学校テロリスト 3


 両剣客が空中でぶつかり合う直前のことだった。湯田はオーバーコートの中に隠し持っていた銃をすばやく抜いていた。カラスのように狡猾なヤツの手だったのである。このタイミング、そしてこの距離、悟にかわす余裕はない。


 湯田の銃が火を吹いた。その銃声は周囲にはりつめる冬の空気に似て乾いたものである。それはベレッタM92F。米軍が正式採用していることで有名な自動式拳銃オートマチックハンドガンで九ミリパラべラム弾を発砲する。彼が所属している薩国警備は異能者の機関だが、銃器も配備されている。


 空中ですれ違うような形となった両剣客の邂逅はほんの一瞬で終わった。銃声ののち、着地したふたりは各々、飛び立つ前と立ち位置を交換し、地上の人となっていた。今度は悟がテトラポッドの上、湯田が護岸の歩道にいる。そして血を流していたのは……


「見事だ、剣聖」


 オーバーコートを着た湯田の右脇腹から鮮血が吹き出していた。悟の剣は、そこをとらえていた。


「飛び道具対策は万全でね」


 テトラポッドの上で悟は、着用しているCWU-45P型フライトジャケットの裾をつまんで軽く振った。すると、そこから湯田が放った九ミリパラべラム弾が落ちた。


「まさか防弾になっているとは思わなかったよ」

 

 血を流しながら地面に片膝をつく湯田。悟のフライトジャケットは藤代アームズ製で防弾加工が施されている。ケブラー繊維だけでなく、世界最強の特殊合金ネオダイヤモンド製のプレートが裏地に仕込んであるものだった。至近距離から発射された銃弾すら防ぐ。


「薩国警備から、あんた用のベレッタが持ち出されているって情報は仕入れてたのさ。だから、こっちも準備はしといたんだよ」


 空中で湯田が銃を構えた瞬間、悟はフライトジャケットの裾を掴んでめくり、裏地を面前の盾として銃弾を防いだ。策には策を弄したわけである。そして、すれ違いざまに斬った。


「しかし、今この距離で光剣ホーシャしか持たぬ君に出来ることなどあるまい。私の勝ちだ」


 護岸の歩道の上で血を流しながらも、湯田は立ち上がり、左手で銃を構えた。悟のフライトジャケットが防弾ならば、それに覆われていない箇所を狙えばよいのである。事実、その照準は悟の頭を向いていた。


 二度目の銃声が鳴ったとき、悟はテトラポッドの上から飛翔し、弾をかわした。彼は火の鳥のごとく夜空を舞いながら、上昇の頂点でオーバーテイクを横に振るった。すると切っ先から半月形の光線が発生する。気の外的放出アウトサイド·リリースによる剣圧だ。光剣しか持たない悟にとって唯一の遠距離攻撃手段となる。


 湯田は軽くステップして剣圧をかわした。いくら手負いとはいえ俊敏な異能者である。簡単に当たるものではない。だが悟が着地出来る程度のタイムロスが生まれた。遠距離からの剣圧は歩道に降りるための時間稼ぎだった。


 テトラポッドから相手と同じ土俵……つまり護岸の歩道に降り立った悟は湯田に急速接近した。五メートルほどの距離など彼ら異能者にとって遠いものではない。小数点以下の速さで再度、近接戦闘の幕が開いた。悟が振るったオーバーテイクを、湯田は右手のフィランギで受け止める。光剣同士のかち合いで互いの刀身が歪み、気の火花が飛び散った。エネルギー・スパークの花が咲く。


 さなか、湯田は剣を持たぬ左手で銃を向けようとした。光刃が届くようなこの距離ならば外すことはない……が、ここで悟は前蹴りを繰り出した。しなやかに徒手空拳術も使いこなすのが剣聖スピーディア・リズナーである。弾き飛ばされた湯田の銃は空中に弧を描き、硬い音をたて地面に落ちた。


「やはり最後は剣と剣の戦いになるものか」


 脇腹から流血しながらも、まだ戦いの意思表示を見せる湯田は、銃を失った左手をフィランギのグリップに添え、両手で悟のオーバーテイクを防いだ。しかし、その顔からは次第に血の気が引いてゆく。ダメージを負い、またも鍔迫り合いとなったこの時点で勝ちなどあきらめているのかもしれない。だが、それで引かぬのもまた、哀しき戦士の矜持であろう。戦うことでしか充実を得られないのである。


「そいつぁ、俺らの宿命だな」


 オーバーテイクを両手で握る悟も同類であろう。剣聖スピーディア・リズナーの本質は好戦的である、とは異能業界共通の認識だった。この男もまた死線に身を置くことで得られるなにかを求めて世界を渡り歩く。彼を知る皆が、そのように語る。


 攻撃に転ずるため、湯田が左足を引いた。もはや失血死直前であっても、その闘争本能に衰えはないようである。そのまま身を低くし、右手のフィランギを下からすくいあげるように振り上げようとした。片手での逆袈裟である。


 しかし次の瞬間、仕掛けたはずの湯田が吹っ飛んだ。右手に気を集中させた悟のオーバーテイクが唸りをあげ、横一直線に光の軌道を描いたのである。若き剣聖が見せるカウンターは、その速さ、そしてその威力ともに並大抵のものではない。しかも相手の出鼻をくじく絶妙のタイミングだった。






 数十秒が過ぎた。勝ちを決めた悟はすでに、光刃をおさめたオーバーテイクを懐のホルスターにしまっていた。戦いを終えた両手はフライトジャケットのポケットの中にある。


「なぜ、殺さない……?」


 歩道の上に大の字になっている湯田は訊いた。最後の一撃はオーバーテイクのセレクターをDレンジ、つまりDullモードに入れた峰打ちである。しかし、先に空中で斬られた脇腹からの出血はひどく、すでに戦える状態ではない。セルメント・デ・ローリエの指導者として、多くのフリーランス異能者殺害を指揮、実行してきた巨悪であるが、敗北を認める潔さは持ち合わせているようだ。そして命乞いなどする男ではない。どのみち、テロを実行した異能者には法律にのっとった重い裁きがくだされる。


「大将のあんたには、話してもらわなきゃならねぇことがいろいろあるんでな」


 わけあって、セルメントの、他の六人のメンバーは斬った悟だが、このとき湯田にとどめはささなかった。生きて償うことを望んだわけではない。資金の出どころやテロリストを野放しにした異能業界の腐敗を聞き出すことは薩国警備や警察の仕事だ。だから今の悟の台詞は本音ではない。勝負が決まったあとで、相手の心臓を貫くような真似をしないのが剣聖スピーディア・リズナーと呼ばれるこの男である。もっとも、このあと湯田の身柄は薩国警備の手に引き渡されることになる。


「話すことなど、ない……私は、自己の信念に基づき、行動した……それだけだ」


 そして、それがテロに手を染めた湯田の回答だった。


「私には、息子がいる」


 湯田は、血を流し続ける脇腹を抑えながら、よろよろと立ち上がった。その右手にあるフィランギから光の刃は出ていない。光剣の斬突部を形成するのに必要な気を送り込む力がもうないのだろう。


「七歳の息子だ……できれば私と違った道を歩んでほしかったのだが、あいにく“血”が出た」


 血が出た、とは異能力に目覚めたことか、あるいはその兆候をさす。親が異能者ならば子も異能者になるとは限らないが、異能学によると遺伝との関係性は否定されていない。先祖に異能者がいなければ、つまり血に異能の記憶が刻まれていなければ覚醒することはないとされる。湯田の息子もまた、父と同じく異能者となる運命のようだ。


「息子には……戦いの中でも、まっとうな人生をおくってほしいものだ……法に背き、汚れるのは……私だけでいい」


 なぜ悟にそのことを語るのか? 湯田自身にもわかっていないのかもしれない。ならば死を目前とし、朦朧とした意識の中で、誰かに身の上を伝えたくなるのが人という生き物だということか。人は誰しも、生きた証を残したくなるものなのか……  


 湯田は跳躍した。どこにそんな力が残されていたのか、と思えるほどに高く。そして彼は再びテトラポッドの上に立った。


「剣聖よ……」


 湯田は護岸の歩道に立つ悟に声をかけた。波打つ海をそばにしても聴こえる声量だが、それもまた最後の力を振り絞ったことで出せるものだったに違いない。いくら異能者といえど、すべてを出し尽くして滅びゆく瀕死の者であることに変わりはない。

 

「月桂樹の誓いのもと、無益な自由を求める者に鉄槌をくだしてきた我々の崇高な意志は、いずれ誰かが継いでゆく」


 それは数人のフリーランス異能者をあの世に葬ってきた湯田の、今生への言い置きであろう。そして“予言”でもあった。“後継者”はあらわれる、という意味の……


「そして崇高な意志のもとに行動した私を裁く権利は誰にもない」


 それは自己の信念を支えてきた行動原理だったのかもしれない。崇高な意志、という名の……


「剣聖……私は誰にも裁かれず、そして誰にも殺されることはない。私の死に様、とくと見よ!」


 悟にそう言い放ち、湯田はテトラポッドの上から海へと飛んだ。おそらく最後の気力を全身に注ぎこんだに違いない。脇腹から流れる赤い血の尾を真空の夜天に引き、黒のオーバーコートを翻しながら傷ついたカラスのように飛翔した湯田は、宣言どおり我が身のく末を自分で決めた。


「あン野郎にゃろう、すべてを海の底へ持って行きやがった」


 闇より深い漆黒の海へと飛び込んで消えた湯田の影を、悟は目で追ってみた。しかし良い視力を持つ彼であっても、その生死を確認できなかった。鹿児島でフリーランス異能者狩りを実行してきたセルメント・デ・ローリエは指導者だった湯田の敗北により完全にその暗躍を終えた。それを壊滅させた一条悟……剣聖スピーディア・リズナーが死を装い、生まれ故郷のここ鹿児島に帰ってくるのは十年後のことである。




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