学校テロリスト 16

 

 静林館高校の正門に立つ時計塔の針が午後七時をさした。異能人権団体テロリスト『アルバア・スァマ・タハールフ』に占拠されてから二時間以上が経過したことになる。十一月の空はすでに真っ暗であるが学校敷地内は煌々と明るい。校舎内のほとんどの電気がついており、警察と薩国警備が陣取っている校庭では彼らが持ち込んだいくつかの大型の照明器具がフル稼働していた。テロリストたちの要求は薩国警備に拘束されている同志ジャーミル・ザウィードの解放。当のザウィードは情報を薩国警備に漏らしたことで受ける報復を恐れ、これを拒絶。テロリストが切った期限は明日の正午。それまでにザウィードを引き渡さなければ人質全員を殺す、と宣言している。


 銃で武装した十数名のテロリストたちが静林館高校校舎周辺を取り囲むようにして見張っていた。最も多く配置されているのが校庭側。次に多いのが裏庭側。あとは両側面に二名ずつ。彼ら見張りのテロリストたちはダメージモニタリングシステムを装着しているため、迂闊に手が出せない。もし手を出したら人質たちに危害が加えられるおそれがある。


 テロリストたちは、人質をとって立てこもっている部屋が外からわからないように細工をしていた。望遠式の熱監視装置サーマル・ビジョンや赤外線カメラによる外部からの感知や透過を妨害、遮断できる特殊な素材の透明ナイロン状の巨大な生地の両端を、室内の前と後の壁に貼りつけているのだ。閉じたカーテンの内側にもう一枚カーテンを張るような要領である。これにより外からは、灯りがついている他の無人の部屋と同じ環境にしか見えなくなる。薩国警備や警察が人質のいる場所を把握しかねている理由はそれだった。各種装置を使っても、校内すべての部屋が等しく無人に見えるからだ。






 そのテロリストたちが人質をとって立てこもっているのは三階の生物室だった。二十四組ある二人がけ用の机と椅子、実験器具や教壇はすべて連中の手によって部屋の後ろに無造作に片付けられている。それにより空いた中央のスペースには結束バンドで両手首を縛られた十名の人質たちが地べたに座らされていた。その全員が女である。うち八名が制服を着たこの静林館高校の女子生徒であり一年生。同じクラスの少女たちだ。


 彼女たちはみな、顔色を失い、ふるえていた。今日から試験前期間であるため、本来ならテロリストたちがやって来るより早く帰る予定だったのだが、仲の良い者たち同士で試験のヤマを張り合うため校内に残っていたのである。不運だったとしか言いようがない。


 英語教師の村永多香子もまた同様に縛られ、とらわれの身となっていた。二時間ほど前、書架を搬入するためにやって来た業者を図書室に案内する途中、なぜか意識を失った。うしろから殴られでもしたのだろうか。目が覚めると、この生物室に生徒たちと共に閉じ込められていた。武装した業者たちの姿を見たとき、この学校がテロに遭ったと理解した。


「オラオラオラァ、黙れやガキィ!」


 室内にいる五人のテロリストのうち、一番背が高く、目つきの悪い男が怒鳴った。ひとりの三つ編みの女子生徒がすすり泣く声が癇に障ったようである。


「泣きやまねえと、お嫁に行けない身体にしてやんぞオラァ!」


 長時間立てこもっていることのストレス、というものがテロリスト側にはあるのかもしれない。そして、その怒声を聞いた三つ編みの娘は隣の女子生徒にしがみついた。


「やめろ、猿渡」


 それを制したのはテロリストのリーダー格らしき男だ。他の面々から恩田と呼ばれている。こちらもコワモテだが、いま猿渡と呼ばれた男よりは、はるかに紳士的な態度である。


「ケッ、わかってるよ」


 猿渡は二メートル以上ある長身を翻すと、手にしている水筒の蓋を開け、中身をひとくち飲んだ。仕草が荒々しいのはやはりストレスを感じているからだろう。ただでさえ人相が悪いうえに表情までけわしい。


「あの……」


 さっきからタイミングを見計らっていた多香子は、意を決して口を開いた。


「せ、生徒たちだけでも解放していただけませんか?」

 

 武装したテロリスト相手に話すのは恐ろしいことだが、このときはさすがに教育者の義務感と信念が上回った。学校側の不審者対策として護身術の講習を受けたことがあったが、それが実を結ぶことはなかった。しかし、生徒たちだけでも解放してもらえるよう交渉することはできる。


「ひ、人質は私だけでも充分なはずです。この子たちは帰していただけませんか?」


 緊張した声で言って、多香子は八名の生徒らを見た。皆の表情はすでに怯えや恐怖を通り越した風で、完全に血の気を失っている。精神的にも体力的にももう限界のはずだ。このまま夜を越せるとは思えない。人質は、くの字型に並んで床に座らされており、多香子は一番端にいるので、ひと目で生徒たちの様子がわかる。


「それは出来ませんな」


 だが願い届かず。恩田がそう答えたので、多香子は両手を縛られている全身が急速に脱力する気がした。正直、自分も生徒たちと同じく人質の身であり生死の境界をさまよう立場なのでギリギリの精神状態なのである。プロのテロリスト相手に口を開く勇気をふりしぼるだけで精一杯だった。


「もし警察や薩国警備が期限を守らなかった場合、貴女がた人質が必要になるのです。だから頭数はそろっていたほうがよい」


 恩田の回答を聞いた多香子は唇を噛んだ。テロリストの要求内容は知らないが、警察が応じなかった場合、人質の命が危ぶまれる。そのことだけはわかった。


「で、ですが……」


 それでも多香子は、なんとか抗弁しようとした。なによりも生徒たちの命を優先したい。自分の安全など、どうでもいいと思った。


「うっせぇーアマだなぁ、おい!」


 しかし、猿渡の荒々しい声に遮られた。


「人質がてめえ一人でいいんなら、ここにいるガキ共全員、俺様が今からブッ殺してやろォーかぁ、ああ!?」


 猿渡は仲間のテロリストの一人が手にしていたマシンガンを強引に奪い、その銃口を怯える生徒たちのほうへと向けた。


「や、やめて!」


 多香子は叫び、そして銃を向けられた生徒たちはいっせいに泣き出した。


「よさないか、猿渡」


 恩田が、さっきより鋭い口調でそれを制した。猿渡は、こちらに聴こえるように大きく舌打ちし、トリガーから指を離した。


「お嬢さん、我々相手に意見できる貴女の勇気には敬服いたします。だが、そのことがさらなる事態の悪化を招くことも覚えておいたほうがいい」


 八名の女子生徒たちの泣き声が部屋に響く中、恩田は冷たく言い放った。リーダーらしき彼を刺激しないほうがよいと判断した多香子は口をつくんだ。いや、意見する度胸も体力も今の騒ぎで使い果たしてしまったのかもしれない。


 そして多香子には、ひとつ気にかかることがあった。自分の隣で同じく両手を縛られている司書教諭の楠原佳乃のことである。恐怖からか生徒たち同様に青ざめている。けれど目がどこかうつろで、心ここにあらずといった風である。あきらかに様子がおかしい。


「楠原先生、大丈夫ですか?」


 多香子は小声で訊いた。英語教師と司書教諭という立場なので、ふだん校内での接点はあまりない。だが自分と同い年であるため、顔を合わせれば世間話くらいはする仲だ。本来なら今日、彼女が毎日仕切っている図書室で書架の搬入作業を手伝う予定だった。


「だ、大丈夫……です」


 佳乃は、ずいぶんと低い声で言った。いつもは明るい女性であるが、今は日頃見せるハツラツ感がない。実年齢より若く見える童顔と、小柄で胸が大きいのが特徴の人だ。


「とにかく気を強く持ちましょう。私たちがしっかりしないと生徒たちが……」


 多香子は、なんとか元気づけようと声をかけてみた。しかし佳乃からの反応はない。テロリストに囲まれたこの状況なら怖がるのも無理はない。だが、それとは異質の“なにか”におびえているようにも見える。


「楠原先生?」

 

 ゆっくりとこちらを向いた佳乃の右肩に自分の左肩を寄せ当てるようにして、多香子はもう一度話しかけてみた。そのとき顔に感じた佳乃の吐息がやけに熱かった。大きな胸がグレーのニットの奥で小刻みに上下しており、呼吸が早い。しかし目は、うつろなままだ。


(まさか、レイプされたわけじゃないわよね)


 多香子は本気で佳乃の心配した。かなり発汗しているらしく、彼女の体臭を感じる。しかも汗のせいで豊満な身体にはりついた着衣が乱れているのが気になった。暴力的なテロリスト連中が何をやらかすかなど、わかったものではない。


「ほ、本当に、大丈夫ですから……」


 そう答えた佳乃の頬が熱を帯びているのか赤い。心なしかVネックニットからのぞく首まわりも、やや紅潮しているように見える。


「あ、あんまり、こっちを見ないで……」


 と、佳乃は目を伏せて黙ってしまった。やはり様子がおかしい。


(ああ、こんなとき、なにもできない私は無力なのだわ)


 多香子は自分の限界を知り、心の中で嘆いた。武装したテロリストの前では、しょせん力なき女にすぎない。おびえて泣いている生徒たちにも、隣で異状を見せている佳乃にも、かける声が見つからない。


(一条さん、こんなとき、あなたがいてくれたら)


 なぜか一条悟のことを思い出した。以前、自分をストーカーの手から救ってくれた彼。そして、この静林館高校の時計塔を守ってくれた彼。もし、あの人がここにいてくれたら、どれだけ良かっただろうか。

 

(だめ、あなたがしっかりしなくてどうするの多香子)


 恐怖の真っ只中にいる生徒たちを見た多香子は自分に言い聞かせた。教師である自分が弱気になってはいけない。もし涙を流すのなら、それはテロリストたちから解放されたときにしなければならない。


 

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