第四章 ユグドラシル地方

第116話 聖樹が育む大地

 ラグジェイル地方の港町ラゴスから、海を渡ることおよそ三日。

 その間、海も凪いでいて実によい航海日和だった。

 数々の魔物が船に取りついてきたが、イグニスべインを倒したわしらが、それらの雑魚敵に後れを取るようなことはない。

 海蛇にまたがる半魚人、海蛇ライダー。三叉の槍を持つ男性人魚マーマン。血に飢えた腐乱したサメ、デッドリーシャーク。タコを投げつけてくる変な魔導士、オクトパルパル。そして中でもひと際巨大なイカ、キングクラーケンなどなど。

 魔物の種類も多彩になってきた。

 それらの魔物も、ライアが両断するとソフィアが破砕し、クロエが凍結させると楓が焼却した。

 技のキレも数日前よりも増した気がして、女子たちも日々、いろんなものを吸収して強くなっているのだと強く感じられる。

 もちろんわしも成長できているがな!

 地図によると、ユグドラシル地方の港町は北西にあるようで。

 ラグジェイルとユグドラシルの間にある海峡を通り、断崖を左手に眺めながら迂回する形で西へと向かった。

 そうしてようやく、わしらは港へとたどり着いたのだ。


 港町ローレル。

 大きくはないが小さくもない広さの港で、小型から中型の漁船、帆船がちらほらと係留されている。

 しかしそこには、以前ヴァストール地方でも見聞きした通りの惨状が広がっていた。


「やはりここもか……」

「西の海の先に魔王城があるからな。漁に出ようにも魔物が強いから出られないんだろ」

「町の人も諦めているんでしょうね。放置されて傷んでいる船が目立つわ」

「なにかと困りごとも多いだろうから、困ってるなら助けになってあげたいね」

「さっそく町の人に話、聞きに行こうよオジサンっ」

「うむ、そうだな」


 とりあえず船を埠頭に係留し、わしらは下船する。

 寂れた港から階段を上り町へ入ると、意外なことに町中は活気に溢れていた。

 二階建ての建築物のほとんどがレンガ造りで、通りのそこかしこにはカラフルなテントが点在している。店先には、布製品や木製品、石細工や金工品なんかが並んでいた。

 馬車を横付けたり、大きな風呂敷を担いだ行商が店主と取引をしているところをよく見かける。

 わしはちょうど通りがかった、幌馬車を引く事情通っぽい行商の少女に声をかけた。


「すまん、ちょいと聞きたいのだが」

「どうしました旅の人?」

「この町は漁業で成り立っている町なのではないのか? 漁に出ているような気配もないのに、なぜこれだけ賑わっておる?」


 訊ねると、少女は馬の横っ面を撫でながら言った。


「たしかに漁業で成り立っていましたけど。魔物が強くなってきて海に出られなくなった町の人は、いつからか工芸品作りに仕事を切り替えたんですよ」

「工芸品?」


 少女は幌を少しだけめくり、積み荷の一部を見せてくれた。

 肉や野菜、果物なんかが棚分けされて入れられている。


「主に染色品とか木工、石工品、あと銀製品の食器類なんかですね。私たち行商は南の町から街道を通って、食料や日用品を運んできます。この町の人々は工芸品を売った利益で私たちから生活に必要なものを買う。そうして交易してるわけです」

「なるほどな。これがウィーンウィーンというやつか」

「なんだよその機械仕掛けのゴーレムの駆動音は? それ言うならウィンウィンだろ」

「そうとも言うな」

「そうとしか言いませんわ……ん?」


 と、ソフィアが急に何かを思い出したように軽く目を瞠った。


「南って、闘技場があるところかしら?」

「いえ、闘技場があるザクスリードの町はさらに南ですよ。その手前に中継の町ティルムドがあるんですけど……」


 そこで言い淀んだ少女の表情は、なにか危惧を含んでいるように見えた。


「どうしたのだ?」

「じつは最近、近辺の牧場や田畑が荒らされるようになったんです。ただでさえ農作物の生育も悪くなってるのに。おかげで商品にも余分に税をかけなくちゃならなくなって、前よりもこの町との取引がやりにくくなってるんですよね。私たちも心苦しいですけど、仕方ないんです」

「その原因とかって分かってんのか?」


 ライアの問いに、少女は眉根を寄せて表情を曇らせる。


「盗人の正体は分かりませんが。生育が悪いのはおそらく、聖樹ユグドラシルになにか問題が起こってるんだと思います」

「それはどういうこと?」

「私たち人間はもちろん、この大陸に生息する動植物はみんな聖樹の恩恵を受けてます。もともとユグドラシルは瘴気の大陸だったそうです。女神様が聖樹を植えたことで水と空気を清浄化し、人が住める大地になったと伝え聞いています。周囲の森はたっぷりと養分を含んだ水を貯え、それらはやがて川を下り、肥沃な大地を育んでくれる。だから家畜はよく育つし、野菜も果物も美味しくなるんです。なのに青果の生育が悪いってことは、なにかあったに違いないと思って……」


 少女の表情には、なんとかしたいけれど何も出来ない。そういった焦燥が滲む。


「ふーん。その聖樹っての、すんごく大事なんだねー。でもなにかあったとしてもおいそれと見に行けないのは……やっぱハイエルフがいるから?」


 楓に訊かれた少女は、諦めたように肩を落としてため息をついた。

 表情を見ていても諦観が手に取るように分かる。


「森はハイエルフの管轄で、私たちがむやみやたらに近づくことは許されていないんです。それにトラップだらけで、中には亡くなった人もいると聞きました」


 古の都に住むハイエルフ、か。

 人間が嫌いで森に引きこもっている種族らしいが、その者たちが聖樹を管理してくれていることもまた事実。

 聖樹に異変が生じているのだとしたら、ハイエルフたちにもなにか危機が訪れていると考えるのが自然だろう。

 それほどこの大陸にとって大切な存在の異変。思い当たることとしては、やはり最後の四天王だな。

 同じことを考えているのか、女子たちの表情も険しい。


「聖樹のことは気になるけど、一先ずはそのディルムドの田畑荒らしをどうにかした方がよさそうだぜ、おっさん」

「たしかに。双方の町の人々の生活にもすぐ影響することだし、私もライアに賛成だわ」


 二人の言葉を耳にして、行商の少女は丸く目を見開いた。


「あなた方が、どうにかしてくれるんですか? いまだ目撃者もいない、姿なき盗人を……」

「困ってる人を助けるのも、わたしたちの使命だからね」

「心配しなくていーよ、アタシたちに任せておきなよ。ね、オジサンっ」


 わしは一つ大きく頷いてから少女を見る。

 つぶらな瞳から切実な思いを感じ取り、より現状をどうにかしてやりたいという気持ちが強くなった。


「皆の言う通りだ、わしらに任せておくがよい。風の噂ででも聞いたことはないか? 勇者の一行が旅をしていると」

「勇者っ!? まさかあなた方が……?」

「まあ、信じられんだろうがそうなのだ。しかし、頼ってくれるのであれば、その期待には必ず応えよう」


 わしが真剣な目をして見つめると、少女は女子たちへ順繰りに視線をやる。

 皆の真面目な顔を見て、決心がついたのだろう大きく頷いた。


「みなさんが嘘をついていないことは目を見てわかりました。……ディルムドの件、お願いしてもいいですか?」

「ああ、任せときな。あたしらが速攻でカタをつけてやるよ」


 ライアの力強い言葉に、安心するように胸に手を当て「はい」と少女は頷いた。

 いざ南へ向けて出発だと勇み一歩を踏み出したところ。「ちょっと待って勇者さん」とクロエに止められる。


「どうしたのだ?」

「その前に、町の人たちにも話を聞いてみた方がよくないかな?」

「む、それもそうだな。ほかにも困りごとがあるかもしれんし」


 というわけで町中を歩き、出店に立つ人や民家の住人、町長の家など話を聞いて回ってみたが。

 聞こえてくるのは、食料が高くてどうしようもない! という声が大多数だった。

 わりと人気が高い工芸品であっても、売れない時はとんと売れない。値下げしても売れない。なのに物価だけが高くなる。家計は火の車だ。そのような意見が多数寄せられた。

 これは一刻も早く、ディルムドをなんとかするしかないだろう。

 そう話をまとめたところで。

 まだ仕入れと販売が残っているという少女と、わしらは別れることになった。


「これを捌いたらすぐに私も戻りますね」

「うむ、分かった。ではわしらは一足先に向かうことにしよう。帰りはくれぐれも気をつけるのだぞ」

「はい。みなさんもどうかお気をつけて。――あ! そういえば名前、まだ名乗ってなかったですね。私、イルマといいます、よろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしく頼む」


 丁寧なお辞儀をして見送ってくれたイルマに手を振って、わしらは町を出る。

 しかし盗人とは懐かしいな。グランフィードの時はスラムをどうにかしようとして行った善意の悪だったが。果たして今回はどうだろうか。

 悪意でしかないのならば容赦はせん。わしらが成敗してやらんとな。

 南へと続く街道を歩き、わしらは次の目的地ディルムドの町を目指した。

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