第2話 初戦闘

 チンッ、と得物を長鞘に収めると、女剣士はゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。


「危ないところだったな、おっさん。あたしがいなかったら、今頃天に召されてたよ」

「あ、ああ、助けてくれてありがとう」


 王であるわしを、おっさん呼ばわりする赤い鎧、黒髪に灰色の瞳をした娘。ポニーの尻尾みたいに髪を結って纏めていて、快活そうな印象を受ける。

 それにしても、あんな荒くれどもを相手に大立ち回りを演じるとは、怖いもの知らずな性格のようだ。


「ところであんた、勇者なんだって?」

「え、いや、まあ。成り行きでそうなってしまったようだが」


 ふうん、と相槌を打ち、女剣士はまるで値踏みするかのように視線を向けてくる。

 王であるが故、視線を注がれるのには慣れてはいるのだが。女人に見つめられると、それが例え粗暴な者であっても、やはり緊張してしまうものだ。


「勇者になったってことは、魔王を倒しにいくんだろ?」

「……まあ、そうなるのかな」


 正直、魔王などと言われても、まるで実感が湧かない。

 ましてや、それを自分が退治しに行くとなると、なお更だ。

 街の外には、魔物どもが蔓延っているそうだ。魔物の活性化は、確実に魔王がいる証拠でもあるのだが。如何せん、一度たりとて魔物を倒した経験のない自分が、果たして魔王などと対峙できるものなのか、甚だ疑問しか浮かばない。


「にしてもあんた、そんなただの服で、モンスターの攻撃に耐えられると思ってるのか?」

「いやしかし、これは王としての誇りであって――」

「プライドだけで魔物が倒せりゃ、苦労はしないよ。そんな犬も食わないような矜持、いますぐ捨てな」


 まるで取り付く島もない。

 確かに、不本意ながら勇者となったからには、魔物との戦闘は避けては通れない道だろう。それこそ、さっきの荒くれみたいな人間とも戦うかもしれないのに、王の装束ではかなり防御面で心許ない。

 矜持は捨てろ、か。

 死の危険を懸念すれば、捨ててしまった方がいいのだろうが、わしはもともと王様だ。城を追われた今でも、その誇りはなくせない。捨ててしまえばなどと、そう簡単にはいかないのだ。


「だが――」


 と前置きし、わしはマントを外した。そして次に衣服を脱ぎ、ステテコ一丁になる。

 なりたくはなかったが、まさに言葉通りの『裸の王様』だ。


「お、おい、なに脱いでるんだよ」

「勇者様、お店のなかで破廉恥な行為はいけませんよ」


 まるで初めて裸体を目の当たりにしたかのように、慌てる女剣士。頬が少し赤い。

 ルミナス嬢、さきほどの行為は如何わしくないと……?

 なんて疑問を抱きながらも、決意を改めた。


「お前さんの言うとおりだ。納得出来はしないが、仮にも勇者となったからには、魔物と戦っていかなくてはならん。この王の衣装では厳しいものがあると、わしも思うからな。だからお前さんに、冒険者らしい格好に見立ててもらおうと思うのだが」

「なんだ、納得したんならそう言いなよ。柄にもなく動揺しちゃっただろ。それならなお更、服を着なよ、おっさん」

「見立ててはくれんのか?」

「それは後だ。そもそもあんた、今は手持ちがないって、さっき自分で言ってたろ?」

「あ……」


 そうか、うっかりしていた。今は城暮らしではない。

 黙っていても衣装を用意してくれる使用人はいないし、その衣装もタダ同然ではなかったのだった。


「はぁー、これだから世間に疎いセレブなリッチキングは。まあいい。とにかく、あんたは実戦経験を積んだ方がいい。魔物を倒せば素材が出るし、冒険者からくすねた金を持ってたりする。それを売ったり貯めたりしていけば、少しくらいは資金になるだろ」

「装備というのは、おおよそどのくらいで買えるものなんだ?」

「そうだなー。一番安いのし棒で15Gだけど、のし棒なんかじゃスライム倒すのにも時間がかかる。だからこの街で一番高い、銅の剣を買うのがいいと思うけど、150Gはする」

「なんだ、安いではないか」


 思いのほか安価だったので、つい本音がぽろりと出てしまった。

 150Gなんて、城で暮らしていれば、ごみ同然みたいな値段だったのだ。

 けれど、女剣士の不機嫌そうな表情を見て、これは失言だったと反省した。


「あのな、庶民はそれでも大金なんだよ。ここらのモンスターを二十匹くらい倒して、ようやく貯まる額だぞ? それに防具も必要だろ」

「防具は、皮の服か?」


 思うところがあり、それとなく訊いてみた。


「皮の服でもいいだろうけど、少し先にいくと、ちょい強くなるからね。皮の鎧は装備したほうがいいんじゃないかと、あたしは思う」

「それはいくらだ?」

「250G」


 合計で400G。ということは、わしが勇者に渡した300Gでは、この街での最高装備を整えられなかったということか。たかが300G、されど300G。ケチってそれしか駄賃を与えなかった自分に、深く後悔している。もし500G位渡していれば、いまごろ勇者なんかやらずに済んでいたかもしれない。

 そういえば、確か勇者回収の報告の中に、隣の村付近で倒れていたというのがいくつかあったな。

 焦燥に駆られ、無茶して先へと急ごうと頑張っていたのか。そう考えると、勇者というのも存外きつい職業なのかもしれん。なにせ人類の平和が、その両肩に重くのし掛かっているのだからな。

 服を着なおしつつ、わしはふと疑問に思い女剣士に訊ねた。


「お前さん、ずいぶん親切にしてくれておるが。もしかして、仲間になってくれるのか?」

「なにをいまさら。そのために助けたんだろ」

「だが、魔王を相手取るんだぞ? 命を危険に晒すやもしれん」


 命の重みは男女ともに変わらない。だが、粗野で乱暴だが、剣士は女性なのだ。その身体に傷が付きでもしたら、傷心してしまうだろう。

 けれど女剣士は、わしの心配も余所にさも当然のように言ってのける。


「そんなの、今までだってヤバかった時はあるさ。それに、旅の目的があるんでね。仲間はいてくれた方が助かる」

「目的?」

「ああ。盗賊の首領にね、あたしの大事な武器を奪われちゃったんだよ」

「しゅ、首領?」


 まさか、仲間にしたらそれを取り返しに……わしまで巻き込まれることになるんじゃ……。

 首領って事は、さっきの荒くれよりも、きっと強いに違いないだろうし。


「ん? あんたなに奮えてんだ?」

「奮えてるんじゃない、震えてるんだ!」

「まあ、そんなに気張るなよ。あんたがレベルを上げてくれれば、二人でも十分倒せる相手だからさ」

「わしも倒しに行く前提で話しを進めるな! ……死の危険は?」

「そりゃあ、無きにしも非ずだね。だけど、その頃には装備も整ってきてることだろうさ」


 心配すんなよ、おっさん。なんて、軽々しく、気安く背中をバシバシ叩いてくる女剣士。

 前途多難な気がしてならない。


【黒髪の女剣士が仲間に加わった】


 さっきから気になっているのだが、このいきなり流れる、案内のようなセリフはどこから聞こえるのだろうか? なんとなく声質が、ルミナス嬢に似ているような気がするが……気のせいか?

 いや、目の前にいるのにそれはないか。

 それに、どうやらわしにしか聞こえていないようだし。

 もしかして、気づいていないだけで、勇者補正がかかっていたりするのかもしれない。

 まだ職業が勇者代行となっているため、その恩恵は少ないだろうが。力がアップしていたり……。


「――なわけないか」


 円形のテーブルを下から持ち上げてみるものの、やはりビクともしなかった。

 落胆に肩を落とす。


「ん、どうしたんだ、おっさん?」

「いや、なんでもない」


 言いながら首を振る。

 ――と、ぱん! といきなり手が打ち鳴らされた。


「よし、ならそうと決まれば、即実戦だ」

「なに、もう行くのか?」

「そりゃあ、早く装備整えたいだろ? 思い立ったが吉日って言うし」

「いや、だけどまだ心の準備が……」

「勇者様――」


 ん? と振り返ると、ルミナス嬢が体をもじもじとさせていた。そしてとてとてと駆け寄ってきて、腕に、抱きついてきた。


「ご武運を、お祈りしていますわ」

「る、ルミナス嬢――っ!?」


 耳元で囁かれ、豊乳に腕を挟みこまれ、頭がのぼせる。このやわらかさ、本当に癖になりそうだ。

 プリンちゃんのためにも頑張らねば。


「よし、女剣士よ、わしを戦場まで案内せい!」

「単純なおっさんだな」


 そうしてわしは、女剣士と二人。戦場であるフィールドへと、初めて進出した。



「――これが、アルノームの外か」


 見渡す平原はどこまでも広く、遠くの方に林が見える。

 緑の原を風が駆け抜け、揺れる草花がさわさわと音を奏でる。風に匂いがあることを改めて気づかされた気がする。

 初めて見た外の世界。目と鼻の先だというのに、この年になるまで、街の外へと出たことがなかったのだ。

 それは偏に、城下の街だけですべてのことが足りるということに起因する。

 便利な世の中ではあるが、世界を知らないというのは本当に勿体ないことだと感じ入る。こんなに美しい風景だったとは。

 見聞を広げるということの重要性を、再認識した次第だ。


「感動してるところ悪いんだけど、さっそく魔物のお出ましだ」


 女剣士の声に我に返る。

 ふと下ろした視線の先に、二匹の魔物の姿があった。

 青いむにむにと、白い毛並みの兎だ。


【スライムAが現れた。

 脱兎ラビットAが現れた】


「なんだ、こいつらは」

「見ての通り魔物だ。おっさん、構えな」


 女剣士が抜刀の姿勢を見せたところに、スライムが先に仕掛けてきた。


「はっ! 甘いよ」


【スライムの先制攻撃、ミス】

 咄嗟に後方へ飛び退き、スライムの体当たりを回避する女剣士。その口元には笑みがこぼれている。

 見るからに余裕そうだ。


「おっさん、攻撃だ」

「――は?」

「は? じゃねえよ、何しに外出たと思ってんだ」

「あ、ああ。攻撃、攻撃だな」

「とにかく、思いっきりそいつでぶん殴ってみろ」


 女剣士の激励を受け、わしは明確な攻撃の意思を持って身構えた。

 そして――


「お、おぉおおおお!」


 声を上げ、スライム目掛けて猪突猛進。振動で、腹の肉が踊る踊る。

 ルミナスの酒場で譲り受けた空瓶を、これでもかと振り上げてから、重力に速度を乗せた一撃を、うぞうぞと蠢くスライムの頭らしき部分に叩きつけてやった。

 ――がしゃん!


【勇者代行の攻撃、スライムに8のダメージ】


「ぴぎぃい」


 おおきな音を立てて瓶が砕けた。同時に、スライムが断末魔の悲鳴を発し、その存在が希薄になっていく。やがて、光の粒子となって消滅した。

 消えた後には、3Gが残されていた。


「お? おお! どうだ、わしスライム倒したぞ!」

「なにをスライム如きで喜んでんだ! 次が来るよ、構えな!」


 一瞬の気の緩み。戦場に一度も出たことがない王様という前職(だとは思っておらんが、わしは今でも王様のつもりだ)の驕り、油断。


「うわっ!」


【脱兎ラビットの攻撃、痛恨の一撃! 勇者代行に12のダメージ】

 仲間意識が魔物にもあるのか、目を真っ赤にして興奮した様子の脱兎ラビットから、大きな一撃を貰ってしまった。

 しかも脛への、ただの、飛び蹴りだった。


「いい、痛い……ど、どどどうしよう。わしの体力がもう2しかない! 死んでしまうー!!」

「うるさい、少しは黙ってな。冷静になれ、視野を広く取れ、よく辺りを見渡せ。そこに薬草が生えてるだろ」

「ど、どこに」


 わしは急いで周囲に目を配る。すると、女剣士が言うように、草が生えていた。……辺り一面に。

 それはそうだ、ここは平原だ。雑草ならいくらでもあるだろう。

 問題は、どれが薬草なのかということだ。

 城暮らしが長かったため、薬草なんてのはほとんど目にしたことがない。精力の底上げに利くと言う葉っぱなら見たことがあるが……。

 片っ端から食べて確かめる、というのも一つの手だが、脱兎ラビットの脚は、思った以上に素早い。

 当たりを引くまでに、わしが昇天してしまう。


「ったく、しょうがない勇者様だな。ならヒントをやるよ。そこの白い斑点がついてるやつだ」

「白い、斑点……あ、あれか!」


 見つけると、わしは急いでそれに飛びついた。草をむしり取ろうとして、手が止まる。

 明らかに色味が不健康そのもので、しかも白い斑点って――


「こ、これ、鳥の糞が付いてるじゃないか!」

「そんなことは知らないよ、食わなきゃ死ぬだけだぞ?」


 むむ、こんな仕打ちがあってたまるか。

 一城の主が、なにが悲しくて鳥のう○こオプション付きの薬草を食さねばならんのか。

 それを食べれば、オパーイ揉み倒し放題、とかならまだ考えないでもないが……。

 戸惑っている間にも、魔物はどちらへ攻撃しようかと迷う仕草を見せている。逡巡する暇もない。

 背に腹は代えられん、か。


「くっ、なら、糞をよけて、三分の一だけ……」


【勇者代行は、鳥の糞オプションを回避。

 薬草らしき物体を三分の一だけ使用した。運よく体力が2回復した。しかし、毒をもらった】


「はぁっ!? なんでだ! なんで毒! う、ゲホゲホッ」


【勇者代行に、1ダメージ】


「あっちゃー。それ、たぶん腐りかけなんだわ。大方、鳥の糞にやられて変性してたんだろうね」

「なんだと! なら食べ損ではないか! これなら食べない方がまだよかったわ!」

「ちょっと静かにしてた方がいいぞ、おっさん。毒の回りが速くなるからさ」

「むぐっ」


 その一言で、わしは瞬時に口を噤んだ。

【勇者代行に、地味に大きな1ダメージ】

 結局、回復した分を再び毒で減らされてしまったわし。

 惨めなことこの上ない。


「はぁー。本当に勇者でやっていけるのか、心配になるね、これは。世話の焼けるおっさんだ」


 ため息を一つこぼし、呆れたように肩をすくめる女剣士。

 そして、腰に帯びた長鞘の得物の柄を引っつかむと、スラッ! と勢いよく抜き放つ。


「こんな雑魚を倒しても、大して経験値にはならないけどさ。おっさんの後学のためにも、一肌脱いでやるよ。言葉は発するなよ、出来るだけ動かない方がいい。すぐに倒して、毒消し持ってきてやるからさ」


 ここは厚意に甘え、素直に首肯する。

 しかしこの娘、ごつごつした鎧のせいで見た目も、言葉遣いも野蛮だが、根はいい子なのかもしれない。

 感謝の念を胸に抱きつつ、女剣士の行動を、言葉通り見学する。

 鞘から抜かれた剣士の得物は、鞘の形状と等しく、湾曲している刃物だった。鋼の剣、とはまた違うのだろうか。独特な形の鍔、そして流麗な波模様が刃の上を走っている、見たこともない武器だ。


「あたしの刀の錆になれることを、光栄に思うんだな――、はっ!」


 脱兎ラビットとの間合いを一瞬で詰めると、女剣士は刀と呼ばれた武器を、風圧が見えるくらいの物凄い勢いで横一文字に薙ぎ払う。

【女剣士の攻撃、脱兎ラビットに52のダメージ】

 脱兎ラビットは声も上げず、一瞬で絶命した。後には、毛皮が残された。

 華麗な太刀捌きは、すごい、その一言に尽きるだろう。そりゃああんな大男どもを一撃で気絶させるわけだ。


「さて、あたしは街に戻って道具屋に行ってくるから、あんたは少しここで待ってな。くれぐれも声を出すなよ。死んだ振りするみたいに、極力動かないことだ」


 刀を鞘へと納めると、今しがた魔物の落とした毛皮を拾いつつ、女剣士はそう言った。

 声を出すなと言われているから、目を見て、「分かった」と心の中で返事する。


「なんだよ、そんなに見つめるな。恥ずかしいだろ!」


 ぷいっ、とそっぽを向いた女剣士は、決まりが悪そうに街へ向かって駆けていった。


「…………」


 うーん。一人でこんなところに座らされる経験なんて、王様なら滅多にないことだろう。

 いつ魔物に襲われるやもしれんこの状況で、出来ることといえば。

 暇だし、考え事でもするか。

 ………………。

 …………。

 ……。

 特に、思考が働かない。無理になにかを考えようとすると、逆に難しいものがあるな。

 しかし、女剣士のやつ、遅いな。あれから数分経っているのに、一向に戻ってこない。このままじゃ、わしの体力が減ってしまうじゃないか。


「…………」


 おーい、まだかー?

 声を上げることも出来ず、ただじっとして女剣士を待つ。待つ、のだが。

 ――――あっ! これは、非常に不味い事態だ。おなら、おならがしたくなってきた!

 空気の塊らしき感触が、外界への扉をノックしている。

 ケツを浮かそうとすれば動いてしまう、毒がさらに回るだろう。だが、もうすぐそこまで来ている圧縮空気。

 なんとかすかして事なきを得ようと、必死にケツ穴を締める、締める、締めて――――あっ!

『ぷぅ』

【勇者代行に、1、ダメージ】

 アァー!! 出て、しまった。残り体力、1。

 意識が、だんだん、遠のいていく。わしは人生に、ピリオドを打とうとしている。う○こオプションの付いた腐った薬草を食したばっかりに、勇者の代わりをやらされる羽目になったばっかりに……。

 こんな人生の終わり方であってたまるか!

 やがて後悔の渦は、意識の混濁とともに薄れゆく。

 ああ、今生とも別れか……。

 最後に、ルミナス嬢のおっぱい、揉みたかっ、た――――。


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