学校テロリスト 8

 鹿児島一の進学校である静林館高校の期末試験は一週間後からスタートする。来年一月に全国共通入学試験を控えた三年生を含む全校生徒が受験するもので、日程は四日間にわたる。津田雫たち二年生は保健体育を含めた十一科目の考査を受ける。試験にそなえるため、本日から校内すべての部活動が停止となり、生徒たちは早めに帰宅して勉学にいそしむこととなる。


 そして、この期末試験が終わると、他校よりすこし遅い文化祭が待っている。一、二年生が中心となり開催されるもので、準備期間はわずか一週間ほどとなるが、試験直後ということもあり、進学校に通う生徒たちといえども、その時期だけはすこしうわつくようである。文化部の研究発表会のほか、運動部が出す飲食店やお化け屋敷、即席のロックバンドによる演奏会や演劇なども見られ、なにかと楽しいものとなる。歴史ある、おカタいイメージが強い学校だが、催し物は多い。






「おーい、豊浦」


 放課後、昨日、津田雫にフラれたばかりの豊浦海斗は男性副担任の中馬ちゅうまんに呼ばれた。


「はい」


 制服姿の海斗は帰り支度をすませて席を立ち、今まさに帰ろうとしていたところだった。しかし優等生の彼は、にこにことしながら中馬が立つ教壇へと向かった。人当たりの良さは、こういうときに発揮される。


「すまんが、体育倉庫の片付けを手伝ってくれんか」


 ジャージ姿の中馬は体育の先生で体格が良い。小柄な海斗より頭ひとつ分背が高く、肩もがっしりとしている。年は三十代でスポーツマンらしく顔が浅黒い。わりと話せるタイプの男で生徒たちからはそれなりに人気がある。


「そんなに時間かからないから頼むよ」


 ホームルームが終わった直後でクラスメイトたちが帰り始めるなか、中馬は申し訳なさそうにしている。このクラスの体育委員の下田しもだが、今冬早くも流行期入りしたインフルエンザで欠席している。


「大丈夫ですよ」


 海斗は即答した。中馬は、頼まれると断ることができない自分の性格を知っているのだ。だから自分に頼むのだとわかっている。しかし副担任に気に入られるのは悪いことではないので海斗は引き受けた。内申点を稼ぐ手である。


「えーっ、豊浦くんには放課後、“図書室”で勉強教えてもらう予定だったのにぃ」


「そうだそうだ! “図書室”で海斗に期末のヤマ教えてもらうつもりなんだけど」


「あたし、“図書室”で豊浦くんに数Ⅱのわかんないとこ聞きたいんだけど」


 図書室での勉強を望む男女の生徒たちからいっせいにブーイングがあがった。顔も性格も頭も良く、成績優秀な海斗は教師からだけでなく、クラスメイトたちからも頼りにされている。特に試験前になると海斗を中心とした勉強会のようなものが開かれるのがこのクラスのならわしだ。彼のヤマは当たると好評である。


「ああ、そういえば今日は図書室使えないぞ」


 中馬は短く髪を刈りそろえた頭をかいて言った。


「四時すぎから書架……本棚を入れ替えるために業者さんが来るんだよ。だから図書室は使用禁止」


「えーっ、聞いてないよぉ」


「悪い悪い、さっき言い忘れてた」

 

「もおー」


 副担任と生徒らの明るいやり取りである。ここ静林館高校は優等生の集まりだが、教師たちの質も良い。だから、このようにコミュニケーションが厚く取れている。


「まあ、今日は早く家に帰って勉強しろ、寄り道するなよ」


「はーい」


「じゃあ豊浦、悪いが倉庫の片付け頼むな。俺もあとで行くから」


「わかりました」


「ほれ、懐中電灯」


「いりますか?」


「倉庫の隅っこの電気が一個消えてるんだよ、念のため」


 それはブレザーのポケットに入るほどの小型の懐中電灯だった。海斗のような異能者は夜目が効くため、本当ならばいらないものなのだが、せっかくの心遣いなので一応、受け取った。


「じゃあ、先に行っときます」


 海斗は笑顔で中馬に言った。次いでクラスメイトたちに明日はともに勉強しよう、と告げ、教室を出た。






「津田さん、いま帰り?」


 廊下で津田雫は担任の村永むらなが多香子たかこに呼び止められた。


「はい」

 

 いつもどおりの小声で雫はこたえた。ふだんより帰宅生が多い放課後の廊下は賑やかすぎて、すこし騒々しい。今日から校内の部活動がすべて休止となるからだ。しかし雫には関係のないことである。彼女のような異能者は身体能力が通常人より高いため、普通の学校に通っても部活動に参加はできない。一生涯を国や公的機関により拘束される身であり、職業選択の自由も持たない。人外の存在や異能犯罪者と戦うことだけを義務付けられる。


「そう、頑張ってね」


 と、眼鏡の奥の目を優しく向けた多香子は言った。頑張って、とは近々実施される期末試験のことであろう。ここ静林館高校のOGであり、今は教師となった彼女は異能者である雫の事情を知っているが、校内でその話をしたことは一度もない。他の通常人の生徒らと同様に雫に接する。


「はい」


 そう短く返事した雫のほうの心境は、この人を前にすると、たまに複雑になる。内気で引っ込み思案な彼女が、十七年の人生の中で唯一、愛を告白した相手が担任の多香子だったからだ。


「まあ、あなたはとってもしっかりしているから、私が言わなくても大丈夫ね」


 あのとき、多香子はやんわりと雫の告白を断った。その後しばらくは、ふたりの間に気まずい空気が流れたが、今は元の先生と生徒の間柄に戻っている。それは多香子が大人だったからだ。頭が良くとも、まだまだ子供の雫ひとりでは解決できなかった両者間の緊張を上手にほぐしたのだから、年齢と人生経験の差がもたらすものというのは大きい。良い担任である。

 

 廊下を、すこしだけ共に歩いた。小柄な雫より十センチほど背が高い多香子の束ねたロングヘアからたちのぼるものはシャンプーの香りではなく、大人の艶だった。男子生徒たちからも、男性教諭たちからも人気がある彼女は白いブラウスの上からグリーンのカーディガンを羽織っている。その奥にある身体からも、ひそやかな色気が匂いたつ。


「そういえば、“お兄さん”は、元気かしら?」


 ふいに多香子が訊いてきたので、雫は頷いた。お兄さん、とは一条悟のことである。彼の家に出入りしていたことで男女の関係を疑った多香子に“俺と雫は腹違いの兄妹だ”と嘘の説明をしたのは悟だった。

 

「そう……二度も助けていただいたのに、ろくにお礼も言えてないのよね」


 多香子はストーカー被害と静林館高校の時計塔の件で悟を頼った身だった。そのどちらもすでに解決している。フリーランス異能者である悟は私生活でズボラな面を見せても仕事は手際良くする男だ。


 雫は、今でもときどき悟のことを語る多香子の顔を見て、恋をしているのだと感じ取っていた。十七歳の少女であっても当然に働く女の勘というものはある。しかし“恋敵”であるはずの悟を憎めない自分がいる。彼の家に出入りし、身辺の世話をしているうちに情が移ってしまったのかもしれない。男嫌いの自分にしては珍しいことである。


「優しくて、すてきなお兄さんよね」


 並び歩く多香子のブラウスの胸が足取りに合わせるように上下している。全体的に着痩せするタイプだが、意外とグラマーであることに雫は気づいていた。眼鏡が似合う知的で上品な顔立ちをしていながら、刺激的なボディーラインを持っているのだ。雫は多香子の、そういうところも好きだった。


「先生は、まだ仕事ですか?」


 一瞬、頭の中枢にわいた性的な欲望を忘れるため、雫は多香子になんでもないことを訊いた。


「ええ、さっき話した“業者さん”に、校内の案内をしないといけないの」


 そういえば、さっき帰りのホームルームで多香子が言っていた。老朽化した図書室の書架を新しくするのだという。歴史ある時計塔を筆頭に諸々の設備が古く、なにもかもがあまり変わらない学校だが、生徒たちの学習環境は整える。さすが県内一の進学校だ。


「けっこう大がかりな作業になりそうよ、今日中に終わるかしら」

 

 多香子はそう言うと、“気をつけて帰ってね”と手を振った。頭を下げた雫は廊下を歩きゆく彼女の背中を見送ると、下校するため階段を降りた。



 


 

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