第117話 畑を荒らす白いモフモフ
港町ローレルから街道を南下し、ザクスリードとの中継地であるティルムドを目指したわしら。
歩きで三日かかったことから、さらに南というザクスリードはそれ以上の距離があると考えて間違いない。
意外と大きな大陸なのだな。まだ中央には森があるというし、どこかに竜の巣もあるというし。
体力もついてきたから疲れるということはあまりなくなったが。気だるく思う気持ちだけはいつまで経っても禁じ得ない。
ジパングの時の『韋駄天のわらじ』みたいなアイテムが欲しいものだ。
気を取り直して、わしらは町を望む。
イルマが言っていた通り、ティルムドの外には牧場と田畑が広がっていた。その面積は広大としか言いようがない。
金色の穂が風に揺れる小麦畑、色とりどりの野菜類は種類ごとに区分けされて育てられている。柵の中では放牧された牛や羊などが美味しそうに草を食んでいた。
そんな中、野菜畑の数か所に赤色のポールが目印のように立てられているのを見つける。
よく見るとその付近だけ作物がなく、均したようにきれいな地面が露出していた。
「あれが荒らされたという畑の一部か」
「各部けっこう広範囲に渡ってやがるな」
「根菜に葉物、芋類に緑黄色野菜。って、栄養バランス考えて盗んでるわね」
「犯人はベジタリアン? にしても被害額がすごそう……」
「さっそく町の人に話、聞いてみよーよ」
そうしてわしらはティルムドに入る。
町の建物は渋い色をしたログハウスが多い。積まれた藁に、そこかしこに点在する農機具が牧歌的な風景だ。
作物が盗まれたというのに、人々は腐ることなく作業に勤しみ、当たり前の日常を送っている。なんと健気な……。
事情を聞くため、わしはフォークみたいな農具の手入れをしていた農夫に話しかけた。
「作業中にすまんな。この町で起きているという農作物の盗難事件について、話を聞きたいのだが」
「ん? あんたたち旅の人か? 興味本位で首を突っ込むつもりならやめておいたほうがいい。盗んだのは魔物だって言ってるやつもいるくらいだ」
「イルマの話では目撃者がいないと聞いたが?」
「なんだ、あんたたちイルマちゃんの知り合いかい? あの娘もかわいそうになあ。両親の畑が荒らされちまって」
表情をかげらせ俯いた農夫は、力なく首を横に振った。
神妙な雰囲気に、最悪の事態を想像する。
「もしかして、イルマの両親は……?」
「ああ、……生きてるけどな」
「生きておるんならそんな暗い顔をするでない! まぎらわしい。あーいや、畑が荒らされていることは由々しき事態だが」
「そんなに話を聞きたいなら、あそこにあるイルマちゃんの家に行ってみたらどうだい? 俺は牛飼いだから窃盗の被害はないからさ」
それだけ言うと農夫は牧場の方へと歩いて行った。
声をかける人物を間違っていたな。イルマがこの町出身で、両親がいることは聞けてよかったが。
指さしで教えられた家へ向かうと、庭先で夫婦が野菜を水洗いしている最中だった。
「失礼する。お前さんたちはイルマのご両親だろうか?」
二人は作業の手を止めて、どこか不安そうな目でわしらを見てくる。
「あの、うちのイルマになにかあったのでしょうか?」
「いやそうではない。ローレルの町でたまたま声をかけたところ、ティルムドで窃盗事件が起きていることを教えてくれてな。それでここを訪れたのだ」
「そうでしたか」
母親はほっと胸を撫でおろす。
「お前さんたちの畑も被害を受けたと、今しがた町人から聞いたが」
「……はい。葉物野菜が主ですが、三分の一ほどが盗まれてしまいました」
三分の一。畑の規模にもよると思うが、けっこうな被害だろう。
汗水たらして大切に育てた野菜を盗むとは、犯人許すまじ!
「そういやイルマが言ってたんだけどさ、聖樹の不調で作物なんかの育ちが悪いってのは本当か?」
そういえば、イルマはそんな話もしていたな。
先ほどの農夫も窃盗の被害“は”ないと言っていた。牛の生育に少なからず影響は出ているということだろう。
ライアよ、ナイスな質問だ。
イルマの父はため息を一つこぼすと、畑の方を見やる。
「恐らくそうではないかと我々は考えています。ただでさえ生育が悪いのに、盗まれるだなんて」
「大丈夫、私たちが来たのはその犯人を捕まえるためよ」
「だから安心してください」
「アタシたちがフルボッコにして縛り上げてやるからねー」
口々に言う女子たちを、少し驚くような顔をして夫婦は見つめた。
「もしかして、イルマはそのためにあなた方を?」
「うむ。町のこと、聖樹のこと。本当に心配していたぞ。野菜を売り捌いたらすぐに戻ると言っておった。明るく元気で、よい娘を授かったな」
わしが優しく笑いかけると、母親は薄っすらと目に涙を浮かべながら頷いた。
「はい。私たちが町へ売りに行けないからと、率先して危険な行商を買って出てくれて。町のために忙しなく働く日々を送ってくれています。本当に感謝しかありません」
「そうか……」
「オジサン、これはもうイルマちゃんが帰ってくるまでにドロボウ捕まえるしかないね!」
「うむ! 必ずわしらで解決してやろう」
団結し頷き合ったところで、わしらは夜を待つことにした。
盗まれる時間帯は決まって夜だそうだからだ。闇夜に紛れて盗みを働く、常套手段であるにはあるが。
まさか皆が散り散りで警戒に当たることになるとは思いもしなかった。
相手が強かったら……いやいや、わし一人でも何とかしてみせねばハーレムなぞ夢のまた夢だろう!
やってやる、やってやるぞわしは!
月の出る、虫が鳴く静かな夜に一人燃える。
「――おいみんな、なんかいやがるぜッ!」
突然静寂を切り裂いたライアの叫びに、思わずビックゥ! と肩が跳ね上がった。
緊張感が畑一帯に満ちる。
わしは声を上げて遠くにいるライアに声をかけた。
「ライアよ! なにかって何がいるのだ?」
「分からねえ! だが、相手はとんでもなく素早いぞ!」
「ひっ!」
と今度はソフィアが悲鳴のような声を上げる。
「ソフィアよ、どうしたのだー!」
「な、なななに、なにか硬いモノが私のおし、お尻をなな撫で上げていきましたわ!」
「な、なんだとっ! わしを差し置いて先に手を出すとは不届き千万なヤツ!」
けしからん! あの尻はわしのものなのに!
ぐぬぬと悔しさに拳を握りしめていたところ、次にクロエが声を上げた。
「勇者さーん!」
「ク、クロエよ、まさかお前さんまで触られたのかっ?!」
「マジメにやってーっ!」
「すまーん!」
「あはははっ! オジサンおもしろーい!」
クロエに叱られてしまった。
それを聞いて手を叩いて大笑いする楓だったが……。
直後、
「ひゃぁあああっ!」
とソフィアと似たような意味合いの悲鳴を上げたのだ。
「楓、どうしたのだっ!」
「おお、オジサン! な、なんか毛むくじゃらのなにかがアタシの股の間くぐってった! お股ぞわぞわ~ってなったぁ……ッ」
半泣きみたいな声を出す楓には悪いが。
わしの脳内ではその時の映像が瞬時に妄想された。
得体の知れないもじゃもじゃが、楓のミニ丈の忍装束の股下をくぐっていく様子。ぞわぞわというのはき、きっとつまり、お、おパンツの上からお、ま……、あーいやいや自重自重、エロい妄想は自重すると誓った気がしないでもないが気のせいにしたい葛藤!
しかし! わしの純情な感情は誰にも止められん!
結局、爆発的な妄想は見事完遂されてしまった。
ほっこりと、湯上りのように頬が上気し血行が良くなった気分。やはりわしの健康法なのだ妄想は。『えっちな妄想で健康効果』とかいう本を出したら売れるだろうか……?
と、そこでふと思考が止まる。
「ん、待てよ? 毛むくじゃら? ということはやはり魔物なのか……?」
いや、魔物であるならば、わしらが危害を加えられていないのはおかしい。
ソフィアの尻、楓の股下くぐり……。
むむっと眉間を寄せた時、「あーっ!」と楓が驚きの声を発した。
「今度はどうした楓!」
「足元の野菜が根こそぎなくなってるよオジサン!」
「そういえば、私の周りもなくなってるわ!」
「あたしの所もだ」
「わたしも!」
「な、なんということだ。お前さんたちでも認識できんほどの素早い魔物……わしなんかではどうしようもないではないか……」
月明かりを背にして呆然と立ち尽くす。
いいところを見せようと意気込んでいたのに、その矢先にこんなことでは情けないことこの上なし!
犯人はどこだと捜索を再開する女子たちの声を、遠くに聞きながら呆然自失していたところ。
背負っていた月光が突然陰ったことにふと気付いた。わしの影に大きな影が重なる。
それはわしが振り返る間もない刹那で起こった。
なにものかがいきなり覆いかぶさり、わしの頭にいきなりかぶりついてきたのだ。髪の生え際がガジガジと甘噛みのように刺激されている。首周りにはモフモフした感触。
おでこを伝うデロデロした液体が非常に……気持ちが悪いっ。
「のわぁああああああ!」
わしは大声で悲鳴を上げる。
「どうしたおっさん!」
「クロエ、光源魔法を!」
「分かった!」
ソフィアに促されたクロエが、わしの元へ『トーチライト』の魔法を放り投げてきた。
急にわしの周囲が明るくなる。
一瞬の出来事に戸惑っていた先ほどはよく分からなかったが、肩に乗せられている大きな前足を見てわしは震えあがった。け、獣だ……。
女子たちが駆け寄ってきて、揃って目を瞠る。
「まさか、そいつが畑荒らしか?」
「そうは見えないけど、道具袋の口から葉っぱ出てるからそうなんでしょうね」
「か、かわいいっ」
「オジサンもよく似合ってるじゃん」
「な、なにを言っとるんだ。お、お前さんたち、早いところこやつを退治せねば……」
「おっさんこそなに言ってんだ。わんこを退治なんてできるかよ」
「え、わんこ……?」
「バウ!」
吠えた。たしかに犬っぽい鳴き声ではあるが。わしの頭をすっぽりくわえ込むほどの大きさの犬など聞いたこともない。間違いなく魔物だろうに。
しばらくガジガジしていたわんこだったが。急にわしの頭から口を離すと、よろめきながら後ずさり「おぇええ」とえずいた。
「なんちゅう失礼なわんこだ! 人の頭を勝手に食っておいてからに」
「おっさんの頭がブロッコリーに見えたんじゃねえの?」
「ちょうど近くに生ってますし」
「それよりも勇者さん、頭すごいことになってるよ」
「あはは! なんかワカメみたい!」
またも楓に爆笑される。
わしの自慢の天パは涎まみれで、ひどい臭さだ。
しかしいまは置いておこう。問題はこのわんこをどうするかなのだ。
額についた涎を拭い、わしは生真面目な顔をした。
「お前さんたち、わんこだからと庇いたい気持ちは分からんでもないが。こやつは野菜泥棒なのだぞ? このまま捨て置くわけにはいかんだろう」
「そいつは動物虐待か?」
「愛護団体が黙っていませんわ」
「そうだよ、かわいそうだよ」
「いや、そういうわけでは……」
「オジサン、なにか事情があるかもしれないしさ、話でも聞いてみたらー?」
「話?」
話しかけて通じるものなのか?
やる前から諦めてはいかんとは思うが……。
わしは改めてわんこをじっと眺める。中型の熊のように大きな体、真っ白い毛並はモフモフながら手入れが行き届いており美しい。飼い犬なのだろうか?
しかし。首から提げている魔法の道具袋からコンニチハする葉物野菜を、前足で押し込む姿はひどく滑稽で笑える。
なぜわんこがこんなものを欲しがるのだ。お使いかなにかか? そうであるならばお金を持ってこなければいかんだろうに。
「……お前さん、どこから来たのだ?」
「バウ?」
わんこはデロデロぬるぬるになったわしの頭を見、そして近場に生えていたブロッコリーを見る。交互に見比べて、やっと本物を見つけたような顔をし口を開けて驚いた。
やっぱり間違われていたのだ。わんこにまで馬鹿にされるとは屈辱。
何事もないような仕草でブロッコリーを掘ろうと足を伸ばすわんこを、わしは慌てて制止した。
「ちょいと待たんか! わしの質問はまだ済んでおらんぞわんこ!」
「バウッ!」
「ぶふぅ!」
思わず道具袋を引っ張ると、目にも止まらぬ速さでカウンターのイヌパンチが飛んできた!
避ける間もなく殴られ犬なんぞに地面に転がされるとか、重ね重ね惨めだ。
ブロッコリーを急いで掘り起こし道具袋へ詰めた犬は、危機を感じたのか駆け出して、あっという間にその姿を消してしまう。
砂煙すら上げることのない足運び。普通じゃないな。風か?
「おっさん、結局逃がしちまったな」
「あやつが聞く耳を持たなかっただけで、わしはやれることはしたつもりだ」
「それにしても、あのワンちゃんの腕の振り。相当ですわね」
「ソフィアにそう言わせるなら、わしが避けられるはずはないな」
「でもどこいったんだろうね、あの子」
「一瞬だったしな、行方は知れんだろう。足跡もなさそうだし」
「アタシ、向かった方向なら見えたよ」
「なにっ? 楓よ、それは本当か?」
楓はこっくりと頷いた。
「ゆるやかな空気の流れの軌道が糸みたいにって程度だけど、たぶん東の方だと思うよー」
「東というと、中央の方か。ということは、ハイエルフがいるという森……」
「こいつは行ってみるしかねえな、おっさん」
「そうだな。なにか事情がありそうだ」
そう話をまとめたところで、一先ず宿をとったわしら。
夜が明けて、身支度をしたのち宿を出ると、ちょうどイルマが町へと戻ってきていた。
「あ、みなさん! おはようございます」
「おはよう、イルマ。というかお前さん、夜通し街道を進んできたのか?」
「はい。私の馬は早馬ですけど馬力があるんです。だからこの辺りの魔物に襲われることは滅多にないんですよ」
「そうだったのか。しかし気を付けるのだぞ、いつでもそうとは限らんからな」
「心配していただきありがとうございます! ところで、犯人は見つかりましたか?」
盗難事件のことを訊かれ、わしは渋面を浮かべてしまう。それを見たイルマは小首を傾げた。
「一応見つけたのだが。わんこだったのだ」
「わんこ、ですか?」
キョトンとした顔をされた。
それはそうだろう。まさか犯人が犬だなんて誰も夢にも思うまい。
「どうやら東の方へ向かったらしいから、わしらはそちらへ行ってみようと思う」
「東というと、森の方ですね?」
「恐らくな。解決に至るまで今しばらくかかると思うが、待っていてく――」
「あの!」
わしの言葉を遮って、イルマは真剣な顔をした。
「私も連れて行ってくれませんか?」
「しかし、森はトラップだらけなのだろう? 死者も出ているとお前さんが言っていたではないか。危険だ」
「もしもこの盗難の件にハイエルフが関わっているのだとしたら、なにか理由があると思うんです。私はそれを確かめたい」
覚悟は出来ている。力強い眼差しがそう訴えかけている。
しかし万が一のことがあっては、ご両親に申し訳が立たない。わしは逡巡した。
「おっさん、連れていってやってもいいんじゃないか?」
「そうですわ。私たちが守りを固めればいいことですし」
「わたしたちがいれば、全方位問題なく対処できるし心配ないよ」
「それに、カチカチのオジサンもいるしねー」
カチカチか。まあいろんなところがカチカチだが、この場合、盾の話をしているのだろう。
女子たちの表情からはなんの心配も不安も感じられない。
勇者であるわしが臆するわけにはいかんだろう。
「そうだな。わしらは一人ではない。分かった、イルマも連れて行こう。だがこれだけは約束してほしい。決してわしらから離れるでないぞ」
「はい、ありがとうございます! 足手まといにならないようにがんばりますっ」
「うむ。ところで行商の仕事の方は大丈夫なのか?」
「私のほかにも人はいますし、大丈夫だと思います」
「そうか、分かった」
それからわしらはイルマの両親に事情を説明した。二人とも心から心配していたが、イルマが熱意を伝えると理解を得ることができたのだ。
娘を連れ回さねばならん申し訳なさと、行商にいけない時間を思い、心ばかりの野菜を買わせてもらった。
イルマは必ず守る旨を強く伝え、そしてわしらはティルムドの町を後にしたのだ。
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