学校テロリスト 21


 猿渡は鵜飼の右腕にぶら下がった状態でスタンディング式の腕ひしぎ十字固めの態勢に入った。完全な形で決まった極技サブミッションだった。しかも、これは格闘技の試合と違い、ロープエスケープのない殺し合いである。鵜飼に逃げる手段はない。


「鵜飼、てめえ何故、仲間のEXPERたちの加勢を断った?」


 猿渡は強靭な背筋を反らし、鵜飼の右腕を関節と逆方向に捻じ曲げた。ぶら下がったままの重力に従う形であるため、その効果は倍増する。技をかけられている鵜飼としては、いっそ倒れてしまったほうが楽になるが、そうすると立ち上がれなくなったときに完全に勝機を逸する。サブミッションの使い手たる猿渡は、そこまで計算してスタンディング式に持ち込んだはずだ。


 みしみしという嫌な音は鵜飼の肘の骨と靭帯から聴こえてくるものだ。だが仲間が不利となったこの状況においてもなお、銃器類を持った薩国警備のEXPERたちが加勢に入る様子はない。


「いくら俺が硬気功の使い手でも銃弾には勝てねえ。なのに何故、サシの勝負にこだわった?」


 猿渡の疑問は当然生まれるものであろう。本来ならばEXPERたちが背中から彼を撃てば、それで終わるはずだった。しかし鵜飼は味方を制して、一対一の格闘戦を挑んだ。


「俺にはわかるぜ鵜飼。てめえの目を見たときわかった。てめえはまっすぐすぎるんだよ。汚ねえ真似はできねえ男だ」


 それは鵜飼という男の本質をついた猿渡の正しい人間評と言えようか。


「俺みたいな腐った裏道を歩いてきた人間には、てめえの目は眩しいもんさ」


 そして正反対だからこそ理解できた鵜飼の美点だったとも言えるのかもしれない。人は、おのが持たぬものを鋭敏に感じとるのだ。だから裏ッ返せば、そこにつけ入る隙が生じる。それが猿渡優勢のこの状況を生んだ。


「しかし、そういう奴はえてして早死にするもんだ。おかげで俺は自分の背中を気にせず、てめえとの戦いに集中できた」


 ときに正道ではなく邪道をゆくことも、そして狡猾な手を見せることも大事である。これまでの人生で非情に徹してきたであろう猿渡が言うことの意味は重い。やり直しがきかない殺し合いの場においては特に……


「鵜飼、ちったあズルくならないと勝てねえぜ、まあ俺の勝ちが決まった今、言ってもしゃあねえがな」


 猿渡は自分の手にさらに力を込めた。肘を支点としてあらぬ方向に曲げられた鵜飼の右腕がさらに大きな音をたてる。常人ならば耐えきれず、失神するほどの痛みを伴うものだった。


「これで終わりだ」


 勝利を宣言した猿渡は、鵜飼の腕をさらに極めあげた……






 だが、今まさに猿渡が鵜飼の腕をへし折ろうとした刹那、Tの字に交錯していた両者の体が離れた。それは本当に一瞬の出来事だった。


「鵜飼、てめえ……」


 完璧に決まっていたはずの関節技を自ら外した猿渡は、なぜか自分の左足を気にしながら舌打ちをした。鵜飼の腕にぶら下がっていた彼が有利な体勢を捨てて急に着地し、そこから数歩退がったために再び間合いが開いている。


 右腕に関節技を決められていた鵜飼は、逆の左手で猿渡の靴を掴み、そのまま外側に強く捻ったのだった。それは片手で決めたヒールホールドである。咄嗟に出た技だったが、猿渡がひるむには充分な威力となった。あらゆる打撃技に耐性があるH型超常能力者は、唯一のウイークポイントであるサブミッションを受けることを極度に嫌う傾向がある。猿渡は反射的に逃れたのだった。


「前言は撤回するぜ鵜飼、てめえもなかなかの策士だよ」


 ファイティングポーズを取る猿渡。その左足には少なからぬダメージが残っているはずだ。対する鵜飼のほうは、関節技を決められていた右腕が使い物にならなくなっている。両者手負いの状態となったいま、雌雄を決する過程で力と技以外の“なにか”が強く作用する。


 鵜飼が先に前に出た。またも掌底とキックの連打で猿渡に攻撃を仕掛ける。ガードを下げている猿渡はそれらを全身で受け止めた。H型の超常能力……つまり硬気功を発動させているため、ヤツは鵜飼の打撃をすべて吸収してしまう。H型超常能力を発動した者の肉体は硬さと弾力を併せ持つラバーのような質感を得るため、対戦する方はまるで野球場のフェンスに攻撃しているような無機質の感触に陥るものである。


 近接のさなか、猿渡の大きな手が伸びた。鵜飼が着ているワイシャツの襟付近をつかもうとした。引き寄せてグラウンド技に持ち込む気か? いや、投げの体勢に入るつもりか? 彼が得意とするコマンド・サンボは柔道を起源とするため、どちらの選択肢も有効となる。


 鵜飼は、その手をかわし、素早く背後に回りこんだ。後ろから猿渡の太い首に自分の左腕を巻きつけるようにして、引きずり倒した。


 床に尻をついた体勢になった猿渡の後ろから、鵜飼は首を絞めた。左腕で頸動脈をおさえ、左手を右手でロックしている。この形は喉の気管を締めて窒息を狙うチョーク・スリーパーとは違う。脳への血流を止める純然たるスリーパー・ホールドだ。プロレスや総合格闘技でよく使われる技だが、戦場においても有効であり、軍隊式格闘術のひとつともなっている。相手の背後から仕掛けるリアネイキッドスタイルである。


 技をかけられた猿渡は暴れた。すると鵜飼は左手を自分の右上腕に置き、空いた右手で猿渡の頭を押した。こうすると受け手の首が傾き、さらに絞まる。かけ手の腕が交差する形から“フィギュア4”と呼ばれる絞め方のスタイルだ。脱出の手段はない。






 十数秒後、脳への血流を遮断され、白目をむいて失神した猿渡の姿があった。完全に落ちている。打撃を吸収する硬気功の使い手であるこの男を倒すにはサブミッションしかなかった。勝った鵜飼は腕を離して立ち上がった。


「悪いが、俺はここで立ち止まるわけにはいかんのだ。いつか、一条を倒すまでな」


 意識を失くし、廊下の床に伸びている猿渡を見下ろしながら、鵜飼は左手で落ちていた自分の上着とネクタイを拾った。少年のころ憧れていた剣聖スピーディア・リズナー……一条悟は今、自分のそばにいる。月日が流れた現在では目標であり、また、越えなければならない壁でもある。来たるべき再戦の日まで負けるわけにはいかない。そして、それまでに純粋な実力をつけるためには、猿渡とは真逆の正々堂々たる道を歩んでいくしかない。鵜飼とは、そういう考え方をする男である。


 戦いが終わったことを確認した仲間のEXPERたちが駆けつけてきた。彼らは異能力でも破壊できないネオダイヤモンド製の拘束具を猿渡の手足につけ、さらに動きを封じるため筋弛緩剤を注射した。意識を失っており、硬気功の効果が切れているため、注射針は猿渡の腕に刺さった。 


 上着を着た鵜飼は関節技を決められた右腕の痛みに耐えながらも、顔には出さなかった。その痛みをこらえて絞め技を繰り出し、得た勝利は技術を超えた精神面がもたらしたものともいえる。最終的には技の精緻でなく心の強さが死闘の勝敗を決するものであるとも鵜飼は理解している。


 だが、それだけでは足りないのも事実だ。故郷鹿児島に帰ってきた悟との差は距離的な意味では縮まった。しかし実力差を縮めていかなければ勝ちはない。そのためには己を磨き前進していくしかない。いま猿渡に向けて言った台詞の意味とは、それである。


(一条さん、あとは頼む)


 窓の外を見た鵜飼は悟にエールをおくった。そこから見える夜の暗がりのいずこかで、伝説の剣聖は“もうひとりのテロリスト”と遭遇しているはずである。



 

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