第108話 修行開始

「――みんなは行ったか」


 東の岬へ向かった仲間を見送り、ライアがぽつりと呟いた。

 まさかおっさんの武器が呪われているなんて思いもしなかったが、あちらにはみんなが付いているから大丈夫だろう。

 その表情にほんの少しだけ寂しさを滲ませたが、自分が残った理由を思い出して小さく頭を振る。

 振り返ると、水晶のような石柱の前に座り、それにもたれかかって朱火がこちらを眺めていた。鞘を肩口に立てかけている姿が強く印象に残っているが、残念ながら今は木刀にすげ変わっている。

 イグニスべインに負けはしたが、それでも醸し出される並みならぬオーラは未だ衰えてはいない。少なくとも、いまの自分よりも彼女は強いのだと、ライア自身が感じていた。


(朱火に勝てなきゃ、奴にも勝てねえ。朱火に勝てても、奴相手に勝算があるかは正直怪しいところだが……。いや、あたしはもう一人じゃない、そうだろ?)


 己に問うてライアは歩を進めた。

 石柱までやってくると、見上げてきた朱火と目が合った。


「別れは済んだのか?」

「ああ、今生との別れがな」

「なんだよく分かってるじゃないか。木刀だからって死なない保証はどこにもないからね」


 ライアは神妙に頷いてから口を開いた。


「出会ったばかりの頃、朱火が岩のゴーレムを木刀で真っ二つにしたことがあったろ。それを見て、あたしは本気でアンタの剣に憧れたんだ。その剣を前にして死なないとは思ってねえよ」

「そうか。でもまあ、お前に修行をつけてやるっていうのに殺したりはしない。もちろん手を抜くこともしないけどね」

「本気で頼むよ、あたしは強くならなきゃいけねえんだ」


 強くなってから出直せ。魔物にそんなことを言われたのは初めてだった。屈辱だ。雪辱は果たすためにある。朱火が戦えないのなら、弟子である自分がそれを成し遂げなければならない。

 ライアの心を現すように、木刀の柄を握る手が震えていた。

 その焦燥を見逃す朱火ではない。一つ息をついてから地面を二度叩き、「まあ座れ」と促す。

 朱火の隣に腰を落ち着け、ライアは少し不満げな顔をしてその目を見返した。


「……ライア、旅はどうだ? 楽しいか?」

「世間話してる場合かよ。稽古つけてくれるんだろ?」

「十年だぞ? 少しくらい会話を楽しんでもいいんじゃないのか? せっかく師弟水入らずなんだから。そうでなくとも余興としてね」

「時間は余ってねえと思うけどな。……まあ、誰かと旅するってのは楽しいよ、賑やかだし。少なくとも、アンタと旅してる時よりは楽しいかな」


 弟子のそっけない一言に、朱火は意外そうな顔をして軽く目を瞠った。


「憧れの存在と旅できてたのに、つまらなかったのか?」

「技の二つ三つ教えてくれてたら違ったのかもな。目で盗めってさ、アンタが雑魚相手に使わないんじゃ盗みようもないだろ」

「ん? ……ああ、そうか、私は手段を違えたのか」


 どういうことだ? とライアは小首を傾げる。

 肩に立てかけていた木刀を地面に横たえた朱火は、どこか申し訳なさそうに気持ち眉をひそめて頬を掻いた。


「いや、使わなかったって言うけどな、実は使ってたんだ。お前には知覚出来てなかっただけだよ」

「嘘つけっ」

「本当さ。ただ、目で盗めと言った手前全力でやらなきゃ意味ないだろ。だから本気出してたんだけどな、子供のお前にはそれが見えてなかったってわけだ。悪かったよ」


 軽く頭を下げた朱火の表情からは嘘をついているようには見えず。ただ自分のレベルが足りなさ過ぎていたことを、やんわりと責められているような気分になってライアは苦虫を噛み潰した。

 一言でも発すれば顔から火が出そうなほどに赤面していると、不意に朱火は木刀を手にして立ち上がる。そのまま村の倉庫らしき建物へ入っていき、少しもしない内に出てきた。その脇には木で出来た案山子が抱えられている。

 離れた地面に杭を突き刺して案山子を立たせると、ライアの方へと戻ってきた。


「私もあれから多少力をつけてるからまったく同じとは言えないけど。試しに昔と同程度の力で技を見せてやる。が、その前におさらいだ。私の無刀流の特徴はなんだ?」

「一太刀しか打ち込んでないように見えるのに、実際は無数の斬撃が生じている神速の剣術」

「正解だが、技名が主に雨や雪、月に因むことも入ってれば百点だった。しかし使ってなかったわりにはよく覚えてるな。そんなに悔しかったか?」

「うっせえ、早くやれよ時間の無駄だろ」

「やれやれ、乱暴な言葉遣いの女だな。昔は「さん」付けなんてしていて、まだ可愛かったのに……」

「アンタのがうつったんだよ。分かったんなら責任取ってさっさと技見せろ」

「はいはい――」


 飄々としていた朱火の表情から急に笑みが消える。スッと眇められた目が見つめるのはただの案山子だ。しかし一瞬にして冷え切った場の空気と、膨れ上がった殺意とで、不思議とそれが斬り伏せるべき敵に見えた。

 思わずライアも息を飲む。その音を切っ掛けにするように朱火が動いた。


「氷雨寒月」


 まるで三日月が如く弧を描いて繰り出された鋭い斬撃が案山子を両断した刹那――みじん切りのように不規則な軌跡が宙に閃き、木っ端となった切断面が瞬時に凍り付いては砕け散った。

 呆然とするライアを横目に、いそいそと朱火はまた倉庫に向かうと、再び案山子を持ってきて地面に突き刺す。


「ほら、やってみろ」

「やってみろって、いきなり上級技教えんなよ。つうかこんな技見たことねえし」

「一度踊り狂う木偶人形に使ったけど、たしかお前その時は凍えてて見てなかったからな。ちなみにこいつは中級技だよ」

「見てないなら見えてなかったわけじゃねえだろ……」


 だが、当時見ていたとしても見えなかっただろう。いまは自身の成長も手伝ってかそれを認識できるまでになってはいるが。

 ライアはほんの一瞬の出来事に、改めて師の凄さをまざまざと思い知らされた。そして同時に、まだ信じられないでいる。あのイグニスべインに負けたことが。


「私は負けたんだよ。師の雪辱は弟子が果たすものだろ?」

「ずいぶんと他力本願な師匠だな」

「世の常だよ」


 そんな常は嫌だなと肩をすくめてから、ライアは木刀を構えた。

 闘気をみなぎらせ、渾身の力を込めて袈裟に打ち下ろす。すると案山子は強撃により砕けはしたが両断することは叶わず、肝心の木刀も同時に砕け折れてしまった。


「それじゃあただ強く打ち下ろしただけだ。無駄な力も入りすぎてる、だから斬れないんだよ。それにこの技の場合、闘気は凍気に転換しろ。あくまで自然体で、力まずに打ち下ろせ。そうすればお前でも斬れる」

「闘気は凍気って駄洒落かよ。んなこと言われても出来るか。そもそも木刀で木偶人形真っ二つに斬るとか普通無理だろ」

「ったくしょうがない奴だな。それが出来なきゃ無刀流の中級以上の技の多くは使えない。どうせやるなら全部覚えていけ。そうでなくとも奥義はすべての技の上にあるんだからな」


 当たり前のように吐かれた事実に、ライアはひどく肩を落とした。


「中級の技でもう躓くとか、情けなさ過ぎて穴倉に籠りたい気分だぜ」

「技のほとんどは五月雨を基礎にしている。あとは気の転換と集中、変化放出爆発。まあそんな感じだ」

「ざっくりしすぎてよく分からない。アンタ教えるの下手かよ」

「習う立場で文句を言うな。悔しかったら早く習得してみせろ」


 駆け足で倉庫に戻り、朱火はまた一つ案山子を持ってくる。

 幸先を不安に思うライアに振り向くと、朱火はついでに取ってきた木刀を差し出した。


「まずは気の使い方だな。獅子咆哮を覚えることから始めるぞ」

「なんだそれ?」

「いわば無刀流の気の基礎だ。ステータスを一時的に飛躍させることが出来る。そこから気を派生させて技を繰り出す」

「なら最初にそれを見せてくれればよかったんじゃ……」

「いまさっき気付いたんだよつべこべ言うな。私と遣り合うんだろ? お前にまだその資格はない、だったらやることは一つだ。いくぞ」


 朱火が木刀を正眼に構える。「ふぅうう」と静かに深い呼吸をし、カッと目を見開いた瞬間に――「はぁああああ!」と内に集中させた気を爆発的に高めながら放出した。黄金のオーラが蒸気が噴き出すようにシュウシュウと発散されている。


「ほら、ライアもやってみろ」


 促され、心を落ち着けるためにライアもまず深呼吸をした。気の流れをイメージし、一ヵ所に集中。収束させた気を今度は外へ向かって膨らませるように高めていき、「ふっ――」と一気に爆発させた。

 朱火と同じく黄金の闘気が体を包む。


「おっ、どうだ、ちゃんと出来てるか?」

「………………」

「朱火?」

「つまらん。お前は本当につまらん弟子だな。私が苦労して編み出した技をこうもやすやすと。もう少し手こずってくれればからかい甲斐もあったのに。師を気遣うってことも出来ないとはね」

「いや拗ねるなよ。アンタの教え方が上手いんだよきっと」

「ん? そうか? やっぱり私は良い師匠だったってわけだな」


 満更でもなさそうに笑う朱火を横目に、ライアはほっと息をつく。

 昔怒らせて、夕食を抜きにされたことがあった。それを思い出したからこそ、おだてたのだ。機嫌を損ねると修行どころじゃなくなることは容易に想像がつくから。


「それで、ここからどうすりゃいいんだ?」

「ああ、あとはイメージだな。凍気に変えたければ白雪ですすぐ感覚だ。オーラの色が白青っぽくなるから分かりやすい。想像力と根性でなんとかしろ」

「精神論かよ……」


 朱火の言葉に文句を垂れながらも、会得しなければ彼女と戦えないのだと自分に言い聞かせてライアはひたすら特訓した。

 わずか三十分ほどで闘気の転換に成功したライアに、またも朱火はつまらんと切って捨てたが、その表情にはどこか嬉しさが滲んでいた。


「ま、私が弟子にしてやったんだから、これくらい出来てくれなければ困るところだな」

「師匠らしいことはほとんどしてくれなかったけどな」

「闘気の転換が出来たならさっきの技も出来るだろ。五月雨の要領であとは斬撃を増やすだけだからな」

「簡単に言ってくれるな……」


 ライアは案山子に体を向けると、木刀を正眼に構えて凍気を纏う。「――氷雨寒月」勢いよく振り上げてから袈裟に斬り下ろす。すると先ほどとは違い、気で覆われた刀身が容易く案山子を斬り裂いた。直後、朱火ほどではないが複数の剣筋が閃き案山子を木っ端に変える。断面から生じた氷は一瞬にして破片を覆い、砕けてはパラパラと辺りに散らばった。


「ほう、やれば出来るじゃないか。まあ、初めてでこれなら上出来だな」

「そりゃ、どうも……」


 技を繰り出したライアが崩れ、地面に片膝をついた。

 思いのほかMPの消耗が激しい。これで中級技だというのだから、その上、さらに上を想像するとやる前からくたびれそうだ。


「最初の内は疲れるだろう。けど使い続けていく内に自分の物に出来る。そうすればMPの消費量も気にならなくなるさ」


 頼もしい言葉は右から左。ライアは辺りに散らばった破片を見比べた。朱火のものは見事に粉々だが、自分のものは荒削りの積み木のように大きい。まるで彼女の域に達していない。

 密かに奥歯を噛み締めて悔しさを押し殺すライアの背に、朱火は言葉を投げかける。


「焦るなよ。最初から出来る奴なんていないんだからな。初めはそんなものだぞ。いや、むしろお前は出来る方だ。だから自信を持て、ライア」

「……ああ。……別に褒められても嬉しくねえからな?」

「いいや、お前は嬉しいはずだ。修行の一環として、野宿の際一人で肉の調達をさせた時に、魔物を倒したことを褒めてやったら顔赤くしてたからな」

「そんな恥ずかしい思い出話をするんじゃねえよ! 忘れろッ」

「忘れるわけないだろ。私にとっては大切な思い出だからな」


 朱火の不意打ちに目を丸くする。自分は今の今まで忘れていた思い出だったが、朱火はそれを大切だと言う。子供の頃の思い出が走馬灯のように蘇った。

 一般的な師弟らしい在り方ではなかっただろう、だが、確かに彼女のことを慕っていたのだ。


「おっ? 泣くのか? 泣き虫は卒業するって昔聞いた気がするけどね」

「違えよ、こいつはアレだ、今朝飲んだ水だ。目に入ったホコリを流そうとして出てきただけだ」

「そうか? まあそういうことにしておいてやる。ほら、休憩はもう終わりだぞ。次の技を教えてやるからさっさと立て」

「言われなくてもっ」


 木刀を支えに立ち上がって、ライアは師を見返した。

 じゃっかん笑う膝をバシッとひと叩きし、疲労感を吹き飛ばさんと闘気を高める。


「その意気や良し、だな」

「へっ、あいつらが戻ってくるまでに終わんのかね」

「そいつはお前次第だが。……けど心配するな。お前には私のすべてを叩き込んでやる。だから超えていけよ、ライア」


 見たことのない真面目で実直な、逸らすことのできない眼差し。

 師の想いのすべてがそこに集約されているような言葉だった。

 ライアは瞼を閉じてその想いを噛み締めるように小さく頷き、師の目を真っすぐに見返して「……はい!」と弟子として快く返事をしたのだった。

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