第14話 それぞれの名

「ふふふ、ふふ、ふははははは!」

「おっさん、さっきから気持ち悪いぞ」


 人が気持ちよく笑っていたら、女剣士から気持ち悪い呼ばわりされた。

 ウェンネルソンから出発し、次の目的地への街道を歩く。見渡す限りの草原だ。遠くには薄い緑の山嶺と、森の濃緑が望める。

 なぜわしが、こんなにも上機嫌なのかというと、それは先刻の出来事を振り返らざるを得ないだろう――。



 宿で一泊したわしらは、朝九時に宿を出た。

 さっそく鋼の剣を受け取りにカーくんの鍛冶屋に行ったのだが、最後の研ぎがもう少しで終わるらしく、一先ず防具屋へ行くことにしたのだ。

 そこでようやく、わしも多少防御力に長ける鋼の盾を手にすることが出来た。

 比較的小さな円形の盾だ。大きなものも売っていたが、わしには重すぎたので小さい方にした。表面は丸みを帯びていて、受け流しやすそうな形状になっている。

 もちろん、その後道具屋へ寄り、魔物大百科も手に入れた。余ったおつりで、新しく丈夫な皮袋も入手したため、これでいろいろ入れられる。


 しばらく町を見て歩き、そろそろ頃合いかと鍛冶屋に足を向けると、店の前でカーくんとその彼女がわしらを待っていた。

 カーくんの手には、鞘に納められた一振りの剣が握られている。


「こいつはあんたの剣だ。鞘も特別に革製にしておいたぞ」

「なんと、わしの為にか!」

「ああ、ミナちゃんを助けてくれたんだ、そのくらいはサービスさせてくれ」

「ちょっといいかい?」


 言うなり、女剣士はカーくんの手から剣を取って、スッと一気に抜き放つ。

 スムーズに抜かれた刀身は、陽の光を反射して眩いほどに輝いている。


「へえ、こいつはちゃんと鍛えられてる剣だね」

「あんた分かるのか?」

「ああ、鋳造じゃない、しっかり鍛造された剣だ。持った瞬間に分かる」

「それは何が違うのだ?」


 わしの問いかけに、女剣士はふふんと鼻を鳴らして得意げに言った。


「普通最近の武器屋ってのは売るために量産をするんだけど、その際たいてい鋳型を使って溶かした金属を流し込んだものを研いで作るんだ。一から金属鍛えてたんじゃ時間もかかるし生産性も低い。販売目的なら非効率的だからな。けどこいつは違う」

「その通り。やっぱり分かる人には分かるんだなぁ、ちょっと感動した。勇者さん、鋳造は鍛造に比べて金属の密度が低いんだ。だから流し込みで作った剣には鍛えた物ほどの強度がないんだよ」

「つまり、ちょっとのことじゃ壊れにくいってことさ。それにしても、重みが手に吸い付いてくるような感じだ。いい剣だよ、おっさん」


 そう言って、女剣士はかっこよく剣を鞘に納めると、それをこちらへ差し出してくる。

 わしは説明に納得し、頷きながら受け取った。


「……重い」

「まあ、鋼だからな」

「己を鍛えるしかありませんね、勇者様」


 盾よりも重量がある気がするこんなものを、まともに振れるのかいまから心配だな。

 しかし、その心遣いは素直に嬉しかった。なんせ新品同様な銅の剣を、大して使い込む間もなく、魔王の幻影とやらに溶かされてしまったんだからな。あれはきっと鋳造という製法だったのだろう。

 鞘に収めた刃のない柄だけの剣が、どうしようもなく惨めで仕方なかった。物に同情したのは、生まれて初めてだったかもしれん。

 しかも鞘も特別製だというではないか。それで店売りのものより200Gも安いなんて。カーくんに感謝してもしきれんよ。



「――気持ち悪いとは失礼な。これを見よ。この白に輝く鋼の美しさを。シンメトリーに聳える尖塔。芸術の都の民家に刺さっていても、それが剣だとは到底思えないほどの美術的価値を持った、洗練されたすばらしい出来ではないか。笑うなと言うのは酷な話だぞ、女剣士よ」

「あーうるせえうるせえ、何度目だよ、そのセリフ。もう聞き飽きて耳がオクトパスだぜ」


 耳からタコ足が生えているのを想像する。

 うねうねと鞭打つようにのた打ち回る、気色の悪い脳内映像に、危うくさっき食したピーナッツバターサンドをリバースしそうになった。

 仕方がないので剣を鞘に納める。


「気持ちの悪いことを言わんでくれ……」

「これだから野蛮な脳筋は浅学でいやになるわね。たこはたこでも、そのタコじゃないわよ」


 呆れたようにクレリック。

 同じことを考え想像したわしも、暗に馬鹿と言われているような気がして少し悲しくなった。


「ところでこれからどうします? この先の町までは距離がありますが」

「その前にたしか村があっただろ、そこでいったん宿取った方がいいんじゃないか?」

「うむ、そうだな。鋼の剣を手にしたといっても、ゴーストには効かない。聖水も追っ払うだけで倒せるわけではないのだからな。それなら、村に急いだ方がよさそうだ」

「おっ、少しは勉強してるみたいじゃないか」


 当然だ、と得意げに言ってのける。町を出てから、この辺りの魔物については辞典で予習したからな。

 それにわしらは勇者一行。

 旅の目的は魔王を打ち倒すこと。そして世界に平和をもたらす事だ。

 鋼の剣ごときで浮かれてはいられない。これは通過点でしかないのだから。

 調子に乗って夜通し歩いて、ゴーストにやられてしまってはいい笑いものだ。

 わしは再び剣を抜いた。この剣を手にしたからには、これから頑張っていかねばならない。そんな気概に満ち満ちた目で鋼の刀身を眺める。

 ……やはり、ニマニマしてしまうのは致し方ないこと。


 刀の鞘を肩にとんとんと当てながら、女剣士は感心している。

 と――

 ズバッ!!


「えっ?」


 気づいた時、女剣士は、大股五歩分ほどのわしとの距離をいっきに詰め、刀を抜き、なにかを斬りながら横を通り抜けた。ぷぎぃと小さな悲鳴が聞こえる。

 残心しつつ、チンッと納刀する音がした。ややあって、バシャアと水音が耳に届いた。

 気になって背後を振り返る。下に目をやると。そこには、鋭い牙を持ったイノシシが真っ二つになって血の海に倒れていた。猛進イノシシだ。

 やがて光の粒子となり、そこには牙だけが残された。


「油断しすぎだぞ、おっさん」


 白い歯を覗かせながら、にっと笑う。

 そのあまりに眩しい笑顔に、そして命の危機を救ってくれた仲間に対し、わしは心からの感謝の気持ちを体現しようと、駆け出した!


「うぅおぉぉぉおおおお!! ありがとうパティスちゅわぁぁあああん!!!!」


 腹肉がぶるるんと踊る。

 勢いに任せて抱きつこうとしたが、その思惑は寸でのところで失敗に終わった。

 鞘尻が眉間を突き、それ以上前に踏み出すことが出来なくなっていたのだ。


「痛い、なにをする」


 なおもぐりぐりとねじ込まれる鞘のお尻。出来ればパティスちゃんのお尻を押し付けてほしいものだが、そんなことをこの場で口には出来んだろう。

 その表情を確認しようと、女剣士の顔を見た。不浄なものでも見下すかのような視線で眼を射抜かれる。


「下心見え見えすぎて気持ちが悪い」

「そげなこと言わないでパティスちゃん」

「だから、その名前で呼ぶなよ! それは源氏名だ! ただでさえ、あんなところで働いてたのは黒歴史なのに……」


 後悔しているのだろうか。がっくりとうな垂れるその姿は、いつもの強い女剣士からは程遠く弱弱しい。

 しかし、そのおかげでわしは女剣士と出会えたんだし……あれ、そうでもないか?


「なら、本名はなんなのだ?」


 言葉にぴくりと反応し、しばし思考しているように固まった。

 ややあって、顔を上げた女剣士はいつもどおり呆れた調子で言った。


「その質問はいまさら過ぎないか?」

「仕方がないだろう、聞く機会を逸しておったんだし」


 それだけでなく。

 女剣士はわしを『おっさん』と呼び、クレリックは『勇者様』と呼んでくる。

 二人が役職(片方は違うが……)で呼んでくるので、わしもそう呼んだ方がいいと思っていたから、聞くに聞けなかったのだ。


「しょうがない。仲間になったんだし、教えてやるよ。一度しか言わないから、耳の穴かっぽじってよく聞けよ。あたしの名前はライア、女剣士ライアだ」

「ライア、いい名前ではないか」


 いまさらだが、赤がよく似合いそうな名前だなって思った。


「次はおっさんの番だぜ?」

「わし……?」


 とどのつまり、わしの名前が知りたいと、そういうことだろうか?

 しかしこれは困った。わしはほぼ、王様としか呼ばれたことがない。名詞である王様が、もはやわしの名前だと自分でも思っていた。

 名前という名前があったかすら、いまとなっては思い出せないのだ。


「……王様」

「喧嘩売ってんのか?」


 素直に答えたのに、刀の唾で小突かれた。痛い。


「しかしだなー」

「ん? まさか、覚えてないとかいう冗談なのか?」


 覚えていないという事実は冗談ではないと思うのだが……。


「まあ、そうなるかもしれん」


 正直に答えると、あからさまに落胆したように憮然とされた。

 と、いきなり頭が軽くなるのを感じた。脳みそが空になったとかいう冗談ではない。それは、わしの王様である最後の証でもある王冠が外されたことによるものだ。

 振り返ると、クレリックがいた。


「勇者様、少し失礼します。もしかしたら王冠に名前が彫られているかもと思いまして……」


 王冠を裏返し、その内周を精査し始める。

 回転させたり、皿のようにして目を走らせる。

 しばらくすると、なにかを見つけたようにハッとした。


「……ワルド」

「ワルド?」

「ワルド……?」


 クレリックの言葉に、わしらは連続して鸚鵡返しした。


「それがおっさんの名前なのか?」

「ええ、そう書いてあるけど……」


 ちらとクレリックが目配せしてくる。わしはあまりのショックに言葉が出ない。


「ははっ、なんか魔王よりも悪そうな名前だな」


 ライアが笑いながら口にした。

 ナイーブな心の傷を真綿で抉りかえすような、やわらかな痛みがちくちくともどかしい。

 そうなのだ。悪そうなのだ。ワルドだなんて、どこの国の悪逆皇帝にだっていやしそうにない名前だ。そんな悪い王だって、こんな名前よりはかっこよくてスタイリッシュな名をしているだろう。

 言い知れぬ悔しさに、自然と涙が浮かんできた。


「ワルドのおっさん、泣いてるのか?」

「泣いてない」

「泣いてるじゃねえか」

「泣いてないと言っておる」


 つつーと頬を水が伝う。きっとこれは雨だ。もしくは先ほどのイノシシの返り血だ。そうに違いない。


「悔しかったら泣いていいんだぞ?」


 ライアはそう言ってくれるが、名前が想像と違った。それが悔しかった。そんなことで泣く奴がどこにいるんだ。逆に惨めなだけではないか。

 四十を過ぎた渋くてナウいオヤジが、そんなことで泣いてどうする。わしは王、いまは勇者。どんな困難にも立ち向かう、それが勇者だ。こんなことでへこんでなんていられない。

 ぐいっと服の袖で涙を拭う。そして気持ちを切り替えた。


「ふはは、まあ、魔王よりかはいいではないか。名詞でしか呼ばれない輩よりはマシだろう」


 いままでそれが自身の名だと思っていたが、固有名詞があるだけで多少の優越感に浸れるというものだ。アイデンティティ万歳!


「まあ、魔王にも名前はありますけどね」

「……えっ?」


 クレリックの言葉に笑いが止まる。冷ややかな手で背筋を撫でられた気がした。

 まさか、わしよりもかっちょいい名前が……っ!?

 聞きたくない、聞きたくないと脳が拒絶の信号を発し、両耳を塞ぐ動作に移行した、瞬間――


「あたしも聞いたことあるぞ。エリオだっけか? あれ、エルモだっけ」

「エルムよ」


 聞こえた魔王の名とやらに、ぴたりと両の手が止まった。

 エルム?


「なんて弱そうな名前だ」

「名前だけならおっさんの勝ちだな!」


 それは喜んでいいのか悪いのか。判断に迷うが、若干の勝利感。

 魔泉での幻影の禍々しい姿、あのうねうねと蠢く触手、瘴気。とてもじゃないが、『エルム』だなんて名前だとは到底思えない。

 どこの小奇麗な青年だ?


「さて、おっさんの名前も分かったことだし、最後は……」


 わしとライアの視線が合わせてクレリックに注がれる。

 なんの躊躇いもなく、クレリックはその小さな口を開いた。


「ソフィアです。以後よろしく」


 ソフィアは丁寧な礼をしてみせる。


 冒険を始めてからいまのパーティーを組み、数週間。

 初めて互いに名乗り、その名を知ることが出来た。結束力が少し増した気がする。

 ……自分の名前にはショックを受けたが。

 ここから新たな気持ちで一歩を踏み出そう。

 ワシらには、魔王を倒すという使命があるのだ。気を引き締めていかないと。


 ……これから仲間が増えるかもしれんし、その時はすぐに名を尋ねようと思った。


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