第64話 闇夜の尾行

 大江戸入りしたわしらは、一先ず城下を方々見て回ることにした。

 いままで巡った各町村との相違や現状を把握するためだ。

 城下と一言に言っても、その様子はエリアごとにさまざまで。大江戸の郊外は廃屋じみた家々にみすぼらしい風貌の人々が多くいて、中央の城へ向かうにつれて徐々に町並みも豪華になっていくといった具合だ。

 中心街は特に、艶やかな芸者や長着に袴を着た人々が多く目立っている。


「こうして見てみると、すべての人間が焼餅……オロチの圧政に苦しんでいるというわけではないようだな」

「そりゃそうだろ。みんながみんな虐げられてたら町は成り立たねえしな」

「それに暴動が起きかねませんし。ある程度貧富をコントロールして、外側の人々が暴れても、甘い汁を啜る内の人間にそれを抑止させる目的もあると思いますわ」


 だから城に近しい場所に住んでいる人間たちには、それ相応の金や物資が支給されていて裕福なのだろうことをソフィアは語った。

 現に、奉行所なる役所を通りがかった時、『貧民街の連中には悪いが我慢してもらうしかねえな。この生活は手放したくねえし』『敷かれた圧政なんか俺たちには関係ないしな。適当に連中を取り締まってればいい生活が出来るんだ。焼餅様様だぜ』なんて会話が聞こえてきた。

 ということはまあ、そういうことなのだろう。


「でも、その歪な圧政のシワ寄せが全国に広がってると思うと、なんだか許せないね」


 クロエは眉間にイラ立ちの皺を微かに刻み、高い場所にある天守を睨めつけた。

 貧しい人々が暴れても戦う力がない。中央に存在する奉行所の役人や、町中を歩き回る侍たちは武器持ちだ。暴動を起こそうにも彼我の戦力差が存在する。


「弱きを助けるのもまた勇者の役目、か。それでなくとも放っておけんな。早急に解決してやらねば」


 クロエに同調し首肯すると、突然楓に肩を叩かれた。


「オジサン、オロチが動くのは夜だよ」

「うむ。では、夜の帳が下りるまで時間を潰すとするか――」


 わしらは夕刻まで町を探索し、それから夜中までやっているという例の酒場へ赴くことにした。

 やはりというかなんというか。情報収集も兼ねた町探索での聞き込みでは、中央部に住む人々の中に焼餅を悪く言う者は誰一人いなかった。


 酒場へは逢魔が時に到着した。

 赤い空は不気味な闇色に追いやられ、この先が不安になるような凶相みたく思えた。しかし町に灯る松明のやわらかな橙色が、鬼胎を抱くそんな心をわずかに和ませてくれたのだ。

 その酒場は大江戸の西に位置する、中央部と貧民街のちょうど間くらいにある酒場だった。

 大きめの窓からチラリと中を覗くと、微妙な立地だからか客の入りは多くないようだ。カウンター席と三つあるテーブル席に座っている客はたった二人。冷酒をちびちびと傾けて静かに飲んでいる。

 入口の扉を開けて中へ入ると、店主の男は真っ先に楓を見つけた。


「――おや、こいつは楓ちゃんじゃないか、いらっしゃい。今日はまたずいぶんと大人数だね」

「店主のオジサン、久しぶり! この人たちはアタシの仲間でさ。ちょっと何時になるか分かんないんだけど、とりあえず夜中まで居させてあげてくんないかな?」

「そいつはいいけど、夜中までって……、まさか危険なことに首突っ込もうとしてるんじゃないだろうね?」


 店主は口元に手を当て、小声でそんなことを訊ねてきた。

 楓はそれに大きく頷き、「よくわかったね!」と快活に笑ってみせる。

 驚愕しだらしなく口を開けて呆けていた店主は、ハッとするとわしらを順に見ながら言った。


「もしかして、連れてきたこのお仲間さんたちっていうのは――」

「そうそ、オロチを倒してくれる勇者のご一行だよ」

「あんたたちが、あの噂の……」


 店主は懐疑的な目をしていたが、ややあって「楓ちゃんが言うなら間違いはないんだろうな」と呟いた。

 また太巻きだのブロッコリーだのと悪口を言われるものだと身構えていたのだが、そんなことはなく拍子抜け。

 だがわしは真面目な顔をして「うむ」と頷いた。


「それで店主よ、楓が尾行する夜半の間、わしらをこの店に置いてくれんか?」

「ああ、そういうことなら分かった! 楓ちゃんが信じた人たちなら、俺もあんたたちに賭けてみることにするよ」


 快く承諾してくれた店主。

 話がまとまる頃。窓向こうの空はすっかり闇に染まり、ついに夜が訪れたのだ。


「そろそろ城付近を張ってないと見逃しちゃうから、アタシはもう行くね!」

「楓よ、くれぐれも無茶だけはするでないぞ」

「だいじょぶだいじょぶ! オジサンが匂い袋持っててくれる限りは、心配しなくていいよ。ってか、なくさないでね?」

「わしがお前さんの香りの付いたものを手放すわけがなかろう。その点は安心するのだ」

「ありがと! 持っててくれたらたぶんいいこと起きるからさ」

「うむ、楽しみにしておこう」


 そして楓は、「んじゃ行ってきまーす!」と元気よく酒場を飛び出した。

 わしはその背を見送り、無事を祈りつつも――『いいこと』を妄想しながら楓の帰りを待つことにしたのだ。



 酒場を出た楓は、大江戸城の近くに生えている松の巨木を登り、そこから地上を俯瞰した。常人では夜闇の中、数十メートル下の様子を目視することなど叶わないが、楓ならそれが出来るのだ。


「さーて、目標はどこから出てくるのかなっと」


 以前聞き込んだ話などから、なんとなく焼餅の通る動線は予想できているため、そこを重点的に見張る。

 張り込みを初めておよそ二時間。夜も深くなり、町から聞こえていた声も徐々に静かになりだす頃。

 城の中庭に動く人影を視認した。

 楓は念のため、道具袋から望遠鏡を取り出して確認する。


「エビ天みたいな真っ直ぐの髷に白塗りの顔、おちょぼ口みたいに塗った紅、豪華な衣装。……間違いない、あれ焼餅だ」


 その人影が中庭から西門を飛び越えたのを見、楓は急いで地上に降りた。

 門塀を伝い角から焼餅が出た西門の方を覗くと、闇色の靄を引きずりながらそのまま西に向かって歩いていくのが見えた。


「西……ってことは、目的地は森の方?」


 大江戸の西には広大な森が広がっている。道に迷って命を落とす者も少なくない深い森だ。

 一抹の不安が脳裏を過ぎったが、楓はすぐさま心配することはないと気を取り直す。オジサンに匂い袋は渡してきた。いまはそんなことを心配するより、自分の任務を遂行しようと。


「――アタシに任せてくれたんだから」


 目を閉じお師匠の顔を思い浮かべ、楓は尾行を続ける。

 見つからぬよう一定距離を置いて焼餅の後を付いていくと――案の定、焼餅は町を出、そのまま霧に包まれた樹海へと入っていった。


「この森の中に何があるんだろ……」


 酒呑童子を倒したことで百鬼夜行は止めた。そのことをすでにオロチが知っているとしたら、ジパングを完全に支配するために別の手を考えるはず。

 それも尾けていけば分かることか。楓は気を引き締め、気配を殺しながら隠密を続けた。

 朽ちた倒木を踏み越え、時に木の裏に張り付き、また樹上に隠れて尾行すること数十分。

 少し前を行っていたはずの焼餅が、ある場所で唐突に姿を消した。

 楓は見失ったのかと慌て、急いでその場所へと走る。辺りを見渡してもただの森、別段おかしな所は見当たらず焼餅の姿も見つからない。

 ふと足元に目を落とすと、半径五メートルに渡って地面が露出していることに気づいた。そして薄っすらとだが、分割線が長方形に刻まれている。


「もしかしてこれって――」


 周囲をよく観察してみると、一本の朽ち木が目についた。その幹には樹皮が不自然に捲れた箇所があり、小さな取っ手らしき棒が備え付けられていた。

 楓は取っ手を握り、試しに引いてみる。

 すると急にゴゴゴと何かが動く音がした。先ほど見つけた地面の分割線を見やると、一段下がりスライドして、中から地下へと続く階段が現れたのだ。


「こんなところに階段があったなんてねー。悪巧みする奴はなかなか凝ったことを考えるもんだね」


 なんの疑いなくその階段へ近づき、下りようとした刹那、


「――――ッ!?」


 急に長い得物が飛んでくる気配を察知し、楓は咄嗟に近場の樹上へ逃れた。

 背負った忍刀に手をかけつつ、油断なく声を荒げる。


「誰ッ!?」

「……ホホホホー、麿の攻撃を避けるとはなかなかやるでおじゃるな」


 高めの声を発しながら対角線上の木の影から姿を現したのは、顔面白塗りの男、焼餅だった。

 今しがた楓の居た地面に刺さった得物を巻き取るようにして手元へ引き寄せると、ニタリと不気味な笑みを浮かべる。暗がりでもはっきりと分かる。焼餅が手にしている得物、それは蛇で、赤い目を闇の中で光らせシャーッと威嚇していた。


「どうやらここが、オロチのアジトで合ってるようだね」

「其方はなに奴でおじゃる? なぜ麿の後を尾けていたでおじゃるか? 返答次第によっては、ここで死ぬことになるでおじゃるよ」


 焼餅の声音が一層低くなる。体からは黒い妖気が噴き出し、目の色も赤く変色した。


「うん? よく見ると其方、愛らしい顔をしているでおじゃるな。麿の夜伽をすると言うのなら、助けてやってもいいでおじゃるが?」


 楓の容姿に鼻の下を伸ばした焼餅は、ニタニタと下卑た笑みを口元に刻む。

 それを不快そうに鼻先であしらうと、楓は鋭い眼光を飛ばした。


「冗談は顔だけにしなよ、キモイよ?」

「……交渉決裂、でおじゃるな」


 焼餅の目が一層怪しく輝き出すと、彼の背後に漂っていた黒い靄から巨大な蛇の頭がぬっと現れた。口を開ければ十人は軽く飲み込めるほどの大きさだ。

 内心ヒヤリとしながらも決してそれを表に出すことなく、楓は飄々とした調子で口にする。


「それにアンタみたいのに抱かれるくらいなら、全然オジサンの方がいいしさぁ」

「おじさん? 麿よりもいい男なのでおじゃるか?」

「そりゃね。ま、アンタはそのオジサンに倒される運命だろうから、会うその時を楽しみに待ってなよ」


 ニッと不敵に笑うと、楓は懐から白い玉を取り出した。

 焼餅は気に食わなさそうに表情を歪めると、


「生意気な女でおじゃる! 少々もったいないがここで殺してやるでおじゃるよッ!」


 袖からも無数の蛇を出現させ、それを一斉に樹上の楓に向けて放つ。

 障害になっていた枝葉はあっという間に切断され、蛇たちは瞬く間に間合いを詰めてきた。


「煙玉!」


 叫びながら持っていた玉を地面に叩き付けると、辺り一帯を煙が覆う。楓の姿をくらませた白煙は微かに花の香りがした。

 焼餅の放った蛇たちが楓のいた枝を次々襲い、千々に砕けた木片がバラバラと地面に降った。

 しばらくして煙が晴れると――そこにはすでに楓の姿はなかった。


「……麿を侮辱した罪は死をもって償わせるでおじゃるよ、おじさんとやらもろともでおじゃる」


 それだけを言い残し、焼餅は階段を下りて行った。



 楓が焼餅の尾行に出てから早三時間ほどが過ぎた。夜十一時過ぎ。

 いささか帰りが遅すぎると思うのだが……。楓は無事なのだろうか。

 不安からか喉が渇く。水を一口飲もうと、テーブルの上に置かれたグラスに手を伸ばしたところ――


「うん?」


 わしの周辺に突如として、どこからともなく煙が噴き出した。

 微かな花の香りは匂い袋と同じだ。

 まさか匂い袋が破裂でもしたのだろうか? 襟元に収めた匂い袋を確認しようとした矢先――

 もくもくと煙の勢いがさらに増し、わしは思わず「ゲホゲホッ!」とむせかえる。

 この状況にわけが分からず混乱していると、椅子に座るわしの膝にふと重みを覚えた。その瞬間、煙は弾けるようにして勢いよく霧散し、膝の上にはいつの間にやら楓が対面で座っていたのだ。


「か、楓?!」

「えへへー、ただいまオジサン!」

「……お前さん、本物の楓か?」

「失礼だなー、正真正銘本物だよ」


 少しムッとした表情でわしを軽く睨む楓。うむ、この可愛さは楓に間違いない。

 いやそもそも、わしが見間違えるはずはないがな。

 それにしてもいきなり楓が現れるとは思わなかった。


「いったいどうなっとるんだ。なぜ楓がいきなり……」

「仕掛けは簡単。オジサンに渡しておいた匂い袋だよ」

「これか」


 わしが襟元に入れておいた匂い袋を取り出すと、楓はその理由を教えてくれた。

 出戻り草と呼ばれる植物の花を粉にして作った匂い袋は、同じくその花を用いた煙玉を使用することで、匂い袋のある場所まで瞬時に帰還出来るという二つでセットのアイテムなのだそうだ。


「なるほどな。だからわしに預けていたわけか」

「そういうこと!」


 ニコニコ顔の楓。

 わしは無事であることに安堵しつつも、楓が酒場を出る前に言っていた言葉を思い出していた。『持っててくれたらたぶんいいこと起きるからさ』

 それというのはつまり、この状況のことなのかもしれん。

 瞬時に妄想力を働かせると、この状況はとてつもなく惜しかったかもしれんことに気づいた!


「ああーッ!!」

「うるせえなおっさん、いきなりデカい声出すんじゃねえよ。何時だと思ってんだ」


 思わず叫ぶと、ライアにしかめっ面で叱られた。

 が、いまはそんなことを気にしてはおれん!


「いやしかしだな。もしもわしが風呂に入っていて全裸だったとする。そこへ楓がこのようにして対面で現れたとするならば……」


 たしかエッチな本で読んだことがあるぞ、対面なんとかという例のアレだ。

 もしかしたら入っていたかもしれんのに!

 眉尻を垂れていると、楓はくすりと笑う。


「オジサンが考えてることって手に取るように分かるね」

「いや、手に取るならぜひわしのマイサンを――」

「残念だったねー」


 そんなヒマワリみたいな笑顔で残念などと……。

 一人肩を落としていると、三人がテーブルに近づいてきた。


「けどこんなこと言ってるけど、おっさんもかなり心配してたんだぜ。水なんか三十杯くらいおかわりしてたしな」

「そ、そんなことはないぞ! 信じて待っていただけでな……」

「でも本当、楓が無事でよかったわ」

「うん、見たところ無傷みたいだしね」


 うむ、その点はわしも同意だ。楓が傷物になどされては玉藻にも申し訳ないしな。


「それで、オロチの潜伏先は探れたのか?」


 照れるなよ――と絡んできていたライアはわしを弄ることをやめてそう訊ねると、楓はそれに静かに首肯して言った。


「オロチは西の樹海にいるよ。入る前に襲われたから階段の下までは確認出来なかったけど、たぶん地下に洞窟があるんだと思う。一応挑発しといたから、アイツは迎え撃つために待ってるだろうね」

「なかなか抜け目ないな」

「アタシも忍だからさ」


 ライアにウインクすると、楓はそっとわしから離れた。

 ステテコであったなら肢体のやわらかさを堪能できただろうに。鎧はカチカチで本当につまらん装備だな。なんの恩恵もない。

 だが、楓が危険を冒してまで得てくれた情報だ。多大な感謝を胸に抱き、わしはその期待に応えるまで。


「そうと決まればさっそく向かうか!」

「おっさん、寝なくていいのか?」

「逆に聞くが、お前さんたちは大丈夫なのか?」

「私たちは大丈夫ですわ、まだ若いですし」

「勇者さんの方が心配だよ」


 おお、女子たちがわしの身を案じてくれている。実に心優しき女子たちだ。

 だが、善は急げという言葉もある。それに、さっき楓を目の前にしてドキドキしたからな。眠気なぞ吹き飛んでしまった。わしだから出来る眠気飛ばしだろう。


「なに、心配はいらん。わしとて勇者だからな。一国の危機に、呑気にぐーすか寝ておれんよ」

「まあ、おっさんがいいならいいけどよ」

「うむ、皆ありがとうな」


 皆で装備とアイテムを確認し、いざ酒場から出ようとしたところ。店主が背中に声をかけてきた。


「あんたたちの無事を祈ってるよ。帰ってきた時は、またここに寄ってくれ。盛大に宴を開こう」

「そいつは楽しみだ、無事に返ってくることを約束しよう――」


 そうして店主に別れを告げ、わしらは酒場を後にした。

 目指すは西の森、地下洞窟!

 ジパングの平和はわしらにかかっている、気を引き締めていかねばな!

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