第二章 グランフィード編
第8話 踊る木偶人形
グランフィードの地を踏んでからおよそ三時間半。
いつまでも祠の前にいるわけにもいかず、とりあえず歩き出したはいいのだが。
視界に入ってくるのは広大な草原だけ。林や森、岩山なんかは見えているのだがはるか遠く……。
緑薫る爽やかな風が吹き抜け大変心地良いのだが、次の目的地まで舗装された道をひた歩くだけという現状に、早くも飽きがき出した。
ちなみに長らく風を受けていたことにより、すっかり服も体も乾き、ついでに髪も乾いた。
のだが、
「もとに戻っちまったな、髪」
女剣士が物珍しそうな顔をして言った。
鼻先まであった長さの髪は、きれいに元通り。後ろも肩辺りまであったのに、くるくるに巻かれて本来の天パに戻ってしまっていた。
……膝枕が…………。
がくりと項垂れ、一人憂う。
女子と旅をすること自体はいいのだが、基本歩き通しで、なんとも退屈極まりない。いまだ魔物にも出会わんし。
わしの銅の剣はまだスライムしか切っておらんのだぞ?
旅とは存外、暇を持て余すものなのだな。
「退屈ですか、勇者様?」
「それはまあ、なんというか、そうだな。ただ歩くのは暇ではある」
両手に乳と尻でも携えていれば、まったく文句はないのだが。ちょうど両手にいるのだし。
でもわし、生きておるしなぁ。
もう少し条件を緩和してもらいたいと思うのは、男として当然の思考だろう。わしにとって至高の嗜好すべきものであるゆえ、多少厳しいくらいなら燃えるのだが……。
「次の町までは村一つもないからな。それに夜になると厄介なゴーストどもが沸くから、さっさと街道を抜けちまうのがいい」
「ゴースト? お化けが出るのか、ここは」
「ああ。物理で殴ってもほとんど効かないから、本当は魔法使いでもいた方がいいんだけどさ」
幽霊か。話には聞いたことがあるが、実際に見たことはない。
城にいた頃に『合わせ鏡』というのをこっそりやったことはあるが、なにも起こらんかったし。話半分で信じてはいなかったのだが……。
女剣士が煩わしそうに口にしているところを見る限り、本当にソレはいるのだろう。
興味はあるが殴っても意味がないのなら、わしの出番はなさそうだし、言う通り、はやく抜けてしまった方がいいだろう。
「聖水なら一応用意はしているのですが……」
「ん?」
クレリックの一言に、ピクリと耳が反応を示す。
聖水……?
「そ、それはもしや、お前さんの……?」
「ええ、私が持ってきたものですが」
な、なんと! いつの間にそんなものを用意しておったのだ!?
もしかして、野宿をした際にか? いやいや、寝る前に水を飲んだのであれば、夜中に用を足しに目が覚めてしまってもなんらおかしくはないが。
こそこそと空き瓶にしている様をつい想像してしまう。
「そそそ、そうか。お前さんの……」
見た目に似合わず大胆なのだな、なんて一人ニヤニヤしていると――
「おっさん、変なこと考えてんじゃねえよ」
「おふん」
頬をほんのりと朱に染めた女剣士が、刀の鞘尻でわしの脇腹を小突いてきた。
皮の鎧は腹部は皮で覆われているが、脇腹は動きやすくするためにあえて防御されてはいないのだ。さほど痛くはないが、不意打ちに驚いた。
「いきなり何をする」
「あんたがエロいこと考えてるからだろ、この変態め」
「エロい?」
小首を傾げたクレリックはややあって、「ああ、なるほど」と頷いた。
金糸の隙間から覗くこめかみに、じゃっかん青筋が立っているのは見なかったことにしよう。
「勇者様、聖水というのはお小水のことではありませんよ? 特別に聖別されたお水のことで。……あんまりエッチが過ぎると、ぶん殴りますわよ?」
「ひぃいいいっ!」
表情に影が落ちている。かわいらしい手は強暴なグーに握られている。口元は笑っているが、言葉はひどく丁寧で攻撃的だ。
初めての体験に背筋が粟立つ。マイサンも萎縮してしまった。
それもこれも、退屈すぎるのが悪いのだ! 魔物でも出てくれば、緊張感も増すというのに。
脱力しながらわしは周囲を見渡した。草花が風に吹かれ穏やかに揺れている。
ぐるりと一周してみると、先ほどまではいなかった人影が、街道から少し逸れたところに立っていた。
「おっ、旅人かな?」
しかし不思議な動きをしている。くねくねとしたり、激しく腰を振り回したり。
もしかしたら旅のダンサーなのかもしれない。
これはいい暇つぶしになりそうだと、わしは素直に感じた。
「ちょいとわし、あやつに声をかけてくる!」
指さしながら言うと、女剣士とクレリックは揃って目をやった。
「あやつ? ああ、あれはなおっさん――、て行っちまった」
「まあ、暇つぶしにはなるんじゃない?」
「それもそうだな」
背後で二人の声がかすかに聞こえたが、わしは構わず駆け出した。
近づいてみると、人間だと思ったそれはどうやら木で出来た人形のようだった。
なにかテンポを刻むようなステップを踏み、上半身を逸らしたり頭を前後に振ってみたり。なかなか見ていて癖になる動きだな。
しばらく見ていると、自分の体がわずかに人形と同じ動きをし始めた。
「おっ? おおっ? なんだこれは、体が勝手に動きおる」
肩を上下動させ、腰を回転させ、時には前後に動かし、とそれはだんだんと激しさを増してゆく。
【勇者? は不思議なおどりを踊っている】
「こ、これはどういうことだ? つられて踊ってしまうのだが」
「そいつは踊る木偶人形って魔物だ」
「あまり至近距離でじっと見続けると、レベルの低い者はつられて踊ってしまうのです」
「止める術はないのか?」
首だけを二人に振り、わしは問うた。
その動作ですらだんだんと難しくなってくる。
「人形が飽きるか、人形を倒すか、おっさんが疲れて瀕死になるかだな」
「ちなみに瀕死になった場合は、膝をついた瞬間に人形に襲われますよ」
「それではわし死んでしまうではないか! たた、助けてくれい!」
救助を懇願するも、二人はなにやら顔を見合わせて――あろうことかその場で座り込んでしまった。
「えっ、なんで?」
「退屈してたんだろ、しばらくそこで踊ってろよ。見ててやるからさ」
「私たちはそれを肴に、干し肉とりんごジュースで一杯やってますからお気になさらず」
その組み合わせはどうなのだ? と問うてみたかったがそんな余裕はもうない。
木偶人形は腰をぶんぶん振り回す。わしもつられてぶん回す。
回しすぎてだんだんとズボンがずり下がってきた。辛うじてチ〇コの部分で止まっていたが、ついには完全にひざ下まで脱げてしまう。
今度は人形が尻を後ろへ突き出し始めた。わしも合わせてヒップアタックを繰り出す。誘うように左右に尻を振り、そして腰を勢いよく突き出すことを繰り返す。
「あはは! なんだよその動き、みっともねー」
「勇者様、いい肴になってますわ」
二人はそれを傍目にし、手を叩き笑い合い談笑に興じていた。
なんと酷い! 助けてくれてもいいのにっ! わしがいい見世物になっているではないか。
心の中で愚痴ってみるも、変な踊りは止まらない。
――あっ! まずい、パンツまで脱げてきた! このままではマイサンがポロる!
そんなわしの心情などお構いなしに、人形の動きはさらに激化する。
わしの体力も減っていくが、まだ立っていられる体力が恨めしい。
こんなところで露出してしまっては末代までの恥! 早く減ってしまって膝をつきたかったが、その願いもむなしく。
「あぁッ!」
ついにパンツは腿まで下がり、マイサンはポロるだけに留まらず、人形の動きに合わせ腰をぶん回したことにより、まるで風車のようにチ〇コ大回転が巻き起こった!
しかしやめられない止まらない!
「げっ! なんてもん曝してんだよ! 食事中だぞッ」
「し、仕方がなかろう! 止まれんのだから」
ドン引きする女剣士に反論すると、なにやらその隣で静かに立ち上がるクレリック。背後で『ゴゴゴゴッ』と擬音が鳴り響いてそうなほど、不穏な空気感を醸し出している。
そしてゆっくりと右手を拳に形作り、ゆるやかに腕を引き絞る。
左腕を前に出して構えると、
「粗末なものを、見せないで」
静かに唾棄し、大地を蹴った。
瞬きした瞬間にはわしの目の前を通り過ぎ――横目にした光景は圧倒的な暴力だった。
風すら置き去りにして突き出された拳は、踊り狂う木偶人形の胸部を粉砕し、吹き飛ばされた体は衝撃により木っ端微塵となっていた。
光の粒子となって消えた後には、木材が一つ残された。
魔物が退治されたことにより、やっとわしも踊りから解放される。
一息つき、煙を上げる拳を擦りこちらへ振り返るクレリック。
「勇者様、あなた勇者だからといって少し調子に乗りすぎですわ」
「いやしかしな、あれは踊り狂わされておった故の不可抗力による事故というかなんというか。わしも曝したくて曝したわけではないのだ」
曝すならぜひベッドの上でだな、組んず解れつしっぽりとお披露目したいものだと思っている。
「暇つぶしだと思って触ったらこのような惨事に」
「惨事を被ったのはこちらです。口答えをするなら潰しますよ?」
「ひぃいい! ごめんなさい!」
拳を握られたため、つい脊髄反射的に謝ってしまった。
が、それで事なきを得られるなら土下座でもなんでもしよう。
「あなたはもう少し魔物について学ぶべきですわ。次の町に着いたら、『魔物大百科』でも買いなさい」
「金が足りんかもしれんが――」
「貯めなさい」
「……はい」
ぴしゃりと言い切られ、素直に頷くしかなかった。
クレリックの後方では、まるで喜劇でも見ているかのように女剣士が笑い転げている。そんなにわしが叱られる姿は愉快なのだろうか。
それにしても、わしの息子を言うに事欠いて『粗末なもの』とは。
腹のぜい肉に埋もれているだけで、意外と大きいのだぞ!
これはいつかビッグダンディとなっている時のお珍宝を披露するしかないな!
わしは強く、そう心に決めたのだ。
「――次の町へ行くぞ、皆の者!」
鼻息を荒くして、わしはグランフィードの舗装道路を蹴った。
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