学校テロリスト
学校テロリスト 1
十年前、クリスマスを間近に控えた寒い日の夜だった。雪とは縁遠いここ鹿児島の地であるが、ところどころに冬らしいイルミネーションが飾られ、人々が歩く街角の道にどこか北国の情緒が描き添えられていた。この時期特有のせわしなく、だがどこか浮かれた空気は各々の表情にあらわれるもので、ある者はやり残したことを年内までにすまそうと必死に働き、またある者は年末年始の計画をすでに脳内でたてている。時がたつのは早い、と嘆く人であっても、年の瀬の高揚感にだけはひたりたくなるらしく、皆の足どりはどこか浮ついているように見える。
華やかな海沿いのイルミネーション群からすこし離れた鹿児島市
その祇園之洲町の海辺はテトラポット帯でもある。昼間は桜島が見えるが、今は夜更けであり、その雄大な姿は漆黒の空の中に溶けていた。イルミネーションの光はここまでは届かない。日中よくいる釣り客の姿もない。さざめく波の音だけが、ここが海沿いの地であると告げていた。
護岸の歩道に男がひとり立っていた。真っ暗な海のほうを向いている。ダークスーツの上から黒のオーバーコートを羽織っていた。桜島と同じく周囲の暗闇に溶け込むような姿をしているが、実はその手も異能業界の闇に染めていた。
“セルメント・デ・ローリエ”
この男が率いていた異能テロリスト集団の名である。その意味は“月桂樹の誓い”。組織至上主義を掲げ、ここ鹿児島にて暗躍してきた。組織に属さぬフリーランス異能者と、それに業務を委託した
彼はポケットから煙草を一本取り出し口に咥えるとオイルライターで火を付けた。一瞬の光に照らし出されたその顔は三十代男性のものでなかなかに端正である。もちろんマスクだけの男ではない。鹿児島の異能業界に身を置く者ならば知らぬ人はいない、数々の武勲をたてた有名人である。
男の名は
湯田は煙草をふかしながら、見えもしない数キロ先の桜島のほうを眺めていた。いや、彼ら異能者は夜目が効くため、うっすらとは見えているのかもしれない。姿勢が良く均整のとれた長身であるため立ち煙草が様になっているが、その表情に喫煙の満足感は見られず、ただ夜闇に光る無機質の目が紫煙のゆくえを追っていた。
「海を決着の場所に選ぶたァ、あんたも風流だな」
闇を切り裂くような明るい声がした。湯田に向けられたものだ。
「辞世の句、なんてもんを詠む時代じゃねぇが、遺言くらいは聞いてやってもいいぜ」
そう言われ、湯田は右手のほうを見た。現れたのは女性的で美しい顔の男である。遠く、イルミネーションたちを背景に輝く美貌は今、世界中で熱い人気を誇るものだった。スピーディア・リズナー。史上最年少で国際異能連盟公認の剣聖の座を勝ち取った十代の若き青年である。
「まさか、こんな田舎にスターの君がやって来るとは思いもしなかったよ、
そんな世界的人気者の彼が着ている黒いCWU-45P型フライトジャケットの右肩を見た湯田は言った。そこには、燃え盛る炎に手を伸ばす絵が描かれたワッペンが刺繍されている。それは“into the fire”と呼ばれる剣聖の紋章だ。“どんなヤバい仕事でも引き受けるぜ!”という熱い意味を持つ。
「いや、君が
「想像に任せるよ」
スピーディア・リズナー……一条悟は少し困った、といった風にわざとらしく頭をかいた。だが特に隠すつもりはないらしい。彼は幼少期を生まれ故郷の鹿児島で過ごしたが、やがて“ある男”と旅に出て数年ほど日本中をまわった。その後、今までひとつところに定住したことがないせいか、ここ鹿児島を故郷と呼ぶ感覚に欠けている。藤代グループや、その中のいち関係会社である藤代アームズとつながりが深いことから、なにかと鹿児島に縁がある男と言える。
「私は
湯田が自身の生まれを語るとともに、紫煙が夜の海風に誘われ、暗黒の空に消えてゆく。生まれた場所と似通ったところを終焉の地に選ぶのは人の性なのか。いや、肉体を失した後は海にかえりたいと願う、極めて原初的な欲求なのかもしれない。生きとし生けるものは、もともと海に誕生と進化の根源を持つ。それは彼ら異能者も通常人と同じである。
「そいつぁ、俺にとっても都合のいい場所だな。実は依頼人からは“あんたをヒットしろ”と仰せつかってるんでね」
悟が受けたのは、つまるところ殺しの依頼だ。
「俺にも人並みの情はあるんでね。あんたが望む場所にかえしてやるのが、せめてもの情けってやつかもしれねぇな」
「依頼人、とは?」
「信用商売なんで、それは言えねぇな」
「
「そのへんも想像に任せるよ」
さきごろ剣聖制度が名目上廃止されたことでタイトル挑戦者がいなくなり最後の剣聖となった悟。連盟により、廃止後も彼にはいくつかの特権が認められている。代表的なものとして、世界中で無制限に活動できる国際フリーランスと同等の資格、航空機内への武器持ち込み、偽名による籍の取得などがある。そして、いわゆる
「法で裁けない悪党を斬るために来た、なんて言ったらカッコいいかね?」
と、笑う悟がこれまでに斬ったセルメント・デ・ローリエのメンバーは六人。テロリストに関わったEXPER三人と退魔連合会の退魔士三人。残すは指導者の湯田ひとりだけである。計七人のテロ集団すべての討伐が彼が受けた仕事だった。
「なぜフリーランス狩りなんてもんを実行したんだい?」
悟の問いかけにはテロ行為に対する怒気はない。この男は、どんな悪党を前にしても只々、飄々としている。
「理由は君が殺した六人から聞いたのだろう」
湯田は吸い終えた煙草を円筒形の携帯灰皿の中に捨てた。法に背いたテロリストであっても喫煙マナーは守るらしい。ポイ捨てはしない主義のようだ。
「リーダーのあんたが持つ主張を聞きたくなってね」
「単純なことだよ。この数十年、日本の異能業界は我ら超常能力実行局と退魔連合会の二大組織が牽引してきた」
それは本当のことである。戦後、敗戦国となった日本はアメリカ主導のもと、超常能力者による異能者機関を作り上げた。いわゆる超常能力実行局である。その鹿児島支局は薩国警備という名の警備会社として活動しており、民間企業と同じ法人格を有する。
「鹿児島の平和と秩序を守ってきたのは我々組織人だという自負が私たちにはあるのだよ。君のような野良犬にはわかるまい」
「だからって、フリーランスを殺していいって理屈にはたどりつかねぇだろ」
「君はフリーランスに立場が近いから、そう言うのだ」
「今は人外の存在や異能犯罪者がはびこる世であり、それに敢然と立ち向かってきたのは我々なのだよ。野良犬どもではない」
湯田はもう一本、煙草を口に咥え火をつけた。彼が言うとおり、日本という国を裏表の立場から守ってきたのは超常能力実行局と退魔連合会の二大組織だった。世間に存在が公表されていない前者は国や地方公共団体とのつながりが深いとされる。逆に後者は宗教団体を母体としており、広く民間の依頼を受け付ける。両組織はときに情報を交換しあい、そしてときに連携する。それで保たれてきたのが異能業界のバランスである。
「テロをやってきたあんたらこそが異能犯罪者じゃねぇか」
「薩国警備と退魔連合会による異能業界の安定と調和を守るためだ。フリーランスの存在を認めれば、それが乱れる」
「立場を守るため、の間違いじゃねぇのか。日本ではフリーランスの自営受託業務がずいぶんやりやすくなったからな」
「スピーディア、君はこの日本で年間に何件のフリーランスによる不祥事が発生しているか知っているかね?」
煙草をくゆらせ続ける湯田の表情に後悔の念は見えず。この男には信念らしきものがあるのだろう。ただし、その実現手段がテロだったことが問題であった。
「いや、愚問だな。世界中を飛び回っている君が、狭く小さな日本のことなど頭に入れているはずがない」
本来なら人々に奉仕すべきフリーランス異能者が起こす不祥事が存在するのも事実だ。力ある彼らは依頼人とじかに接触するが、その過程で恐喝を行い、あるいは依頼人個人の情報を他者に売る。そういった輩が異能犯罪者となる。大半のフリーランスはまっとうにやっているのだが、ごく一部の者がやらかすものだから異能業界全体の信用に傷がつく。
「不祥事を未然に防止する手段とは、つまるところフリーランスがいなくなれば良い。ただそれだけのことだ」
「そいつァ、あんたらの方便さ。それが理由のテロなんてのが許されるんなら、国民の食中毒を防ぐために肉や魚の生食を禁止します、なんて法案がまかり通っちまう」
「私と君との会話は平行線だ。永遠に交わることはない」
湯田はオーバーコートのポケットに右手を入れた。そこから筒状の機械の形をした“得物”を抜いた。
「悪いが君には死んでもらう。野良犬らしく、誰も知らぬこの場所でな」
戦闘態勢に入った彼は吸いかけの煙草を護岸の歩道に吐き捨てた。
「おいおい、ポイ捨てはよくないぜ」
「君を倒したあとで拾う」
そう言った湯田の右手に白く輝く光刃がある。彼は悟と同じ
湯田は夜空に跳躍した。身体能力にすぐれた異能者は通常人ではなし得ない動きを見せる。光剣片手に上空から悟に襲いかかった。
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