学校テロリスト 7

 


「津田さん、よかったら僕と付き合ってみないか?」


 それは海斗の告白のようである。彼がする話の脈絡から察することは、頭の良い雫ならば難しくはない。しかし、これまで会話をすることはあっても、好意を持たれていたなどとは思っていなかったので、雫は驚いた。


「よかったら、僕と……」


 海斗の目は輝いている。からかっているようすではない。どうやら本気のようだ。


「わ、わたし……」


 この場において初めて蕾のように可憐な唇を開いた雫は、ちらと周囲に目を配った。下校途中の生徒たちがちらほらといるため人目が気になったのである。こんなところで告白する海斗は見た目によらず大胆だが、告白されたほうは反応に困る状況だった。


「ご、ごめんなさい……わたし勉強が忙しくて、まだ、そういうことを考えられなくて」


 ひかえめな彼女らしく、とてもちいさな声で雫は断った。


「ああ、いやごめん、今の忘れて」

 

 ずいぶんと深刻な雫の表情と、周囲の生徒たちがたてる足音から空気を読んだのか、海斗は笑顔で右手を振った。特に傷ついたようすは見られないが、最初から良い回答など期待していなかったのかもしれない。


「撃沈覚悟の告白だから、気にしないで」


 笑いながら言う彼は決して悪い少年ではない。ルックスや能力に恵まれた、むしろ素晴らしい男子である。悩むそぶりすら見せなかったことを雫は少し後ろめたく思った。


「いやあ、でも女の子にフラれたのは生まれてはじめてだよ」


「ほ、本当にごめんなさい……」


「いいのいいの。また明日会おうぜ。じゃあね」


 今日の別れを告げた海斗は、端正なルックスに爽やかな笑顔をのせて手を振ると早足で先に歩いて行った。下校時間の偏向した太陽の光が大地に映す彼の影は、あっという間に時計塔のほうへと進み行き、次の瞬間には正門の彼方へと消えていった。


 海斗の背中を見送った雫はローファーの足を止めたままである。走ってなどいないのに、やけに足の速い少年だ。影どころか、さきほどまでここにいた気配すら残さなかった。そういうところは、これから戦いの世界を生きてゆく異能者らしさ、とも言える。


(悪いことを、してしまったのかしら)


 断った自分が悪いわけではない、と割り切るには雫はまだ若すぎた。落ち着いており、おとなしく、表面に見せる心の抑揚が少ない彼女だが、若さ特有の繊細さが思考の性質を決める年頃なのは同世代の少女たちと変わらない。通常人が持たぬ力を持つ異能者であっても、だ。






 帰りのバスに揺られながら、雫は窓の外を見ていた。母子家庭の娘たる彼女の自宅は伊敷いしきにあるマンションだ。いつも通学に使うこのバスは学内の利用者が少ない路線を走るため、座れることが多い。いま数人の生徒たちが乗車しているが、クラスメイトや知り合いはいないため、ひとり物思いにふける下校となった。


 高台に位置する緑ヶ丘みどりがおかの風景を見ながら、窓際の席に着座している雫は、さきほど海斗から告白されたことを思い出していた。男子から告白されたことははじめてではない。奈美坂の超常能力者育成機関にいたころも、その後高校に入学してからも、何度か交際を申し込まれたことはある。しかし、すべて断ってきた。


 そんな男子たちから見た自分のどこが良いのか。雫にはわからなかった。とりわけ美人ではなく、どちらかというと印象の薄い顔立ちだと思っている。学校の成績は良いが口下手で、男女の会話を弾ませるようなウイットには富んでいない。性格は内気で表情にも乏しい。しかも小柄で華奢な外見のため色気にも欠けている。ある男子から告白されたことを噂に聞きつけた同級生から“あんたのそういうとこがいいんじゃないの”との評をもらったが、理解できなかった。


 そして雫自身が男を愛せない体質の少女である。母と自分を捨てた父のせいで男嫌いになったのか、それとも生まれつき持った生理的な嗜好だったのかはわからないが、幼かったころから性的興味の対象は女性だった。自分と正反対の魅力を持った女が好みで、かつては担任の村永むらなが多香子たかこに愛を告げ、やんわりと断られたことがあった。最近は一条悟の家に出入りしている退魔連合会の高島たかしま八重子やえこに懸想している。多香子も八重子もたいへんな美人で、しかも豊満で美しい肉体を持つ。雫は自分と違うタイプの、そんな女を好む。


 バスの車窓は住宅地の家々やその周辺を歩く人たち、高台の遠く下方に眺め良く広がる無数の建築物群を映しながら緑ヶ丘の町内を西方に行った。通学路なのだから雫にとって見慣れた風景であるはずだが、いつもと違って見えるのはさきほど海斗に告白されたことが頭に引っかかっているからだろうか。思考の調子が視界に影響をおよぼすのだとしたら、今がまさにその状態なのかもしれない。


 時が止まったかのようにぼんやりと窓の外に目を向ける制服姿の雫。そのようすは傍から見れば映画や小説のワンシーンに似る。絵になっているのだ。美人でなくとも清楚で儚げな雰囲気がある少女で、彼女に告白した男子たちは皆、そういうところに心ひかれたのである。しかし、若い雫にはまだ男性心理が理解できないのだ。それは明晰な頭脳とはまた別のベクトル線上に位置する感性の問題ともいえる。


 車窓から目を離した雫はスクールバッグの中からスマートフォンを取り出した。仕事でいつも帰りが遅い母からのメッセージを確認するためだった。母子家庭であるため、夕食の準備をするのはいつも雫の役目だ。女手ひとつで自分を育ててくれた母の事情は理解しているため、文句を言ったことは一度もない。ひとりの夜が寂しいと思う時期は、とうに過ぎた。


 “しずくぅー、八重子の作るメシはやっぱ塩分脂分が控えめすぎて味気ねぇ。期末試験終わったら、すぐメシ作りに来てくれぇ”


 母、ではなく、一条悟からのメッセージが届いていた。女性しか愛せないはずの雫が唯一、気になる男である。理由はわからないが、彼が女性的なルックスの持ち主で美しいからだろうか。家事がいっさいできない、ひと回り年上の彼に対して母性本能が芽生えているからだろうか。それとも単に年の離れた良い友人だと思っているだけなのだろうか。頭が良い雫であるが、人間関係の機微を知るほどに大人になりきってはいない。わずか十七歳の少女である。


 雫は悟からのメッセージに約束の返信をしたあと、スマートフォンをバッグにしまい、ふたたびバスの窓の外に目を向けた。蕾のような唇に、ほんのすこしだけ笑みが浮かんでしまったことに気づいた彼女は、すぐに真摯な表情を取り戻し、単語帳を取り出した。まずはなにより、期末試験の準備をすすめることが、たいせつな自分の仕事である。



 

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