思うのだが?」


 わしは恐怖に気圧されぬよう軽口をたたく。


「寝言なら死んでから言え」

「死んでしまっては寝言もなにもあったものではないと思うが……。わしはお前さんとまだ少し楽しみたいのだがな」

「楽しむだと? 夜更けにダンスでも踊ればいいのか? ムシけらと? バカげた話だ」


 ありえないと首を振るベルファールは、冷視を持って見下してくる。

 相手にとってはつまらんことと分かった上で、わしは続けた。


「……ふむ、そうだな。ではわしが勝ったらダンスでも申し込むとするか、ちょうどよい時間だし。……一度もしたことはないがな」

「私がそんなものを受けるわけがないだろう。鏡を見てから出直せ」

「見直したところでわしはわしだから、結局なにも変わらんが。それはお前さんも同じことだ。お前さんはお前さんで、他の何者でもない」

「……なにが言いたい?」

「憎しみはいつか身を滅ぼす。こんなことはもうやめるのだ」


 そう告げたわしを、ベルファールは冷たく鼻であしらった。


「ふん、くだらん。別に命など惜しくはない、我が身滅ぶ前にすべてを滅ぼせれば私はそれでいい」

「そのような結末を、最期を、本気で望んでいるのか? ただ一人のダークエルフなのだろう?」

「復讐さえ果たせれば、それ以上望むものなど何もない」


 硬い意思を感じさせる双眸は、覚悟を決めているように決して揺らぐことはなかった。

 ベルファールは問答に飽きたようにため息をこぼす。


「ふぅ……無駄話はここまでだ。もう貴様と話すことなどない。ドラゴンレクターどもも随分と手こずっているようだしな。貴様を始末してさっさと聖樹を壊しに行くことにする」

「そんなことをわしが許すと思うか? わしが必ず、お前さんの凶行をここで止める、止めてみせるぞ」

「遊んだ後は片付けをしなくてはな……。この魔剣で勇者という希望をも破壊し尽くしてやるッ」


 唾棄するように言って剣を構えたベルファール。憎悪と怨嗟が光を喰らい尽くすような闇のオーラとなり、凄まじいまでの魔力を生み出し続けている。

 過去の様々な出来事が彼女の心を負に、闇へと堕とした。

 それら全てを賭けてその一撃に託すというならば、いいだろう――。

 わしは強く柄を握り、ストラッシュ八発分の剣気をチャージする。レブルゼーレのケイオスフレアを弾き返した、光の柱が立ち上った。


「――わしがお前さんの闇を受け止めてやる! この光で照らしてやる!」

「イカれた世迷い事は死んでから言え! ――レギスペリオールッ!!」


 振り下ろされた魔剣から暗黒の刃が放たれた。刃の通り道には空がない。そこはもはや虚無の空間へと変わり果てていた。空間断絶を起こさせるほどの憎悪なのだろう。

 わしはそれに真正面から答えるべく、ワルドストラッシュを放った!

 光輝なる刃が闇の刃とぶつかり、激しく押し合い圧し合った。

 互いに拮抗していた刃は、わずかにわしの方が押され始める。

 ギガルトラッシュを一発放ってしまっているせいだろう、これではチャージ量が足らなかったのだ……。


「ベルファール……お前さんはそれほどまでの……」

「私の憎悪、怨嗟、怨恨は、まやかしの光などでは照らせないッ」


 その言葉を聞き、わしはひどく怒り、そして同時に悲しくなった。

 この気持ちは、想いは、決して嘘などではない、まやかしなどではないのだと!

 そこでふと、エステルから渡された世界樹の実のことを思い出した。MPを半分回復……。

 貴重なものだがこの際仕方がない――エステル、ありがたく使わせてもらう――そう心の中で感謝し、わしは実をかじる。


「まやかしかどうかは、これを見てから言うがいい! 追撃のワルドストラッシュだぁあああああっ!!」


 さらに六発分溜めた剣気をズオォオオっと開放する。

 先のストラッシュの背中を押すようにして重なり合った極光の刃は、勢いを増して暗黒の刃の威力を上回る。

 負けじとベルファールも魔力を高めるが、わしの技の勢いは止まらない。

 ぐんぐんと押し込んでいき、やがて闇は弾けながら細くなり――そして光によって完全に払われた。空間断絶を起こしていた場所も魔力の影響を受けなくなった為、元に戻る。

 それでもこちらの威力もかなり削がれていたのだろう。ベルファールに届く頃にはいつものストラッシュに毛が生えた程度のものしか残らなかった。

 しかしその程度ですら弾き返す力が残っていないのか、魔剣で払おうとしたベルファールは剣を弾かれ取り落とす。

 回転しながら地上へ落下するレギスベリオン。

 ベルファールは死力を尽くし希望を失ったような顔をして悄然としている。

 力なくゆっくりと降下するマディル。途中、ベルファールは転移で先に地上へ降りた。

 レブルゼーレを急かしわしは早く下すよう促す。地上が近づいた頃合いを見計らい、わしは死なない程度の高さから飛び降りた。着地した折、足元から脳髄まで痺れるような衝撃に見舞われる。

 しかしわしはそんなことも厭わずに、ただじっと地面に突き刺さる魔剣を見つめるベルファールの元へ急いだ。

 物寂しい背中が諦観を、風に揺れるローブの裾が哀愁を感じさせる。


「……ベルファール」

「…………ふっ、所詮ダークエルフは滅びゆく定めか。……もういい、殺せ。生きていても仕方がない」

「――そんなことはせん」


 死を望む言葉を力強く否定するわしに、ゆっくりと彼女が振り返った。


「……憐れむつもりか、この私を。低俗な人間ごときが」

「お前さんの矜持がどこにあるのか何なのか、それほど賢さのないわしには理解できん。だがこれだけははっきりと言ってやれる。命を粗末にするな」


 じっと見つめてくるベルファールの瞳は、怒っているようでもあり、戸惑っているようでもあった。


「私の命だ、それをどうしようが私の勝手だろう。貴様などにとやかく言われる筋合いはない」

「わしはお前さんに勝った。ということはだ、わしはお前さんよりも強いということだ。この場合、お前さんは捕虜という形になるわけで――ああいやいや、乱暴なことはせんから安心するのだ! とまあそういうわけで、強者の言うことには従ってもらう」

「……私よりも強い、だと。半分はあのドラゴンのおかげだろう……」


 ベルファールが不満そうにつぶやく。


「む? では万全の状態で今度また試してみるか? わしは何度だって勝ってみせるぞ。なぜならば、女子のためなら八倍頑張れる男だからな!」

「不純な頑張りだ……」

「しかし頑張るという事実はなんら変わらん」


 ひどくつまらなそうな顔をして、彼女は目を逸らす。

 ややあって、伏し目がちにぼそりと呟いた。


「……生きていても、もう私には居場所がない」

「ならばハイエルフたちの町に厄介になるというのはどうだ?」

「いまさら仲良くなど出来るか。ドワーフたちとは訳が違う」


 過去の歴史を鑑みればそうなるだろうな。

 種族間の軋轢は山より高く海より深いどころか、上の世界と下の世界ほどの差があるのだろう。


「すまん、お前さんの気持ちも考えずに勝手なことを言った。……だが分かった。それならそれで、一歩譲ってハイエルフたちと仲良くせんでもいいだろう」

「せめて三歩くらいは譲れ」

「負けたお前さんに発言権はないのだ」


 そう指摘すると、うぐっと喉を詰まらせたベルファール。

 いまだ納得できないといった顔をする彼女に、わしは提案を告げる。


「そうだな……では、居場所がないというのならばわしが作ってやる」

「……貴様みたいな男に居場所など作ってもらう必要などない」

「いいやわしはそうは思わん! お前さんは寂しいのだ、孤独なのだ! だからわしが一先ずは友達になってやろう」

「大きなお世話だ、もう放っておけ。そしてさっさと消えろ」

「わしが消えたらお前さんは死ぬだろう? そんな最期はわしが認めん! 何度も言うようだがお前さんは捕虜なのだ、捕虜はわしが丁重に扱う!」

「それで大魔王と取引しようとでも言うつもりか? ヤツにとって私の命などそこらに生えている雑草と変わらない。枯らしても毟っても、いずれはまた生えてくる使い捨ての駒にもならない存在だ」

「そんなことをするわけがないだろう!」


 わしが大きな声を上げると、彼女は意外なことにビクッと肩を跳ねさせた。


「そんなことはせん、わしは女子には人三倍は優しいのだ。それにだ、わしはいずれ大きな城を建てるつもりでいる。まあ、今は潤沢な資金がないが、いずれ、いずれな! もしわしがワルド城を建てた暁にはお前さんも城に来ればいい。そして一緒に住もう」

「なぜ私が貴様となど……」

「もちろんその時は捕虜なんかじゃない。お前さんは一人のダークエルフとしてだ。お前さんという個を、いまからでもわしが認めてやる。だから一緒にいてほしい。お前さんはわしが守ってやるから」

「歯の浮くようなセリフをよくもぬけぬけと――恥を知れ」

「恥知らずで悪かったな。しかしまあ単純に、お前さんのことを気に入っている、という部分も大きいが、それはいまさほど重要ではない。お前さんがお前さんでいること、それが一番肝要なのだ」


 ベルファールの琥珀の瞳がわしの目を見つめてくる。

 怒りもあるだろう。しかしほんの少しだけ、分厚い壁にヒビを入れられたような戸惑いも感じられた。


「……私は貴様のなんだ?」

「いまは大切な捕虜だ。だからわしに従ってくれ。なに悪いようにはせんよ」


 真剣な目で彼女を見つめると、「はぁー」と諦めたようなため息をついた。


「解った、この場は貴様の言うとおりにしてやる」

「そうか。おっ、そうだ! 捕虜になったついでに、聖域に放った魔物どもをどうにかしてくれんか? いまも仲間たちが戦っているのだ」

「心配するな。魔剣が私の手から離れた瞬間から力を失っている」

「そうだったのか。魔剣にはそんな力も……。ではその剣はわしが預からせてもらうが、良いか?」

「好きにしろ」


 了承を得たので魔剣を回収し、道具袋に収めた。

 もともと聖都エーデルクルスで生まれたものだからな。ハイエルフに管理してもらうのが良いだろう。

 ふとそこで、レブルゼーレとマディルが気になり彼らの方へ目を向ける。

 ぐったりとするマディルの傍らで、レブルゼーレはじっとその顔を覗き込んでいた。


「――母よ、苦しいか?」


 息も絶え絶えといった様子のマディルは、瞼が半分落ちる目だけで息子の顔を見る。すでに自我を失っていると以前聞いたが、その眼差しは子を見守る親の温かさを宿しているように思えた。

 長きに亘る過剰な魔力の流入と力の酷使により、マディルの体はとうに限界を超えていたのだろう。もう助からないことはレブルゼーレも理解しているようだ。

 最期の別れを惜しむように母の顔に頬を寄せると、その大きな翼を広げてマディルの体を抱く。

 少ししてから起き上がり、彼はゆっくりと後退る。そこでおもむろに翼を広げた。


「待っていろ、いま楽にしてやる」


 レブルゼーレの口元から黒い炎が漏れる。一息に吐き出すと、炎はゴォオオと勢いよく広がり、マディルの体を包み込んだ。

 わしには感謝と後悔と、懺悔と別れが込められているような、そんな気がした。

 安らかに瞼を閉じたマディルの体は、やがて骨のひと欠片も残さず灰となる。草原に吹く風がその灰を舞い上げ、黄昏の空へと連れて消えた。

 喪失感を漂わせる眼差しで空を見上げるレブルゼーレに、わしは躊躇いながらも口にする。


「……レブルゼーレよ、お前さんにも思うところはあるだろう。わしの口から許してくれとはとても言えん。だがこの場は――」


 彼はわしの言葉を遮るようにして首を横に振った。


「俺はお前を認めると言った。お前がそうと決めたことに口を出すつもりはない。……すべては終わった過去のこと。いまこの瞬間も、もうすでに過去のことなんだ。それに俺は、最初からけじめを付けられればそれでよかった」


 そこで言葉を切り、レブルゼーレは感情なくベルファールを見た。


「……だが、俺はこの先なにがあろうと、その女と馴れ合うつもりはない。それだけは覚えておいてくれ」

「……そうか。その言葉、しかと胸に留めておく」


 憎み合わない未来になるならば、いまはそれだけで良かったと思える。

 それほどの深い憎しみと悲しみ、負の連鎖の歴史だったのだ。その鎖を断てたことを、素直に喜ぶべきと感じる。

 一先ずの区切りはここで一つ付けられた。……あとの問題はハイエルフたちだな……理解を得られれば良いが――。

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