第三章 ロクサリウム編
第22話 世界の広さを知る
泉に飛び込んだわしらは、無事ロクサリウム大陸へ到着した。
祠を抜けた先は、ソフィアが言っていた通り昼間だった。
別の地であっても、空の青さはどこも変わらないのだな。世界はひと続きであるのだということが分かる。
しかし風の匂いというものが、じゃっかん違うように感じた。どう違うのかと聞かれると、はっきりと口にすることは出来ないが。間違いなく異質異国な空気感を感じるのだ。
しかし。グランフィードの時もそうだが、あの泉はわしを玩んでいるとしか思えんな。
毎度のように、ごわごわパーマはストレートに伸ばされ、乾くとまた元の天パへ戻される。偶然近場で狩りをしていた旅人にも笑いものにされてしまったし。
わし自身、そういうものだと半分諦めているが……毎回わしだけ濡れるのだけはどうにかして欲しいものだと思う。
「そういえば、なんでお前さんたちは濡れないのだ?」
街道を歩きながら、一滴の水もかからない二人に尋ねると――各々がそれぞれの道具袋を漁り、そしてなにかを引っ張り出した。透明な衣のようだ。
「旅の祠用レインコート、ってのが道具屋に売ってんだよ」
「勇者様は買ってないのですか?」
「そんなもの初めて聞いたぞ」
「道具屋をちゃんと見ないからだろ」
いや、まあそれはそうなのだが。それにしても、グランフィードへ向かう時にでも教えてくれればよいものを。
わしだけバカみたいではないか。これではいつか風邪をひいてしまう!
いや、それはそれで、強盗に襲われた時みたいにまた看病してくれるかも?
さすがに身の回りの世話をするのに、見た目に邪魔くさい装備品は身に着けんだろうし。肌着や薄着で目の保養に……これは、役得というやつか? ――あ、
そこで、気づいてしまった。
そうか、クレリックがいるから風邪も治されてしまうのかもしれん。
「ソフィアよ、お前さん風邪なんかも治せるのか?」
「風邪ですか? 軽度なら可能ですけど、高熱が出ているものは無理ですね」
「よし」
言質を取り思わず頷くと、どこか不思議そうな顔をしてソフィアが小首を傾げる。
いや、なんでもないのだ。と断り、一つ咳払いで体裁を繕う。
「そういえばグランフィードの街で、ライアは武器屋になにをしに行っていたのだ?」
「なんだ、なにか都合の悪いことでも誤魔化そうとしてんのか?」
不自然なやり取り直後の、いまさらな質問にそう感じたのだろう。
そんなことはないと否定するも、どうにも疑いの晴れぬ怪訝な顔をして見てくる。少々焦りながらも言葉を繋いだ。
「いや、武器屋へ行った割には装備も増えておらんしな」
「ん~? まあいいや」
ライアはそう言って疑うことを切り上げると、腰に二本佩く刀のうち普段よく使用している黒鞘を外した。
「刀を新調しようと思ってさ、頼みに行ったんだ。けど、グランフィードでも打ってはもらえなかったよ」
「どういう意味だ? お前さん、いつもそれで戦っているではないか」
「前に話したろ? 鋳造と鍛造の違いをさ」
鍛造は金属を鍛えるため密度が高い、だから鋳造よりも壊れにくい丈夫な物になるだったか。とすると、
「つまりその刀は鋳造ということか」
「そういうこと。白鞘のあたしの愛刀は打ってもらったんだけど、こいつは強敵用だからあんまり使いたくないんだ」
「こんな愛い女子が頼んでいるのに作ってやらんとは……」
わしなら二つ返事で承諾するのになぁ。女子に感謝されると嬉しいだろう? もしかしたら、めくるめくラブロマンスとやらに発展するかもしれんのに。世の中には変わった男もいるものだ。
女嫌いなのではないか? と漏らすと、「奥さんと一緒に店に立ってたけどな」とライア。
それを聞いて、言い知れぬ敗北感がわしの両肩を沈めた。
「それに、こいつはジパングって国で打ってもらった物だから。ここらの武器屋に期待はしてなかったんだけどさ」
「ジパング?」
聞いたことのない国だ。おパンツなら知っとるが。
いや、あながち間違いではないかもしれんな。女子のパンツ製造が盛んな国である可能性が高そうだ。その隙間で刀も打っているのだろう。
……おパンツに埋もれる国か。期待せざるを得ない。
もしかしたらそういった風俗もあるかもしれんし、今度予習もかねて町で探してみるか。
「それで、その国はいったいどこにあるのだ?」
「海を渡った東にある島国だよ」
「海の向こうに国があるのか?」
問うと、ライアは刀を取り落とし、口をぽっかりと開けて呆然と立ち尽くす。
わしは落っこちた刀を拾ってやり、そっと差し出す。
「……おっさん、世界地図見たことないのかよ?」
「自慢じゃないが、ないな」
「ああ、そいつは自慢できることじゃない」
ライアは刀を受け取ると、再び腰ベルトに佩びた。
すると、不意にくすくすといった笑い声が耳に届いてくる。周囲に目を配ると、いつの間にやら街道に人が歩いていた。どうやら道の三叉路手前で立ち止まっていたらしい。
幾人かがこちらを見て、小ばかにするように笑っている。
「二人とも、往来のど真ん中で恥ずかしい会話はやめてくれるかしら?」
頬を赤く染め、ソフィアがジトッとした目でわしらを睨んでくる。
その視線からは呆れや憐みのようなものを感じたが、ソフィアのこういった表情はけっこう珍しいから、わしは自身のみっともなさよりも嬉しさをより感じてしまう。
「ソフィアよ、恥ずかしいのか?」
「ええ、聞いているだけで羞恥心を感じてしまいます」
「そうか。わしは女子を辱める罪深い男だったのだな」
「まああながち間違ってねえよ。無知ほど罪深いものはないって言うしな」
はぁ、とため息をつくソフィア。
そしてピッタリとしたズボンの尻ポケットから、折りたたまれた紙を取り出した。四つ折りにされたそれを広げて見せてくる。
「ここが勇者様のアルノーム、そして三つの山脈を越えた先にあるグランフィードです」
指された場所を目で辿る。
地図の南にちょこんとある小さな領土がアルノームで、隔てるように山を間に挟んだ先がグランフィードだそうだ。ざっとアルノームの三倍はデカいではないか。しかもそれが陸続きとは……。きっと先祖は喧嘩に負けたのだろうな。
というか、アルノームとグランフィードを合わせると、まるでクロワッサンのような形をしていて面白い。こうして地図を眺めているだけでも、楽しいかもしれん。
そこからソフィアの指は移動し、海を渡って陸地を飛び、地図の北西へ。
「そしてここが、いま私たちが立っているロクサリウムですわ」
示された場所を、そしてロクサリウムの領土の大きさを見て目を瞠った。
思わず指で輪っかを作り、いくつ分かを当てはめていく。
なんと、アルノーム領とグランフィード領を合わせたものが、六つも入るではないか。
「んで、ここがジパングだ」
ライアが横から手を出して、指でその場所を示す。
東の大洋に浮かぶ島国らしい。切っ先を折った幅広の刀を斜めに置いたようなイメージだが、領土的にはアルノームとどっこいくらいか? かなり小さな国らしい。
「世界は広かったのだな……」
わしは地図をのぞき込み、ほかにも見てみた。
ジパングを起点に海を東へ渡ると、北と南に伸びるさらに大きな大陸がある。目を戻し西を見ると、長い陸地が続き、ロクサリウムの南の湾の下に、一部が黒塗りの大地があることに気づく。
「この黒い部分は印刷ミスかなにかか?」
「そこは暗雲垂れ込めてて、よく分かってない場所みたいだな」
「噂によると、魔王の城があるとかないとか」
見て分かる大陸の大部分が険しい山のようだ。白い色で塗られているから標高は高いのだろう。
しかも黒い部分は確認が取れていないという。これは怪しい。
「わしらの目的はこの黒いところになるのか」
「そういうこった」
「けど、今のままではきっと勝てません」
「そうだな、あたしらもクラスチェンジして力付けてかなきゃ」
「クラスチェンジ?」
またも聞き慣れない言葉を耳にする。
この短時間でいろんな情報が脳内を錯綜し、混乱しそうになってきた。
「俗にいう転職ってやつだよ。神殿がイルヴァータって大地にあるんだ」
「そこで別のクラスになったり、いまの職の上位職へ成り変わることが出来るんです」
「なるほど。わしが真の勇者になれるのだな!」
「おっさんの場合はまず勇者にならなきゃだろ」
その言葉に引っ掛かりを覚え、つと尋ねる。
「わしが勇者でないと?」
「なんでキョトンとしてんのか知らないけどな。そんなスケベな勇者がどこの世界にいるんだよ」
「勇者だって男なのだぞ? スケベ心くらい持ち合わせておるだろ。勇者でなくても、わし男の子だもん」
「だもん、じゃねえよ。いい年したおっさんが気持ち悪い。それに弱すぎるんだよ」
「それに関してはなんも言えんな」
少しでも反省を見せようと頭を垂れると、ガサガサと音が聞こえた。見ればソフィアが、ため息をつきながら地図を片付けようとしているところだった。
わしは精髄反射的に、咄嗟にその手を掴んでしまう。
「どうされたんですか?」
「えっ! いや、その地図わしにくれんかなー、なんて思っちゃったり」
「道具屋に行けば売ってますよ?」
さも当然のように答えるソフィア。まあそうなるだろうなと思ったが。
尻ポケットで温められた地図が欲しいだなんて言えるはずもなく……。
わしは高速で思考を働かせ、咄嗟に言い訳を考える。
「いやいや、旅の案内もいた方がよいだろう? だからわしが地図を見てだな――」
「この変態め」
背後から、ライアの冷水のような言葉が浴びせられた。
それがきっかけで、ソフィアはわしの思惑を看破。
結局、ソフィアの匂い付き地図を手に入れることは、叶わなかったのだった。
悶々とした夜をどうにかしようとしたが、やはり邪なのはいかんな。うむ。
涙で頬を濡らしながら、わしは街道を北へ行く。
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