学校テロリスト 4

 十一月下旬の某日。日付けが変わった直後の深夜、国道328号線にある入来いりき峠を一台の大型セダンが走っていた。周囲はすでに寂しい道すがらであるが、北への進路をたどっているので、このまま行けばさらに人里から離れてゆくことになる。他の車の影は少ない。たまに前方から対向車があらわれるくらいのものである。


 入来峠沿いにある清浦きようらダムを通り過ぎ、さらに下りを走った。すると左に道がある。セダンは国道を離れ、左折した。ここは山深くの集落へと通ずる入り道であり、通常ならばそこの住人くらいしか使わない。皆が寝静まっている時間なので、当然誰もいない。


 集落まで二キロほどを残したあたりでセダンは停まった。その車内にいるのは二名。運転席と後部座席にいる。運転手が太い指でイグニッションスイッチを押すとエンジン音が止み、田舎の夜道は完全な静寂に包まれた。外灯などはなく、目の頼りとなるのは月明かりのみである。


 後部座席でうなだれるようにして座っているのは五十代の男だった。名を額田ぬかた晴臣はるおみという。ほんの二日前まで警察の違法薬物対策課課長という役職についていたが、ある不祥事をおこしたため、すでにその肩書きは剥奪されている。白のワイシャツとスラックスを身に着けておりネクタイはしていない。上から羽織っているブルゾンは裏が起毛したものだ。今夜は冷える。


 この額田という男は麻薬を取り締まる立場でありながら麻薬の売買に加担していた。薬物対策課の責任者だったため、その地位を利用して逆に市場の監視とコントロールができたのだ。そうやって仲介人として不正な報酬を得ていたのである。しかし取引先の手違いにより、そのことが明るみに出そうになった。そこで美容師の篠原しのはら文香ふみかに罪をなすりつけようとしたのだった。


 しかし、そんな悪事はド派手なカーチェイスの末に、一条悟という名のフリーランス異能者と、薩国警備の鵜飼うかい丈雄たけおの手によって阻止された。麻薬及び向精神薬取締法違反により逮捕された額田は警察に引き渡され、その日のうちに薬物対策課課長の地位を剥奪された。近日中に懲戒解雇となるだろう。ただし、生きていれば、の話である。そもそも、こんな遅い時間に護送されるはずもない。


「ムヒョヒョヒョヒョ……」


 運転席にいる男が不気味に笑った。額田は均整のとれた体格をしているが、こちらはやけに肥満体である。座っている大型セダンのシートがやけに小さく見えるほどに。


「ムヒョヒョヒョヒョ、ここで“あのお方”がお待ちです」


 けったいに笑うこの男の名は銭溜ぜにだめ万蔵まんぞうという。今年の九月、退魔連合会の退魔士でありながら彼は、鹿児島市にある静林館せいりんかん高校の時計塔を狙った。金が目的の所行で中途までは上手く事が運んでいたが、こちらも一条悟の手により阻止された。現在はお尋ね者の立場、のはずである。


 額田はドアを開け、車を降りた。南国鹿児島とはいえ身を切るような冷気に包まれた夜だ。このあたりは標高があるため尚更寒い。しかし、乾いた空気がピンと張りつめているわけは、それだけではない。


「やあ」


 と、人影があらわれた。まるで、道端の闇中からにじみ出るかのように……


 額田のほうはそれを見て、背筋を正した。並ならぬ雰囲気のようなものを感じ取ったのかもしれない。闇からあらわれたその人は月桂樹を模した仮面をかぶっている。素顔の登場ではなかった。


「はじめまして、僕はセルメント・デ・ローリエのノワールといいます」


 仮面の男は礼儀正しく名のった。いや、男というより彼は“少年”ではないだろうか。仮面の奥から聴こえる声はくぐもっていても、ずいぶんと若々しい。小柄の身に厚手のパーカーを着ているが、それでもどこか未発達な肉体のシルエットは隠せていない。だから年少者とわかる。


 十年前、鹿児島でフリーランス異能者狩りを実行していたセルメント・デ・ローリエは、かの剣聖スピーディア・リズナーの手により壊滅した。指導者の湯田正勝をはじめとするメンバーたちは全員が死に、その暗躍は幕を閉じたはずである。しかし、今ここにいるノワールという少年は自分を“セルメント・デ・ローリエ”の一員と名乗った。


「額田警部、あなたを連れ出すのにずいぶんと苦労しましたよ」


 穏やかなノワールの物言いであるが、口調の端にどこか嫌味の成分が含まれているように聴こえる。


「ま、待ってくれ。俺の話を聞いてくれ」


 額田は怯えたようすで言い訳をしはじめた。本当ならば覆面パトカーで逃げ切ってセルメントのメンバーと落ち合い、身を隠す計画だったが、逃走中に捕まるという失態を犯してしまった。だから青ざめるのも無理はない。


「あの篠原文香という美容師の女に罪を着せれば上手くいくはずだった。しかし、フリーランスの一条と薩国警備の鵜飼という奴らが邪魔をした。予想出来ないことだったんだ」


 手違いにより商品だった麻薬のうちの一包が文香の店のシャンプーに紛れ込んだのだった。回収が困難だったため、刑事の額田は立場を利用して文香に濡れ衣を着せるつもりだった。だが、文香は仕事に関するなんらかの依頼でフリーランス異能者の一条悟を雇っていた。額田にとっては想定外のことだったのである。


「ええ、あらかた聞いていますよ」

 

 回答するノワールの口調は変わらず穏やかだ。しかし、月桂樹の仮面の底にある表情を読み取ることなどできやしない。だから余計に不気味だった。


「大変でしたね額田さん、突然の事態だったということで酌量の余地はあります」


「わ、わかってくれるのか?」


「ええ、もちろん」


「なら、今回の件は……」

 

 額田がなにかを言いかけたとき、冷たい闇夜をさらに凍りつかせるような鋭い銀閃が舞った。額田の胴体はその場に倒れた。


「ムヒョヒョヒョヒョ」


 けったいな笑いとともに、銭溜が愛用の日本刀を腰の鞘におさめた。いま額田を背後から斬ったのはこいつである。


「おいおい」


 と、ノワールは、ため息まじりに困ったような声をあげた。


「わざわざ尋問するために僕がここに来た意味がなくなったじゃないですか」


 ノワールは、銭溜のわずか一刀で魂の抜け殻となった額田を見た。うつ伏せに倒れているが驚くべきことに血の一滴も流れていない。だが死んでいる。

 

「ムヒョヒョヒョヒョ、警察で我々の息がかかった者に洗いざらい話したでしょうから、ここで聞き出すことなど既にありますまいな」


 答える銭溜に反省の色は見られない。この男、以前は神道系の退魔士だったが、お尋ね者になった今は神主の格好などしていない。年は五十代で、身長は百八十センチほど。体重はゆうに百キロをこえているだろう。ワイシャツの腹がはちきれんばかりの、でっぷりと太った巨漢である。だが見かけによらず剣の腕は並大抵のものではない。それは瞬時にしとめた額田の死体を見ればわかる。いかな相手が背を向けていた通常人であっても、周囲に証拠が残らぬよう流血させずに一瞬で殺すのは難しいことである。銭溜は峰打ちでその難行をやってのけた。いとも簡単に……


 いま死んだ刑事の額田は、実はセルメント・デ・ローリエからゆすりを受けていた。麻薬売買の仲介をしていたことが知られたからである。セルメントはその件で脅迫し、警察に知らせないかわりに額田から仲介料の一部を搾取していた。それは、いわば活動の資金源のひとつだったわけである。


「ムヒョヒョヒョヒョ、しかし牢屋に入ったら、いらぬ方面にも口が滑るかもしれませんから、ここで息の根を止めておいて正解だったということでしょうな」


 デカい腹を揺すって、けったいに笑う銭溜。この男は静林館高校の時計塔の件で一条悟に敗北したあと、異能監察部の手に落ちたはずだったが、今はこうやって、のうのうと暮らしている。その異能監察部とは薩国警備のEXPERと退魔連合会の退魔士で共同構成されたものだ。つまり鹿児島の異能業界に腐敗の芽があることの証といえる。さらに取り調べ中の額田をこのような場所に連れ出したわけだから警察にまで顔がきくらしい。フリーランス狩りの異能テロリスト集団セルメント・デ・ローリエとはかなり厄介な連中のようだ。


 ノワールは銭溜の言葉に答えず、月桂樹の仮面の中央あたりから覗く二つの目で額田の死体を一瞥した。だが、すぐにこの場を去ろうとした。この少年は非道なテロリストであるが、十年前に死んだ父親同様、違法薬物を心底毛嫌いしている。だから麻薬の売買に関わっていた元刑事にかける情けなどないのだろう。あくまでも資金調達の手段として、麻薬の存在を容認していた。


「ムヒョヒョヒョヒョ、そういえば面白い情報があるのですよ」


 立ち去ろうとしたノワールの背に銭溜が声をかけた。


「ムヒョヒョヒョヒョ、その額田という刑事を捕まえた一条悟というフリーランスが、実は剣聖スピーディア・リズナーなのではないか、という噂がありましてな」




 

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