第4話 すすり泣きの出会い

 あの日から、日夜問わず戦闘に明け暮れ、早一週間が過ぎた。

 と言っても、アルノームの目と鼻の先で延々狩り続けていたため、あまり戦果はないに等しい。それはそうだ。なにせ魔物のレベルが低いのだから。

 けれど、ここらの魔物は楽に倒せる程度には、わしのレベルも上がった。

 ウサギは女剣士が倒してしまうため、倒せるかは定かではないが。たぶんわしにも倒せるだろう。いつかリベンジを果たしたいと思う。

 ちなみにわしは5レベル。女剣士はもともと9もあったため、上がったのは2レベルで、現在は11レベルだ。


「わはは、素材を売って銭も稼げたし、これで魔王に一歩近づいたな!」


 ぽんぽんと、女剣士が魔物の皮で拵えてくれた、パンパンに膨れた小銭入れを叩く。野蛮そうな見た目からは想像もつかないだろうが、女剣士は意外と手先が器用らしい。

 すると女剣士は呆れた顔をして呟いた。


「こんな雑魚どもでなに粋がってんだよ、おっさん。魔王に半歩どころか、小指の先ほども近づけてないっての」


 落胆するように肩を落とすと、女剣士は干し肉を噛み千切り、もしゃもしゃと租借しだす。

 別に粋がっているわけではなく、これから旅に出ようという最初の一歩が肝心だと思ったから、気を入れてみただけなのだが……。

 にしたって半歩は百歩譲って良しとしても、せめて親指くらいは近づいていてほしいものだな!

 なんでも美味しそうに食べる女剣士を見ていたら、わしも腹が立ってき――いや減ってきたぞ。

 しかしこの太鼓腹をどうにかしないと。

 装備を買う際に加工代で若干値段が上がってしまうため、いまは無理やりダイエットをさせられている只中。

 皮の鎧を買ったはいいが、加工に150Gも取られてしまった。これは馬鹿にならない。

 故にわしは孤独に、おいそれと食料を口に出来ないジレンマと密やかに戦っているのだ。

 これほど自身の体系が憎いと思ったことはない。


「さて、んじゃまあそろそろ行こうか」


 干し肉を胃袋に収めたところで、満足そうな顔をして女剣士が言った。


「うむ、そうだな」


 出立してしまえば、しばらくここ、アルノームには帰ってこないだろう。旅をするというのは、拠点をころころと変えることに相違ないと、女剣士に習った。

 生まれ育った街を後にする寂しさを初体験し、ダンディズム極まる背中でそれをそれとなく醸し出しつつ、わしらはアルノームから旅立った。


 緊張の一歩は、しかし同時に感じる高揚感に後押しされるように、次々と足が交互に前へ動いていく。

 雑魚狩りが楽になったためにそう感じるのだろうか。素直に楽しんでいる自分がいた。

 アルノームで最高の銅製の剣を、誇らしげに陽に掲げる。キラリと光を反射する鈍色の刀身が眩しい。

 今までの自分からは想像も出来ない旅をするという行為に、一人陶酔していると……


「おっさん、なにニヤニヤしてんだ、気持ち悪いぞ」


 女剣士に気持ち悪い呼ばわりされてしまった。

 ただでさえ助平という不名誉極まりないレッテルを貼られている現状、これ以上恥の上塗りは是が非でも避けたいものだ。


「ニヤニヤしてたんじゃない、わしはニコニコしていたんだ」

「あんたの場合はどっちも変わらない」


 まったく、失礼な女剣士だ。言いたいことをずけずけ言う。

 この快活さを、よりにもよって猥褻と同義にしてしまうとは。

 不愉快さを鼻息で荒く飛ばすと――


「う、ふぇ……うぅ……ぐす、ぐすん」


 どこからともなく、なにやらすすり泣きのようなものが聞こえてきた。


「女剣士よ、いま泣いたか?」

「あ? 誰が鳴いたって? いやらしいことばっか考えてんなよな」


 問いかけに、まるで不潔なものを見るような蔑んだ視線が返ってきた。

 ……なぜ?


「いや、言葉を聞き違えてやしないか?」

「鳴く、だろ?」

「泣く、だ」

「一緒じゃないか」

「ニュアンスが違うだろう」


 意味だって違ってくるだろうし。

 それに、わしはそんなにも常々、エロい妄想ばかりしているわけではない。割かし、頻度よく、それなりに、だ。あと、ほどほどにも付け加えておこう。一種の健康法みたいなものだ。


「言いたいことは分かってるよ。あたしも気づいてたしな。剣士クラスの耳をなめるなよ?」


 そこは是が非でも舐めてみた……いややめておこう。これ以上恥の上塗り(以下略


「気づいてたんなら最初からそう言いなさい」

「あんたは誰なんだよ、あたしの親か? 諭すようなものの言い方しやがって」

「そんなことより、さっきのすすり泣きは何処から……」


 自分から振っておいてなんだが、少し面倒くさくなって話を切り替えた。

 瞬間、女剣士が不機嫌そうに眉尻を上げたが、すぐさま気を取り直したように咳払いし、平原の一点を指差しながら言った。


「……ほれ、あそこだ」

「うん?」


 女剣士が指差す方――城の南窓の方角だから、たぶん南なんだろう――を見てみると、腰掛けられるくらいの大きさの岩の手前に、背の低い草むらがあった。

 そこでなにやら蹲る人影が、もぞりもぞりと蠢いていた。

 遠めに見ても線の細さは女性のそれだ。

 わしは居ても立ってもいられなくなり、駆け出そうと足を踏み出し――


「おい、ちょっと待て」


 たところで、皮の鎧の襟首をむんずとつかまれ引き戻された。


「なにをする! 女子が泣いているんだぞっ!」

「馬鹿か、こんな魔物のいる草原のど真ん中で、ただの村娘町娘が一人でいて無事だと思うのか? 少なからずあの女、見たところ杖持ちだからクレリック職だろうが、多少の場数は踏んでる冒険者だろうさ。ほかっといた方が厄介なことにならずに済むっていう、典型例だな、ありゃあ」

「お前さんは困ってる娘御を放っておけと、そう言うのか?」

「なに聞いてたんだ、そう言ったろ」

「酷いぞ、パティスちゃん! そんな娘だったなんて知ったら、愛犬のベスも悲しむだろう!」

「その名前で呼ぶなって言ってんだろ! というかなんでおっさんが飼ってた犬の名前知ってんだよ!」

「そんなの当てずっぽうに決まっているだろう」


 言い放ち、掴まれていた襟首から手を振り払って、わしは一目散に駆け出した。

 のしんのしんと大地を蹴る度に、自慢の太鼓腹がリズムを刻む。


「だーいじょーぶかーい、おっ嬢さーん!」

「って、下心丸出しじゃねえか!」

「うるさい、失敬な!」


 泣きべそをかくレディに近づき、膝を折って身を屈め、そっとその肩に手を乗せる。いやらしくない程度に、ソフトに、羽毛のようなフェザータッチ。

 すると青と白の法衣に身を包んだ娘御が、震える小鳥のような繊細さを以って、わしを見上げてきた。

 濡れる瞳は宝石みたいな美しい翠瞳、金色の髪が眩しいくらいに輝いていて、可憐で薄幸の少女然とした佇まいは、ただそこにいるだけで絵になるような、そんな美少女だった。

 ……うむ、胸は、女剣士と比べると少し残念だけどな。


「……うっ」


 下心を読まれたのか、明らかに警戒心丸出しで胸元を手で隠された。

 いかん、このままでは取り合ってくれない可能性もある。

 王たる威厳を瞬時に繕いつつ、生真面目な王様を装うことなく、怪しくない程度に演出した。


「大丈夫だ、わしはアルノームの王……今はなんとなく違うのだが、訳あって旅に出ることになったのだ。見えるか? この王冠が、王である証なのだ」

「王、さま……?」


 女子は明らかに不信の眼差しで、わしを凝視している。

 というか、頭上の王冠を見続けている。それはもう視線を逸らすことなく、まるで泳ぐこともなく。


「もしかしてあなたが、噂に聞きし勇者様ですか?」


 試しに王冠を外したらどうなるのかと思い、王冠に手を伸ばしたところでそんな質問が返ってきた。


「うん? 噂とな……それはどんな噂なのだ?」

「はい。なんでも城から追い出されて食べることも着ることも出来なくなった浮浪者が、勇者をしているとかなんとか」

「なっ……っ!?」


 なんだその不愉快なデマは! 追い出された部分しか合ってないではないか! わしを冒涜しようとしている輩がどこかに潜伏しておるのか!? それともあの似非勇者魂を掲げておったパン屋の息子か!? いや、その可能性は十分にあり得る。なんせあんなにも怒っていたんだからな。しかし酷い噂を流すものだ。人を浮浪者などと……。


「ぐぬぬ……」


 つい唸り声を上げてしまうくらいに悔しい。


「あの、勇者様?」

「なんじゃ娘御、わしはいま怒りに震えておる。夜伽の話ならまた後で――」


 ――――パーンッ!!


「えっ?」


 一瞬、なにが起こったのか分からないくらいの速さで――なぜかわしは頬にひりひりと焼け付くような鋭い痛みを覚えていた。


「勇者様、不潔です!」


 見ればクレリックの少女は右手を左手で押さえつけながら、真っ赤な顔をしている。

 まさかこの娘御がいま叩いたのか? 信じられなくて振り返ってみると、呆れているのか無関心なのか、女剣士は表情を崩さずに、腕組しながら冷静な視線で傍観していた。

 ということは、間違いなくこの女子だ。しかし驚きの速さだった。腕の振りがまるで見えなかったぞ……。

 唖然として見返していると、娘御は気づいたようにハッとした。


「――あ、す、すみません。こんなはずじゃ……」

「い、いや……」


 二人して気まずくなってそっぽを向く。

 どうにも居た堪れなくなって、場の空気を換えようと、話題を変えることにした。


「ところでお前さん、何を泣いていたのだ?」


 その問いかけに、クレリックは待ってましたと言わんばかりの反応の速さで振り向いた。


「聞いてくださいますか?」

「もちろん。困っているのであれば、わしが助けよう」

「ありがとうございます、勇者様」


 感激した風に胸の前で手を組み合わせ、祈りを捧げるかのように礼を述べる。

 そしてつらつらと、クレリックは身の上話を始めた。


「私はとある町で神父さまの代わりとなり、人々を治療する代行をしていました。平和な町で人々の笑顔も明るく、幸せな町でした」

「ずいぶんと過去形が入るのだな」

「それは、ある日を境に町が平和でなくなったからです」

「……む、それは難儀なことだ。してその理由は如何に?」


 いったん言葉を区切ると、クレリックは鬼気迫るような顔をして、眼前に迫ってきた。

 近い近い。

 息もかかる距離にドキリとし、顔に熱を感じながらそれとなく顔を離す。


「盗賊ボーギンが現れたんです」

「ボーギン?」

「神父さまは殺されてしまい、町も荒らされてしまいました――」


 棒が銀なのか? なんてことを訊き返してみたくなったが、今はそんなコミカルな場面ではないだろう。話の内容もシリアス寄りだし、不相応の問いであることに違いない。

 わしにだって、その程度の空気は読めるのだ。

 そんなことを考えていると、背後でなにやら動きがあった。


「おっさん、話はそこまでだ。さっさと先に行くぞ」

「女剣士よ、そんなに急いでどうした?」

「盗賊ボーギンっつったら、盗賊首領ジャルノスの右腕だ。やっぱり厄介なことになりそうだろ。そんな奴ほかって、先を急いだ方が賢明だ」


 こともあろうに、女剣士は少女を置いて行くと宣言した。少女の目の前でだ。それはいくらなんでも酷いと思うのだが。

 ふといつぞやの話を思い出し、それを訊ねることにした。


「しかし女剣士よ、以前話していただろう? 盗賊の首領に愛刀を奪われたと」


 一言に、女剣士はわしの背後に視線を向け、なにやら注視している。

 振り返ってみると、少女が何事もないように微笑を返してきた。


「確かに話した。が、ジャルノスを相手にするには、まだあんたのレベルが足りてないんだよ。だからさっさと先を急いでレベルを上げるんだ。それに厄介事は勘弁してもらいたいんだよ」


 ため息をつきながらそう言う女剣士に、振り返り、一言物申そうと息を吸った。

 がしかし――


「三人なら、どうですか?」


 声を発するより先に、背後から発せられた声がわしの行動を追い越していく。


「あんたが戦闘に参加するって、言いたいのか?」

「ええ。私のレベルは53万ですから」

「そんなに上がるわけないだろ!」

「ええ、それはもちろん。ただ言ってみたかっただけですわ。少なくとも、あなたよりは上ですから、十分フォロー出来るかと……それに――」


 もったいぶるような間に、女剣士は眉尻を上げた。


「おと――……おほん。ジャルノスはいま、ボーギンと一緒の塔にいます」

「うん? いま何を言い直した?」

「男臭いと揶揄したかっただけですわ、深い意味はありませんから、お気になさらずに」


 表情を険しくし、女剣士は明らかに訝しんで少女を見やる。

 その視線をさらりと去なし、目をぱちくりさせて反応を待っているのは、クレリックの少女だ。


「まあいい。それで、なにが言いたい?」

「ここは協力しません? あなたは愛刀を首領から奪還出来る、私は町を救うことが出来る。双方にとって共同戦線を張るのは、別に悪くない話だと思うのですが」


 なにやら真面目な話になってきているぞ。わしが置いてけぼりをくらっているではないか。

 しかし話に加わっていいものなのか、少し判断に迷うな。こうも真剣な話は、いままで見たことがないのだから、それも致し方あるまいて。


「分かった。一先ずその話には乗っておく」

「どうもありがとう」


 なにか面白いことを言おうか悩んでいる内に、どうやら話はまとまったようだ。

 少女が丁寧なお辞儀を女剣士に返している。


「場所は知ってるんだろう?」

「もちろん」

「……じゃあ、案内しな」


 頷くと、クレリックはわしの真横を通り過ぎていく。

 ……一瞬、口端に妖しい笑みを浮かべていたのは、きっと気のせいだろう。

 それに気づいてか知らないでか、女剣士も警戒したように気を張り詰めている。表情が先ほどよりも、少しだけ厳しく感じられた。

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