第74話 ライアの過去
馬の足の速さもあり、あっという間に西部を抜けて東部へ入った。
景色が目に見えて変わり、西部独特の砂埃っぽさはいつの間にやら消えていた。
荒野だった風景は一変。背の低い植物たちが草原を彩り、気持ちの良い風が緑を煽る。まだ陽も出ていないが、早く陽光を浴びた光景を目にしたいと気が逸りそうだ。
そんな中。
少しバテたのか、スタート時ほどの勢いがなくなった馬の手綱を弄び、わしはすっぱい顔を浮かべて座りの悪さを誤魔化していた。
馬車の中の空気が依然として重いままだったからだ。
道中気を利かせ、「おっ、そうだそうだ! そういえば昔読んだエッチな本にな、移動中のキャラバンの中で男女がまぐわう、なんて話があったのだが。わし、御者なんてしているからそんなこともままならんな、わはは!」と少しでも空気が変わればと思い、良かれと笑い飛ばした一言に誰も反応を示さなかった。
それが原因だとは思いたくはないが、この重い沈黙はそろそろ堪えるな。
誰もがどう会話を切り出そうかと悩んでいたことだろう。
ただ行く先をずっと眺めるライアに、なんて声をかけようかと。皆、優しい女子たちだからな。
草原を抜け、山の麓に差し掛かろうというまさにその時。
沈黙のままに峠を登るのかという不安は、ライアの呟きにより払拭された。
「……みんなに、聞いてほしいことがあるんだ」
これほど静かな声音は聞いたことがない。その一言だけで、ライアの悲愴がありありと窺える。
「それはもしかして、今まで頑なに話すことを拒んできた過去に関する話か?」
「ああ……」
御者台から振り返って見たライアの表情は、思っていたよりも暗いものではなく。揺るがない強い意志を感じさせる眼差しで、わしの双眸を見返してきた。
大丈夫か? と問いかけると、「大丈夫さ。ヴァネッサにも励まされたしな」と僅かに口元を緩ませる。
わしは安心し、一つ頷き返す。
するとライアは小さく深呼吸し、静かに語り出した。
「あたしの故郷ウェラハイトは、のどかで魔物とは無縁の町だった。俯瞰と呼べるほど高くはない小高い山にあってさ、自然豊かで町の人も優しくて。みんな幸せを享受してたんだ」
見下ろせば北オーファルダムの草原がすぐそこに広がり、けれどそれは遠いという感じではなく、手を伸ばせば届きそうだと錯覚するほど親しい距離感にあったという。
木彫りが特に有名で、食器はもちろん絵画用の額縁や彫像なんかも特産品になっていて、町はその景観からも観光客が多く訪れる名所になっていたそうだ。
「あたしもこの町で大きくなって、町とともに生きるんだと思ってた。……魔物の混成軍が襲ってきた、あの時までは」
ギリッとライアの歯ぎしりがした。悔しさを噛みしめているのだろう。
わしは口を挟まずに、黙って耳を傾けた。
ライアが十三歳の頃だ――。
その日も人々は日常のただ中にいた。なにもない一日。それを誰もが疑わなかった。外へ出ていた町人が、早馬で戻ってくるその時までは。
「魔物の軍団がこっちに向かってきてるぞッ!」切迫した様子から、事態は急を要するのだと悟った町の男たちは、女子供を逃がすための準備をした。
そして自らは剣となり盾となり、魔物と戦うために武具を取る。入口にバリケードを張り、町の広場で決起した。
その頃。ライアも避難するために、母に急かされながらも簡単な身支度をしていた。その時だ。
バリケードが破壊される音に続き、魔物の咆哮が轟き、男たちの「逃げろー!」との絶叫が町中に響いたのは。
ライアの母が窓の外を窺うと、オークを筆頭にゴブリンに犬のような面をしたコボルトなどが、町を荒らしながら進撃してくるのが見えた。
男たちも必死で応戦するが、戦い慣れていない上に鉄の剣や革の鎧では彼我の戦力差は歴然。圧倒的な数の暴力に次々倒れ、無残な死体と化していった。
「いまから家の外に出てももう遅い。そう判断した母は、小さなクローゼットの中の隠し扉の奥へあたしを押し込んだ。子供一人がやっと入れる、小さな収納扉だ。『お母さんは?』そう訊ねたあたしに、なにも言わずに微笑んだ母の顔が今でも目に焼き付いてる……」
母が扉を閉めると、それから少しもせずに家のドアが破られた。
「血の臭いに惹かれてやってくれば、やっぱり獲物がいたか。しかも女だ」ブヒブヒと下品に鼻を鳴らすオークの言葉で、ライアは血の臭いで自分の存在を誤魔化そうとしてくれたのだと悟ったそうだ。
オーク相手にただの町人の女が敵うはずがない。死のうとしたのかどうかは分からないが、その前に見つかってしまった。そうなれば、生殖本能の強いオークのやることは一つだ。
隠し扉の奥で身を縮ませ、ライアはそれをずっと聞いていた。
悲鳴と時折交じる嬌声を、声が聞こえなくなるその時まで……。
「なんだ、子供を産む前に死んじまうとは。これだから人間は脆くてつまらない」鼻を鳴らして笑うオークが、何かを打ち捨てる音がした。
ライアは隠し扉のほんのわずかな隙間から、そっと向こうを覗く。眼に飛び込んできたのは――母の白目を剥いた涙でぐしゃぐしゃになった顔だった。
「母は散々犯された挙句、首から血を大量に流して死んだのさ。首筋にはオークの爪痕がはっきりと残されてた。自傷したらしい手首の傷は深くなかったから、直接的な死因はオークに首を絞められたからだろう」
こと切れた母の姿を目の当たりにしたライアは、声を押し殺して泣いた。
母の死が、自分を助けてくれたのだと思った。
しかし、耳聡いコボルトにそれを察知されてしまい、あえなく見つかってしまう。
クローゼットから引きずり出されたライアは、母の亡骸の横に座らされた。
あまりの恐怖から声は喉を上がってこず、肺で止まるように詰まって息苦しい。
見下ろしてくる巨体が好色そうに涎をたらしている。ライアは自身の死も覚悟した。母のように犯されて、壊されて自分も死ぬのだと。
いまにもオークが手を伸ばしかけた、その時だ――
「あたしの目の前で、突然オークが真っ二つに裂けたんだ。何事かと振り返ったコボルトも、あっという間に細切れになった」
驚愕に目を剥いていると、二つに分かれたオークの体が床に伏し、その向こうに人影が現れた。
長く反った刀を持ち、黒髪を一本に束ねて道着袴を着用した若い女性。名乗ったのは
「あたしはその朱火って女剣士に助けられたんだ。魔物の混成軍はほぼ朱火一人に壊滅した。一部逃げた奴らがいたみたいだけどな。結局、朱火に救われたのはあたし一人だけだった」
助け出されはしたものの。ウェラハイトの滅びと母の死からなかなか立ち直れず、ずっと泣いていたライア。
そんな時、朱火が頭に手を添えながら言ったそうだ。
「『悔しいなら強くなりな。誰にも負けない力を身につける努力をするんだ。力はなにも相手を潰すためだけにあるんじゃない。守るためにも必要なんだから。あって損するようなもんじゃないよ』――そう言って励ましてくれた朱火から譲り受けたのが、あの無銘の刀だ」
以前アルノームで愛刀と言っていたのを思い出した。
大切にしている節があったし、強くなるとも言っていたな。
しかしそんな過去があったとは。思い返してみれば、『オーク』という言葉を聞いた折々で様子がおかしくなっていた気がする。
過去を思い出し、どうしようもない復讐心に駆られるのだろう……。
「数年間、朱火に師事してたんだが、ある程度の技術が身に付いてきたからってまた旅に出ちまって。真似してあたしもそうすれば強くなれるかなって思ってさ、世界を旅しながら武者修行することにしたわけだ」
「それでアルノームにいたのだな」
「ああ」と呟くライアは、どこか懐かしそうに目を細めた。
愛刀を盗賊に奪われたのも、もう過去の話だ。いまはあんな輩にも負けはしないだろう。
ライアのポニーテイルは、その朱火を尊敬してのものなのだろうな。
話を聞き終えた皆々は、小さく息をついた。
「……そんなことがあったのね」
「まあ、生きてりゃ色々あるもんだろ」
お前にもな、そういうニュアンスに聞き取れた言葉に、ソフィアは「そうね」とだけ小さくこぼし峠道に目を向けた。
「ライアは強いね。わたしだったら耐えられなかったかも」
「クロエだって強いだろ。母親と喧嘩してまで一人で旅して、一国を救おうとまでしたんだぜ。それこそ、なかなか出来ることじゃない。それに、あたしには朱火がいてくれたからな」
白鞘の無銘刀に目を落とすライアに、「そっか」とクロエがぽつり。
独りじゃなかったことに幸いを感じているような、しみじみとした声音だった。
そしてそのことに安堵していたのはもう一人。
「――アタシと同じだね」
「……楓?」
「アタシもさ、ライアと同じで忍びの里を魔物に襲われたんだ。命からがら逃げ延びて、結局生き残ったのはアタシ一人だけ。逃げ込んだ竹林で一人泣いてた時に、お師匠に出会ってさ。……独りじゃきっと、耐えられなかったかもしれない」
女子たちは口々に「そうか」といったことを静かに呟く。
その話は以前玉藻に聞いたから、別段驚くようなことはないが。初めて耳にした女子たちには、それぞれ思う所があるのだろう。ライアの話を聞いた直後なら、なおのこと。
暗い雰囲気がぶり返しそうになった時。楓が突然「でもさ!」と声を明るくして言った。
「アタシたちは独りじゃなかった」
「ああ、そうだな。いまだって仲間がいる。そうだろ、おっさん!」
「うむ、その通りだ!」
振り返って女子たちを順繰り見つめる。
皆の仲間を思い遣る心、旅にかける強い意志、わしへの好意! が如何ほどあるかは分からんが。それぞれの想いが眼差しから伝わってくる、実に好い顔が返ってきた。
皆の過去に何があろうと関係ない。わしは皆平等に愛し、命を賭してでも守り、そして何が何でも助けるのだ!
「ようし、この勢いのまま峠を突っ切るぞ! お馬さんや、また頼むぞ。お前さんの活躍が肝要なのだからな!」
わしは鞭をしならせて、再び背パッドをぴしゃりと打った。
馬は「ヒヒーン!」とひと際大きく嘶くと、イノシシのように猛進する。馬にも伝わったのだろうか、わしらの想いが。
それから。
ここから峠を五つも越えることになるとは思わなかったが、時折ニンジンをあげながら馬車は峠を突き進む。
町を出る前にジェニーに言われた通り、二つ目の峠辺りから急に魔物が数を増していった。
大きな蝙蝠、腐敗した双頭の犬、石のように硬い皮膚を持ったガーゴイル。
そしてライアの過去話にも出てきたコボルトにゴブリン。
多種多様な魔物に襲われたが、遠距離の得意なクロエと楓が、やはりここも連携しつつ移動中の馬車から敵を蹴散らした。
クロエが魔法でまとめて腐食させ、楓が餓鬼霊障で魔物を食わせたと思えば。
楓が風遁で敵を切り刻みながら巻き上げると、クロエがモズの早贄みたく土属性でそれらを串刺す。
途中から楓のMPが心配だからと休ませた後も、ほぼすべての魔物がクロエの魔法によって消し飛んだ。
ロクサリウム王家の紋章リングは本当に便利だな。なにせ消費MP半減なのだから。わしにもあれば、ワロスブレイク二発撃てるのになー。
まあ、羨んだところでどうしようもないのだが。
仲間の活躍のおかげで、そうして無事峠を五つ越えたわしらは、広大な平原の先にある小高い山を視界に捉えたのだった。
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