第100話 吟遊詩人オルフィナ
道具屋モルトの主人の馬車に乗せてもらい、ダグハースから南へ向かう。
砂漠を越えて、また草原を行く。五人揃っていないため、馬車を守りながら魔物と戦うのに少々苦労した。
前衛はやはり素早いソフィアが務め、後衛をクロエが魔法で固める。わしは討ち漏らした魔物の処理と男を守ることを頑張った。
そうしてサマルク村から東へ歩くことおよそ一日ほど。
ダムネシア地方の南東、その端へとやってくる。その先には半島があり、陸続きになってはいるものの……ここで初めて毒の沼地を経験した。
クロエの魔法『レビテーション』により空中浮揚したことでダメージは受けなかったが、このような地形もあるのだなと勉強になった。
沼地を越え、川沿いを大きく迂回してまた毒の沼地を渡り、やっとのことで周囲を背の高い岩壁に囲まれたコルベドの町へ到着したのだ。
外には魔物がいるというのに、衛兵の姿一人すら見当たらん。ずいぶんと危機感の薄い町だな。
「ようやくコルベドですわね」
「まさか一日もかかるなんて思わなかったよ」
「魔物を倒しながらだとどうしてもね。でも、あんたたちのおかげで無事に着けたわけだから感謝しかないよ」
「なに、礼を言うのはわしらの方だ。それはそうと、急いでオルフィナを探そう」
モルトの主人が馬を走らせ、不用心な町へと入る。
町入りしての第一印象は、『暗い』だ。街灯もところどころ消えていて、町全体の生活感があまりない。蝋燭程度の明かりが漏れる民家もあるが、ダグハースと比べると天と地ほどの差がある。
それに道のあちこちで酒瓶が落ちていたり、チラシが風に舞っていたりと、あまり衛生的にもよろしくなさそうな感じだ。
そんな中で路上で眠る者の姿を見つけたりと、治安も心配になるほど町の雰囲気は悪い。
しばらく町中を見て回り、それから町で唯一浩々と明かりが灯る宿屋へと向かう。オルフィナは吟遊詩人の女性だからな、いるのなら恐らく安全と思しき宿にいるだろうと中りをつけたからだ。
扉を開けて宿へ足を踏み入れると、受付カウンターにいた女子が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ、旅の方。何泊のご予定ですか?」
「いや、わしらは泊まりに来たわけではなく、人探しに来たのだ」
「人探しですか?」
「ええ。この宿にオルフィナという女性は泊っているかしら? 預かりものを届けたくて」
「オルフィナさんですね、少々お待ちください」そう言って宿泊客名簿を開き、しばらくしてから女子は顔を上げる。「オルフィナさんでしたら三階にご宿泊されていますね」
「よかった、まだいてくれたんだね。勇者さん、夜も遅いし、声をかけるのは明日にしようよ」
「うむ、そうだな。やはり今夜はこの宿に泊まるとするか」
そうしてわしらは宿で一泊した。宿泊代が一泊500Gと少々高い気がするが、贅沢は言っていられんだろう。
朝早くに目が覚めてしまったわしは、少し外の空気を吸いたくなり、散歩でもしようかと思って外へ出た。
昨夜は暗かったからよく分からなかった、町の様子を窺う目的もあったのだが。
「どうなっとるんだ……」
思わずそんな言葉がこぼれる。
町は朝にもかかわらず、まるでまだ眠っているかのように静かだったのだ。
町中を人が歩く様子もない。人の気配は間違いなくあった。外には間違いなくいたし、家の中にもだ、たぶん。いなければソフィアが声を上げただろう。それに蝋燭程度の明かりは漏れていたのだから、屋内にいないという方がおかしい。
まさかという危惧を抱きながらも、ひとまず皆と合流すべく宿へ戻ると、先ほどまではいなかった受付嬢がカウンターに立っていた。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「うむ、おかげさまでな。ところで一つ聞きたいのだが、この町の家の中に人はおるのか?」
「もちろんいますよ。ただ、」
そう言って女子は目を伏せた。なにやら事情がありそうな感じがありありと見て取れる。口にするのが憚られるような印象を受けるが、ややあって女子は伏し目がちに続けた。
「町の人々は、大魔王の脅威を恐れて生きる希望を失ってしまったのです」
「だからこのような有様なのか」
「はい。一生懸命に生きても、結局は滅ぶ定めにあると諦めた人々は、いつしか無気力になってしまいました」
「なるほどな。生きる希望がない人々しかいなければ、町は死んだも同然になるというわけだ。しかし不思議なのはお前さんだ。どうしてそんな中で宿など開いていられるのだ?」
「この宿は、両親が私に残してくれた宝物なので」
聞けば女子の両親は数年前に、町を再興させようとして他の町へ応援を頼みに行く途中、魔物に襲われて亡くなったそうだ。
死の報せを聞いた女子は、しかし宿を畳む気にはなれなかった。両親が大切にしていた宿だったから。
宿代が少々高いのは、町の再興資金に充てるためという話だ。
「私まで諦めてしまったら、この町は本当に終わってしまいます。それに、少なからずこうして立ち寄ってくださる方もいますし」
「そうか。これは大魔王打倒が急がれるというわけだな。少し時間はかかるだろうが、待っていてくれ。わしらが必ずこの町に希望を取り戻してみせる」
「あの、あなたはもしかして、勇者ですか?」
「うむ、ただの通りすがりだがな」
そう返事したところで、「あ、こんなところにいた。勇者さん、オルフィナさんを連れてきたよ」と声がかかる。
振り返ると、ソフィアとクロエが女性を伴って階段を下りてくるところだった。
真っ赤なローブに気持ち紫がかった黒髪。紫のルージュを引いた、妖艶な美女だ。これまた目を瞠るほどの女子に面食らう。
「その女子がオルフィナか」
「あなたが勇者? 聞きしに勝りそうもない見た目ね。むしろ劣っている気がするわ」
「初対面にもかかわらずひどい口振りだ。証をいちいち見せなければ信じられんか?」
「……いいえ。少なくともこの人たちは手練れだわ。だから信じる。それと、一応礼を言っておくわ、竪琴を届けてくれてありがとう」
失礼だけな女子かと思いきや、頭を下げる礼儀は知っているようだ。
「なに構わんよ。それよりも、お前さんの力を借りたいのだ」
「話はこの人たちから聞いたわ。死霊を操る四天王。私に竪琴を渡したことで、両親が危険なんでしょう?」
「向こうに私たちの仲間が二人残っているわ。当分は大丈夫だと思うけど、消耗戦になると不利かもしれない」
「だからあなたに、ヴァストール地方に眠る魂を鎮魂の竪琴で鎮めて欲しいの」
「やってくれるか?」
わしらの嘆願の眼差しを受けたオルフィナ。
順繰り顔を見ると、小さく息をついて頭を振った。
「残念だけどいまスランプでね。竪琴を弾く気にはなれないのよ」
「なに? お前さんの両親が危険に晒されているのだぞ?」
「あなたたちの仲間がいるんでしょう? 二手に分かれて四天王を倒してしまえば万事解決なのではなくて?」
「たしかにそんな手もあるだろう。しかし敵の強さが定かではないし、先に戦った四天王も力を合わせたから倒せたのだ」
「それはあなたたちの都合でしょ、私には関係のないことだわ」
関係ないと斬って捨てたオルフィナに、沸々と怒りが込み上げてきた。
「肉親を見捨てるのか? お前さんの両親は、お前さんならやってくれると思ってその竪琴を託したのだ。自分たちが危険に晒されることを理解した上でな。信じてくれる者を裏切る、そのような者が人々の心に響く詩を歌えるとは思えん!」
「初対面なのにずいぶんな物言いね」
「さっきのお返しだ」
鋭く睨んでくるオルフィナの瞳を、負けじと睨み返す。
女子相手に睨みを利かすのは初めてのことだ。なんだか悪いことをしているみたいに心音が激しく昂る。罪悪感にも似た感覚だ。
しかし、目線を外さないオルフィナに負けるなど男として許せんからな。反応するまでわしも睨み返してやる。
しばしにらみ合う時間が続いたが、やがて疲れたようにオルフィナが肩をすくめてため息をついた。
「はぁ。私とにらみ合って、ここまで目線を外さなかったのはあなたが初めてだわ。呆れるほど愚かね」
「それでどうなのだ? わしらに付いてきてくれるのか、否か?」
「……分かったわよ、付いていくわ。さすがに両親見捨てるとか寝覚めが悪くなりそうだし。どうせ断っても首を縦に振るまで諦めないんでしょ?」
わしらは揃って、無言で強く頷いた。
「勇者がこんなに厄介な人間だったなんて想像してなかったけど。スランプを抜け出すきっかけにはなるかもしれないから」
「誉め言葉として受け取っておく。ではさっそくお前さんの家に戻ろう」
「家に帰る前に、ダグハースに寄りましょう。あそこにも墓地があるから、一応鎮めておかないと。あと私が感じたところに寄ってちょうだい、魔物にも魂はあるから、少しでも敵の戦力になりそうなものは浄化していくわ」
「お前さん、そんなものまで感じ取れるのか?」
「吟遊詩人は自然と共にあるわ。光や風、大地や水、動物に植物。そういったものに対する感覚が鋭いのよ。だからあなたたちが悪い人じゃないってこともよく分かる」
わしはスケベではあるがな、とは口にせず黙っておいた。
「理解したなら急ぐわよ――」モルトの主人を起こし事情を説明し、宿屋の女子に暇を告げて、そしてわしらはコルベドを発った。
長いブランクを少しでも取り戻すために、オルフィナは馬車の中で竪琴を演奏した。
その運指の美しさは流れる水のように滑らかで、玉のように澄んだ音色は自然に溶け込むように馴染んだ。
まるでブランクもスランプも感じさせない見事な演奏だった。これなら心配することもないだろう。
そうして大地に眠る魂を鎮魂しつつ、わしらはダグハースに急いだのだ――。
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