学校テロリスト 17

 


「まさか、こんな抜け道があったとはね」


 道なき道を進む悟は左右から目前にせり出している草木をかきわけながら小声で言った。急な斜面を降りる格好だが、体幹に優れた異能者であればバランスを崩すことはない。


薩国警備おまえらの偉大な先輩方に感謝だな」


 悟は目の前を先行する鵜飼の大きな背中に声をかけた。返答はないが、彼もまた同様に草木をかきわけながら進んでいる。


 ふたりが今いるのは静林館高校の北東にあたる。下から見れば裏山であり、上から見れば崖となる。抜け道というより雑多な木々が密集して生い茂った斜面だ。テロリストたちに占拠された校舎に裏から潜入するため、ここを徒歩で降りている。


 この裏山は、かつて静林館高校に通っていた薩国警備の見習いEXPERたちが代々、利用していたものだという。通常人が立ち入ることなどできない難所であるが、身体能力に優れた異能者ならば抜け道とすることができる。


「まァ、こんな清く正しい進学校の生徒でもハメ外すことってのがあったんだな」


 その見習いEXPERたちは静林館高校の生徒だったころ、補習授業や朝礼などをサボるため、この道を使っていたらしい。上まで登ると比較的開けており、そこで彼らは早弁をしたり、持ち込んだ漫画雑誌をまわし読みしたりしていたという。そして、そんなサボり方が後輩の見習いEXPERにも受け継がれてきたらしい。しかし学校側にその存在が知られてしまった今では使う者がいなくなり、ただの雑木林と化している。


「おまえもガキのころちゃんと勉強してりゃ、出世できたのになァ、鵜飼」


 悟はまた声をかけたが、鵜飼の背中は何も答えず淡々と斜面をくだっていく。学閥化が進んだ今の薩国警備の上層部は、そんな静林館高校のOBたちが多くを占めている。ただし十代で正式なEXPERになった鵜飼はそれに該当しない。事前に校内の造りを下調べしたはずのテロリストたちもおそらく知らないであろうこの潜入ルートを彼は上司から聞いたようである。


 テロリストたちが静林館高校を狙った理由は、つまるところそれだったと思われる。決定権を持つ者たちの母校を盾に取れば、自分たちの要求を飲ませることができると踏んだのだろう。今ごろ上層部の者たちは同窓のOBたちからの問い合わせに追われているかもしれない。テロリストの要求を飲むか否かの決断を迫られているはずだ。


「見えた」


 斜面の途中で立ち止まった鵜飼が軍手をした右手を肩の高さにあげた。後ろにいる悟に対する、止まれの合図だ。


「どれどれ」


 悟は同じく軍手をした左手を木の幹に置いて正面を見た。夜の裏山に光源などないが、彼ら異能者という生き物は夜目がきく。裏山の下に広がる静林館高校の校舎の裏側だけでなく裏庭が見えた。ここは地上から四十メートルほどの高さとなる。


「裏庭に張っているテロリストは三人だ」


 鵜飼は赤外線付きの双眼鏡を数秒だけ覗いたが、すぐに斜め左のほうへ進路を変え、密集している木と生い茂った草だらけの道を行った。悟はそのあとに続く。土の足場は柔らかいが、このふたりが踏みしめる足取りの障害となることはない。急な下り斜面を器用に歩みゆく。


「ここだ」


 少し行って鵜飼は再度止まった。ここも背が高い木だらけの場所である。そのうちの一本の幹……地面から二メートルほどの高さの位置に赤い鉢巻状の布が巻き付けられていた。


「これが“先人”たちが残した目印か」


 悟が見たその布は長年の風雨に耐えてきたせいかところどころボロボロで変色もしている。しかしまだ目印としての原型をとどめてはいた。そして、この位置から七歩ほど行くと校舎の東側が見えた。テロリストたちが見張っている裏庭から死角となる。


「おまえらの上司は昔、サボり終わったら、ここから校舎に戻っていたわけか」


「そういうことだ」


 鵜飼は、ぼうぼうに茂っている背の高い細木をかき分けた。下に東側校舎の三階と西側校舎の三階をつなぐ渡り廊下が見える。けっこうな高さがあるが、若きころ、この学校に通っていた薩国警備の見習いEXPERたちは、身体能力を活かしてここから飛び降りて、あの渡り廊下の屋根に着地し、そこから教師たちにバレぬよう授業に戻っていたようだ。勉学への取り組みも盛んな鹿児島一の進学校の生徒らであっても、ときにはサボりという名の息抜きを必要としていたらしい。そしてふたりは、同じ手で校舎に潜入するつもりでいる。


「見張りは、ひとりか。不用心だな」


 悟は鵜飼の横に立ち、下を見た。校舎東側にマシンガンで武装したテロリストがひとりいるが、裏庭よりは監視の目が少ない。手薄な警戒に見えるが、こんな草木だらけの裏山から侵入されるなどと考えていないのかもしれない。もしくはテロリスト側の人手が多くないことも予想できる。


「近年はテロのスリム化が進んでるってのは、よく聞くな」


 悟の言うとおり、最近のテロリストは少人数で事に当たるケースが目立つ。各国のテロ対策が高度化したため、多人数での入国や潜伏が難しく、また周辺住民の目も昔より厳しくなったからだ。日本のような平和な国の場合、不審に見えると、すぐ警察に通報がいく。世知辛い世の中と揶揄する人もいるが、それで安全が保たれているのも事実である。


 そんな中で、テロリストらが少数でのぞむ手段として武装の近代化がある。今、崖下にいる連中はダメージモニタリングシステムを身につけており、さらに各種通信妨害法を備えているようだが、最近の政情不安の国々には野戦砲や自走砲、さらには小中型の近接防御火器システムを持ち出すテロリストまであらわれた。砲弾で軍隊や異能者を牽制するような輩である。建物内で人質を監視する役割を持つ者を多くし、ハイテクレーダー機器を並べた建物外を少人数で固めるやり方はテロのオートメーション化とも言える。だからテロと対峙する側には、それに負けない多様化した突入手段を持つことが求められている昨今である。


「だが、残念だったな」


 悟は鵜飼から借りた双眼鏡を覗いて言った。


「あれは連中の監視カメラだろ」


 悟は鵜飼に双眼鏡を返した。侵入の始点にするつもりだった渡り廊下の手すりに小型の監視カメラがガムテープで貼りつけられているのが彼には見えた。おそらく他にもあるはずだ。


「そのようだな」


 鵜飼は双眼鏡を覗き、ひとことだけつぶやいた。特に残念がっている様子ではない。テロリストが、ここからの潜入を予測していない、などと楽天的に考えてはいなかったのであろう。その監視カメラはこの裏山のほうを向いており、それをかいくぐって、ここから飛び降りるのはリスクが大きい。他のカメラに見つかったら人質が危ない。


「こりゃあ引き返すしかないよなァ、鵜飼隊長?」


「ここで待機だ」


「あぁ、そうですか、はいはい」


 悟は口を尖らせると数歩引き返した。そして首に巻いていたタオルを外し、それを一本の太い木の根元に敷いた。テロリストが隙を見せるか、それとも正面から薩国警備が突入するか。どちらかの事態が発生するまでここで待つことになる。


「まァ、見張りは任せるわ。時間が来たら起こしてくれ」


 悟は土の地面に敷いたタオルの上に座り、木に背中を預けて腕を組んだ。校舎に背を向けている。斜面の上のほうに脚を伸ばしている格好だ。こうすれば木に隠れるので連中に見つかることはない。故郷鹿児島に帰ってくるまでひとつところに定住したことがない彼は世界中を駆け回っていた。ときに最高級ホテルの豪華なスイートをねぐらとし、ときに猛獣や大蛇が幅をきかせる熱帯林で夜を明かし、そしてときには極寒のツンドラにキャンプをはって吹雪が通り過ぎるのを待った。そんな生き方をしてきた剣聖だから、ここで待機することなど造作もない。


 同志の解放を要求しているテロリストたちが切った期限は明日の正午。まだ半日以上ある。薩国警備はギリギリまで待つだろう。しかし、もしそれまでに突入の機会を見いだせなかった場合、要求を飲むかもしれない。国際社会はテロリストに譲歩しない、というのは現在も通ずる強気の理念だが、それと対になる超法規的な措置もある。要求を飲んで人質全員が助かる可能性は五分だが、要求を飲まなかった結果人質が殺される事態が起こるよりマシだと考える理屈はたしかに存在する。世論の反発を回避するためだ。静林館高校の中にいる十人の人質たちの安否を左右するのは、人命よりも重い大人の事情である。


 そして、薩国警備の見習いEXPERの豊浦海斗との連絡はいまだに取れていない。彼はまだ静林館高校のどこかにいる可能性があった。

 

「なあ、一条さん」

 

 斜面に片膝をついた姿勢で鵜飼は背後の悟に訊いた。彼はまだ校舎のほうを向いている。


「あんたは十年前、本当に湯田を斬ったのか?」


 その豊浦海斗の父、湯田正勝は鹿児島にて暗躍したフリーランス狩りの異能テロリスト集団セルメント・デ・ローリエの指導者だった。


「なんだい藪から棒に?」   


 訊かれた悟は木に寝そべった姿勢のままでいる。目をつぶっており微動だにしない。休むときは徹底して休む、というのが彼のポリシーだ。

 

薩国警備そしきの中には、今でも湯田の生存説が根強くある」


 剣で悟に敗北し、錦江きんこう湾に身を投げた湯田の死体はあがらなかった。そのため、そんな説が出る。


「新生セルメント・デ・ローリエの首謀者は、どこかに身を潜めている湯田ではないか、という憶測が薩国警備内に飛んでいるのも事実だ」


「で、俺がわざと湯田を逃した、って説もあるわけか」


 当時十代にして既に世界的名声を欲しいままにしていた剣聖スピーディア・リズナー、一条悟にセルメント・デ・ローリエの討伐を依頼したのは薩国警備だった。藤代グループ総帥、藤代ふじしろ隆信たかのぶを通した上で、国際異能連盟の承認までとって依頼したのは、剣聖としての悟が持つ殺人許可証マーダー・ライセンスの執行を容易にするためだった。薩国警備は威信にかけてセルメントを根絶やしにするつもりだったのである。


「少々厳しい言い方をすれば、組織人から見たあんたというのはアウトローな人だからな」


 鵜飼の悟に対するその人間評は世界共通の認識ともとれるものだ。世界的な異能のスーパースターであっても、殺し屋と呼ばれてきたのは事実で、しかも国際異能連盟公認の剣聖でありながら、一部の国から指名手配を受けている身でもある。悟自身、自らに向けられるそんな悪評を否定したことはなかった。もし彼が関わってきた戦いに誇りや美学があったのだとすれば、常に正々堂々と悪に立ち向かい、勝利してきたことだけである。しかし悟は、そんな自分を過大に評価したことは一度もない。むしろ“俺はしょせんならず者”と、ときどき人前で自嘲してきたものだった。


 そんな悟のやることだから、様々な憶測を生むのはやむを得ない。湯田の件にしてもそうである。ならず者が悪党にほだされたとも、または悟が湯田から金を受け取って逃したとの説もある。後者の場合、悟に報酬を支払った薩国警備との二重契約に類似するため、異能業界では嫌われるやり方となる。


「手応えはあったよ。あの状況で生きていられるのは薬物中毒者かキングコングくらいのもんさ」


 だが今、悟は鵜飼に湯田を斬ったと断言した。セルメント・デ・ローリエの他のメンバーは自分の戦闘力を向上させるために異能者用の違法薬物を用い、狂人化していたことから首をはねるしかなかった。さもなくば二次被害が生まれ、多くの人々が犠牲になっていたかもしれなかった。湯田だけが薬物を使用していなかった。


 もちろん悟自身は指導者だった湯田をあわよくば捕らえ、薩国警備に引き渡すつもりだったが、結局深手を負わせるしかなかった。薬物などに手を出していなくとも湯田は手加減できるような相手ではなかったのだ。旧セルメント・デ・ローリエの中では一番の手練だった。


「なァ、鵜飼。その豊浦海斗って少年が、今の連中の頭なのか?」


「気になるのか?」


 新生セルメント・デ・ローリエが、かつての指導者だった湯田の息子を担ぎ上げた可能性は充分に考えられる。毛並みとは、フリーランス狩りという大義名分につながるものだからだ。そして、同じ思想を持つ連中をひきつける魅力ともなる。


「もし、そうなら、あの世の湯田が悲しむと思ってな」


 息子には自分と同じ道を歩んでほしくはない、と湯田は十年前のあのとき悟に語った。だが結局そうなったのであれば、海斗は父の轍を踏んでいることになる。それも、若くして……



 

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