第62話 風呂イベ?! ――月夜の夜話

 鬼の首塚を後にしたわしらは、玉藻の家への帰途へ着く。

 韋駄天のわらじは本当に便利だ。半日はかかるだろう道程を、数時間に短縮してくれるのだからな。これがジパングだけでしか効果がないというのは残念でならない。

 京に着く頃にはかなり陽も傾き、西の空が徐々に橙色を帯びていく。

 渡月橋を渡りながら眺めた夕に染まる嵐山は、胸の奥の懐古の情をそっと包み込んでくれるような、そんな優しい郷愁を感じさせた。

 山の麓の竹林を奥へと進み、やがて見えてきた大きな門をくぐる。すると屋敷の庭で、藍と白の装束に身を包む玉藻が池を眺めて佇んでいた。

 それを見つけた楓は、尻尾を振るわんこのように駆け寄っていく。


「あっ、お師匠ただいまー!」

「――帰ったか」


 玉藻は抱きついてきた楓の頭を愛おしそうに撫でる。楓には耳も尻尾もないが、なんだか親狐と子狐を見ているようで微笑ましい。

 一通り撫で終わると、玉藻は楓のサイドテールを弄りながらわしらを順繰り見て言った。


「力が戻っていないとはいえ、あの酒呑童子を倒すとは。お前たち、見かけによらずなかなかやるのう」

「ふふん。まあわしは半分くらい死にかけたが、なんとかな」

「それは難儀じゃったな。じゃが、おかげで西は落ち着きそうじゃ、礼を言う。――お、そうじゃ、今日は私の家に泊まっていけ。戦いで疲れたじゃろう。今夜はゆっくりしていくがいい」

「うむ。そういうことなら、甘えさせてもらおうか?」


 女子たちに尋ねると、皆一様に頷いた。

 風呂は露天だと聞いた女子たちのテンションはさらに上がり……わしのテンションも、別の意味でむくむくと起き上がりそうになった。これはめくるめく展開に期待せざるを得ない!

 キャッキャと騒ぐ女子たちを眺め、一人鎮めるのに必死だった。

 屋敷へ入る玉藻の後を付いていき、そうしてわしらは、一晩彼女の家に世話になることになったのだ。


 夜の青に夕の赤が差す黄昏時。

 夜の訪れを喜ぶ虫や獣の鳴き声がどこかから聞こえてくる、実に落ち着いた時間帯だ。

 大部屋から眺める庭園と、塀向こうの竹林にと。景色は文句なしに美しい。高級旅館とやらにも引けを取らないだろう。……まあ、行ったことも見たこともないが。

 と、なにやら女子たちに動きがあった。


「さてと、夕飯前に風呂でも入らせてもらうかな」

「そうね、お先にいただこうかしら」

「私、露天風呂って初めてだから楽しみ!」


 談笑に花を咲かせていた女子たちはそう言って、急に席を立つ。

 楓の淹れたお茶を飲み干すと、玉藻も同じように立ち上がった。


「では皆で入るか。案内しよう、こっちじゃ」

「み、皆っ?!」


 襖を開けて部屋を出ていく玉藻に続き、クロエ、ソフィアも出ていった。

 皆という言葉に一人高まり、「これが風呂イベかッ!」ササッと立ち上がってわしも付いていこうとしたところ――


「おっさんは後だ」


 と、ライアが童子切の鞘尻で眉間を押さえてきたため、それ以上どうあっても前へ進むことが出来なくなる。


「なぜだ? 玉藻は皆でと言っていたぞっ?」

「少し考えれば分かんだろ。あれは女同士だしみんなで入ろう、そう言ったんだよ」

「だったらわしもパンフィルのカチューシャを――」

「あれでどうにかなると思ってんのか? エルフの里でもバレてたろ。それに、それ以前の問題だぜ」

「……わしいつも仲間外れ」


 男だから諦めろ――、項垂れるわしにそう言い置いて、ライアは敷居を跨ぎ襖を閉めた。

 女子たちの声が遠くなっていく。

 しばらくし、部屋に静寂が訪れた。自然の音が妙にうるさい。

 一人残されたわしはただ立ち竦む――だけではない! めげてなるものか! わしは勇者だからなっ。

 鼻息荒く襖を開け放ち、わしはずんずん廊下を進む。床板を一歩一歩確かに踏みながら夢想するはピンク色の妄想。

 皆に体中を洗ってもらったりなんかして、不意に事故ってツルンとヌポンとエトセトラエトセトラ……。


「ふ、ふふふ、うはははははっ! 待っておれよわしのハーレム!」


 ズドドドドと廊下の角のインを責め肩で風を切り、女子の匂いをたどって先へ行くと――


「あれ、オジサン、そんなに急いでどうしたの?」

「おっ、これは楓ではないか!」


 湯浴みセットを入れた風呂桶を抱えて前を行く、楓にばったり出くわした。

 いつものサイドテールではなく、後ろで纏め上げているスタイルでなんだか新鮮に映る。見返り美人と言っても過言ではないだろう。


「お前さんは今から風呂か?」

「見ての通りだよ。んで、オジサンは何しにどこ行くのかな?」

「なに、ちょいとわしの妄想を叶えに露天風呂へな」

「覗き?」

「いや、皆と一緒に入るのだ!」


 そう馬鹿正直に口にすると、「あははっ!」と楓は急に腹を抱えて笑い出した。

 ややあって呼吸を整えると、目尻の涙を拭いながら、


「オジサン正直でいいねー、面白いよ、うん面白い」


 そう頷いたので、わしは理解を得られたのだと前のめり「では――」と先を急ごうとしたところ――


「でも止めた方がいいかなー。以前覗きに来た町の人がお師匠にやられて酷いことになってたからさ」


 と、呆れ口調だがどこか釘を刺すように言われた。


「ひ、酷いこととは……?」

「さあねー、アタシの口からは言えないかなー」


 酒呑童子と同じく三大妖怪の玉藻。

 力の戻っていないあの鬼ですら、わし一人ではどうにもならん強さであることを考えると、玉藻もそれと同じくらいかそれ以上の力を有していると思った方がいいだろう。

 とすれば、ここで無茶なことをすれば命を散らすことになるかもしれんし、下手をすれば好感度も下がるだろうか……。

 うーむ。しかし――、女子と風呂に入ってみたいものだなぁ。

 諦めかけの未練たらたらが表情に出ていたのだろう。

 楓は、「んじゃあアタシと入る?」などと、なんとも魅惑的な文言を口にしたのだ。

 わしは瞬時に顔を上げ、「ほ、本当かっ?」と詰め寄らん勢いで訊ねた。


「まあ冗談だけどさ」


 微笑みながらの無慈悲な一言が耳朶を強打し、わしはがくりと膝を折った。

「んじゃオジサン、またあとでねー」と手を振る楓の尻を眺め、妄想の中で引ん剝くしか出来ない自分を嘆きつつ。わしは、しばらくその場から動くことが出来なかった。


 わしが風呂に入れたのは、それから四十分以上も経った頃だ。

 女子たちが上がった後、それでもしばらく待たされたが。浴場に残る女子たちの芳しい香りを楽しみに待っていたからあっという間だった。

 脱衣所におパンツの忘れ物などないだろうかと期待していたが、そんなことはなくて残念。わしは急ぎ衣服を脱ぎ、風呂場へと駆け込んだ。

 足を踏み入れた露天風呂は、大浴場と呼べるほど大きかった。風呂なぞ二、三十人入っても余裕な広さがある。

 すでに日は暮れ満月が出ており、湯煙と自然の音。そしてたまに聞こえる鹿威しの快音が、この上ない情緒を感じさせた。

 それにしても――


「この広さを一人で入るとなると、かなり寂しいものがあるな」


 女子たちはキャッキャウフフと、洗いっこしたり会話を楽しんだり。

 胸の大きさを直揉みして比べ合ったりしていたのだろうと思うと……。わしがそこに混ざれなかったのは残念至極。

 はぁ~と、深い深いため息をこぼした時だ。キュピピピン! と脳に電気のようなものが走り、わしは閃いた!


「待てよ。女子たちが先に入った、ということは――」わしは煙を上げる風呂を眺める。「あの湯の中に、女子たちがさっきまで浸かっていたということではないかっ!」


 目を見開き、ごくりと思わず喉が鳴ってしまう。

 とどのつまりだ。あの湯に入れば、わしは女子たちに全身くまなく抱きしめられ、触れられたのと変わらないということになる。曲論かもしれんが、そういうこともあるだろう。いや、往々にしてあるというもの!

 そうと決まれば早い。わしは体を綺麗に洗い、くるくるの天パも丁寧に洗った後、勢いよく湯船にダイブした!


「うははははーっ! これはいかん興奮するなー! わしのマイサンも元気!」


 スイスイーと泳いでみたり、水の中に潜ってみたりなんかして楽しむ。

 女子たちにいろいろ触れられていると思うと「ハァハァ」と次第に息も荒くなり――終いには、あまりにも興奮し昂り過ぎて抜いた。久しぶりで思いのほか出てしまったが、ちゃんと掃除しておいたから大丈夫だ。


 渡された浴衣に着替え、ほっこりしツヤツヤした顔をして浴場から出ると。

 夕食の支度だろう。同じく浴衣姿の楓が配膳盆を抱え廊下を歩いていた。

「楓、良い湯加減だった」いろいろ伏せてそう感謝を伝えると、

「それは良かったよ。オジサンの為にお湯新しく張った甲斐があるってもんだね!」と無邪気な笑顔が返ってくる。

 あの湯は女子たちが浸かったままのものではなかったことを早々に知り、なんだかひどく空しい気分になった。

 ……世の中そんなに上手くいかんということだな。


 それから玉藻が作ってくれた料理に舌鼓を打った。

 これがものすごく美味しかったのだ。焼き魚に天ぷら、煮物に漬物。炊き込みご飯と吸い物など、その腕前は宮廷料理人と言っても差し支えないほど。

 それを素直に褒めたら、珍しく頬を染め少女のように照れた玉藻。どうやら恥ずかしくなると尻尾で顔を隠すらしい。九本もあるモフモフが束になっていて、面白いことになっていた。

 そしてデザートはもちろん楓の茶菓子で〆。安定の美味さだ。

 皆の貴重な浴衣姿もさることながら、女子たちとわいわい騒ぐ平和な時間に穏やかな日常というものを夢見てしまう。

 世界が平和なら、誰しもがこのような日々を享受出来るのだと思うと、わしの責任というものが非常に重いものだと、今さらながら実感する。


「ん? どうしたんだおっさん、急に黙って」

「食べ過ぎてお腹でも痛くなりましたか?」

「私が魔法で治そうか?」


 心配する声に「いや、大丈夫だ」と首を振り、「お前さんたちの浴衣姿が綺麗だと思ってな、見惚れていたのだ」と告げる。


「そうか? あたしもけっこう和服いけるのかな?」ライアは袖を広げ身を捩り、自身の姿を見ながら呟く。

「そう言って頂けて嬉しいですわ。けど、これじゃあ格闘には不向きなので私には向きませんわね」ソフィアはいつでもすぐ動ける格好でいたいのだけど、今日は特別だと口にする。

「初めてのことだらけだけど、ジパングでの経験は新鮮で楽しいよ。ありがとう勇者さん」クロエはいろんなところでジパングを満喫しているようで。その感謝をわしに伝えた。

 皆も平和なら、死の危険を冒してまで旅などしていないだろう。

 と――、自分が妙に感傷的になっていることに気づき、頭を振って誤魔化した。

 まだまだ旅半ばなのだ。湿っぽい思考はよそう。

 その後は気分を入れ替え、女子たちをからかったりからかわれたりしながら、楽しく時間を過ごした。


 ――皆も寝静まった深夜。

 茶を飲み過ぎたためか尿意を催したわしは目覚めた。

 女子たちの部屋でも覗いてから行こうと思ったが、後が怖そうだったのでやめた。

 教えられたトイレに向かうために外廊下を歩いていると。視界の端で、庭に縦に伸びる不自然な影を捉えた。

 枯れ尾花か? と思いつつ目を向けると、幽玄ではあるが確かに存在する玉藻の姿を見つける。

 どうやら満月を眺めているようだ。

 わしはカラカラと静かに戸を開けて声をかけた。


「こんな夜更けにお月見か?」

「――うん? ああ、お前か」


 月光に縁取られた玉藻の立ち姿は、本当に美しかった。初めてクロエを見た時も感動を覚えたが、玉藻は異色の美を湛えているのだ。

 触れれば掻き消えてしまいそうな危うさの中で、儚くも凛とした華やかさが絶えず湧き立っているような印象を受ける。

 玉藻は視線を空へと戻すと、静かに語った。


「こんな月夜に思い出すことがあるのじゃ。楓と出会った、十二年前のあの日をな――」


 わしは縁側に腰かけると、懐かしそうに目を細める玉藻の横顔を眺め耳を傾けた。


 十二年前。

 玉藻はどこかから聞こえてくる、子供の鳴き声を耳聡くキャッチした。

 また子供が迷い込んだのだろうと思った玉藻は、どうせ親が探しに来るものと考え放っておいた。しかし待てどもそんな様子はなく、半日経って日が暮れても子供はずっとすすり泣くばかりだった。

 仕方なく玉藻は子供を探した。すると竹林の中で膝を抱えて蹲る影を見つけたのだ。身なりはボロボロで、ずいぶんと汚れていた。

 どうしたのか訊ねると、子供は両親が魔物に襲われていなくなったのだと語った。聞けば、子供は伊賀の山中から歩いてきたそうだ。

 親を殺され、命からがら逃げ延びたのだろうと察した玉藻は、子供をとりあえず引き取ることにした。その子供が楓なのだそうだ。


「まさかこの私が、人間の子供なぞ預かることになろうとは思わなかったが……」


 それから一緒に暮らすことになった楓。

 一人で寝ると決まって泣き散らかす楓に添い寝して抱きしめてやると、なぜかいつも泣き止んだため、それ以来ずっとそうしてきたのだという。


「そのせいか、今は私が離れられなくなったがの」


 ころころと愉しげに笑う玉藻の表情は、幸せに満ち溢れていた。

 わしはなるほどと得心する。

 二人の関係が並みならぬものであることは前から感じていたが、そういう過去があったからなのだな。


「しかし、楓が忍の里の生き残りだったと聞かされた時は、私も驚いたものじゃ」

「忍の里。そういえば、伊賀の忍者は有名だな。そんな絵本を読んだ覚えがあるぞ」

「陰陽術のセンスはなく、忍術は知らぬ間に上達していたからもしやと思ったらこれじゃ。面白い娘じゃろう?」

「うむ、そうだな。明るく、そしていい子に育ったな。楓はお前さんに育てられて、きっと幸せだと思うぞ」

「――ん、そうかの。……そうじゃったらいいのう」


 ふっと微笑んだ玉藻の目尻から一筋の涙が流れた。それを隠すように玉藻はわしに背を向ける。


「そういえば、お前は用を足しに起きたのではないのか?」

「ん? おおそういえば。話に夢中で忘れていた! ジパングでは厠と呼ぶんだったか? ちょいと借りるぞ!」

「深夜じゃというのに元気な奴じゃな、場所は分かるか?」

「楓に教えてもらったからな、大丈夫だ。それではな、玉藻」

「ああ、おやすみなのじゃ」


 声がわずかに震えていた。

 一人で静かに泣きたい夜もあるだろう。慮ったわしは玉藻におやすみを言って別れる。

 玉藻は妖怪ではあるが、実に情の深い女子なのだと識った。

 この夜は、わしも優しい気持ちで眠りに就くことが出来たのだった。

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