悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 17

 

 悟が放った600マグナム弾は額田が駆る覆面パトカーのリアウィンドウを撃ち抜いた。すると、なぜかボンネットから白煙があがり始めた。エンジントラブルか? 今の今まで爆走していた白い車体は急激に減速し、しばらく行って路上にあっけなく停止した。


 直後、対向車線の前方からサイレンを鳴らしながらパトカーが二台やって来た。姶良あいら方面の警察に所属する車両であろう。額田を捕まえるために走ってきたのである。どうやら御用、となるようだ。






「一条さん、大丈夫か?」


 ハザードランプを付けて、停止させたワンボックスから降りてきた鵜飼が悟のもとに駆けつけた。心配そうな表情をしているが無理もない。百八十キロで走っていた車の屋根から吹っ飛んだのである。普通ならば無事ではすまない。


「ッたく、すげぇ威力だ。まだ手がジンジンしてやがるぜ」


 すでに路上の人となっている悟は、まだ火薬の匂いをさせている発砲直後の600マグナムを右手に苦笑した。さすがこの男は、あんな状況でも“あらよっと”と見事に着地を決めるものだ。かつて最後の剣聖とも偶然の剣聖とも呼ばれた“最後にして偶然の剣聖”は、誰よりも美しい軌道で空に舞い、そして誰よりも華麗な姿で大地に降りる。そう評されたものである。


「なんだ、おまえ俺の心配してくれてるのか?」


「あんたの心配じゃない、その銃に傷でもつけられたら困るからな」


「おまえも文香と同じでツンデレだな」


「なんのことだ?」


 わけがわからぬといった風で首を傾げる鵜飼の背後では、駆けつけた警察官たちが額田を拘束していた。まだ白煙をあげている覆面パトカーから降りたヤツに抵抗する気配は見られない。素直に従っているようだ。警察官たちも相手が同じ警察の刑事であるため、手荒にはしない。身内への対応ということであろう。


 悟は600マグナムを撃ってエンジンブローを引き起こしたのだった。通常、走行している車を狙撃してエンジンに穴をあけることは非常に難しく、対物ライフルでもない限りは不可能である。ましてや標的の後背から撃つという状況だった。正面から撃つよりもエンジンルームまでの距離が長くなるため、なおさら難しい。


 そこで悟は、車内部のインパネにあるカーエアコンのレジスター部分、つまり吹出し口を狙ったのである。さきほど鵜飼が示した警察車両のデータベースにより、額田の覆面パトカーが履いているタイヤはバーストさせることが不可能なランフラットタイヤだと知った。またリアウインドウが防弾性のものではないとわかったため、後ろから撃って貫通させることができると判断したのだ。多方向性気脈者ブランチの悟は射撃時、目に気を集中させて動体視力を上げ、見事に小さな標的を狙ったのだった。


「まさか一発で止められるとは思ってなかったよ、さすが世界最強の拳銃だ」


 長い銃身の先を持って、悟は鵜飼に600マグナムを返した。そこから放たれた600ニトロエクスプレスマグナム弾は貫通力に優れたフルメタルジャケット弾だった。それは、車内部で最も脆い部分であるカーエアコンの吹出し口を貫通し、エンジンまで届いた。覆面パトカーのエンジンレイアウトが運転席寄りのフロントミッドシップだったことも幸いしたが、やはり通常のハンドガンでは無理なことである。しかしライフル弾を撃ち出すこの600マグナムならば出来る技だった。


「本来ならば三脚トライポッドが必要なものだからな。当てたあんたも流石だ」


 銃を受け取った鵜飼の巨体と比してみてもデカいハンドガンだ。その反動は凄まじく、体幹が強い異能者の悟でも屋根から吹っ飛んだ。鵜飼が言うとおり、通常人が撃つときは射撃用の三脚に固定しなければならないほどの代物である。


「なに言ってやがる。結局、俺を巻き込みやがって」


 一昨日の晩、このふたりは戦った。鍔迫り合いとなったとき、額田ら刑事たちに気づかれぬよう、鵜飼が悟に“女を連れて逃げろ”と言ったのである。その後、悟は文香を抱いてあの崖を飛び、鵜飼の部下のEXPERたちが追うフリをした。すべては麻薬売買の真犯人たる額田に気づかれぬよう文香を逃がすため仕組んだ芝居だったわけだ。それからわずか一日半での逮捕劇となった。


「あんたを頼りにしているのさ」


「まったく、俺は悠々自適に生きていきたいんだがね……」


 悟は頭をかいた。先日、文香がカットし、トリートメントしてくれた髪は、車上の強風にあれだけ煽られてもまだ、しっとりサラサラとまとまっていた。






「一条さん、本当にありがとうございました」


 翌々日、爽やかな秋風がそよぐ朝。開店前の『美容室 tun』の店内で、ツンデレ美容師の篠原文香は真摯に頭を下げた。彼女の服装は白の半袖ピチピチTシャツとスキニーデニム。そして腰のベルトに“ハサミホルスター”をさげた仕事モードだ。悪徳刑事額田の手により麻薬売買の濡れ衣を着せられそうになった彼女だったが、事件が解決したせいか、今は落ち着きを取り戻している。一日置いて今日から早くも営業再開のはこびである。


「俺は、たいしたこたァしてねぇよ」


 悟は謙遜した。おそらく次に髪を切るときもこの店に来るのだろうが、それがいつになるかは未定だ。この男はものぐさであるため、また伸ばし放題になって“メイド”の高島八重子に説教されるまでは来ないのかもしれない。


「ああン、鵜飼さァん。これでお別れなんて、アタシ寂しいわぁん」


 そして、やけにねっとりとした艶めかしい声で鵜飼に心の寂寥を告げる尾根。この店のオーナーであり、文香の兄である彼は意外なことに既婚者でもある。


「いや……俺は、自分の仕事をしただけだ」


 制服姿の鵜飼は尾根の好意むき出しの態度に困った顔をしている。こちらも既婚者。


「ああン、たくましいだけじゃなくてクールなとこがますますシビれちゃう、アタシ、フリフリ不倫はいつでもOKよん。妻のことなんか忘れてあなたに夢中になりそう。また、いつでもいらしてねぇん」


「あ、ああ、いや」


「いやぁ、鵜飼。おまえも隅に置けねぇな」

 

 悟は鵜飼のイカツい背中をぽんぽんと叩いた。出勤前の彼を電話で呼び出したわけは悪戯心が働いたからだ。既婚男性ふたりの様子を完全に面白がっている。尾根の好みは、デカく、たくましく、精悍な鵜飼のほうなのだろう。


「あ、そうそう。一条さん、実は……」


 両手をポン、と叩いた尾根。


「実は、この店のツンデレ接客、辞めることにしたのよん」


 彼は言った。あれほどこだわりを持って文香にさせていたツンデレ接客を辞めるというではないか。


「へぇ、なんで?」


「んまぁ、文香にとってかなりの負担だったみたいだし、いろいろ考えた結果よん」


 今回の事件で妹に対する気遣いが芽生えたのかもしれない。もともとの依頼は文香の狂言がきっかけだったが、そこまで彼女を追いつめた反省もあるのだろうか?


「まァ、それが良いかもしれねぇな。文香さんは文香さんさ。もともと持っているキャラで充分やってけるさ」


 そして、文香からの依頼は厳しい兄にツンデレ接客を辞めさせてくれというものだった。結局、濡れ衣事件の当事者となったことで兄妹の絆が強くなったのなら勿怪の幸いというやつである。


「だから、この店の屋号も変えることにしたのよん」


「屋号?」


「そうよん、だって『美容室 tun』のtunって、ツンデレのツンだもの。それを辞めるんだから変えなくちゃね」


「へぇ、なんて名前に変えるんだい?」


「新しい屋号は『美容室 yan』よ」


「やん?」


 yanとはどういう意味だろうか? 悟は首を傾げた。そんな彼のようすを、尾根の背後にいる文香は、やけに意味深な暗い笑みを浮かべながら見つめていた。


「“やん”って、まさか……?」


 今度は、“そのこと”に気づいた悟がたじろぐ番だった。病的とも言える文香の笑顔から嫌な予感がしたのだ。


「そうよん、あの“やん”のことなのよん」


 と、尾根が言うと、文香が悟の前に立った。


「うふふ……どうしたの一条さん?……なんだか……ドン引きした顔してるよ……だいじょうぶ……取って食べたりはしないから……」


 ツンデレよりも、さらに異常に見える文香のセリフは、まさにあの“やん”である。


「ああ……でも、一条さんのことなら……頭から爪先まで食べてあげてもいいかなあ……」


 彼女はうつろな顔をしながら、悟のフライトジャケットの胸あたりに人差し指で何かを書いた。


「あはは……“また来てね”って書いちゃった……あたしからの……永遠の……愛のしるし……うちの店に来てくれなかったら、そこからドバーッて血が出ちゃうかも……」


 ツンデレ美容師ではなくなった文香は、これまでとは完全に別のキャラへと変貌を遂げていた。新しい『美容室 yan』という屋号にふさわしいキャラへと……


「ツンデレの次くらいに男性のお客さんに需要があるのは“それ”なのよん」


 悟に説明する尾根。新しい試みに自信満々といった風だ。商魂たくましいとはこのことである。ツンデレ接客とは別種のデレかたによる接客法をすでに思いついていたのだ。さすが敏腕オーナー。


「文香はツンデレよりもそっちのほうが向いてたみたいね。なんと昨日一日で、アタシが作り上げた新接客法をマスターしたのよん。このやり方なら苦情も来ないわん」


「い、いやぁ、でも、これはツンデレよりも遥かにマニアックじゃねぇかなァ」


「一条さん……なんで逃げようとするの? あたし、身体がバラバラに張り裂けそうなほどに……想っているのに……」


 あとずさる悟の目をまっすぐに見つめる文香の瞳の奥には、商売とは無関係の恋の光が宿っているようにも見える。さすが世界一のプレイボーイとも呼ばれた剣聖だ。悪党だけでなく、女心も正確に撃ち抜く。


「お、おい鵜飼、たすけてくれぇ」


「一条さん、あんたも隅に置けないな」


 普段は真面目な鵜飼だが、このときは笑っていた。やり返した、とでも思っているに違いない。


「うふふ……」


 また、文香は悟の胸に何かを書いた。


「あははっ、今度は“だいすき”って書いちゃった……この愛が……ずっと続く……魔法の呪文……」


 嬉しそうに暗く笑う文香。彼女は美容師と客という関係を超えようとしている。うつろであっても一途な瞳に、なんの迷いも見られない。新しく『美容室 yan』として生まれ変わるこの店は今後、その手の属性を持つ男性客らを喜ばせることだろう。


「あちらもカップル成立ね、アタシたちも負けちゃいられないわん」


「いや、だから俺には妻が……」


 鵜飼のほうも、くねくねとすり寄ってくる尾根に心底困ったようすである。


「あたしを専属美容師にしてくれる? あたし……一条さんといっしょなら……」


「ああ、わかったわかった。また、ここに来るよ」


「うれしい……あたし、カットした一条さんの髪をぜんぶ拾い集めて……冷蔵庫の中で、一生保存するからね……」


「そ、そこまでするかァ?」


 ツンデレに代わる新しい愛のかたちで迫る文香の“病んだ”告白に、たじたじとなっている悟。巨悪を斬り捨てる剣をふるう彼にひとときの休息がやって来たのなら、それは平和なことである。


「一条さん、寒くて凍りつきそうなの……今夜、あたしを……あたためて……!」


 文香は悟に抱きついた。この日の鹿児島は朝の最低気温六度を記録した。情熱の色に似た紅葉の時期が終わった今こそ、燃える思いは身を焦がすのかもしれない。寒風吹きすさぶ白い冬へと季節がうつり変わってゆくなか、冷えきった身体に、恋心がぬくもりをあたえるために……






『悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室』完。





 



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