第二章 ヴァストール地方

第96話 娯楽の町ダグハース

 行商の男を護衛しながら草原地帯を北へ進み、進路をやや北東へ向ける。

 ヴァストール地方へ入ったことには、魔物の種類が増え、強さが増したことですぐに気づけた。

 鎧兜を身に着け、羽まで備えたリザードマンロード。巨石のように硬く図体の大きな牛ロックモーモー、起こすと突然暴れ出す羊、怒髪天シープなどなど。

 力では負けないだろうと思っていたライアとソフィア、その両名とも魔物と拮抗する場面が見られ、早いとこ盾をどうにかしなければならない思いがますます強くなった。

 クロエや楓に助けられながらも歩くことおよそ半日。

 ようやくダグハースに到着する。

 高い外壁に囲まれた大きな町だ。おそらく上の世界のグランフィードよりも広いだろう。しかし周りは草原に囲まれている。海は望めるほど近いが、船の影は見当たらない。


「……お前さん、本当にコンテストの優勝賞品は船なのか? 港がないではないか」

「疑うのも無理はない。なにせ船着き場はここじゃないからな。ダグハースから西へ向かったところに桟橋があるんだ。歩くと結構ある」


 男の眺める先に目を向けるが、草原だけで船着き場は見当たらない。かなり距離があるらしい。


「なんで近くの海に作らなかったんだ? 誰も海に出ようとしねえからか?」

「それも半分当たりだけど、あの海の向こうに魔王城があるからだよ。もしかしたら強いやつらがくるかもしれないからって、近場には作らなかったのさ」

「あの向こうに魔王の城が……」


 誰ともなく呟いた言葉。皆の視線は白波が立つ、穏やかでない海を遠望する。

 残念ながらその実体を見ること叶わないが、異質で異様な空気感というものは肌で感じられる。勇者が倒すべき宿命の相手、故にどこかで引き合っているのやもしれん。わしの成長ももちろんだが、この先強力な武具を手に入れていかなければならんな。女子たちも共に……。

 男と二人幌馬車を引き、そしてわしらは町へ入った。

 町へ足を踏み入れてまず驚いたのはその活気だ。往来も盛んで、大魔王がいる世界だというのに悲観したような顔をしている者が見当たらない。

 建物にはグリッターガーランドが渡され町中をカラフルに彩り、露店なんかも通り狭しと並んでいる。

 建物のガラス窓に目をやると、『開催間近! ベストドレッサーコンテスト!!』というポスターが貼られていた。

 どうやらこの賑わいは、近くコンテストが開催されることを盛り上げるためのようだ。


「すごい賑わいだね、みんな楽しそう」

「世界は大魔王の危機に晒されてるってのに、のん気なもんだねー」


 通りの喧噪を右に左にと眺めながら歩く。

 クロエははしゃぐ人々を微笑ましそうに見、楓はそんな人々の様子に呆れているようだ。


「この町は娯楽の町だからさ。飲食店はもちろんカジノやバー、レジャー施設に劇場、ブティックなんかも多い。みんな楽しむためにここへ来るんだ。大魔王や魔物がいてもいなくても、この町はいつもこんな感じだよ」

「遠方からも来てんのか?」

「ああ。物好きは危険を顧みずに、北東地方や南東地方からも海を渡って来てるらしい」

「海を? 移動手段がないのに、どうやってくるのかしら?」

「富豪の道楽船旅に付き合うやつがいないってだけで、西の船着き場への定期便はあるんだよ。定期といっても頻繁にじゃない。潮の流れと天気によっては海の魔物が大人しい時がある、それを狙うから回数はさほど多くないんだ。まあ最悪物資の輸送に使われる貨物船に乗せてもらうって手もないわけじゃないけどさ」


 ダグハースは娯楽の町、か。そうまでしてここを目指すのは、こんな世界でもなにか楽しみがなければ絶望してしまうからかもしれない。

 面白可笑しく楽しく愉快に。この町にとってのそれは、気を紛らわす逃避なのだろう。

 大魔王などがいなければ、この世界が平和であったならば、それも本当の意味での娯楽になるのだろうが……。

 それからしばらく路地を進むと、ある店の前で行商が急に立ち止まった。掲げられた看板には『道具屋モルト』と書かれている。


「店に戻ってこられたのは、あんたたちのおかげだ。ここまでの駄賃じゃないけど、これを持っていってくれ」


 そう言って渡された小袋の中身は『男の身だしなみセット』なる物だった。

 ヘアブラシに眉毛を整えるコームにカットバサミ、それにヘアアレンジをするためのワックス? 化粧水に美容液とやらまで。どれもほとんど使ったことのないものばかりだな。

 報酬はわしにだけのようだが……。


「なぜわしにだけ?」

「いや、この中であんただけがコンテストで箸にも棒にも掛からなそうだからさ。これで身だしなみを整えて頑張ってほしいからだよ」

「失礼な。このようなダンディを醸すわしに対してそのような悪口をっ」

「エントリーするならコンテスト会場に急ぐといい、たしか受付は今夜までだから。この道を真っすぐに行って突き当りを左。道なりに進んだ十字路を右に曲がればすぐに会場だ。大きいからすぐに分かると思う」

「いやお前さん、わしの話をだな――」

「ありがとな、あんたも行商頑張れよ。ってなわけでおっさん、早く行くぞ!」

「あ、ちょ、ちょっと待つのだ、まだ話は終わっていないぞ!」


 ライアに鎧の首元を掴まれ引きずられる。このような情けない姿を往来で晒すのはいつぶりだろうか。まあ嫌ではないが、まだ話の途中だったのだ。わしの渋い男らしさを分からせてやる大切な……。

 だがいつまでもくさくさしていられない。渋々気を取り直し、行商に教えてもらった順路を歩いていくとやがて大きな建物がお目見えする。

 ゴテゴテとした白い外装。まるで神殿か何かのように彫刻が壁面を飾っている。

 壺を担いだ女性の彫像は絶え間なく水を泉へ注ぎ、時折噴水が上がってはキラキラとした飛沫が空間を涼しげに演出する。

 受付に行く人々だろう。幾人もが同じ目的をもって会場である建物の中へと

入っていく。


「よし、わしらもエントリーを済ますとするか」


 そうして足を踏み入れた会場のロビーには人だかりができていた。ざっと見渡しても三十余名はいるだろう。

 貴族のような絢爛なドレスに身を包む女、わしよりも劣るが渋いジェントルマン、気取った感じの男女、冒険者のパーティー、商人に農夫など様々な人々が受付カウンターに列を成して順番待ちをしていた。わしらもその最後尾に並ぶ。


「これがすべてエントリーしに来た連中なら、大したコンテストだな」

「受付は以前からしていたみたいだし、実際はもっといるのかもしれないわよ」


 受付を済ます列が徐々に短くなっていく最中。

「あん? なんで俺がエントリーできないんだよ!」といった青年の怒声が聞こえてきた。先頭を覗いてみると、チャラい格好の男が受付嬢に噛みついている。


「申し訳ありませんが、一定の基準をクリアしていない方の参加は認められません。規則ですのでどうかお引き取りください」

「そんな説明で納得できるか! これでも自分磨きしてきたつもりなんだぞ、いいから認めろよッ」

「認められません、規則ですので」


 そういって受付嬢が脇に目配せしながら一つ頷くと、SPと思しきガタイのいい男二人が、青年を脇に抱えて無理やり外へと連れだした。

 納得いかない男の怒りの叫びは、やがて扉の向こうへと消えた。


「ではお次の方、どうぞ」

「俺さ田舎からきただ、エントリーするだよ」

「ではこちらにお名前をご記入ください」


 呼ばれた男は、失礼だが先ほどの男と比べるとずいぶん小汚い身なりの農夫だった。しかも鍬まで持参している。それなのにエントリー出来ているというのは不思議だった。


「……いいのか、あれは?」

「受付の人が言ってるんだからいいんじゃないかな」

「これならオジサンも楽勝だねー」

「楓よ、それはいったいどういう意味だ?」


 振り返り心外だという眼差しを向けると、「ほら、次おっさんだぞ」とライアに背中を押される。

 勢い余ってテーブルに手を付き、受付嬢の顔がすぐ目の前に。眼鏡越しの切れ長の目が、わしを品定めでもするようにじっと見据えてくる。なんだか気まずい。

 ややあってから、「あと1、足りませんね。残念ですがお引き取りを」との冷ややかな言葉。


「あと1だと? その程度許してくれても良いではないか!」

「決まりですので。あ、後ろのお嬢様方は合格です。こちらにお名前をご記入ください」

「お嬢様なんて、なんかむず痒いな」

「当然ですわ」

「危なげなくクリアだね」

「ギャルやっててよかったよー。ほらオジサンどいてどいてー」

「のわっ!」


 女子たちはわしを押しのけて、次々エントリーシートに記名していく。

 このままでは、わしのダンディさを世界に知らしめることなど不可能だ。なんだたった1ステータスが足りないからと……。

 そこでふと、失礼な行商からもらった例のアイテムを思い出した。

 道具袋を漁って『男の身だしなみセット』を取り出す。試しにヘアブラシで髪を梳いてみるも、「しまった! 絡まって取れんぞッ?!」ゴワつく天パに絡まってブラシが取れなくなった。

 無理に取ろうとすれば毛を毟りかねん。オプションを頭に付けたまま、今度は字面的に美容液というのが気になり使ってみようと思う。少々粘性のある水を手の平に振り出し、それを顔につけてみた。これでなにが変わるのか分からんが、顔を濡らしたまま再び受付嬢の元へ。

 またしてもじっと見据えてくるその目つきは、なぜか今度は柔和になった気がする。


「どうだ? わしもエントリーできるか?」

「……ふくっ……ま、まあ笑いのタネを提供するというのも、面白いかもしれません。いいでしょう、参加を認めます……っ」


 どこか笑いを堪えるように唇を歪め、わしの頭にくっ付いたヘアブラシを見つめる受付嬢。笑いのネタとしてわしを供しようという考えは気に食わんが、参加できなければ意味がない。理由はどうであれ、認めてもらえたことには感謝しようと思う。


「では、三日後のコンテスト当日にまたお待ちしています」


 最後は丁寧な会釈で応対した受付嬢。

 大した問題もなく、皆無事に受付を済ませたのちに会場の外へ出た。


「エントリーは済ませた。あとはコンテストで身に着ける服飾をどうするかだが……」

「けっこう歩いたし、今日のところは宿取って休んだ方がいいんじゃないか?」

「それにもうすぐ夜だわ。娯楽の町というのはいささか誘惑も多いでしょうし」


 そこで、皆の視線を一身に集めてしまったわし。

 誘惑というのが、女子と遊んだりなんかする店であろうことにすぐ気がついた。


「お前さんたち、わしがまだ風俗なぞに興味があると思っているのか?」

「ないの? 勇者さんなら夜を楽しみにして駆け出して行きそうなのに」

「クロエよ、あまりわしを見くびってくれるな。わしも成長するのだぞ?」

「いつもエロい感じなのに、おかしな話だねオジサン?」

「楓、わしは気付いたのだ。風俗の女子たちよりもお前さんたちの方が良いということにな。そんな女子たちと共に旅をしているのだ。風俗にうつつを抜かすなど愚の骨頂だろう。きっと女神も怒るに違いないっ」


 思いの丈を力説したのだが、「ふーん」といった具合に女子たちの反応が薄い。どうやら、わしの紳士的かつ大海のような懐の深さはまだ伝わっていないようだ。

 だがまあいいだろう。まだ時間はある。このコンテストで少しでもいいところを見せて、女子たちを見返してやろう。

 宿への往路。先を歩く女子たちの背中に向かって、心の内で強く決意をしたのだった。

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