第13話 初バイト 喫茶パンフィル
いや、分かっている、分かっていた。
斡旋所での女剣士の意味深な笑み、その意味を。クレリックの『楽しみにしている』という言葉に含まれた二つ目の意味も……。
わしは薄々、気づいていたのだ。
「これはあまりにも酷い仕打ちではないかっ!」
自身の姿を改めて見、わしは声を大きくした。
依頼を受けた後、女剣士、クレリックと共にパンフィルに向かうと、さっそく更衣室に案内された。
なぜ女子しか給仕していないのに、男であるわしがこうもすんなり通されるのか。そんな疑問を口にする間もなく、着替えるように指示されたのだが……。
勇者と書かれたロッカーを開けると、なんとそこには女物のウェイトレス服がかけられていた。それしかなかった!
もしかしたらウェイターの服が――、そんな淡い期待も一瞬にして打ち砕かれたのだ。
わしは当然のごとく拒んだのだが、依頼を取り消すには金がかかると言われ、半ば丸め込まれる形で了承させられた。キャンセル料に50G必要と言われれば、納得するしかないだろう。だってわしの今の所持金、ゼロなんだもん。
ということで嫌々ながら服に袖を通したのだが……。
「なかなか似合ってるじゃないか」
「勇者様、なんだか気持ち悪いですよ?」
「バカ、本当のこと言ってどうするッ! その気にさせなきゃ意味ないだろ」
「悪かったわね、正直者で」
ぶつぶつと小声で話しているようだが、全部耳に届いていた。
こういうのを何と言うんだったか……そう、そうだ、豚に真珠というやつだ。いや、豚もおだてりゃ木に登るだったか? まあそんなことはどっちでもよい。
それに、クレリックがそう思うのも仕方のないことだ。わし自身、姿見を見て同じ感想を抱いたのだから。
「……よい、よいのだ」
鏡から見つめ返してくる小太りのオヤジは、ひどく疲れたような顔をして言った。……わしだった。
白のお仕着せは腹の辺りが目を瞠るほど出、コルセットは締まらず、短いスカートは伸び切り女物のおパンツが見えてしまっている。じゃっかん股間のモッコリ具合が気にはなるが、これが制服なのだから致し方ない。
しかしステテコくらい履かせてくれてもいいものを、変なところに拘りおって。
大根足を包む白い靴下(ニーソというらしいが)からは、文字通り根を伸ばす大根みたく脛毛が飛び出していた。
女子がしていれば実に可愛らしいフリフリのカチューシャは、わしのごわごわした天パでは、ブロッコリーに巻いたリボンのようで滑稽だ。
「……わしなんか、これでよいのだ」
「お、おい、おっさん泣いてるじゃねえか」
「きっと感動に咽び泣いてるのよ」
「そうは見えないけどな」
女子たちがなにやら会話に興じている。その音は耳奥でこもり、まるで遠くのことのように聞こえてくる。
「ま、まあとにかく、依頼頑張れよ、おっさん」
「私たちはしばらく外に出ていますので」
「ん? わしの仕事ぶりを見学してはいかんのか?」
突然告げられた退店の言葉に、わしは思わず聞き返していた。
あまりみっともない姿を見られたくはないが、初めてわし一人で遂行する依頼。出来れば見てほしいなと思ったり思わなかったり。
「あたしたちは、ちょっとやることがあるんでね」
「ええ、お腹が空いたらまた来ますわ」
楽しみにしています、の本来の意味だろう。好物のピーナッツバターサンド、それが楽しみだと。
二人はわしに手を振ると、更衣室を後にした。
言い知れぬ心細さを感じながら、一人立ち尽くしていると、
「勇者さーん、フロアお願いしまーす」
ウェイトレスの声が聞こえてきた。
まあ、やるからにはしっかりやらないと報酬も減額されてしまうかもしれんし。
こうなってしまったからには、腹を括るしかないだろう。
「……コルセットは締まらんがな」
胴部に巻かれたガバガバのコルセットに目を落とし、自嘲気味に呟く。
そうしてわしは返事をし、気を入れ直して更衣室を出た。
店内は明るく賑やかな様相を呈している。
温かみのある木の内装。天井は高くなにか四枚羽が回転し、お洒落な喫茶店の雰囲気を醸し出していた。
十席あるテーブル席、カウンター席もほぼ客で埋まっていて、皆にこやかに笑っている。客のほとんどはやはり、名物の『ピーナッツバターサンド』を注文しているらしい。
「あ、すみませーん」
ぼーっとしていたら、客が急に手を上げ声をかけてきた。
一応近づいて尋ねてみる。
「ん、わしか?」
「あ、はい。注文いいですか? ってえっ?」
二度見された。
わしを認識した瞬間目を丸くしたかと思ったら、カップルらしき客が途端に嫌そうな顔をする。
なんというか、失礼な客だな。
そういった感情はなるべく出さずに、わしは教えられた接客というもので対応する。
「注文なのだろう? オススメはピーナッツバターサンドだが、あまり客が頼みすぎると材料が枯渇するからあまり頼まないで欲しいそうだが。とにかくオススメはそれだな。ほかに食べたいものがあれば聞こう」
あれ、店の事情は口にしなくていいと言っていたかな?
まあいいだろう。どうせ頼まれたものをメモって厨房に持って行くだけなのだから。どちらにせよ、やることに変わりはない。
「じゃ、じゃあピーナッツバターサンドセットと、BLTサンドセットを一つずつで」
「うむ、少々待っておれ」
注文をメモし、わしは踵を返した。
スカートなのを忘れていていつも通りターンをしたため、ふわりとヒダが広がりおパンツを曝してしまった。
「うげっ! 食事前に変なもん見た!」
「なにあれサイテー、女物じゃん。変態じゃないの?」
なにやら言っとるが気にしない。わしはいまウェイトレスだからな。気にするだけ無駄、それは意味がないことだ。
文句があるなら、了承した斡旋所職員と店長に言うべきだな。
厨房に注文を出し、調理担当の手際に驚く間もなく出来上がった。
お馴染みのサンドウィッチと、ベーコン、トマト、レタスが挟まれた目にも鮮やかなサンドウィッチ。
料理皿とコーヒーをトレイに乗せ、両手に携えてわしは客の元へと運ぶ。
「待たせたな、注文のピーナッツバターサンドのセットと、Bなんとかのセットだ。ゆっくりしてゆくがよい」
「あ、ありがとう」
客はなぜか、顔を引きつらせながらトレイを受け取る。
少しばかりコーヒーが零れてしまったが、初めてにしては上出来だろう。
納得し一人頷いていると、新たな注文が入った。
わしは足早にそちらへ向かう。
「うむ、ピーナッツバターサンドとBなんとかのセットだろう?」
「いや、俺パスタで」
「ぼくはピザで」
「なんと、そんなものがあったのか」
わしもメニュー表をのぞき込む。確かにパスタとピザの表記がされていた。
ほう、と感心していると、
「おいデブ、早く注文持ってけよ」
「だ、だれがデブだ! わしは少しばかり丸いだけだ!」
そう反論すると、痩せ気味の男はわしの太鼓腹を叩いてきた。
おもわず仰け反る。
その隣のピザを注文したぽっちゃりも、続くように叩いてくる。
「わしの腹はお前たちのおもちゃじゃない!」
「なんだよ、よく見なくてもオヤジじゃねえか。汚ねえまたぐら見せんじゃねえよ、飯が不味くなるだろ」
まだ食っとらんのによく言う。
それにスカートが短すぎて、見えてしまうものはしょうがないだろう。
しかし、あんまり反抗すると報酬が減額されかねないため、これ以上やり合うのは止めにすることにしよう。大人な対応だ、子供とは違う。紳士だからな。
だが言われっぱなしは悔しい。
わしはわざとスカートを閃かせるようにターンをし、男たちに向かって一度尻を突き出し、そして厨房に向かった。
「おぇっ」――背後でえずく声が聞こえてきたが、そんなことは知らん。
というか、わしを見てえずくなんて酷い! ちょっとモッコリしているだけなのに!
厨房から料理を運ぶと、なぜか涙目で男たちはわしを睨んできた。
その後も自分なりにテキパキと働き、適度な汗をかくようになった頃――
気づけばもう既に、店の外は茜色に染まっていた。
白い石造りなためか、町全体が橙色に燃えているようで、とても綺麗だ。
「あやつら、ついには来なかったではないか……」
一人ごちる。
閉店時間までおよそ一時間。
腹が減ったらと言っていたのに、もう夜だぞ。もしかして、わしは見捨てられたのだろうか?
客の空いたテーブルを拭きながら、物憂げなため息が出た。
思った以上に、わしはあの二人との旅を楽しんでいるようだ。こうも一緒にいない時間が長かったことはないからな。不安を感じているのだろう。
思えば思うほどため息は出るもので――
「はぁーーーーーー」
そう盛大にため息を吐いた時だ。
店のカウベルがカランカランと鳴り――
「おっ、いたいた」
「ちゃんとやってるみたいですね、感心しました。勇者様」
光の速さで振り返る!
そこには見慣れた二人の女子が。乳の女剣士と、尻のクレリックだ。
両の目に、思いがけず涙がにじむ。折れかけていた股間も、もとい心も立ち上がる!
「おいおい、なに泣いてんだよ」
「そんなに忙しかったんですか?」
「忙しかったから泣いているのではない。わしは、わしは……お前さんたちに見捨てられたのかと思って――」
女剣士は、いつものように呆れた風な仕草をする。
顔を見合わせたクレリックも、微笑を浮かべながら息をついた。
「そんなわけないだろ」
「そうですわ。勇者様を置いて旅に出るなどありえません。私たちのリーダーなのですから」
「一応だけどな」
「お、おぉ…………」
涙で前がよく見えん。二人の顔が水浸しだ。
せっかく拭いたのに、テーブルに水溜りが出来ている。わしは生まれて初めて、綺麗な心で感動しているかもしれん。
これは、この二人をもてなさなければ!
わしは制服の袖で乱暴に涙を拭う。
「ささ、お前さんたち、今夜はわしの奢りだ。たんと食べるがよい」
そうして奢ったまではよかったが――。
二人でちょうど200G分食べられてしまい、わしの稼ぎがすっ飛んでしまった。
バイト終わり。
宿への帰り道、わしはまた別な意味で涙を流していた。
「わしの初依頼が無報酬とは……」
「おっさん、そんなに肩を落とすなよ」
「そうですわ。あんな珍妙な経験、めったに出来ることではありませんし」
二人の慰めも、今は右から左だ。
がくりと頭を垂れると、不意に横から赤い手が差し出された。女剣士のガントレットだ。その手には、なにやら小袋が握られている。
「……これは?」
「おっさん頑張ってたからな、あたしたちからのプレゼントだよ」
「今日グリズリーを六体狩ってきました。中には3000G入ってます」
「それで明日、この町の防具屋で鋼の盾なんか買えばいい。この先は魔物も少し強くなるからな。鎧は高いから、とりあえずは盾だ」
「それと百科事典代ですよ。おつりは差し上げますわ」
二人は爽やかに笑う。ウェンネルソンの月夜に舞い降りた、まるで女神のようだった。
だからパンフィルに来るのが遅くなったのか。しかもこんなわしのために、3000Gも。
「ありがとう、二人とも。気持ち悪いだの変態だの、デブだの臭いだのと蔑まれ疎まれ、時に蹴られたことなんかも、我慢して耐えた甲斐があったというものだ」
「そんな酷いことされたのか」
「……まあ、あれはどこからどう見ても気持ち悪いですし」
「シッ! だから正直に言うなってのッ」
「悪かったわね」
いつも通り。
なんだかそれだけでホッとしてしまう。
わしはこんな日常を、知らぬ内に愛してしまっていたのだろう。
「ふふ、ふはははは!」
「今度は笑い出したぞ」
「いや、わしも気持ち悪いなと思っておったのだ。なんなら、いつでもあの姿になってやってもよいぞ。制服もらってきたしな。もう羞恥心はない」
「もらってくんなよ! 誰が見たいんだよあんなもん」
「羞恥心なくしたら、ただの変態じゃないですか」
「ふはははははっ!」
クレリックが左の頬を抓ってくる。女剣士が鞘尻で右の頬をぐりぐりしてくる。
紛うことのない現実の痛み。久しぶりに感じてつい嬉しくなってしまう。
いやあ、旅って楽しくて仕方ない!
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