第26話 湖の主

 湖畔の町オルファムで一泊し、夜が明けた。

 早朝の光を顔に受け宿の部屋で目を覚ますと、外がなにやら騒がしいことに気づく。窓から外を覗いてみると、人々がざわめき合っているのが見えた。

 きっと噂の勇者がどれほどダンディかを見に来たのだろう。ああでもないこうでもないと言い争う町人の顔は、みな生き生きとして――いないな。

 どこか緊迫したような、切羽詰まったような難しい顔をしている。

 なにかあったのだろうか?

 ぼんやりとそんなことを思ったところへ、部屋のドアをノックする音が響いた。


「おっさん、起きてるか?」

「寝てたら起こすまでよ」


 どう起こすのだろう。

 じゃっかんマイサンも寝起きなのだが、もしかしてもしかすると世話なんかしてもらえたりなんかしちゃって!

 期待から目はらんらんと冴えわたり完全に眠気も吹き飛んだが、わしはしばらく返事はせずに待ってみることにした。

 ドキドキしながら布団をかぶる。興奮し荒くなる呼吸を平常に保つので精一杯だ。


「起こすってどうするんだ? 水でもぶっかけるのか?」

「甘いわね。寝坊助な勇者様には鉄拳を見舞うのよ」

「それはさすがにやりすぎなんじゃ……」

「事態は急を要するのだから、悠長なことはしてられないわ。大丈夫、当たり所が悪ければ不能になるくらいだから……戦闘じゃないわよ?」


 それはある意味、男にとって戦闘不能になるんじゃ……。

 それだったら昨日の婆さんに玉を……いや、どっちもないな。

 踏み込んでくる前に返事した方が賢明だ。

 慌てて布団を払いのけ、ドタドタと扉へ走り「起きとる、起きとる!」とわしは叫んだ。

 扉を開けると、拳を握って脇に構えるソフィアが立っている。


「それで、急を要するとは何事だ?」

「おはようございます、勇者様。それが、湖に巨大な怪魚が現れたようですわ」

「怪魚?」

「今朝方、船で漁に出た漁師が、デカい影が湖面で動いてるのを見たらしいぜ。なんでも主が目を覚ましたとかなんとか」


 なるほど。

 おそらく、外で騒がしい連中は漁師なのだろう。勇者が宿泊していると聞いて、泣きついてきているのか。

 デカいということはそれだけ食べるということだ。特産品が食い尽くされるのは見過ごせないか。町人の生活もかかってくるしな。

 例に倣って、困りごとは解決しなければなるまい。


「では、さっそく行くか」


 装備を着用し、わしらはホテルを出る。

 その際、ホテルの従業員が歩きながらでも食べられる軽食を用意してくれた。それを食べながら、漁業組合員の話を聞いて湖に向かう。

 何年かに一度、春に湖の主が現れるのだそうだ。腹を空かせて眠りから覚めた主は魚を食い尽くす。そうなると主が再び眠るまで漁が出来なくなるという。町にとっては一大事だ。

 話を聞き、朝食を素早く腹に収めて湖へ急ぐ。

 砂浜に出ると、白髪の男が湖を眺めていた。話にあった組合長だろう。噛まれて片足義足となったその男の背中は、黄昏を感じさせた。


「あんた、勇者なんだってな」

「その通り、わしは勇者。そしてこの二人は連れの者だ」

「頼む、湖の魔物をどうにかしてくれ」

「それは構わんが、たぶんわしらだけでは無理だぞ? どれほどの大きさか見とらんから、なんとも言えんが。水中を動いとる魔物なぞ、まだ経験がないからな」

「ああ、分かってる。俺たちも協力は惜しまない」

「策はあるのか?」


 尋ねると、小難しい顔をした組合長は近場にあった小屋の扉を開ける。

 そこには、巨大な網が保管されていた。


「巻き網で魔物を追い込もうと思う」


 巻き網とは、大型の網を円形に広げ、泳ぎ回る魚群を包み込むようにして獲る漁法だそうだ。網で囲んだ後、網の底をしぼって囲みを小さくすることで大量に魚を捕らえることが出来るらしい。


「しかし相手は魔物、しかもデカいのだろう?」

「ああ、だからあんたに囮になってもらって誘き寄せるんだ。網は逃げられた時の、どこへ行ったか判断するための保険だからな」


 言いながら組合長が指したのは、ビチビチと跳ね回る大量の魚が吊るされたジャケットだ。聞けば浮きの機能が付いているらしく、わしのようなデブが着ても水に浮くことが出来るという。

 人をデブ呼ばわりしてさらに囮に利用しようとか、ひどすぎる話だ。見た目が一番食いつきそうだからという理由も納得いかん!

 しかし、女子にその任を負わすのは忍びない。わしがやらねばなるまい。

 ステテコ一丁の身に生臭いジャケットを着け、わしらは小舟に乗り込み湖上に出た。

 漁業組合員たちは大型船に乗り込み、左右から網を下ろしながら外周を回る。

 ギコギコとオウルを漕ぎながら、ライアがおもむろに口を開く。


「不安か?」

「ないといえば、噓になるな……」


 久しぶりに鎧を脱いで薄着なライアの、揺れる胸元を凝視する。仕留める担当だから、湖に落ちるということから脱いでいるのだが。

 漕ぐために前かがみになるたび、目の前で繰り広げられる乳のふるふるに、寝ていたはずのチ〇コも起き始めてしまった! あの谷間なんか挟んだら気持ちよさそうだろう。なにがとは言わないが。

 まずいまずいと思いながらも、視線は決して外さない。貴重だからな!


「心配しないでください。食べられそうになったらすぐに引き上げますから」


 振り返ると、頑丈な魔法樹の竿を握りしめたソフィアが肩を叩いてきた。

 わしを吊り上げる担当だ。小舟待機だし、落ちないだろうからということで脱いではいない。尻を見たかったが、今回はお預けとなった。


「そうだぜ。あたしらに任せて、大船に乗った気でいろよな」

「いや、これ小舟だし。そもそもわしは湖水に放られる餌なのだが、これいかに……」


 そうこうしている内に、湖の真ん中あたりまでやってきた。

 組合員たちの船も徐々に距離を狭めているのが見て取れる。

 わしは一人、決死の覚悟をもって湖に飛び込んだ。もう少しで夏になるというのに、肌寒く感じる。

 心細いのかもしれない。しかし、二人に任せれば大丈夫だろう、そう思うことにし、わしは少しだけ泳いだ。

 小舟まではおよそ十五メートル。

 しばらくし、湖面に波が立ち始めた。初めは小さなものだったが、やがて揺れが大きくなる。わしの真下から気泡がぶくぶくと立ち上ってきて――目を向けると、なにか楕円をした影が徐々に大きくなってくるのが分かった。


「きたッ!」


 わしは声を上げて二人に知らせる。

 敵影は瞬く間に魚の魔物だと認識できる大きさになり、大口を開けて迫って来ていた。


「は、早く上げてくれい!」

「もう少し辛抱してください。大丈夫、私の目にも影は見えてます」

「おっさん、頑張れ!」


 ライアが小舟から前のめりになり、乳を揺らしながら声援を送ってくれた。それだけで、わし元気! 「頑張る!」と返事をし、股間にも熱がこもる。

 魔物との距離が急激に縮まる。

 今にも食いつかれそうなその時――


「お? のぅうおわぁあああああああっ?!」


 グンと体が斜めに引き上げられ、わしは勢いよく湖水から飛び出した。

 直後、ザバッ! と盛大に水しぶきを上げながら巨大魚が姿を現す。化石のような鱗を纏った怪魚だ。

 糸が切れてジャケットから落っこちた魚たちが、魔物の口へ吸い込まれていく。

 放物線を描きながら飛ぶ最中。刹那的な速さで、ライアが小舟を蹴るのが見えた。


「はぁあああ!」


 魔物の喉元へ一気に刀を突き入れると、そのまま右横に斬り抜ける。吹き出す血飛沫。頭部を横一文字に切り開いた後、横ヒレの根元を蹴り跳躍すると、「止めだッ!」いまだ宙に浮かんでいる魚の頭部へ刃を突き下ろした。

 それが必殺の一撃となり、魔物は絶命し光の粒子となって消える。

 ライアは着地する場所がないため、そのまま湖に落ちて全身ずぶ濡れ。

 わしはそのタイミングで、小舟に顔面から着地した。

 湖を泳ぐライアを小舟で拾うと、白い肌着は見事にスケスケで、ピンク色の乳首が透けてしまっていた。


「おっさん、こっち見んじゃねえよ! 落とすぞッ!」


 顔を真っ赤に染めながら、ライアは犬歯をむき出す。

 腕で胸を隠し、手で股間を覆うその姿は実に、非常に乙女的で扇情的であった! 

「……あのまま食いつかせた方が面白かったかしら?」


 ぽつりと、ソフィアが冷淡にこぼす。

 わしは震えながら「ごめんなさい」と謝るしかなかった。

 ……まあそれでも、横目でチラチラ見ていたことは内緒だ。


 わしらが砂浜へ戻ると、少しして網を巻き上げて帰ってきた漁業組合員たちから感謝を述べられた。


「ありがとう、助かった」「あんたたちのおかげで、これからも漁に出られるよ」「さすが伝説の勇者だぜ、頼りになる」


 小難しい顔をしていた白髪の男も、笑顔で礼を言う。


「あんたに頼んでよかったよ。こいつは巻き上げた網にかかってたもんだ。あんたにやろう」


 差し出されたものは、手のひらサイズの緑の宝玉だ。

 形状からしても、世界に六つあると言われている球で間違いないだろう。

 ロクサリウムでも話が伝わっているということだし、首都へ行った時にでも聞いてみるか。

 わしはありがたくそれを受け取り、湖の男たちに背を向けた。

 ライアが下着を乾かすのに時間が欲しいということで、結局ここでもう一泊することになったのだった。

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