おお勇者よ、死んでしまうとは情けない……えっ、ならお前が行け?
黒猫時計
上の世界 アストリオン
第一章 アルノーム編
第1話 城追放
「おお勇者よ、死んでしまうとは情けない」
いつものようにわしは、街を出てすぐに死んでしまった勇者に対し、激励の意を込めた同情を口にした。
あらかじめ身支度にと渡しておいた駄賃で、街を出る際に買ったのだろう。皮の服に胴の剣を装備した貧相な風体の勇者は、なにやら肩を震わせながら俯いている。その衣服の所々には破れが見て取れ、布のマントはまるでボロ雑巾かと見紛うほどに解れていた。裸のまま握られた剣は僅かに欠けており、手入れをされた形跡も見当たらない。ずいぶんとこっ酷くやられてきたようだ。
玉座の隣に控える大臣を一瞥すると、大臣は小さく息をついて肩を竦めた。
大臣も、彼のいつもとは違う雰囲気に戸惑っているようだった。
「おお勇者よ、死んでしまうとは情けない」
聞こえていないのかもしれなかったので、わしはもう一度同じセリフをはっきりと口にした――のだが。
急に顔を上げたかと思えば、
「うるさい! いつもいつも同じセリフ吐きやがって。もうその言葉は聞き飽きたんだよ。お前は送り出すだけだから楽だろうな!」
……と、なぜか反抗されてしまった。
普段は寡黙であるはずの勇者が、寡黙でなければならないはずの勇者が、王様であるわしに対して文字通り牙を剥いたのだ。今にも噛み付かんと、犬歯を剥き出しにしてキレている。
これを驚かずしてなんとする!?
「え、あの、いや……」
「そんなに言うならテメエで行けよ! 俺はもう勇者なんかやめてやる!」
やめてなにを……。
そう疑問に思った瞬間、わしの思考を読んだように間髪入れずに勇者は言った。
「うるせー! テメエに教える筋合いなんかねーよ! 実家のパン屋を手伝うんだよ!」
教えないと断っておきながらも、ムキになって口を滑らす。
これが所謂ツンデレ、というやつなのだろうか。街の者が見たら、「勇者萌えー」とか言いそうである。最近、城下で流行っているらしい。ということを、大臣から聞かされた。
するとズカズカと大きな足音を響かせながら、勇者は無言でこちらへと近づいてきた。
階段を上がると、玉座のわしの元までやってきて――そして、なぜかわしは首根っこを掴まれる。
「ほら、代わりに勇者やってこい、クソキング!」
――そうして裸一貫で、勇者によりアルノーム城から放り出されたわし。
門衛に命じても、「勇者様の言いつけですので」の一点張りで、城へは入れず。
わし王様なのに……。
もちろん身に着けている物は王様装備一式だけ。
準備もなにもなく放られたため、当然ながら所持金はゼロ。
これらの装備品を売れば、多少の金にはなるだろう。この宝石だらけの無駄に重たい王冠なんかは、相当な価値がありそうだし。マントもあの勇者なんかとは違い上等品だ。
しかし、代々王家に伝わる品は手放せない。わしが王様である証でもあり、誇りだからだ。
ではこの服はどうか。これなら替えはいくらでもありそうだ。しかし、着ている物を売ってしまっては裸同然で街を、外を歩くことになってしまう。
裸に王冠とマントだけとか……。裸の王様なんていう恥ずかしいレッテルを貼られてしまいかねない。それだけは避けねば。
何故ならわしは、民から“は”尊敬されている王様だからだ。民の期待を裏切るわけにはいかない。
勇者? そんなものは知らん。
旅先で倒れた勇者を、人知れず回収させ教会までわざわざ運んで、一般的に禁忌とされる復活呪文により復活させた恩を忘れ、挙句勇者を辞める宣言をし、わしを王として敬うどころかぞんざいに扱った勇者なぞ、もう知らん。
わしは……わしは?
わしはこれから、いったい何をしようというのか。
城から放り出され、入れもせず、金もない。
行く当てのない旅に出ろとでもいうのか。
断っておくが、わしは王様だ。正直に言ってなんの取り柄もない。剣くらいは振ったことはあるが、幼い頃に訓練を受けただけで、今や凝り固まり錆付いて使い物にならないナマクラな腕だ。児戯と言っても差し障りない。
そんな者に、勇者代行など務まるわけがなかろう。
しかし現実はどうだ。今こうしてわしは、勇者として城から放り出された。これがわしの天命なのか? そんなものは認めない。だが城へ入れない以上、やるしかないのだろうか……。
時間の無駄とも取れる長考を重ね、城門にかかる橋で立ち尽くしていた重たい足が、ようやく動いた。
「とりあえずは、酒……だろうな」
こんなの飲まないとやってられん。
「というわけで、ルミナスの酒場へやってきたぞ」
誰に言うでもなく、誰が聞いているわけでもなく。
そうして街唯一の酒場、冒険者も少なからず立ち寄る、ルミナスの酒場の開き戸を押し開けた。
なんともレトロな雰囲気のある木造の内装は、その煤け具合から長い歴史を感じさせる。
がやがやと騒がしい店内。
ガラの悪そうな輩が数ある席を占領し、グラスのぶつかる音響く中、わしは雑草を掻き分けるが如く奥へと進む。
けれど誰もわしに振り返る気配すらない。
王族衣装に身を包んでいるにもかかわらず、人目をまるで引かないのは、どういうわけだろうか?
カウンター席にちょうど空いている席があったので、ため息交じりにそこへ腰を落ち着けた。
「あら王様、いらっしゃい。ご注文は?」
酒場の女主人ルミナスは、金色の長い髪を揺らしながら接客にやってきた。
胸元の大きく開いた真っ赤なドレスに、たわわな胸。目のやり場に困る。
「お前さん、わしが誰か知っておるのか!」
「お城の城主が、なにをご謙遜を……ってあ、いまは違うみたいですね」
口元に手を当て、くすりと微笑んだルミナス嬢。
上品な仕草に興奮を覚えながらも、その言葉に疑問を感じわしは訊ねた。
「ん、どういうことだ?」
「さっきちらりと見えたんですけど、背中に張り紙されてますよ?」
わしは慌ててマントを脱ぎ捨てる。
するとなにやら薄汚い紙が、かぴかぴになったモンスターの涎みたいな糊により、自慢の高級マントに貼り付けられていた。
急いで引っぺがした紙には、こう書かれている。
『今日からオレが勇者様、みなのものよろしく!』
きったない字! わしはもう少し達筆だ!
「ええい、こんなもの!」
怒りに身を任せ、雪球を固めるように丸めた紙を投げ捨てた。
すると放った紙は見事、酒場の女主人ルミナスの豊満な胸の谷間へと、吸い込まれるようにして挟まった。
「あら勇者様、ごみのポイ捨ては駄目ですよ? ちゃんと拾って、ごみはゴミ箱へ」
胸を寄せ上げ、取り出しやすくしてくれているのだろうか。
カウンターから前かがみになり、ルミナス嬢のふるふると揺れるオパーイが、眼前に差し出される。
「お、おほん、では失礼して……」
下心を悟られないよう生真面目な顔をし、細心の注意を払いながら、紳士然として手を伸ばす。
寸分も狂いなく、伸ばした右手はルミナス嬢の胸元へ。そして、谷間を無骨な指で弄った。
「あんっ」
おお、なんとも形容しがたい感触。
出来立てのプリンに指を突き入れたような、はたまたスライムを素手で捏ね繰り回すような(聞いただけでしたことはないが)、癖になるやわらかさ。
お忍びで通っていた、城下町地下のむにむに屋などの女で満足していた自分が嘆かわしい、恥ずかしい!
取り出そうとして指を押し込むごとに、意思とは反対に、紙屑はやわらかな谷間を下へ下へと下っていく。
「あ、あっ……ん……」
「ルミナス嬢、あまり変な声を出されぬよう……」
背徳的な行為をしているかのような艶かしい喘ぎ声に、思わず赤面してしまう。
わしと女主人の周りの空気だけピンク色。だがこれは致し方ないことなのだ。ただ、紙くずを取り出そうとしているだけ。
自身にそう言い聞かせるものの……けれど、そんな甘美な一時を、楽しまないのは損だろう。こんなプリンちゃんを目の前に差し出されて、据え膳食わぬは男の恥というものだ。
しかしジレったい。今すぐにでも両の手でしっかりと揉みしだいてやりたいものだな。
やはり邪な気持ちは隠しきれても抑えきれず……。
つい左手が右胸に伸びそうになった、次の瞬間――
「ごめんなさい、最近、男日照りで……」
その魔性の一言に、酒場の空気が一変した。ぞくりと背筋を悪寒が走る。
充満したのはオスの気質。
恐る恐る振り返ると、そこには屈強な猛者たちの、猛り盛り、そそり立つグロいグローリー。みな一様にして、ルミナス嬢のエロい肢体を鼻息荒く、血走った眼で凝視している。
「あらやだ。勇者様、か弱い私を、どうかお守りくださいませ」
「え、えっ?」
【エンカウント。
興奮しいきり立つ荒くれ共が現れた!】
「はあっ!? いや、わしなにも装備しておらん……」
「はい勇者様、木樽のふたと酒瓶です」
そう言われて差し出された装備? らしき店の備品を、抵抗なく受け取ってしまった。
それを戦闘態勢と勘違いされたらしく、七人の荒くれ共が、各々、棍棒やら長剣やらを構えてにじり寄ってくる。
「ちょ、ちょっと待て、わしはただの王様で……。そ、そうだ、金をやる。今は手持ちがないが、必ず用意させよう。どうだ?」
「ガンゴロチッタ、バスク!!」
問いかけるも、もはや理性が崩壊しているようで、まるで聞く耳を持ってくれない。
なにか喋っているようだが、残念ながら理解不能だ。完全に常軌を逸している。
このままでは、あの世へと送られてしまう。
――と、荒くれ共の一人が、突然行動を開始した。
手に持つ二尺ほどの棍棒を大きく振りかぶり、涎をまき散らしながら突進してくる。
「アングロ!!」
「わわっ!」
後退さろうとして椅子に躓き尻餅をついたことにより、辛うじて大振りの棍棒は鼻を掠めるに止まった。
けれど体勢を立て直そうとして立ち上がろうとしたところを、後続の二人が追撃に出てきた。
相手は共に銅の剣だ。
惨めにも、赤子のように這い蹲りながら、わしはフロアテーブルの下へと潜り込む。
ゲラゲラと、耳障りな笑い声が酒場内を反響した。
しかし、どうやらわしの判断は誤りだったようだ。
見回せば、テーブルを取り囲む足、足、足。計七組の足が、ずらりと勢ぞろいしていたのだ。
「万事休す、か」
囲まれてしまっては成す術がない。這い出たところで、袋叩きにされるのが目に見えている。
勇者には、「死んでしまうとは情けない」などと面責しておきながら、自分はこの有様だ。死んでしまっては元も子もないが、今度勇者に会えたのなら、そのことを謝りたいとわしは思う。
カタカタと震える体を縮こまらせる。衣擦れの音がした、と思ったら、荒くれ共がにたにたしながらテーブルの下を覗き込んできた。手には武器。
終わりか……――そう思った、絶体絶命だと。
その時、ガシャーン、と盛大に音が響いた。目の前で一人、荒くれが白目を向いて気絶する。その顔は水浸しで血まみれだ。
割れたのはどうやら酒瓶のようだった。酒気のにおいが鼻をつく。
「あんたら、そんな雑魚に寄って集って、大の男が恥ずかしくないのか?」
「「っ!?」」
聞こえた声は、威勢のいい女のものだった。
しかし人を雑魚呼ばわりとは……いや、まったくもってその通りなんだけれど。
テーブルを覗き込んでいた荒くれ共が、何事かと一斉に立ち上がりそちらを向く。
同時に、スラリと鞘から剣を抜き放つ音が聞こえた。
「あたしが相手になってやるよ。かかってきな!」
なにかわしの与り知らぬところで、闖入者により勝手に戦闘を始められてしまった。
キンキンとうるさく響く金属音。
「ぐおぉお!」
「があぁあ!」
先ほどから聞こえるのは、ただ苦しげに呻く暴漢の声。
様子を窺うために、テーブル下から這い出ると――ズバッ! という剣の斬撃音が聞こえた。
先の一人を除き、見れば五人が倒れており、今しがた斬られたであろう最後の男がゆっくりと崩れ落ちる。
「安心しな、みね打ちだよ」
顔を上げた視線の先に立っていたのは、赤い鎧を着込んだ、不敵に笑う、野蛮そうな女剣士だった。
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