第3話 女剣士の秘密

「――っさん……さん」


 穏やかな波間を揺蕩う小舟で寝ているような、そんなふわふわとした感覚の中、微かに声が聞こえた。

 眼裏に感じるのは暖かな光。

 そうか、わしは死んだのか。

 鳥の糞つき薬草を食し、あげく毒をもらい、屁をこき、最期を迎えたのだ。

 なんと惨めな最期だろう。看取る者もおらず、遺言すら残してはいない。街から初めて出た記念日に死ぬとは、なんとツイてないことか。

 これが天命だとしたら、わしは女神を、許せそうにない……。


「――い、おっさん……しっかり……よ」


 けれど、先ほどから聞こえる声は、どうやら女神の声ではないらしい。

 どこか粗野に聞こえる口調から、男勝りな印象を受ける。

 まさかわしは、地獄にでも落ちたのか。この声は獄卒のものかもしれない。でもまあ、プリンちゃんならそれも良しと思えるところが男の性か。

 しかしやわらかく照らされているような明かりは、地獄のそれとはまるでイメージがかけ離れすぎている。

 勝手な想像に過ぎないが、もっとこうおどろおどろしいような……。

 もしかしたら、まだ救いがあるのかもしれない。そう思い、わしは感じる光に向かって手を伸ばした。

 ――――むにゅ。


「――んあっ!?」


 ……ん? 手のひらに感じたのは、なにやら柔らかな感触。

 光とは、こうもやらかいモノなのか?

 ――むにゅ、もに、もに……。

 揉みこむ度に手は柔らかなモノに沈み込む。けれど反抗するように弾力と張りでもって押し返してくるような感触には、覚えがあった。


「……似ている」

「何がだ?」

「えっ?」


 思わずこぼした言葉に返ってきた声に、驚いて目を開けた。開けられた。

 わしはまだ、死んでいなかった。

 目の前には、むっとした表情を浮かべてわしを見下ろす、女剣士の顔があった。


「あれ、ここは……?」


 視線を巡らすと、見慣れない内装の部屋にいた。

 調度品の数々はすべてが木製。金属など一切使われていない質素な一室だ。


「ここは城下の宿だよ。それより、気分はどうだ、おっさん。っていうか、さっさと手をどけろよ、エロオヤジ」

「あ、ああ、すまん。けれど、いろいろ、悪くはない」


 呆然としつつ答えると、「そうか」といって小さく息をつく女剣士。

 今さらながらに気づいたのだが、わしが枕にしているのは、どうやら女剣士の太もものようだ。

 歴戦の戦士だからか、腿の筋肉は引き締まっていて、わしには少しばかり硬い枕だった。


「ふぅー、にしても焦ったよ。戻ってみれば、おっさん、泡吹いて倒れてるんだもんなー。なんか脇で一匹だけスライムがのびてたんだけど、おっさんがやったのか?」

「いや、そんなことは知らんが……」


 まさか自分が気を失っている間に、そんな窮地に陥っていたなんて。

 九死に一生を得るとは、まさにこのことか。危うく昇天しかかった。

 にしてもなぜスライムが? 誰か行きずりの旅人が、親切にも助けてくれたのかもしれないな。


「もしおっさんがやったのなら、見上げた根性だと褒めるところだったんだけど。違うのか、そっか」

「いや、たぶんわしがやったんだ。きっと、屁をかましてやったからのびたんだろう」


 そんなに臭気を溜め込んでいたわけではないと思うが……。

 咄嗟に口をついて出た言葉は、褒められたいという下心丸出しの願望からだった。


「ははっ! そうなのか、そいつはスゴイな! まるでサル共の特技じゃないか!」


 そんな心の内を悟られることもなく、女剣士は手を叩いて笑う。


「サル?」

「そうさ。サル型のモンスターにそんな技を使うやつがいてね。あの臭さったら、このあたしが尻尾巻いて逃げ出したくなるくらいの酷さだよ」


 わしの屁の臭いはサルモンスターと同じだと……。なんとも不名誉なレッテルだ。

 これは早々に払拭する機会を設けねばならないかもしれん。


「というか、気分が悪くないなら、さっさと起きてくれないか? いい加減だるくなってきた」

「ああ、すまん」


 少し硬いけれども、それでも女子の太ももだ。もう少しこのままでいたいと思ったけれど、本人からの希望なら致し方ない。

 名残惜しさに後ろ髪引かれながらも、なるべくゆっくりと上体を起こした。


「やっと開放されたよ」


 本当にだるかったのだろう。

 女剣士は、「よっ」と掛け声をあげて勢いよくベッドから立ち上がり、その場で背伸びをした。

 改めてよく見れば、なんと女剣士は白の薄布の肌着と、おパンツ一丁のふしだらな身なりをしている。

 生足と知っていたのなら、寝返りをうって顔を埋めたりなんかしてみたのに!

 ……どこに、とは言わない。

 しかしこれほど、自分の髪を呪ったことはないかもしれない。みょうちくりんな天パのせいで、あまり生足の恩恵にあやかれなかったではないか!

 前衛職である剣士などしているというのに、程よく女性らしい丸みを残す尻肉がぷりんと震えた。ごつごつした鎧の上からでは分からなかった豊満な巨乳をたゆんと揺らしながら、彼女は振り向く。


「ところでおっさん、さっき、何が似ているって言ってたんだ?」


 けれどこれは目の保養になる。粗野で乱暴だが、目の前にあるのは紛れもない女体だ。

 腹筋などが軽く浮き上がり、引き締まってはいるが、素材自体はかなりの上物。もう少し化粧などにも気を配れば、大きな街でも引く手数多に声を掛けられそうだ。

 あのオパーイなんぞは、間違いなくむにむに屋にいたのなら、指名ナンバーワンを獲得するだろうに。

 密かに通い詰めていたわしが言うのだから、間違いない。


「おい、おっさん、聞いてんのかよ?」

「え? なにかいったか?」

「だから、さっき何が似てるって?」

「ああ、そう言えば、そんなことを口走ったのか……。別に、大したことではないのだが」

「もったいぶらずに教えろよ、あたしらはもうパーティーなんだぞ?」


 別に本当に大したことではないというのに、女剣士は食い下がって離れない。

 秘密を共有したがるのも、パーティーだからこそなのだろうか。ずっと一人だったから分からないが、もし仮にこれがそうであるのなら少し気が重い。

 まあでも、隠すほどのことでもないとは思う。街の人間に知られなければ、少しくらい話してもいいかもしれない。

 似ている、といったのは、感触がだ。

 腿の硬さが焼きすぎた鳥のささ身に、とかいう話ではなく、彼女のおっぱいがだ。


「……怒らないか?」

「あたしは寛大、寛容なんだ。なんでも言ってみな、楽になるよ」


 そう言って胸を張り、ぱつぱつになった肌着を凝視しながら、わしは先を語りだす。


「その、あんまり声を大にしては言えないんだが、わしは城下にあるむにむに屋にお忍びで通っていてな――」


 むにむに屋、という言葉を発した瞬間、今まで笑っていた女剣士の表情が明らかに曇りを呈した。

 軽蔑されたかもしれない。そりゃあ風俗店なんぞに王様が通っているなんてこと、あんまり信じたくはないかもしれないが、わしだって男なんだもん。それくらいしてもいいじゃないか。四十三にもなるのに嫁だっていないんだ、決して浮気ではない。一時の快楽に身を委ねるくらい、許してほしいというもの。

 ちなみにむにむに屋は、本番なんて皆無な店だ。なのにけっこうな値段を払わなければならない高級店。

 店に入るなり写真を見て女子を指名するのだが、胸のアップしか写されていない。気になったおっぱいを指名したらば、そうして小部屋に連れて行かれ、そこで目隠しをされる。

 女子が入ってきたら、時間内、ただひたすらに乳をもみ倒す、というちょっと風変わりな店だ。

 目隠しを外そうものなら、即刻店を追い出され、以後、永久出禁にされるらしい。

 以前店の入口で一人の男が泣いていたのを覚えている。

 ちゃんと女子のプライバシーも考えられたルールになっているお店だ。


「中でも……」

「…………」


 言いながら取り出したるは、ピカピカ光るゴールドカード。

 軽蔑されようと、もう後には退けない。女剣士の言うとおり、話して楽になろう。

 それでパーティー解散だといわれたら仕方がない。この辺りでなにか出来る仕事を探しつつ、誰かが魔王を倒した後にでも、こっそり城に舞い戻ればいい。

 このカードは常連客でも、一定の女子を指名し続け、それが五十回を超えた猛者にしか与えられないもので、ちゃっかり相手の名前まで入っている、一日三回まで延長料無料の栄光にまみれた夢のカードである!


「このカードに書かれている名前、まあ、お前さんに言っても分からんだろうが、パティスちゃんのオパーイにな、その、お前さんの乳が似ているんだ」


 そう、あれだけ揉み倒してきたパティスちゃん(21歳・独身らしい)のおっぱいに、目の前の女剣士(年齢名前共に不詳)が非常によく似ていた。

 最初のアタックから、なんとなくそんな感じはしたのだが、揉みこんだ時に、それはなんとなくからほぼ確信に近づいたのだ。

 顔色を窺ってみれば、女剣士は頬をぴくぴくと引き攣らせていた。


「あ……あ……あんた、だったのか……」

「えっ?」

「あんたが、あたしの常連で……さんざん乳弄繰り回して遊びやがった張本人……」


 顔を真っ赤にしながら、苦々しく歯軋りし、拳を握る女剣士。

 恥ずかしさ、怒り、通り越して憤り。憤怒の感情が手に取るように分かる。


「まさか、お前さん、本当にパティスちゃんなのかっ!?」

「その名前で呼ぶな! 叩き切られたいのか、おっさん!」


 壁際まで飛び、自前の刀を構え持つ女剣士。その瞳には殺意すら感じる鋭さがあった。


「待て、待て待て! 早まってはダメだ! これでもわしは王様だ! 王族殺しは百年牢だぞ!?」


 思いがけない出会いとそれによる窮地。

 咄嗟に叫び声を上げていた。

 果たして勇者代行のいま、本当に王族殺しになるのかは甚だ疑問だが……。


「うるさいうるさい! 知られたからにはもう生きていけないんだ! 乳を弄られた相手とパーティーだ? そんな恥ずかしいこと出来るわけないだろ! もうあたしの目的なんかどうでもいい! お前を殺して旅に出る!」

「待て言ってることがめちゃくちゃだ! 少し落ち着け、わしは誰にも言わない気にしない! だから一息ついて、話し合おう。お前さんにも、事情があるのだろう?」


 どおどおと、まるで暴れ馬でも宥めるようにジェスチャーし、瞳を見つめながら、さりげなく刀を下ろさせた。

 はぁ、はぁ、と荒い息を落ち着かせようと、女剣士も平静に努める。

 それとなくボディタッチをしベッドまで誘導する。そこへ腰を落ち着けるように促すと、女剣士は素直にそれに従った。


「ところで、お前さん、どうしてあんな所に勤めておった?」


 刺激しないよう、極力優しげな口調を心がける。

 今は邪な感情だけは表に出してはならない、そう自分に言い聞かせて。

 すると功を奏したのか、女剣士は俯きながら、つらつらと身の上話をし始めた。


「あたしの旅の目的が、奪われた武器を盗賊から取り返す事だって、言っただろ?」

「ああ、確かに聞いたな」

「奪われた際、あたしは身ぐるみを剥がされそうになったんだ」

「なんとそんなことが!」


 けしからん、なんともけしからん!

 そんな蛮族どもにわしのパティスちゃんの乳を揉ませてなるものか!

 カードは我が手にあり! うははははははっ!!


「…………」

「あっ」


 しまった、つい邪な感情が……。


「ごほん、さ、続きを」


 明らかに訝しげな顔をしている。

 が、気を取り直してくれたようで、促しと同時に話を再開した。


「その時、逃げるために思わず財布を投げつけちゃったんだよ」

「なるほど」


 だからお金を稼ぐために仕方なく、あんな所で働いていたのか。

 逃げるためとはいえ、盗賊に武器のみならず、お金も奪われたのは不幸だな。

 可愛そうなパティスちゃん。いますぐにでもそのおっぱいに顔を埋め慰めてほし……いや、落ち着け。


「だからあたしは強くなって、金を稼いで武具を買い漁り、奴らを倒して、武器と金を取り返すんだ。だから、おっさんにも手伝ってもらおうかと思ったんだけど」


 いったん言葉を切り、女剣士はむっつりと顔を顰め、わしを横目で見てくる。

 王様を見る尊敬の眼差しではなく、小汚い浮浪者でも見るような眼差しだった。

 これがステータス『王様』だったら、まだ違ったのだろうか?


「わしでよければ手伝うが、不服か?」

「不服も何も、あんた役に立たないんだもん」

「そんなはっきりと言わなくても……」


 がっくりとうな垂れていると、不意に脇から手が伸びてきて、なにやら紙切れを渡された。

 目に入ったのは領収書の文字、と、勇者代行の文字が。


「これは?」

「見て分からない? 宿の領収書。おっさん宛にしといたから」

「わしが払うのか?」

「そりゃ当然」


 はっきりと頷き返した女剣士。


「ちょっと待て、いまわしは手持ちがない」

「そんなことは知ってるよ。だからあたしが立て替えておいた。ツケだ。だから近いうちに返してくれればいい」


 なんだ、そうなのか。なかなか優しいところがあるじゃないか。見直したぞ、パティスちゃん。

 そこで閃いた提案が……。


「そういえば、お前さん稼いだ金はいまも?」

「ああ、そこから出したんだけど、どうかしたのか?」

「その金、これから共用というのは如何か?」

「いやだね、これはあたしが体張って稼いだ金だ。よってこれはあたしの私有財産。パーティーとは関係なしに、あたしの意思で使えるお金だ」

「いや、その稼ぎにわしも一役買っているのだが……」


 王様だからと足元を見られ、たっかい金を払わされるんだ。指名料に1500Gもとられる。延長は3000G。カードを手に入れるためにいくら叩いたか知れない。

 まあ、それは自己満足への自己投資に過ぎないが……。


「一役って、あんたはただ乳揉んでただけだろ」


 やっぱり無理か……。てことはこれから自分の装備は魔物を倒して稼いでいかないといけないわけか。

 大丈夫だろうか、先行き不安だな。

 しかも、わしにはすでにトラウマがある。おそらく、薬草はもう不信感で拒絶の対象だろう。ほかに回復出来るものがあればいいのだが。

 でなければ死んでしまう。

 勇者になるからには、せめて魔王の面構えくらいは拝んでみたいだろう。


「でも、今回みたいなケースなら別だな。まだあんたに死なれちゃ困るんでね。ピンチの時くらいなら、あたしが面倒みてやるよ」


 ……やっぱり、パティスちゃんはいい子だった。

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