第18話 強盗犯の影

 新しい夜がきた。希望の夜だ。

 宿の三階。

 街の明かりが差し込む薄暗い一人部屋の扉の前で、わしは財布を握りしめる。Gの確かな感触を手のひらで感じながら、緊張に震えるもう片方の手でそっとノブに手をかけた。

 ほんのわずかに蝶番が鳴いたが、比較的静かに部屋を出られたと思う。

 両隣の二人には気づかれていないだろう。

 廊下は煌々と明かりが灯っているため、あまり挙動不審な行動をすると怪しまれる。だから部屋を出たら普段通りを心掛けて歩いた。

 時刻は八時。これから歓楽街や風俗街が賑わい出す時間だ。もちろんカジノもな。

 逸る気持ちを抑えながらも、自然、期待に足取りは早くなる。

 廊下の角を折れしばらく進むと、二階へ下りる階段を上ってくる見慣れた赤鎧に遭遇した!

 ドッキーン! と心臓が跳ね回る。


「あれ、おっさんどうしたんだ? こんな時間にお出かけか?」

「えっ! ああ、うむ。少し腹が空いてな」


 咄嗟なことに慌ててしまうが、なんとか言い訳を口に出すことが出来た。

 目が泳ぐのを隠すため、わしは窓の外へ視線を投げる。

 それを知ってか知らずか、ライアはからからと笑い、


「なんだ宿の夕食じゃ足りなかったのか。だったら、あたしも付き合おうか?」

「なんと!?」

「まあ特にやることもないし、付いてってやるよ」


 その申し出は嬉しくもある。これはデートというやつではないか。一度もしたことがないからな。好感度を上げるためにも重要なイベントだ。非常に魅力的な相談ではあるが……。


「いや、今夜はやめておこう」

「なんだ、行かないのか?」

「うむ。やはり、あまり食べすぎては防具の加工代がだな」

「ああ、そういうことか。てっきりあたしは、デートの誘いを断られたのかと思ったよ」

「それはまたの機会にするとしよう。今から楽しみだな、うはははは! というわけで、わしはトイレに行ってくるぞ」


 うむ、うむと頷きながらわしはライアの横を通り過ぎる。

 と、急に肩を掴まれた。またも心臓が跳ね上がる。


「トイレならこの階にもあるぜ?」

「あー、いや、少しでも歩かんと。運動不足だからな、はは、は……」


 なんとも心臓に悪い。

 そうして、多少怪訝な顔をされつつもわしは二階へ下りることに成功した。

 螺旋階段を下りていくと、一階との間の踊り場に青い法衣が立っていた!

 なぜ続けざまに二人に遭うのだ、運がないにも程がある。


「あら、勇者様、こんな時間にどちらへ?」

「えっ! ……いや、あの少し腹が痛くてな。夕食に出た毛サワガニが中ったのかもしれん」

「それは大事ですね。私がキュアで治療しますから大人しくしててくださいね」


 こちらへ腕を伸ばし、患部だと思っている腹へ手をかざすソフィア。

 このままでは外へ出る口実がなくなってしまう!


「いや、いやいや、わしは道具屋で見かけた腹痛に効く薬を試してみたくてな」

「そんなもの売ってました? 見かけたことないのですけど」

「交易が盛んだからな、大方隣の領土からも仕入れたりしているのだろう」

「隣、というか祠を飛んだ先は魔法の国ですわ。基本的に魔法武具なんかしか作ってないはずですが。それに、治せる病は神父やクレリックが治療するものです。錬金術師もいないこの辺りでは、お薬なんて作ってないんですけど?」


 ハッ!? こいつは墓穴を掘ってしまったか?

 訝しみ、眉間に皺を寄せてわしの目をのぞき込んでくるクレリック。真偽を見極める目は空恐ろしい。

 耐えられなくなり、わしはついに強行突破をすることに決めた!


「は、早く行かねば道具屋が閉まってしまう! ではな」

「あ、勇者様――!」


 咎めるようなソフィアの声が背中に降ってきたが、いまは構っている暇はない。

 なんとかソフィアも振り切ったわしは、宿の外へ飛び出した。

 スタコラサッサと夜の街を駆け抜け、歓楽街へとやってくる。

 飲食店や遊技場の明かり、カジノのネオンが煌びやかに灯り、その瞬きはまるで小さな頃に見た万華鏡のようだった。

 目的の看板を下から見上げ、


「ふふ、カジノよ! ついにわしは帰ってきたぞウサギさん!」


 財布をきつく握りしめ天高く腕を突き出しながら、わしはカジノの扉へ突撃した――。


「ふ、ふふ……」


 やはりわしは、運がいい男だ。

 あいや、ウェンネルソンで見たあのバニーちゃんはいなかったから、一概にそうとも言い切れぬところがなんだが。

 魔物へのリベンジは未だ果たせていないが、カジノへのリベンジは果たせたぞ!

 850Gを元手にし、スロットで15000G勝ち、ハイ&ローのダブルアップで勝ったことで、合計が50000Gになった!

 本当はもう少しあったのだが、それはバニーへのチップ代と、そして――


「うははははっ! 笑いが止まらんな!」


 カジノの景品に『バニースーツ』があったから残り一つを交換してきたのだ! もちろんうさ耳のカチューシャと黒の網タイツもあるぞ。

 ちなみに、わしが着るものではなく、ライアかソフィアのどちらかに着せるために交換したのだが。

 ライアの零れそうな美巨乳のバニー姿! ソフィアのはみ出さんばかりの美尻のバニー姿! 想像するだけでマイサン元気!

 ……着てくれるだろうか? いや、無理だろうかなー。


「まあ、そんな先の話はいまはどうでもよい。目の前の快楽を追わねば!」


 わしは気持ちを切り替え、風俗街を目指した。

 ふふふん♪ このお金で前々から気になっていた尻のお店に行こう! 洗体も気になるが、まずは尻から順に制覇しなければなるまい。どんなことが出来るのか楽しみだな。

 あまって余裕があれば、ほかの店も覗いてみよう。女子に膝枕をされながら耳かきとか、さぞ気持ちが良いのだろうなー。顔を埋めてみたりなんかして! 期待に妄想は膨らむ。

 歓楽街の道を脇にそれ、細く暗い裏路地を行く。この先に何もないのであれば不気味で恐ろしく感じるだろうが、先に輝く桃源郷があると思うと恐怖も雲散霧消するというもの。

 路地の先から、微かにピンク色のネオンが漏れてきている。そんな店の目と鼻の先で――

 ドガッ!


「ぐあっ?!」


 いきなり後頭部に強い衝撃を感じ、わしは顔面から地面に倒れた。唯一の王である証、王冠はカラカラと音を立てて転がり、手にした50000Gの入った袋は重い音を立てて横たわる。

 路地の道は細く狭い。両手を広げた程度の道幅だ。何者かが隠れられるようなところはない。とすると、


「上からか……」


 確認しようと頭を動かすが、あまりの痛さで見上げることも出来なかった。

 せめて犯人の姿だけでもと思い、なんとか首を振る。

 犯人は腰を屈め、Gの入った袋と王冠に手を伸ばそうとしているところだった。


「くっ……」


 黒いフード付きマントを視界に収めたところで、目の前が暗くなっていき――わしの意識がそこで途切れた。



「――っさん、おっさん!」

「――勇者様!」


 聞こえた声に、混濁した暗い海から意識は浮上し、人工的でない光を眼裏で感じた。静かに瞼を開けると、心配そうにわしをのぞき込むライアとソフィアの姿があった。

 窓を開けているのだろう。そよ風が二人の髪を揺らし、微かにシャンプーの匂いが香ってくる。外からは人々の声が聞こえてくるため、時間帯は日中だと分かる。


「よかったー、生きてたか」

「だから、生きてるから大丈夫って言ったでしょ。少しは私を信用しなさいよ」

「でもよ、さすがに三日も寝てたんじゃ心配にもなるだろ」

「それはそうだけどさ」


 二人の会話から、どうやらわしは三日も寝続けていたらしい。

 ゆっくりと上体を起こそうとすると、急に後頭部が痛みを訴えてくる。

 押さえた頭には包帯が巻かれていた。


「そうか……わしは殴られて……」

「起きられるか?」

「あ、ああ、なんとかな」


 言ったところで上手く起き上がれず手間取っていると、二人が介助してくれた。


「ありがとう」

「おっさん、一体なにがあったんだ?」

「道具屋の店主と喧嘩でもしたのですか? それにしても身包みまで剥がされるなんて、ひどい店主ですね」

「なんの話だよ。おっさんはトイレに行ったんだろ?」


 まずい。この二人に話した理由に齟齬があった。統一しておくべきだったなと、今さら後悔しても後の祭りだ。

 しかも目的は勝てるかもわからないギャンブルで、真の目的である風俗に行くため宿を出ただなんて。しかも情けないことに、暴漢に襲われこの有様とは……。

 追及逃れのため、わしは咄嗟に話題を変える。


「ところで、なんでわしは宿で寝ておるのだ?」

「ああ、それは巡回中におっさんを見つけた衛兵が、所持品の中から宿の部屋番号が書かれたプレートを発見したからだよ」

「それまで盗られていたら、今ごろどこへ連れていかれてたか」


 それまで? 他にもなにか盗られているのだろうか?

 部屋中を見渡してみる。そこには、いつもはあるはずのものが色々なかった。

 ウェンネルソンで買った袋も、アルノーム王の王冠もない。どころか、鋼の剣も盾も、革の鎧ですらそこにはなかった。


「わしの所持品が、ない……」


 思わず涙が滲む。

 誇りである代々の王冠もない。苦労して手に入れた鎧も、仲間が贈ってくれた盾も、依頼の礼として受け取った剣もない。

 気になっていた尻専門店を楽しみ、あまったお金でほかの店も行けたらいいな。そんなことを思ってGを放り込んだ袋も……バニースーツですら……。

 ふと、机に目をやると――そこには、ライアが拵えてくれた革の財布が置かれていた。ホテルの部屋プレートしか入れていなかったのがよかったのだろうか。

 それだけはよかったと、安堵に胸を撫でおろす。


「でも、生きてただけいいじゃねえか」

「そうですわ。命があるということは、犯人を探し出して豚箱にぶち込む機会があるということです。まあ、もし死んでいたとしても、私が復活の魔法でこっそり蘇生してあげますけど」

「お前、禁断の蘇生魔法まで使えるのかよ……」

「元神父代理だから、勇者を復活させる魔法くらい使えなくちゃね、務まらないのよ」

「相変わらず多才なんだな」

「あら珍し。一様、誉め言葉として受け取っておくわ」


 そのことについては有難い話ではあるが。

 それでも、失ったものへの未練、落胆は隠しきれそうにない。せっかく……。

 いや、しかしこれもまた考えよう、か。


「まあ、命には代えられんか」

「そうだぜ、元気出せよ!」


 ライアは肩をポンと叩いてくる。いつもならバシバシ叩いてくるのに。きっとわしを気遣ってくれているのだな。


「それで勇者様、起きたばかりで悪いのですが。犯人の顔は見ましたか?」


 神妙な顔つきで尋ねてくる。

 が、わしは力なく首を左右に振った。


「黒いフード付きのマントを着ていたのは覚えておるが、顔までは見えなかったな」

「フード付きの黒いマント……」


 ソフィアは顎に手を当て、なにやら思量する。

 心当たりがありそうなその様子に、ライアが「何か分かったのか?」と問うと、


「街の服屋でそんなのを見かけたわ」

「ってことは、聞きに行けばなにか分かるかもしれないな」

「勇者様、私たちは聞き込みに行ってきますので、ここで大人しくしていてくださいね」

「しばらく養生してろよな」


 そう言い置くと、二人は真剣な顔をして部屋を出て行った。

 わしは思い遣ってくれるその心遣いに、また目頭を熱くするのだった。

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