第21話 無口な娘――追いかけそして大陸へ

 ホルンの町を出て半日あまり。東を目指して歩き続け、すっかり辺りは真っ暗だ。

 夜空には星々が瞬き、春の夜風は草花の爽やかな香りを運んでくる。

 これでなにもなければ、心地いいと両手を広げて伸びをするのだろうが。いまのわしにはそんな余裕すらなく、出来るだけ目立たぬよう身を縮め、ビクビクしながら前を行くソフィアの後を付いて歩く。

 聖水のおかげでゴーストに襲われることはないが、それでも亡霊たちを完全に追い払うことは出来ないようだ。

 後ろを振り向くと、無数の赤い目がわらわらしている。

 青黒い夜闇よりも濃い黒い影が、距離を保ちながら大量にわしらの後ろをついてきているのだ。


「本当に大丈夫なのだろうなっ?!」

「まだ聖水の残りはあるんだ、安心しろって」

「わぁああああ! いきなり肩を叩くでない、ビックリするだろう!」


 安心させ前を向くよう促すために肩を叩いてきたのだろうが、いまのわしにとってはこの上なく心臓に悪い。

「ビビりすぎだ」とライアは呆れて肩をすくめるが、ゴーストを初めて目の当たりにしたわしの気持ちも考えてほしいものだ。

 前を向いた瞬間に襲われないかと恐れながらも、ゆっくりと、首を進行方向へ向けた。


「勇者様、ようやく祠が見えてきましたわ」


 ソフィアが前方を指さす。

 まだ数百メートルは先だろうが、松明の明かりが揺れる小屋らしき建物を確認した。

 わしはようやく、この亡霊どもと離れることが出来ることに安堵し、胸を撫でおろしたが――ふと、立ち止まって思ったことを尋ねた。


「……待てよ。このゴーストたちは、わしらが祠に入った後どうなるのだ?」

「どうなるって、そんなの散り散りになるだけだろ」

「もしわしらと行き違いで、向こうから来る者がいた場合どうなる?」

「そんなのそいつがどうにかするんじゃないか?」

「なにも対策を講じていない行商や旅人だった場合は?」

「まあ、死ぬだろうな」


 なんということだ。

 わしらがここまで連れてきたゴーストのせいで、もしかしたら人死にを出すことになるかもしれんとは。勇者としてだけでなく、王としてもそれは由々しきことだ。なんとかせねば。


「ソフィアよ、お前さんの神聖魔法でこう、ぺっかーとな、」

「お断りします」


 わしの頼みを最後まで聞かず、しかも食い気味で拒否された。

 納得いかず、眉間に皺を刻みながら問い返す。


「なぜだ?」

「ロクサリウムには強力な魔物が数多くいます。幸い、向こうは今ごろ昼なので魑魅魍魎の類は出てきませんが。それでも、いまここでMPを切らすわけにはいきませんので」

「しかしだな」

「おっさん、向こうから来るやつだって、たぶんその程度の知識は持ってるだろうから心配すんなよ」


 それでも、わしみたいに冒険初心者がいないとも限らんだろうに。

 聞き分けのない子供のように、ん~と唸りわしはその場から動かない。

 しかし二人もしぶとく、そんなわしと競うようにただじっと突っ立っている。

 三すくみ。ではないな、三者三様ではなく明らかに二対一だ。多数決ならわしの負けだが、勇者だからな。そんなものもひっくり返せるかもしれん。

 互いに譲らず、ただ時間だけが過ぎてゆく。

 と――、ソフィアが急に腰にぶら下げた瓶を持ち上げ、逆さにしながら言った。


「あら、どうやら聖水がなくなったようですわ」

「なにっ!?」


 慌てて振り返ると、今まで一定距離を保っていたゴーストたちが、一斉に横揺れしながらこちらに向かってきていた。


「走れ!」


 ライアの声に、弾かれたように皆駆け出す。

 がしゃがしゃと鋼の鎧を鳴らし、のしんのしんと大地を踏みしめ、わしは懸命に走る。走るのだが……


「ま、待ってくれーい!」


 声をかけた時すでに、二人は五十メートルは先を走っていた。

 置いていくなんて酷い! いや、身代わりになるといったが、こういう場面を想像してじゃない。もっとかっちょいい場面で華々しくだな、例えばボスから身を挺してとかそんな感じで。

 少しでも追いつけるように腕を伸ばすが、当然そんなもので距離が縮まるわけはなかった。

 迫る恐怖にわし半泣き。


「仕方ないですわね、――ヘスフェト!」


 遠く、ソフィアが魔法名を口にすると、わしの体が淡い緑の光に包まれた。途端に体が軽くなる。足の運びも今まで以上にスムーズだ。

 以前魔泉にて、気づかぬ内にかけられた魔法のようだった。

 これならわしも早く走れそうだ。

 頑張って足を動かす。息を切らしながらも必死で腕を振る。が、急激に移動速度が落ちてきた。効果切れ。祠まではおよそ百メートル。二人はすでに残り二十メートル辺りを走っていた。

 背後から黒い影たちが迫って来るのを感じる。背筋は霜が張り付いているように凍えた。

 わしのスタミナも走力も、もはや限界に近い。黒い腕に捕らえられるのも時間の問題か……。

 二人が無事ならそれでもよいか、なんて達観し、観念して振り返ろうとした瞬間――

 背後で真っ赤な光が拡散したかと思ったら、 ドガァアアン! と爆発的な轟音と熱風を感じた。わしは爆風にふっ飛ばされ地面を転がる。

 ゴロゴロと回転し、ようやく腹ばいで止まった。目が回り世界がぐるぐると乱回転しているが、わしは頭を振って無理やり回復させる。


 爆発の起きた方へ目をやると、ざっと二十は数えたゴーストの群れは、跡形もなく消え去っていた。

 代わりに草原の一部が燃え、それが光源となっている。

 その向こうに、黒い大きなとんがり帽子をかぶった人物が立っている。マントで体を覆っているため、男か女かの見分けはつかない。恐らくこの者がやったのだろうが、帽子を目深にかぶっているため顔も見えなかった。

 ふいに悪戯な風が吹き、帽子を浮かせ、全身を覆うマントが払われる。

 風に靡くマントの下から、ひざ丈の真っ黒いローブが覗く。コルセットで締め上げられた胴の上には、形の良いふくらみが……。

 思わずその形をなぞるように宙を撫でる。

(このオパーイは……っ)

 そして目線を上へ向けると、肩口までの銀の髪。帽子を押さえ煩わしげではあるが、切れ長で涼しい紫の瞳がお目見えした。

 見惚れてしまうほどの美しい造形をした顔に、わしの口は自然と女子を呼んでいた。


「お前さんはあの時の――」


 見間違うはずがない。

 そう。ウェンネルソンのカジノで見かけた、あのバニーちゃんだった。

 ライアとソフィアを足して二で割ったようなスタイルの持ち主。どこぞの国の姫様だと言われても納得してしまうだろう。

 わしは、再会に胸を躍らせた。


「なんだ、知り合いか?」

「勇者様のことだから、またエッチなことでも仕掛けて叩かれたとか、そんな感じでしょ」


 気づけば二人がわしの元まで戻ってきていた。


「失礼な。わしは紳士なのだぞ、そう毎度のようにスケベ心を表に出しとらんわ」

「どの口が言ってんだ」


 ライアの鞘がわしの頬を抉り込んできた。

 グリグリされるのも久方ぶりだな。嬉しくはないが嬉しいという二律背反が懐かしい。

 それはともかくとして。


「知り合いというわけではないがな、偶然町で見かけて覚えていただけだ」

「なんだ、それだけなのか」

「けど、これはチャンスかもしれません」

「だな」


 どういうことか尋ねると、ソフィアが耳元に口を近づけてきた。

 範囲攻撃が多種多様の魔法使いがいれば、この先の旅も楽になる。夜間に聖水に頼らなくてもよくなるし、なにより、ロクサリウムは魔法の国。魔法が使えなければ入れない塔や洞窟なんかもあるらしい、という話。

 それに、先ほどの魔法はどう見ても低位の魔法使いが使用するものではないらしい。少なくとも中位クラスだそうだ。


「つまり、あの娘御を仲間にすると、そういうことかッ!」


 これは願ったり叶ったり!

 バニースーツを二人に着てもらおうかと思っていたが、経験者の方が抵抗も少なく着用してくれる率は高いだろう。それにあの夜に見た愛らしさ美しさ、もう一度この目にしたいものだ。

 そうと決まれば話は早い。


「お前さん、どうやら旅をしているようだが。もしよかったらわしのパーティーに入らんか?」

「………………」


 けれど女子からの返答はない。

 無言のまま、いまだ燃える場所まで歩いてくると、そこへ手をかざす。すると手元で魔法陣が展開され、バシャッと水が勢いよく飛び出した。

 燃やしたらちゃんと消火もする、しっかりした娘御だと感心する。

 火を消し終わると、銀髪を揺らしながらこちらへ歩いてきて、女子はなにも言うことなく素通りした。


「あっ――」


 呼び止めようと手が伸びるが、なぜか躊躇いを覚え、それ以上前へ出すことが出来ない。そうして魔法使いの女子は行ってしまった。

 離れていく靡く黒マントが、『さよなら』と手を振っているようで、なんだか物悲しくなった。


「おい、なんでそんなに消極的なんだよ。おっさんらしくないぞ。もっとぐいぐい押せよ」

「そうは言われてもな」


 強引に仲間にしても意味はないだろう。それにわしらの旅の目的は魔王討伐だ。

 危険な旅である故、それ相応の覚悟が必要だ。

 二人にはその覚悟が備わっているから良いが、あの女子にも事情があるだろうし、無理強いは出来ない。

 女子の背中を見送っていると、祠の前でこちらを振り返った。

 そして、ぺこりとお辞儀をする。


「ん? どういう意味だ?」

「『誘ってくれてありがとう、でもごめんなさい。スケベな勇者とは旅に出られません、ごめんなさい』じゃないか?」

「そんなに謝られると申し訳なく思えてくるが、想像に過ぎないから痛くはないな。ソフィアはどう思う?」


 先ほどから口数の少ないクレリックに話を振ると、顎に手を当てなにか思量している様子。

 どうしたのか聞くと、「いえ……」そう言って首を横に振った。


「そんなことより、早く祠を抜けようぜ。またゴーストが湧き出したら敵わねえ」

「うむ。それもそうだな」


 ソフィアの様子が気にかかるが、ライアの言うことは最もだ。

 それに、わしは諦めきれん自分に気づいている。ぜひわしの傍にいて欲しい。ライア、ソフィアと同じように愛を持って接する故。

 あの女子を追いかけよう。そしてもう一度仲間になってくれるよう乞い、バニースーツを着てもらうのだっ!


「では、急ぐぞ! 新大陸、ロクサリウムへ!」

「新しいのはあんただけだ」


 ソフィアの肩を叩いて促し、そうしてわしらは祠の泉から、新たな大陸へと飛んだのか流されたのか。

 ……まあ、飛んだにしておこう。

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