第61話 熱戦! 酒呑童子

 玉藻から貰った韋駄天のわらじのおかげとあって、スッタッターと野を駆け山を越え――られたのは良いが。

 移動速度三倍といっても皆平等に三倍になるため、必然的に一番足の遅いわし一人が置いてけぼりをくらう羽目になった。

 楓が気を利かせてくれたのだろう。道しるべの青い楓の葉を辿って迷うことはなかったが……。それにしてもわしを置いていくなんて酷い!

 これはもういつかベッドの上で猛抗議してやらんことには気が済まんぞ?

 と、山中の森を突き進みながら、暇だしそんな妄想を始めようとしていたところ。

 鬱蒼と茂る枝葉をへし折らん勢いで抜けた先、大きく岩壁が抉れた洞窟前で待っている皆の姿を見つけた。

 入口の脇には石碑があり、『鬼の首塚』と達筆な文字が彫られている。


「あっ、オジサンやっときたし。遅いよ」

「お前さんたちが速すぎるんだ。というか、楓までそんなに足が速いことにわしは驚いとるぞ」


 感心を口にすると、「本当よ」とソフィアが同意した。


「私よりも足が速いなんて、こんなに驚くこともそうないわ」


 あっという間に皆の姿が見えなくなったため、その様子を見ることは叶わなかったが。ソフィアがそう言うのなら、そういうことらしい。

 しかし残念だな。わしの足が皆ほど早ければ楓に追随し、ひらひらする腰回りの垂れ布から覗くおパンツを見放題だったかもしれんのに! この体型か! この体型がいかんのかっ?! ……まったく、メタボを呪わざるを得んな。

 だが、残念を重ねるようではあるが楓の出番はここまでだ。この先は鬼の頭領が待っている。さすがに危険に晒すわけにはいかんからな。


「楓よ、案内ご苦労だった。お前さんはここまでだ」

「はぁ? オジサン、なに言ってんの?」

「いや、この先は酒呑童子がいるからな。危ないだろう?」

「ここまで来てそれはないんじゃない? どんな鬼なのか一目見てからじゃないと! ていうかアタシだって戦えるし」


 楓はどこからともなく両手いっぱいに手裏剣を取り出すと、それらを岩壁へ向けて一斉に投げた。カカカッと快音を立てて突き立った手裏剣は『鬼』の一字を模っている。


「どう? これでも力不足?」

「いや、確かに凄いとは思うが、相手は鬼の頭領だぞ?」

「でもまだ力弱いって言ってたじゃん? そもそも、お師匠からは戦うなとは言われてないし。まあ心配しなくても大丈夫だって! アタシこう見えても中忍だからさ」

「中忍?」


 自慢げに胸を張ってふんぞり返る楓。

 ライアは「へぇー」と感心した風に声をもらすと、わしに向き直って言った。


「中忍っていったら、あたしらと同じ中位のクラスだぜ。実力的にはそんなに開かない」

「どおりで足が速いわけね。それとクラスの特性かしら」

「仲間は少しでも多い方が心強いと思うけど」


 ソフィアが得心し頷くと、クロエは味方の多さの優位性を語る。

 まあわしも女子は多い方がいいとは思うが、そんなことより。ただの忍者娘だと思っていたら、皆と同じくらいの実力の持ち主だと? 下手したらわしよりも強いではないか。

 なんだか少し複雑な気分だ。


「ねぇ、なんでオジサンがっかりしてんの?」

「自分の力不足をまた痛感してんだろ、そっとしといてやれ」


 なにやら気を遣われているが、そんなことで落ち込んでもいられない。ここから先は気の抜けない戦いが待っているのだ。

 わしは頭を振ってモヤモヤを払拭した。

 それに、危なくなったらわしが守ってやればいい。


「よし、そういうことなら分かった。だが、あまり無茶だけはしてくれるなよ」

「そうこなくっちゃね! 話が分かるオジサンでよかったよ。んじゃいこっか――」


 話もそこそこに、わしらは洞窟内に足を踏み入れた。

 洞窟は狭くて暗い、以前の坑道の経験からそう思っていたのだが。ここは道幅も広く、なにより松明の灯りが点在していて、いい意味で想像を裏切った。

 これも手下の鬼どもの仕業だろうか。こちらとしてはありがたいがな。 


「ところで楓よ。酒呑童子の元への道は分かるのか?」

「モチ! お師匠から洞窟内の地図もらってるから大丈夫。アタシに任せなって」

「それは心強い――」


 それから十数分。

 ただただ直進するだけの無為な時間が続いていた。それに決まって通路左側に転がっている動物の大腿骨を、何度となく目にするのは気のせいだろうか?

 これは何かがおかしい。

 そう思ったのは、どうやらわしだけではないようだった。


「なぁ楓。さっきから堂々巡りな気がするんだけど、どうなってんだ?」

「それ、アタシも思ってた。あれぇーおかしいな。お師匠からもらった地図には分岐する道が描かれてるのに……」


 立ち止まって地図を確認する楓に、皆集まっては同じように紙面に目を落とす。

 ふわりと鼻腔をくすぐる女子たちの良い香りに、思わず豚のように鼻が鳴りそうになったが――、そこはぐっと堪えた。いまはそれどころではない。

 地図上ではたしかに。入口から少しばかり行った場所に、途中二本に分かれている道が描かれていた。分岐を右へ入りさらに奥へ進んで、今度は十字路を右に折れてそのままぐるりと回った先、三叉路を左へ入った奥の広間に『首塚アリ』と記されている。

 こんな再序盤での長すぎる直線通路はないはず。

 玉藻が嘘を描くとも思えんし。ということは何かしらの仕掛けがあるはずだ。


「クロエ、魔法でどうにかならない?」

「さっきから探知とか解呪とかいろいろ試してるけど、ダメみたい」

「ということは、術かなにかってことかしら」


 ソフィアの問いに頷き返すクロエ。

 そういえば、忍術で隠れていた楓の尾行も魔法では見つけられないと言っていたな。ということは、そういうことで間違いない。

 どうしたものかと顔を見合わせ、ああでもないこうでもないと案を出し合う。

 一先ず何か目印でも探そうかという話になり、楓にそれを告げようと振り向いたところ――


「楓、何をしているのだ?」


 地面にしゃがみ、なにやら道具袋を漁っていた。またお団子でも食べているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 わしも一緒になってしゃがみ、そして視線を下げる。そこには、楓の無防備になった魅惑の三角ゾーンが! 白いエッチなおパンツがぁあああ!

 見たかったものが目の前にッ。心の中でグッと拳を握っていると、


「――あいて!」


 ……またしてもライアに鞘で小突かれた。溢れ出るスケベ心はどうにも隠し切れんようだ。

 諦めて楓の手元を注視する。

 がさごそとなにやら取り出したるは、以前にも見た黒い粘土、傀儡粘土だった。

 コネコネと鬼を形作ると、素早く印を結び、


「お師匠直伝、陰陽傀儡操術・鬼!」


 楓の言葉と同時。手のひらサイズだった粘土は、見る間に式神の時ほどの小鬼となった。

 もの言わぬ小鬼は楓の指示を待っているように、じっとして動かない。


「楓、これは?」

「以前お師匠から勝手に持ち出した余りだよ。酒呑童子に人間を供してる鬼がいるんなら、鬼はここを通ってるってことじゃん? だから鬼なら通れるのかなって」

「なるほど。なにか仕掛けがあれば、そいつに解除させるという算段か」

「そういうこと。んじゃ行っといで」


 楓に命令され、小鬼はうんともすんとも返事をせず、言われた通りに進んでいく。すると、わしらの時には変化のなかった通路内の空間がたわんだのが見えた。直後、小鬼はその先へと消えていく。

 楓の読み通り、鬼なら通れる仕掛けになっているようだった。

 それからしばらくし、小鬼は空間のたわみなくすんなりと戻ってきた。


「どうやら上手くいったみたいだねー。ご苦労さん」


 楓は傀儡を労い、印を逆順に結んで術を解いた。

 そうして、わしらは恐る恐る先に進んでみると――


「おっ? 分岐が見えてきたぞ!」


 しばらくしない内に二股の分岐点へ到着したのだ。

 その手前には崩れた灯篭が建っていて、恐らく先の小鬼はこれを壊したのだろうと推測する。


「これでやっと先に進めるな。助かったぜ」

「やっぱり、楓がいてくれて正解だったわ」

「ありがとう、楓ちゃん」

「なんのなんの、このくらいお安い御用だし。アタシの拙い陰陽術でもこの程度朝飯前だよ」


 楓は皆に褒められて、満更でもなさそうにはにかんだ。

 わしはついでに、目の保養をさせてもらったことを感謝した。三人娘には呆れられたが、楓には笑われた。

 そうしてわしらは奥を目指して分岐を右へ入る。さらに奥へ進んで、今度は十字路を右に折れた。そのままぐるりと時計回りに下った先。

 見えてきた三叉路を左へ入り少しばかり歩くと、ようやく拓けた場所に出たのだ。

 ゴブリンキングの時の坑道奥とは違い、ここはずいぶんと空間が広い。天井も高いし軽く戦闘演習でも出来そうなほどだ。

 そんな円形の大広場に、「ゲッゲッ」と笑う、そこかしこに点在する小鬼たち。ざっと数えて全部で七体。気配を察したか、棍棒を構えて一斉にこちらを向いた!

 ――と、


「餌が自らやってくるとはな、こいつは愉快だ」


 地の底が震えるような低い声音が、広場の奥から聞こえてきて鼓膜を痺れさせる。棍棒を振り上げたり笑ったりしていた小鬼たちは、聞こえた声の主の方を向いて一斉に黙った。

 奥には小さな社があり、その後ろに隠れているつもりだろうが全く隠れられていないデカい影が座っていた。膝の角度から胡坐でもかいているのだろうそれは、おもむろに立ち上がる。

 遠目だがはっきりと分かる。あれは三メートル近くはある巨体だ。


「小鬼が可愛く思えてくる大きさだな……」

「力はまだ弱いって、それでも結構な強さなんじゃないのかアレ?」

「戦ってみないことにはなんとも言えないわね」

「炎と雷は意味がないって言ってたよね。酒気の妖気がどんなのか気になるところだけど、やるしかないね」


 各々武器を取り、油断なく構えた。

 オロチの野望を阻止するためにも、ここでまず酒呑童子を叩いておかねばなるまい!

 わしはブランフェイムの切っ先を酒呑童子の眉間に向けた。


「この俺様を倒す気でいるのか……小物風情がやる気を出して、みっともないにも程がある」鬼の大将は呆れ口調で言って首を左右に振り、「――お前たち、この雑魚どもを散らして俺様に捧げろ。首級を上げた者には新四天王の座をくれてやる」


 その言葉に、小鬼たちはより一層嬉しそうな笑い声をあげると、わしらに向かって一斉に躍りかかってきた!


「その言葉、そっくりそのままテメェらに返してやるぜ!」

「みっともない呼ばわりされるのは気に入らないわね。こっちは久しぶりの戦闘なのよ。徹底的に叩き潰してあげるわ」


 ライアが呟き魁ると、ソフィアも地を蹴りそれを軽く追い越していった。

「ちっ」と悔しそうにライアが舌打ちする間に。

 ――ソフィアは一体目を宙へ蹴り上げると追って飛び上がり、「はぁ!」と強烈な拳を小鬼の腹へ見舞う。

「ぐえっ」とカエルが潰されたような声を洩らしながら地面に叩きつけられた小鬼は、白目を剥いて絶命し消えた。


「まだまだこんなのじゃ憂さ晴らしにもならないわね」


 ソフィアはグローブを引っ張りグッグと拳を握り込むと、高揚しているような活き活きとした表情を見せた。


「ったく、一人で全部片付ける気かよ。そうはさせねえぜッ――烈風剣!」


 雑魚戦だからだろう。ライアがいつもの雷切を抜刀すると、途端に猛烈な風が巻き起こる。返す刀で袈裟に下ろし、そこから無数の斬撃を繰り出すと、二体の小鬼の間を抜けた風が通り過ぎざま、刻んだ数の剣閃を宙に引いた。

 小鬼は緑風の刃をすべて受け、細切れの肉片と化して消え去る。


「残り四匹!」

「わ、わしも……――ッ!?」


 後れを取るまいと駆け出そうとしたところ、背中側で魔力の高まりを感じた。

 流れてくる冷え込んだ空気から、氷の魔法だろうと推測した刹那――


「グレイシャルブリル!」


 クロエの放った魔法が地面に無数の氷柱を築きながら、小鬼へ向かってすごい速さで伸びていく。

 瞬きする間もなく、氷柱は小鬼二体を下から突き上げ串刺しにした。滴り落ちる血も凍りつき、氷柱の崩壊に合わせて鬼も消滅する。


「の、残った二体はわしが――ん?!」


 次こそは! と意気込みわしが体を向けた時だ。

 

「火遁、縛炎陣!」


 術名を告げた楓の火遁とやらが、小鬼の足元に炎の鎖のようなものを発生させた。それは鬼どもをまとめて縛り付け、体をジュウジュウと焦がしながら締まっていく。やがてぶすぶすと黒焦げになった小鬼とともに炎は掻き消えた。


「あ、あぁあなんてことだ、わし何もしとらん」

「おっさんの出番はここからだろ」

「そうですわ。壁として、しっかりと私たちを守ってくださいね」

「頼りにしてるから、勇者さん」


 わしを励ます言葉の数々。真痛み入る。

 そうだ! わしは女子たちを守る盾だからな! 危うく使命を見失いかけた。ここからが本番なのだ!


「オジサン、酒呑童子が動いたよ!」


 楓の緊迫感のある声に促され目を向ける。

 社を蹴り飛ばし、散乱する骨を踏み砕きながらこちらへ歩いてくる頭領を見咎めた。

 黒色の体、片方途中で折れているが頭部には立派な角。筋骨隆々としたゴツい体格に、帯電する虎の腰巻。紐でぶら下げられた巨大な瓢箪には、おそらく酒が入っているのだろう。そして身長の半分ほどもあるトゲトゲした燃える金棒を担いでいる。


「ふん、所詮は雑魚だったか。どの道四天王になどするつもりはなかったが。まあいい。その程度の力ならば俺様が一捻りしてやろう」

「一捻りだと? ならばわしは、デカいだけだろうそのマラを叩いて縮めてやろう!」

「なんだ小物如き人間が。自身の小ささを嘆いているのか?」

「わしのはけっこう大きいわ!」

「俺様のはお前の身長の半分はあるぞ」

「な、なんだと!? ――負けた」

「負けたじゃねえよ、負けんなッ! つうかなんの話してんだ!」


 戦う前だというのにすでに敗北感。がっくりと地面に膝をつくと、ライアが鞘で頬を抉ってきた。いつもの感触とは違う。匂いもじゃっかん古臭いというか……。

 ちらりと横目にすると、それは童子切安綱の鞘だった。

 まだ抜いてもいないのに、鞘からは黒い靄のようなものがあふれ出している。斬るべき敵が近くにいる、まるで刀自身がそう悟っているかのように。


「なぜお前たちがその刀を持っている?」

「玉藻がくれたんだよ」

「玉藻……あの女狐め、まだ生きていたのか。――そうか、都の結界はあいつの仕業か。昔に殺しておくべきだったな」

「――お師匠は殺させない!」


 酒呑童子の言葉に、楓は激昂を露わにして噛みついた。

「うん?」と見下ろしてくる鬼の表情は、小さきものを蔑むようなものだった。


「お師匠? お前はあの女狐の弟子なのか?」

「そうだ。お師匠の平安のためにも、アンタはここで必ず始末する!」


 楓の瞳は今までに見たことがないくらい鋭く、苛烈さを滲ませていた。

 本気で殺るつもりなのだ。

 普段はチャラけていても、いざ敵を前にした時のこの変わりよう。変貌と言っても過言ではない。

 そのギャップに背筋が一気に冷え込む。霜でも張り付いているみたいだ。

 楓も忍の者なのだということを再認識させられた。敵には容赦ない。

 そんな少女の気概を目の当たりにして、鬼は「ふん」と鼻であしらった。


「いいだろう。そこまで死にたいのなら相手をしてやる。ちょうどいい飯の時間だ。そしてお前たちの首を並べて、玉藻への冥途の土産にしてやる」


 ――グゥオオオオオオ! と鬼は大咆哮を上げた。

 ビリビリと空気が振動し、その迫力に総毛立つ。

 わしは身震いを武者震いだと思い込み、剣の柄をぎゅっと握りしめた。


「皆、行くぞ!」


 声をかけたわしに、仲間たちが返事をして散開する。

 ライアは金棒を持つ右手側。ソフィアは左手側だが、中央に位置するわし寄りに立った。そしてわしは後衛であるクロエと楓を守るように立ちはだかる。

 まず先制したのはやはりソフィアだ。

 地を蹴り駆け出すと、いくつもフェイクのステップを織り交ぜながら間合いを詰めていく。邪魔くさそうに左手で払ってきた鬼の攻撃を避けて、ソフィアは懐に潜り込んだ。

 すかさず両の拳を構えると俄かにそれが輝き出し――、「爆裂拳!」繰り出した連撃はいくつもの光となって瞬き、鬼の脇腹に極まる。


「ぐぉっ!」


 痛そうなうめき声を上げる鬼。

 そこへ追撃に出たのはライアだった。


「デカい的だから狙いやすくていいな!」


 刀を抜きながら跳躍したライアは、金棒を持つ右手首を斬り付けにかかった。

 しかし咄嗟に鬼が腕を振り上げたことにより狙いがずれ、金棒と鍔競り合う形となってしまう。

 鬼が武器を持つ手に力を込めると丸太のような腕の筋肉が蠕動し、金棒に纏わる火炎が激しさを増す。


「力比べなら負けんぞ!」

「起きたばっかだろうが。あんま無理すんな、よ!」


 ライアは巧いこと力を逃がし、刀を滑らせて素早く地に下りる。そして鬼が大振りしている隙をつき、足の間をスライディングして足首を斬り付けながら後方へと抜けた。

「ちぃ!」と舌打ちする鬼。足首からは大量の血が流れる。

 ズン――、金棒を地面に突き立てると、酒呑童子は片膝をついた。

 これは勝機か! そう思った矢先。

 鬼は瓢箪の栓を抜き、その中身をすべて扇いだ。すると見る間に体の色が赤錆色に変色し、斬られた足首の傷も完治する。


「なんだと!?」


 吃驚の声を上げるライア。


「少しでも勝機だと思ったか? この俺様が人間などに後れを取ると思っているのか? 雑魚どもが!」


 ゲハァと息を吐くと、鬼の口から白い煙が吹き出た。これが非常に酒臭い!

 思わず鼻をつまみかけた瞬間――


「鬼術、酒飢炎塵!」


 鬼が燃える金棒を煙に向かって振ると、爆発的に煙は燃え広がり、わし目がけて直線状に伸びてくる!


「ふん! そんな酒臭い炎なぞ、わしのアダマスで簡単に防いでくれる!」


 わしは猛火を真っ向から迎えるべく、腰を低めて盾を構えた。

 ちらりと目をやった背後に、クロエの姿はない。どうやら楓が退避させたようだった。それでいい。少しでもリスクは低くあった方が良いからな。

「こい!」と挑発した刹那、わしは轟と炎に飲み込まれた。

 余裕でやり過ごせる、そう思っていたのだが。なぜか熱い、非常に熱い。それに火炎が後ろに流れているような気がした。

 さらに、見れば髪の毛がチリチリと燃えていたのだ!


「な、なんだと! わしの天パがなぜ燃えとるのだ! あついあつい! アダマスよ、仕事せんか!」

「おっさん! もしかして、アダマスは術を軽減出来ないんじゃねえのか?」

「そんなバカな! ――いや、でも待てよ、」


 そういえば、過信は禁物だとか魔法のことしか書かれていなかった気が……。


「というか、いつまで燃えとるんだこの火は! あつあつっ! だ、だれかなんとかしてくれーい」

「んなこと言ったって、酒呑童子の周りにも火炎が渦巻いてて近づけねえんだよ」

「勇者様、なんとか耐え忍んでください!」


 そんなことを言われても……、このままではわしが黒焦げにされてしまう!

 楓はなにかの印を結んではいるものの、なぜか首を傾げているし……。

 こうなれば、クロエの魔法に頼るしかない。


「クロエよ、なんでもいいからこの火を消してくれい!」

「待ってて。――ウォーターポール!」


 クロエが魔法を唱えると、わしの頭上遥か上から大量の水が降ってきた。

 しかし、わしの頭に届く前にそれらは蒸発してしまう。


「んな!?」

「おいおい、このままじゃ本当に勇者が死んじまうぞ」


 ライアの不吉な言葉にサアッと血の気が引いた。盾を構える腕が下がりそうになったが、わしは気を持ち直して維持する。下げたら本格的に死ねる!

 しかしこのままでは本当にその結末を向かえかねん。

 わずかながら諦念が頭を過ぎったその時、


「――やっと結べた! いま助けるよオジサン、土遁、狐面防壁!」


 印を結び終えた楓が地面に手を叩きつけると、大地が激しく揺れ、わしのすぐ目の前の土が大きく隆起し始めた。

 あっという間に、十メートル四方くらいの巨大な土壁が屹立し、完全に鬼の術をシャットアウトする。

 裏側から見るに、表側にはなにか面が彫られているようだった。


「これは……狐の顔か?」

「本当は鬼面なんだけど、なんか癪じゃん? だからアレンジしてたのはいいんだけどさ、滅多に使わないから印の結び方忘れちゃってね。時間かかっちゃったんだ、ごめん」


 そう言って謝る楓に、わしは礼しか出てこなかった。

 なにはともあれ。これで炎はどうとでもなりそうだ。


「ふん、イラつく狐だ。だがこれならどうだ――」


 コォオオオという音が気になり壁から向こうを覗くと、纏う炎を解除した酒呑童子が大きく息を吸い込んでいた。

 息を止め、「ハァアアアアアアア」と思いっきり酒気を吐き出す。広がった白い煙が辺り一帯を覆った。遠いライアの姿が薄っすらと見えるが、視界はひどく悪い。

 こんな状況でさっきの術を使われたら一溜りもないだろう。

 危機を感じていたところ、突然鬼が地団駄を踏んだ。

 その地鳴りが止んだ瞬間、鬼は飛び上がり――、


「鬼術、酒飢轟雷!」


 着地と同時に術を唱えた。

 地震のように大きく地が揺れ、帯電する腰巻から無数の電撃が宙へ伸びていく。煙の中を伝っては予測不能な軌道を取り、縦横無尽に駆け巡った。

 壁の後ろに隠れていても横や背後から襲い来るため意味がない。

 わしは壁から離れて、とにかくクロエの元へ。

 ライアとソフィアは敏捷性に長けているため、おそらく避け切れるだろうという判断からだ。楓も然り。

 案の定、ただの一撃ももらうことなく避け切る三人。

 わしはクロエを雷撃から必死に守り抜く。時に剣で切り裂き、盾で防御しては幾度も痺れた。しかし耐え抜いた! HPもまだ半分はある。意外と成長しているなと我ながら感心してしまった。

 ようやく煙が晴れると雷も同時に収まった。

 酒呑童子は術後硬直に陥っているようで、ピクリとも動かない。


「クソッ! まだ力が戻りきらん状態で使った反動か!」


 その言葉に確信し、わしらは一気に攻勢へ転じた。


「終わらせるわよ! ブランネーヴストライク!」


 ソフィアが真っ白に輝く閃光となり、鬼の体中に怒涛の如く連撃を叩きこむと――、


「ダーネヴィルフォール!」


 クロエが闇属性の魔法を放ち、暗黒の塊を鬼の頭上に落とした。バシャッと弾けた塊はどうやら魔に対して腐食の効果があるらしく、酒呑童子の皮膚が徐々に爛れていく。


「なんのこれしき!」

「だったらこれで! 冥遁、餓鬼霊障!」

「――ぬぅ?」


 さらに楓の忍術が襲う。

 突如鬼の周囲に現れた顔だけの無数の亡霊が、まるで飢えた肉食獣が如くその爛れた皮膚に食らいつく。ガツガツと腐肉を貪る様に鳥肌が立った。

「グォアアアアア!」と鬼から悲痛な呻き声があがる。


「――おっさん、最後はきっちり決めろよ!」


 言って、ライアは童子切を脇に構えて跳躍した。

 わしは言われた通り、いつも通りに剣を逆手に持って後ろに構える。そして咄嗟に閃いた技を試すために、駆け出した!


「刃閃、一の太刀――鬼首両断!」


 ライアの黒霧纏う白刃が宙に一本の軌跡を描いた。空間を切り裂くような鋭い太刀筋は、鬼の首を一撃で刎ね飛ばす。首元からは噴水のように血が噴き出した。


「いまだおっさん、消し飛ばせ!」

「うおぉおおおおお! くらえい! ワルドブレイクッ!」


 わしは逆手に持った光り輝く剣を、落ちてきた頭もろとも酒呑童子の体へ叩きつけた!

 斬り付けた部分から無数の閃光が迸ると、鬼は一瞬で爆散し光の粒子となって消えた。後には帯電する腰巻だけが残された。


「……鬼退治、成功だな」


 辺りに漂っていた妖気も酒臭いにおいも、綺麗さっぱりなくなった。

 皆一様に武器をしまい、酒呑童子の消えた場所を見つめる。


「なかなか手強かったわね」

「まあ、童子切がなかったらもっと手を焼いたかもしれないけどな」

「これで西の平和と百鬼夜行は止められたね」


 安堵の息をつき、一先ずの野望阻止を喜ぶ面々。

 楓に目をやると、わしらに頭を下げて言った。


「ありがとう、みんな。お師匠もこれで安心できるよ」


 顔を上げたその表情は、よく晴れた初夏の空みたいに清々しいものだった。

 本当に良かったと、楓の笑顔を見て心の底から思う。

 わしらは落ちていた腰巻を回収し、そして鬼の首塚を後にしたのだった――。

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