第63話 作戦会議
玉藻の家で一泊した翌日。
わしらは二人に一先ずの別れを告げるため、庭に集っていた。
凛と佇む玉藻と、その横顔を眺め居並ぶ楓。二人を見ているだけで微笑ましく、またなんだか面白くて笑ってしまう。
――と、左右からジトッとした視線を感じ振り向くと、ライアとソフィアが呆れ顔でわしを挟んでいた。
「まーたニヤけてんのか、おっさんはよ」
「相変わらずイヤらしいですわね」
「んなっ! わしはニコニコしていたのだ! そんなにいつもスケベ心を露呈しとらんぞ?」
「勇者さんなら、どっちも変わらないよ」
な、なんと! ライアかソフィアならまだ分かるが、クロエがそのセリフを引き継ぐとは……。とうとうついに反抗期なのか? そうなのか?! って、前にもこんなことがあったような。
とにかくだ! わしは咳払いで体裁を繕う。
「……ごほん。まあなんだ、二人とも世話になったな」
「なに、それはこちらの台詞じゃ。百鬼夜行を止められたのは、お前たちのおかげじゃからな」
「オジサンたちに頼んで良かったね、お師匠!」
うむ、そうじゃな――言って微笑む玉藻。
楓を見返していたその優しい目が、物悲しげにわずかに垂れたことに、楓はどこか不安そうに瞳を揺らす。
小さく吐息をつき玉藻は体を向けると、楓の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「楓、お前はこの者たちについていけ」
「えっ、それってまさか、――」
まさか勘当の現場を見ているのか? 感動ならまだしも、家から追い出すような酷いことを――。と、場の空気がわずかにざわりと騒いだのも束の間。
玉藻が楓の言葉を遮り否定するように首を左右に振ったため、わしらは何か考えがあってのことなのだろうことを察した。
「楓は忍じゃ。諜報、隠密、それに妖気に対する防御の術は、この中で一番優れておる。お前の技術が大江戸で必要になることもあるかもしれんからの。じゃから、お前は皆と共に行け」
確かに玉藻の言うことは一理ある。
力が戻ってはいないとはいえ、酒呑童子の術を完全に防いだ忍術は正直心強い。
しかし――。
わしの脳裏に、昨夜の玉藻の涙が浮かんだ。楓が幼い時からずっと添い寝していたこと。離れられなくなったと口にした時の微笑。
楓もそれを想ったのだろう。
「……お師匠はそれでいいの? またしばらく、眠れないんじゃない?」
「私のことは心配するな。昨夜少しは充填したからの。一週間程度ならまたもつじゃろ」
やわらかく笑む玉藻を、楓は不安そうに見ていた。
一応、とりあえず憂慮の一つはクリアと言っていいのだろうか。
しかし、オロチとの戦闘で楓に危険が及ぶかもしれん。いや、わしがなんとかして庇おうとは思うが、アダマスの盾では心許ない。まさか術に効果がないなど、誰が想像出来ただろう。いや、説明にも魔法のことしか書かれていなかったがな。
傷付くかもしれんことまで考えが至らない玉藻ではないだろう――だが、
「玉藻よ、オロチとの戦闘で楓に危害が及んだらどうする?」
「そこは勇者じゃろう、お前がなんとかせい」
わ、わしに丸投げしてきおっただとッ!? いやまあ、端からそのつもりだが。
「いや、いまのは少々言い方が悪かったな。別にお前にすべて任せるという意味ではないのじゃ」
言いながら、玉藻は着物の帯からなにやら紙を取り出した。
それはいつぞや楓の使役した式神、その式札のようになにか模様が描かれている。
その紙を五枚ずつ、楓以外のわしら四人に渡してきた。
「これは?」
「妖術の威力を減衰させるための護符じゃ。昨晩夜な夜な内職に勤しんで描いた、私の妖力入り直筆のものじゃぞ」
聞くところによると、この護符は相手の妖気に対して手に持って示しても良し、装備品に貼り付けてもその効果が適用されるという。
ということはつまり、ここじゃあまり役に立たないアダマスに貼り付ければ、ある程度術に対する防御を得られるということだ。
これなら女子をしっかりと庇えるやもしれん!
「……しかし、それなら酒呑童子の時に渡してくれてもよかったんじゃ」
「あやつの時はまだ力も戻っておらんし、楓が付いていたからの。そこまでの心配はしていなかったのじゃ。それにあの時はわらじを編んでいたから、護符まで気が回らなかったのじゃよ」
なるほど。後から聞いた話だが、あの韋駄天のわらじは玉藻の妖力を編み込むらしいから、作るのにある程度時間がかかるのだという。
しかし、七足も編むまでに気づいてもいいとは思うが……。楓のことで頭が一杯だったのかもしれんから、そこを指摘なぞ出来んがな。
「じゃが、オロチ。あやつは私にも得体が知れん。用心に用心を重ねておくという意味でじゃ、お前たちに渡しておく。これで楓の負担も減るじゃろう」
「うむ、そういうことなら分かった。玉藻の護符が使えるのなら怖いものなしだろうからな。それに、わしらとしても仲間は多い方がいい。楓のことは任せてくれい」
「そうだな。あたしらを欺く尾行の達人なら、隠密の任に持って来いだろうし」
「ええ、あの土遁もかなりの防御能力だったしね」
「心強い仲間は、多ければ多いほど頼もしいから」
わしらの力強い頷きに、玉藻は安心したように口元を緩めた。
楓に向き直ると、その肩をポンと叩く。
「楓、皆を助けてやれ。お前にしか出来ないことがある」
「お師匠……。分かったよ。きっとオロチを倒して、ジパングに平和を取り戻すから!」
「うむ、私はお前の帰りをいつまでも待っているからな。――行ってこい!」
そうして快く送り出されたわしら。
控えめに手を振る、寂しさを押し込めているような玉藻の笑顔が印象的だった。
楓を無事に玉藻の元へ帰すため、そしてジパングを救うため、わしは改めて気合を入れ直したのだ。
――グリフォンの尾毛を使い、津島港へと戻ったわしら。
相変わらずここは廃村模様を呈している。しかし、それもオロチを倒すまでのこと。わしらは一路、東海道を東へ向けてひた走った。
途中、点々と寒村で宿を取りながらも移動し続けること二日。ついにわしらは、大江戸を視界に捉えたのだ。
小山の台地から見下ろすその距離、およそ一キロくらいだろうか。
玉藻の家のように白い塀で囲われた、広大な町のようだった。
「あれが大江戸か……『大』と付くだけあって大きいな。グランフィード以上はあるか? ロクサリウム程はなさそうだが」
「頼むから今度は気絶しないでくれよ、おっさん」
「うぐっ。苦い過去を思い出させおってからに」
呆れ口調のライアを横目で恨めしげに見やる。
グランフィードで頭を殴られたことが懐かしく感じるが、しかし今はそんなことを回想している場合ではない。
「あのひと際高い城の天守に、焼餅――オロチがいるよ」
楓が指で示す先を目で辿ると、ここからでもよく分かった。
広い敷地の中央。段々に盛られた台地に入り組むように築かれた城壁。その中心の頂に白壁、黒い屋根の城が天に突き出していたのだ。
わしは決戦の場を一人想像し、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「あそこにオロチが……」
「そういえば。以前聞いた話じゃあ、オロチは夜中にどこか行ってるような節があったよな?」
「たしかに、楓がそんなこと言ってたわね」
わしらは楓に向き直る。
楓の瞳は天守を見つめたまま細く研ぎ澄まされていた。
敵と認識したならば容赦しない忍の目だ。相変わらずギャップが激しいな。
楓は表情を素に戻し静かに頷くと、「アタシも又聞きなんだけどね、」と前置いて言った。
「とある遊女が夜の十二時、決まってある居酒屋で逢瀬を重ねてたらしいんだけど。その女性がいつまで経っても男が来ないからって心配になって、付近を探したんだって。そしたら偶然焼餅の姿を見かけて、松明の灯りに揺れる影が蛇みたいだったって、居酒屋の店主に話したらしいよ」
「楓はその店主に訊いたのか?」
「そっ、」と小さく頷いた楓は表情を険しくさせると、「――二人は死んじゃったらしいからね」と声を低めた。
「死んでるって、どうして?」
クロエは驚いた表情をして疑問を口にする。
「たぶん、オロチの姿を影だけとはいえ見ちゃったからじゃないかなー。おそらく真相を確かめるために深追いしたんだろうね。後日、川に上半身を喰われた男女の遺体が浮いてたって、居酒屋の天守が言ってたよ」
遺留品の簪から、その遊女であることが確認されたらしい。また、男が腰に佩いていた刀から、店主の証言もあり遊女の逢瀬の相手であると判断されたそうだ。
「とすると、夜中に尾行するのは危険だな。もしバレた際に攻撃されるのなら、町中で騒動を起こせば町人にも危害が及ぶかもしれんし」
「あたしもそう思うぜ。ヤバそうなにおいがプンプンする」
「なんとか昼に城へ潜り込んでオロチを叩くか……」
「でも、城の中って警備厳しそうな気がするよ」
ああでもないこうでもないと作戦を練っているところ、「――それは止めた方がいいね」と楓。
「なぜだ?」
「城は五人がまともに戦えるほどの広さがないからだよ。城を吹き飛ばして更地にするっていうなら別だけどね」
楓はクロエに目配せしながら言った。
まあ、クロエの高位魔法で吹っ飛ばすのも一つの手段だろうが。
もともと餅持という殿様の居城だ。大江戸の象徴でもあるだろうその城を、更地にするなどあってはならんだろう。
しかし影を見ただけで攻撃されるとなると、尾行するにもタイミングというものが重要になってくる。少なくとも、どこに行くのかだけでも分かれば……。
――と、楓が急に伸びをしながら言った。
「やっぱここは、アタシが隠密で尾行するしかないっしょ」
「なにっ?! それは危険だぞ、楓」
「どこ行くかだけ分かればそこで叩けるし、お師匠にもアタシにしか出来ないことがあるって言われたしねー」
「しかしだな、お前さんを危険に晒すわけには……」
「オジサン、ギャルなめないでよね」
いや、その適度に肉付いた美味しそうな太ももなんかは実に舐め回したく――って違う違う。マイサンも反応するんじゃない!
わしは頭を振ってエロい思考を無理やり払拭した。
だが、動向を探らなければいつまで経っても倒すことは叶わんだろう。
時に危険に身を投じなければ得られない物もある、と絵本の脇役が言っていたし……。わしがその任を代われれば一番良いが、わし隠密なんて出来んし。
視線を下ろし、丸い腹部を見て嘆く。
さすがにこの体型じゃあなあ……。
「安心しなって、オジサン! アタシこう見えても伊賀の上忍の娘だからさ」
「上忍って……あたしらでいうところの、聖クラスかよ」
「聖クラス?」
訊ねると、剣を極めた者には『剣聖』。拳闘を極めた者には『拳聖』。そして魔法を極めた者には『賢聖』と呼ばれる、最上位のクラスがあるのだという。
そういえばクロエは以前、賢聖を目指していると言っていたな。
しかしなるほど。忍者のクラスでいう上忍とやらが、それらに当たるということか。
玉藻もいつの間にか忍術が上達していたと言っていたし、それは楓の血筋によるものなのかもしれんな。
表情はいつもと変わらない楓。しかしその眼差しは力強く、自分に任せろと目で語っているようだった。
わしは逡巡し、大きく確かに頷いた。
仲間を信じるのも勇者の役目だ。それ以前に、わしは楓を信じている。楓にしか出来ない仕事なのだ、ここは任せ頼るしかないだろう。
「分かった。だが気をつけるのだぞ。楓になにかあったら、わしは玉藻に顔向け出来ん」
「大丈夫、みんなに心配はさせないよ。深追いもしないから」
言いながら、楓は手のひらサイズの巾着袋をこちらに差し出した。
「これは?」
「匂い袋。それがあれば、アタシはオジサンたちの元へ正しく帰れるってわけ」
鼻に近づけて嗅いでみるが、大して何も匂わない。
強いて言うなら、楓から香る花らしき香水が微かに匂うくらいか?
「これは本当に匂い袋なのか?」
「まあアタシにしか分かんないヤツだからさ、不安がらなくて大丈夫だよ」
「む、そういうことか。分かった、大切に持ち歩こう」
「お願いね、オジサンっ!」
不意にパチリとウインクなぞされ、またしてもトキメイタ。これは恋だな、うむうむ。訳知り顔で頷き、匂い袋を襟元に忍ばせた。
「んじゃあ話もまとまったところで、大江戸に乗り込むとするか!」
「ええ、オロチの野望を叩き潰すために」
「ジパングの平和を取り戻すために」
「よし、では行くぞ!」
そうして。
わしらは小山を下り、大江戸の町へ駆けだしたのだった――。
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