第7話 旅の祠 そして新たな大地へ

 一兎を逃がしてから半日を費やし、祠までもう半分というところで野宿をしたわしらは、日の出とともに再び草原を歩き出した。

 むすっとして女剣士の背中を見やる。ポニーテイルが楽しげに揺れているが、わしの機嫌は振るわない。


 休む時くらい鎧を脱げばいいだろうに、女剣士はなんともお固いことに、鎧を着こんだままで睡眠をとったのだ。


「いつ魔物に襲われてもいいように、野宿の時は脱がないんだよ――」


 なんてことを言っていたが。

 わしにおっぱいを揉みしだかれることを危惧したようにしか思えん。

 もしや脱ぐかもと期待に胸躍らせていたわしの純粋な心は萎れ、寝込みの乳を襲うはずだった両手は虚しく空を掴んだのだ。

 しかし眼福というべきこともあった。

 寝返りをうったクレリックの尻が眼前に迫ったのだ。その絶景たるや、このわしが咄嗟に体を硬直させてしまうくらいに素晴らしかった。体温やら匂いなんかも法衣越しに感じられ、鼻から深呼吸を繰り返してみたりなんかして! 大興奮した!

 やはり女体は良いものだ。改めてそんなことを思った、初めての野宿だった。

 そんなこともあってか寝不足で、昨日とは別な意味で疲れていたが。


「おっ、祠の洞窟が見えてきたぜ」


 女剣士の一言に、ドキリと心臓が跳ねる。あまり考えないようにしていた。この先のことは、あまり深く。

 指さす先に目を向けると、岩山にぽっかりと口を開ける洞窟の入口が見えた。

 手前には松明が灯り、その煙が洞窟に向かって流れている。


「あの先にその、祠があるのか?」

「ああ。おっさん、アルノームに別れを告げる時がきたぜ。心の準備は出来てるか?」

「ん?」


 女剣士はなにを言っているのだろうか。アルノームとはとうの昔に別れを告げたというのに。


「なんでキョトンとしてんだよ」

「いや、アルノームはすでに出たではないか」


 一瞬、わしが何を言っているのか分からない。そんな顔をしたが、すぐに呆れたようにため息をつき、そして告げた。


「あんた王様のくせになんにも知らないんだな。仮にも自分の領土だろ」

「それはどういう……」


 するとクレリックが笑いをこぼしながら補足する。


「ふふっ。勇者様、アルノームというのは町の名前であると同時に、あなたが治めているこの領土そのものも言うんですよ」

「そうだったのか。そんなことは初めて聞いたぞ」


 とすると、旅の祠とやらに入ったらもう次の大地を踏むわけか。わし以外の誰かが治めているのだろう。

 しかしなんだな。アルノームはもの凄い小国だったのだな。城下の他に町はなく、あるのは村一つとボロい尖塔だけとは。町一つとってみても、民家は五棟、道具屋、武器屋、酒場、教会、質素な宿屋、そして地下に設けられたむにむに屋……。

 しかも述べ一週間もあれば踏破出来てしまう領地の狭さときた。

 ……なんだか情けなくなってきたぞ。


「本当に王様やってたのか? 世間知らずにもほどがある」


 女剣士は訝しんで見てくるが、知らぬことを自分自身おかしなことだという認識をしたことがないからな。その質問をされることに特別なにか嫌な感情は抱かんが。

 疑っていることくらいは分かるぞ。


「しかし、国政は大臣がやっておったからな。わしは知らぬ存ぜぬだ」

「王様がそれでいいんですか?」


 王になって早二十余年。

 特に大した問題などは起きていないから、別に問題はないだろう。

 それに、


「“わたくしにお任せください”とまで言われれば、まあ任せてみようかなと思うだろう? そのままずるずると……気づけばこんな感じ」

「こんな感じ、じゃねえよ。可愛い子ぶんな気持ち悪い。で? あんたの仕事はなんだったんだ?」


 わしの仕事、わしの仕事な……。

 そう言って考え込まなくとも、思いつく限り二つしかないのだから頭を悩ます必要もない。


「それはもちろん、死んだ勇者に『おお勇者よ、死んでしまうとは情けない』と激励してやることと、夜の城下町に繰り出してのむにむに屋通いだな」

「後者は仕事じゃないだろ。それに前者は激励になってんのか、それ。煽ってるようにしか聞こえないんだけど」


 聞くものが聞いたらそう感じるのだろうか。

 しかし、わしが言うのもなんだが。勇者ともあろう者が町を出てすぐに死んでしまうのは、さすがに情けないと思うだろう。

 それを素直に口にしてきた結果がこれだ。意味が分からん。


「だがな、いまは勇者に感謝している。このような若い娘御と一緒に旅を出来るなんて。わしは感謝してもしきれんよ」


 わしが旅に出ていなかったら、この女子たちはあやつの仲間となっていたかもしれないのだからな。

 あんな情けないもやしに好き勝手されていたかと思うと、怒りに震えて夜も寝付けん!


「まあ、感謝されるのは悪くないな」

「そうですね、私も共に旅が出来て楽しいですわ。退屈しなくて済みますし」

「そう言ってくれると、わしも勇者になった甲斐があるというものだ」

「まだ似非だけどな」


 うぐっ……。痛いところを抉ってくる。

 まあ、それも旅していく途中で変わってくるだろう。意識も変わってくるだろうし。現にわしは高揚している。

 それはひとえに。女剣士とクレリックと共にいるからに相違ない。

 心強いのだ、いろんな意味でな。


「二人とも、わしの心の準備は整っておる。いつでもよいぞ」

「おっ、やる気じゃないか」

「次は、グランフィードと呼ばれる大地です」

「魔物も強くなるからな、気合入れていけよ」

「えっ、不良ラビットよりもか?」


 そりゃ当然、と二人揃って首を縦に振った。

 笑顔なのがより一層恐怖に拍車をかける。気を入れたばかりだというのに途端に萎えた。


「…………し、死なない程度に頑張ります」

「さっきの威勢はどうした? まああたしらが付いてるから、そんなに心配すんなよ」

「いきなり強くなるわけではないですから、安心して下さいね」


 そうして二人に腕を引かれ、洞窟の中へ。

 洞窟内は一定間隔で松明が壁に掛けられ、それほど暗くはなかった。

 さほど長くはない距離を歩き奥までやってくると、三メートルほどの高さのある木製の祠が出迎える。

 女剣士が取っ手を引き扉を開けると、足元に小さな泉が広がっていた。

 滾々と湧き出る清水を湛えている。

 近づくと、にわかに水面がざわつきだし、そして渦を巻いた。


「これはいったい……」

「おっさん、そいつに飛び込むんだ」

「は? 冗談だろう?」


 こんなものに飛び込んだら溺れ死んでしまうではないか。

 自慢じゃないが、わしはカナヅチだ。泳いだこともない。


「安心しろよ。あたしも、たぶんこいつもそうしてアルノームまで来たんだからな」


 女剣士はクレリックに目配せしながら言う。クレリックは「大丈夫です」と言って頷いた。

 勇者なのにこんなところでビビっていては名折れだろう。わしはあのもやし勇者とは違う!

 しかし……、


「本当に大丈夫だろうな?」

「嘘だったら半額で揉ませてやるよ」

「金は取るのか……」


 そりゃ当然と快活に笑う。

 半額って……まだ高いな。それに嘘だったらという前提だ。これが本当に嘘だったらば、わざわざ負けてまで自分に不都合な条件を付ける必要もないだろう。

 いや、嘘だった場合わしは死ぬわけで、この話もないことに……。

 顎に手を当て思い悩んでいると、「勇者様――」とクレリックの声がした。


「嘘だったら私は、お顔の上に跨って差し上げますわ、もちろんタダで」

「――ふぉおおおおおッ! やる! わしはやってやるぞ!」


 昨夜のあの尻を直に感じられるということか!

 というか知っておるぞ、エッチな本で読んだことがある。なんというのか覚えてないが、とってもスケベな行為だった気がするぞ!

 ふふふんっ! 俄然やる気が出てきた!!

 あいや、嘘だったらわしは死……そんなことはどうでもよい! もしかしたらそれで息を吹き返すかもしれんしな! うはははははっ!

 心臓が破裂しそうなくらいに早鐘を打ち、煙でも吹き出しそうなほど鼻息は荒くなる。

 皮の鎧できれいな曲線を描く太鼓腹をポンポコ叩き、わしは激しく小躍りした。


「うるせえな、奇声上げてないでさっさと行けよ」


 背後からドンと背を蹴られ、わしはつんのめりながら渦巻く泉へ落っこちた。


「のわッ! ま、待て、まだ心の準備が――――あ~~れーーーーーー」


 ぐるぐると視界が渦を巻き、逆さまになった女剣士とクレリックの顔が溶けてなくなる。

 錐揉みしながら回転し、半ばえずきながらわしの意識は暗転した――。



「……う、う~ん」


 如何ほどの時が流れたのだろう。

 目を開ければ、そこにはアルノームのような草原が広がっていた。

 どうやら死ななかったようだが……尻の話も乳の話もないことに落胆を禁じ得ない。

 ため息をこぼしながら上体を起こし、わしは背後を見た。そこには洞窟で見たような祠が建っている。どうやらこちらのものは金属製のようだ。それになんだか大きくて豪華な気がする。

 ……これが領地の差か。


「――ぶえっくしょいっ!」


 なんだか寒いと思ったら、ずぶ濡れであることに今さら気づいた。

 身を縮め腕を擦り、少しでも体温を感じ暖を取ろうとしていると、急に祠の扉が開いて声がかかった。


「おっ、いたいた。無事に着いたみたいだな」

「お待たせしました、勇者様」


 顔を上げると、女剣士とクレリックが揃って姿を現す。


「って、あんた誰だ? おっさんか?」

「失礼な。一緒に旅しておっただろう」

「その頭、どうされたんですか?」

「どうとは?」


 はて? これはなんだろう。

 そういえば先ほどから垂れ幕のようにぶら下がっている黒い物体。目障りだと思っていたのだが……、海藻でも引っかかったのだろうか?

 泉なのに海藻とはこれいかに。もしかしたら海とでも繋がっていたのかもしれないな。

 思いながら、引っ張ってみる。


「いてっ」


 なぜか頭皮が引っ張られた。


「……って、これはわしの髪かッ!?」

「あんたの天パはどんだけくりくりに巻かれてんだよ」

「見事にストレートになってますね」


 鼻先まで垂れ落ちるわしの髪。

 どうりで、女剣士の太ももが生足だと感じられなかったわけだ。これだけの量がくりくりになっていればそうもなる。

 おそらく、水の中で錐揉み大回転していたからこうなったのだろうな。難儀な髪質だ。

 だが、


「ふはは、そうか! ついにわしも天パから脱却できたわけだ! これで思う存分膝枕の恩恵にあやかれるというもの」


 愉快すぎて笑いが止まらん!

 これで膝枕専門店なんかも選択肢の一つに加わったわけだな。

 新たな旅の一歩は、わしの悩みの種をも吹き飛ばしてくれる最高のスタートとなった。

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