第6話 宿敵 脱兎ラビット……?

「はぁ…………ふぅ……」


 ……別にせんずりをかいているわけではないぞ?

 盗賊をアルノーム門外に放置し、ヤーゴで一泊したわしたち。

 次の目的地は旅の祠とかいう場所らしく、朝早くから出立したまではよかった。

 先を歩くクレリック、女剣士に続いていまは草原を歩いているのだが、どうにも朝から気分が優れないのだ。


「ため息なんてついて、どうしたんですか?」

「今日はやけにテンション低いじゃないか」


 二人が立ち止まり、わしの顔を見つめてくる。

 いつもであればそれですら胸がトキメクというものだが、なんだかなぁ。


「いや、大したことではないのだ」


 そう返事すると、女剣士は「そうか」といって頭の後ろで手を組む。


「まあ、おっさんがそう言うんなら大したことじゃないんだろ」


 以前のこともあるからか、軽口程度にそんなことを呟いた。

 本人を前にして、なかなか口にはしにくい事案であるから言い返しはしないが……。わしの憂いは当分晴れそうにない。

 それというのも、しばらくむにむに屋に通っていないために両の手が寂しい、ということに起因している。それはそうだろう。一週間に最低一度は必ず通っていたのだから。しかもその指名相手が目の前にいるのだ。生殺しもいいところである。

 さすがに源氏名を呼ばれることを嫌う女剣士だ。わしと二人きりであればまだ怒られるだけで済むだろうが、今はクレリックもいるしな。

 粗野で少々乱暴なところがあるが、やはり女子。空気を読むと、理由があるとはいえ、風俗で働いていたなんてこと他人にはあまり知られたくはないだろうし。


「はぁ……」


 慮ってみるが、それでわしの憂いが晴れるわけもなく。ため息は重なるばかりだ。


「勇者様、大丈夫ですか? ――って、その手はいったい……」

「ん?」


 クレリックに言われ、自分の手に視線を落とす。知らぬ内に、両手をわきわきさせていたらしい。空気を握ってもなにも嬉しいことはないというのに。


「ああ、わしはこんなにも――」


 乳が好きだったのか。

 やわらかさと弾力が奇跡のように共存をしているオパーイ。揉むたびに胸はトキメキ、頭が上せてくるあの感覚。

 手のひらをくすぐる突起物に目を充血させつつ、沸き立つリビドーの発露に巧みになっていく指使い。

 いまはもう遥か昔のように感じる。


「……いや、なんでもないのだ」


 なんでもないのだ。わしは二度口にし、無意識に女剣士を見つめていた。

 赤い鎧。あの下には極上のプリンちゃんが……。


「おい、なに見てんだよ」


 キッと強く睨み付けられたが、頬を染めながらのその視線はなんとも悪戯心をくすぐられるもので。

 わしはそそくさと近寄り、女剣士の耳元に口を近づけた。


「すまぬが、また乳を揉ませてはくれんか? もちろん目隠しはする」

「――なっ⁉」


 瞬間――バチン! っときつく頬を張られ、目の前で星が弾けた。

 分かっていた、理解していたこうなることは。

 がっくしと膝を折り、わしは大地を涙で濡らした。


「お、おい、なに泣いてんだよ」

「勇者様を泣かせるなんて、ひどい女ね」

「腹黒いお前に言われたくねえよ」


 クレリックが傍へ寄り、わしの頬を撫でさすってくれる。

 ふわりと甘い花の香りが鼻腔をくすぐり、顔を上げた先で、シスターは優しく微笑を湛えていた。


「私でよければ、触らせてあげてもいいですよ」

「おお……」


 女神はここにおったのか。というか聞こえていたのか。小声だったのに嬉し恥ずかし。

 改めてわしはクレリックの胸元を凝視する。


「…………ふむ」


 やはり比べてしまうと、どうにも物足りない気がしてならん。


「いま、何を納得されたんですか?」

「え、いや、別に納得などしておらんが――」


 思わず視線が泳ぐ。これでは肯定しているのと一緒だ。


「女はそういうの、分かるんですからね! 本当、失礼な勇者様っ!」


 クレリックは擦っていたわしの頬をつねり勢いよく引っ張ると、わしの体はそれにつられて地面に突っ伏した。丸い太鼓腹がクッションになりさほど痛くはない。

 が、もう踏んだり蹴ったりだ。

 こうなれば最早スライムをとっ捕まえるしかないな。パティスちゃんの乳に比べたらつまらんだろうが、悶々とするよりはマシだろう。

 あの頭なんかはいい具合に尖っているし、型にでもはめ込んで整形してやればオパーイに似たものにはなるかもしれん。


「よし、そうと決まれば」


 わしは顔だけを上げて周囲を見渡した。背の低い原っぱは腹ばいでも見通せる。スライムを探して視線を這わせていると、ふと、クレリックが目に留まった。

 青い法衣がスライムに見えて思わず見てしまったのだが。

 不機嫌そうに腕を組んで立つ少女は、こちらに尻を向けている。

 生地が尻の流線に沿う様子は、実に情欲を掻き立てられるものだった。

 いままで女子の胸にばかり目をやっていたが、尻というのもなかなか乙なものではないか。


「……うーむ、今度大きな街にでも着いたら、尻専門店も探してみるか」


 アルノームにはむにむに屋しかないからな。小さな町だ、仕方がない。

 よっ、と上体を起こしたわしの視界はさらに開けた。

 そこで目に飛び込んできたのは、いつぞやの脱兎ラビットだ。くすんだ青い毛に緑の瞳と、以前と様子が違ってはいるが間違いないだろう。

 以前から心に決めていたリベンジを果たす時が、ついに来た。

 幸い、二人はまだ気づいていない様子。わしは一つ提案することにする。


「二人よ、わしが一人で脱兎ラビットを倒せたなら、女剣士は乳を、そしてクレリックには尻を揉ませてもらうからな!」

「逆ギレ気味でなに勝手なこと言ってんだよ。そんな雑魚倒せて当たり前だろ」

「そうですわ。勇者様に触らせる部分なんて、あいにく私の身体にはありませんから」


 うむ。二人とも可愛らしく吠えておる。これが鳴き声に変わることを想像すると今にもマイサンが起き上がりそうな……いや、それは勝利してからでも遅くはなかろう。


「いざ!」

「いざ、じゃねえよ待てっつってんだろ!」


 女剣士の制止を振り切り、わしは一目散に駆け出した。

 目指すは脱兎ラビット、わが宿敵! 膝に受けた古傷が疼く。足を動かすたびに血沸き腹躍る! 


「ここであったがなんとやらだ、ウサギ、勝負だ!」


【エンカウント

 ???Aが現れた】


 おっ? 久しぶりに声が聞こえた気がするぞ。それにしても『?』とはどういうことだ。こやつは脱兎ラビットだろうに。久しぶりすぎて魔物の名前を忘れてしまったのか?

 まあそんなことはどうでもよい。

 シャッと銅の剣を抜き構える。


「勇者に成り立てとはいえ、王であるわしをよくも足蹴にしおって! ゆるさん!」


 わしは刃こぼれもしていない銅の剣を振りかぶり、ちょこんと座するウサギに向かって振り下ろした。

 しかし八つ当たりの一撃はひらりと躱されてしまった。


「チチチチチチチ」

「ウサギの癖して舌打ちとは生意気なッ」

「お、おいおっさん、そいつは――」

「手出し口出しは無用だぞ、女剣士よ。こんなウサギ如き、わし一人で毛皮にしてくれる」

「まあ、おっさんがそこまで言うなら見学しててやるけどさ……」

「勇者様、死なない程度に頑張ってくださいね」

「うむ、後で思う存分に尻を揉みしだいてやるからな! うははははは!」


 今度は剣を寝かせ横に薙ぎ払う。またもバックステップで躱された。

 この! この! と何度か斬り付けるが、悉く当たらない。


「ええーい、ちょこまかしおってッ!」


 左足を軸にし、華麗に腹を揺らしながら回転切りをかましてやる。

 しかしウサギは地に伏し上手く躱すと、後ろ足で大地を蹴り跳躍した。飛んでくる位置を見て、わしは思わず顔を顰めてしまった。

 まさか――

 その、まさかだったのだ。

 ウサギはわしの足元まで潜り込むと、そのまま飛び上がり、以前と同じ脛へ向かって強烈な蹴りを繰り出した。


「ほぅわっ!?」


 ミシッと骨が軋む音がし、わしの体力が一発でほぼ削られる。残り体力、また2だ。


「いいぃ、痛いぃいい! ……ど、どどどどどうしよう! わしの体力がもう2しかない! 死んでしまうー!!」

「ったく、またかよ」

「惜しいですわ」


 呆れる女剣士。

 その後ろでは、舌打ちのようにも聞こえるセリフをクレリックが口にした。


「そういう時はどうするんだった?」


 女剣士に教わったことといえば……。

 いや、あれはもうトラウマで……しかし食わねば死にかねんこの二律背反。

 わしは仕方なく急いで周囲を見渡した。が、生えていたであろう薬草は根こそぎかじり尽くされた後だった。根元に付いた歯形からして、恐らくウサギのものだろう。


「な、ない場合はどうすれば……」

「涙目でこっち見んな。ったく、薬草くらい買っとけよな、世話の焼けるおっさんだ。――ってわけだ、回復してやってくれ」


 振り返り、クレリックの肩を叩いて女剣士はそんなことを乞う。

 わしの為に、普段は喧嘩ばかりしている相手に懇願してくれたことが嬉しくて、涙で前が見えなくなった。


「仕方ないですね――ヒーリング!」

「おぉ?」


 クレリックが杖を掲げ魔法を唱えると、わしの身体は淡い光に包まれ体力がみるみる回復していった。

 事なきを得たことに一安心。わしは武器を構え直し、女剣士に問う。


「お前さん、楽に倒していたが……こやつこんなに強かったのか?」

「おっさん、脱兎ラビットと勘違いしてるだろ」

「脱兎ラビットじゃなければ、こやつはいったい何者だ?」

「毛の色をよく見てみろ、それと目もだ。脱兎ラビットは白い毛に赤い目をしてただろ」


 確かにその通り。そしてこやつは青い毛に緑の目をしている。片方見えておらんのか、左目に斜めに傷がついているな。


「このウサギは不良ラビットですわ、勇者様」

「不良?」

「縄張り争いに敗れた脱兎ラビットがグレた、いわば亜種のような存在です」


 クレリックが言うには、脱兎ラビットは基本大人しく、同種同士での争いはほとんど起きないらしい。しかし稀に縄張りを主張するものがいるらしく、その戦いに敗れたものがこうしてグレるのだそうだ。

 ……魔物も奥が深いな。


「しかもこいつはアルノームの魔物で、一番レアで強いやつだぞ。こいつの毛皮は高く売れるから、ちゃんと仕留めてやらないと」


 そう言って刀を抜き放つ女剣士。

 ずいと前へ出て、その腕を掴み制したのはクレリックだった。


「ちょっと待って。あれは私が倒すわ」

「お前まさか、いい値で売れるからって理由じゃないだろうな」

「それ以外なにがあるの?」

「金の亡者め、朽ちた尖塔から持ち出した金品売っ払って私腹肥やしただけじゃ飽き足らないってか?」

「なんでバレてるのよ」

「宿からこっそり抜け出てたのは知ってんだよ」

「あのお金は町に寄付するから、私のじゃないわ」

「目が泳いでるぞ。元盗賊のお前の話をおいそれと信用できるか」


 なにやらわしを余所に放り投げ、女子同士で楽しそうにディープな会話をしている。

 出来ればわしも混ぜてもらいたいのだが、いま不良ウサギから目を離すとまた蹴られそうでそれも出来ず……。

 ジリジリとにじり寄ってくるウサギから一定距離を保つのに必死にならねば、今度こそ殺されそうだ。一触即発の緊迫感の中――


「――あっ」


 なんとウサギはその場で跳ね上がると方向を変え、わしに背を向けて逃げ出した。


「あっ! なに逃がしてんだよ」

「いや、逃がしたんじゃない、逃げたんだ。きっとわしの睨みに恐れ戦いたんだろう。わはは!」

「それは間違ってますわ。あれはしばらく攻撃しないと逃げ出す習性があるのですから」

「どちらにせよ、わしの勝利ではないか。で、覚えておるか?」

「あ? なんの話だ」


 唐突な話の切り替えに頭上に『?』を浮かべる女剣士。

 覚えていないわけはないと思うが、わしはもう一度はっきりと口にしてやる。


「女剣士は乳を、クレリックは尻を揉ませてくれるという約束だ」

「した覚えはないな」

「どの道倒してませんから無効ですね」

「な、なんと……」


 これではただ脛を蹴られて痛い思いをしただけではないか!

 あ、あと回復魔法はなんだか心地よかったな。

 ではなく!


「なら! いくら出せば触らせてくれるのだ!?」

「必死か!」


 いまにも掴みかからんとする勢いに気圧されたのか、女剣士が仰け反る。

 必死にもなるというもの。なにせわしの、勇者のモチベーションに関わることなのだからな。


「このままじゃ埒が明きませんね」

「そうだろうそうだろう」

「はぁ、仕方ねえな。なら30000Gだ」

「さ、30000……」


 むにむに屋の指名+延長料よりもはるかに高いだと!?

 わしは女剣士が拵えた小銭入れを取り出し、中を開いた。ジャラジャラと音が鳴る程度には隙間だらけだ。


「あなたが30000なら、私は40000でいいですわ」

「待て、なんであたしがお前より安くなる。お前なんか5000でも高いだろ」

「失礼な脳筋は黙ってくれる? 私があなたより安いなんて我慢できないのよ。それにありえないでしょ。ね、勇者様?」

「だったらあたしは45000だ」

「なら私は50000です」


 どんどん値段が吊り上がっているではないか。

 ……どの道、今のわしには5000Gすら払えないのだから、そのやり取りに意味はないのだが。

 口を開ける小銭入れには、550Gしか入っていない。なんと惨めな。


「もう少し負けてはくれんか?」

「いくらだ?」

「二人で500G」

「なめんな」

「安すぎ」


 あぁ……二人そろって踵を返して行ってしまった。

 これでパーティーも解散か。女子というのは金がかかる生き物なのだな。いや、店通いで分かっておったが……。

 このままここにいたら、また不良ウサギに蹴られて今度こそ死んでしまうだろうな。

 もう誰も助けには来んだろう。

 ふと地面に目をやると、小さな虫が歩いているのが見えた。わしはしゃがみ、声をかける。


「お前はわしに似ているな。踏ん付けられれば簡単に死んでしまう。だが安心しろ、わしはそんなことはしないからな。だから、わしのことも傷付けないでおくれ」


 虫に言ったのか、はたまた草原の魔物たちに言ったのか。

 きっと無意識に発した言葉は後者だったのだろう。

 ため息を一つこぼす。

 と――


「おーい、そんなとこでなにしてんだよ。またウサギに蹴られたいのかー?」


 遠くから女剣士の声が聞こえた。

 気のせいかとも思ったが、顔を上げた視線の遠く向こうに、赤い鎧が見える。その隣には青い法衣も在った。


「次の目的地は旅の祠です。行きますよー、勇者様」

「お、おお……お前さんたち」


 視界がぼやけ、世界がうにょうにょしている。頬を伝う涙は生ぬるかった。

 わしは涙を乱暴に袖で拭き、立ち上がる。


「そうだ、そうだな。金がないなら貯めればよいのだッ!」


 いつか自由に出来るその日を夢見て、わしは新たな一歩を踏み出した。

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