悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 14

 


「尾根さん、あんたの言うとおりさ。文香は麻薬なんかに関わっちゃいないぜ」

 

『美容室tun』の玄関先に立つ悟は、尾根に対し、文香の潔白を告げた。


「い、一条さん……」


 突然の登場に尾根は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに安堵の表情を浮かべた。


「ほ、ホントなの? 文香は無実なの?!」


「ああ、こっちに来な」


 悟は手招きした。それに従い、店の外に出る尾根。


「文香!」


 道に立っていたのは文香だった。尾根は、すぐさま駆け寄った。


「兄さん……」


 悟とともに崖から飛んだ文香に外傷は見当たらない。元気なようすである。


「文香、一条さんが言ってることはホントなのね? あんたは麻薬なんかに関わっていないのね?」


 そんな兄の問いかけに頷く文香。


「ああ、良かったわ。どんだけ心配したと思ってるのよ!」


 そして、妹を抱きしめる尾根。


「バカバカバカ! まったく、あんたは手を焼かせる子なんだから!」


「ち、ちょっと、兄さん。痛いわ……」


 尾根の腕の中で恥ずかしがる文香。ツンデレ美容師たる彼女の顔は真っ赤である。


「これは、どういうことですかな?」


 店外に出た刑事の額田が怪訝そうな顔をした。

 

「とぼけるのはやめてもらおう」


 文香の横に立っている薩国警備の鵜飼丈雄が厳しい目を額田に向けた。


「額田警部、あんたに麻薬譲渡の疑いがかけられている」


 鵜飼は言った。麻薬を取り締まる側の額田が麻薬の譲渡に関わっていたという。


「なんのことかね?」


 訊かれた額田の表情は変わらない。


薩国警備そしきは以前から監察の依頼を受けていた。警察内部に麻薬売買の仲介人がいるとのことだった」


「それが私だと言うのかね?」


「監察は、あんたに目星をつけていたみたいだが、証拠があがらなかったらしい。それで俺たち薩国警備の第七隊が裏で調査をすすめていた」


「ご苦労なことだ。君らは監察とも懇意とは聞いていたが」


「そして文香の依頼を受けていた俺と、この鵜飼がバッタリ、ってわけさ」


 と、悟。実は昨日一日かけて、鵜飼と調査をすすめていた。


「麻薬が混入されていたシャンプーはベルギー産の物だよな、尾根さん?」


 悟は尾根に訊ねた。


「え、ええ。洗浄力がありながらも、髪と頭皮に優しいベルギーのオーガニックメンズスカルプシャンプーよん」


 尾根は文香を抱きしめたまま答えた。

 

「それを他県の輸入卸業者から仕入れているんだよな」


「そうよ。鹿児島でそのシャンプーを扱ってるのはうちと、あと別の理容店だけなのよ」


「実は、それが問題だったのさ」


「え?」


 尾根は首を傾げた。彼の腕の中にいる文香は恥ずかしさからか、そろそろ離してほしいと訴えているように見えるが、かなわぬ状況の様だ。兄の妹への愛は強くて重い。


「あんたは鹿児島に四店舗の美容院を持っているらしいが、そのシャンプーが置いてあるのは文香の店だけらしいな」


「ええ、洗浄力が強いそのシャンプーは頭皮に脂がたまりやすい男性向けのものなのよん。ツンデレ接客をおこなっている文香の店のお客さんはほとんどが男性だから、ここにだけ置いてあるわ。あとのお店は女性客のほうが多いから当然女性向けのものを多く置いてあるの」

 

「ってことは、鹿児島でそれを仕入れて置いてあるのは文香の店と、もうひとつは別経営者の理容店の二店舗だけってことでいいな?」


「そうよん」


「その理容店が、そこの額田さんと繋がっているヤクの売人さ。そして輸入御業者もグルだ」


 悟はフライトジャケットの懐から一枚の紙を出した。入手および販売経路が書かれているものだ。


「わかりやすく言えば、輸入御業者が仕入れたシャンプーの中に麻薬を隠し、宅配便でその理容店に発送していたのさ。そして理容店は届いたシャンプーの中から麻薬を取り出して売りさばいていた」


 悟は、矢印で流通経路が図解されたその紙を尾根に見せた。


「そして額田さん、あんたは理容店と顧客の仲立ちをして手数料をもらってたらしいな。薬物対策課課長の立場なら、薬物常用者、つまり販売見込客を知ってるだろうからな」


 額田は刑事の立場を利用して、麻薬の売買を仲介していたわけである。本来取り締まる側が市場をコントロールしていたのだから流通の過程を隠蔽することができた。


「ところが、最近ある“手違い”がおきたらしい」

 

 悟の説明は続く。


「三日前、理容店に到着したシャンプーのうち、ヤク入りの物が一本足りなかった。この件に絡んでた輸入御業者の従業員が荷物の仕分けをミスったのさ。いま文香の店から押収されたのが、本来理容店に行くはずだったその一本だ」


 その輸入御業者が抱えている麻薬の取引先は数県に及ぶが、あらかじめ県もしくは市町村ごとに出荷する本数を決めていたと思われる。これは全国の広い範囲に市場を持つ麻薬の卸元がよくする考え方である。都道府県単位で出荷数と販売数を把握し、データ管理することが目的で、基本的に販売率、消費効率の良い地を優先する。違法な物品の流通ほど土地柄に影響されやすいものだが、これは日本の警察組織や異能者機関の捜査単位が都道府県単位で区分けされているからだ。取り締まりが強化された近年では人口が多い大都市圏をのぞき、違法薬物に対する警戒、嫌悪が強い地域での多数取引は敬遠される。


 また卸先となる各地の売人が希望する数量より少なめに出荷するのが常套手段だが、これは小売価格を釣り上げるためであり、そして現地での余剰分を作らせないためである。基本的に麻薬は消費者の手に渡ればすぐに摂取されて消えるものだが、いつまでも売人の手に残ると足がつく可能性が高まるからだ。


「それで私が、消えた一包の行き先としてこの店を特定したというのならおかしいのではないかね? その業者のシャンプーは鹿児島だけにあるものではないだろう」


 額田は抗弁した。


「もちろんそのシャンプーはヤク入りじゃないものも文香の店をはじめ全国に出回っている。だから本来ならば、ここにロストした一本があると特定するのは不可能だ」


「そうだろう、君の推理には欠点がある」


「ところが、そうじゃないんだよ」


「なんだと?」


「卸業者のヤク入りシャンプーを発送した担当者は、正確に麻薬の個数を確認したあと、シャンプーの中に入れた。仕分けのミスはそのあとダンボールに梱包した段階で起きている。理容店に行くはずの分が一本足りなかったというのなら、残りは文香の店に行くはずだ」


「それがなんだと言うのかね? 全国に出回っているものなら、この店だと特定することは不可能だ」


「いいや、今回の場合はできるんだ」


「なぜだ?」


「その担当者が、その日そのときに仕分けたのは理容店に行くべきヤク入りのものと、この店に行くヤク無しの通常品のみだったからだ。麻薬の個数を確認した直後の発送なら、ロストしたものがここに来ることはわかっていたはずだ」


 売人である理容店と文香の店はどちらも鹿児島にあるため、同じ梱包担当者が同じ時間帯に仕分けたことは不自然ではない。理容店から一包足りないと卸業者に連絡があって判明したのだろう。そのことを知った額田が動いたのも当然である。


「それでも推測の域を出ないな、確固たる証拠があがらなければ……」


 そこまで言ったとき、額田の顔色が変わった。“あること”に勘づいたようだ。


「“証拠”なら、すでにあがっている。その輸入御業者は三十分ほど前に現地の警察が抑えた。今、一条が言ったことは推測だが、関係者の証言からだいたい当たっている」

 

 鵜飼は言って、額田に対しスマートフォンの画面を向けた。ニュース速報サイトに『X県の輸入代行業者、麻薬密売容疑で逮捕』との記事が踊っている。たった今アップされたもので、この件のことだ。そしてさらに、その鵜飼のスマートフォンが動画を映した。


 ────鵜飼隊長、疑いがかかっている理容店を抑えました


 動画には鵜飼の部下の畑野はたのあかねが映っている。麻薬を扱っていた鹿児島市内の理容店内を映したリアルタイム動画だ。彼女の後ろで制服制帽姿の薩国警備のEXPERたちが床に敷いたシートの上に発見した麻薬を並べている。シャンプーに隠されていたものだろう。


 ────店主は額田警部との関与を認めてます


 同じく制服制帽姿の茜がこちらを向いてピースサインを出す姿と、他のEXPERたちが麻薬を押収する姿が交互に映し出されている。彼女の自撮り動画のようだ。しかも額田を黙らせるに足る実況生中継である。


「ご苦労」


 鵜飼が茜に優しいひとこと。


 ────はいッ!


 あちらにいる茜がキリッとした敬礼を見せた。背が高いほうでボーイッシュなルックスだから良く似合う仕草だ。普段は語尾が伸びる優しい鹿児島訛りを使う女だが、なぜか鵜飼の前ではしっかりとした話し方をする。


「結局見た目は同じシャンプーだからな。文香の店でヤク入りの物を特定して買うことはできないし、全部買い占めると怪しまれて顔を覚えられちまう。他の客の手に渡って足がつくことをおそれたあんたは自分の立場を利用して文香を売人に仕立てあげることを考えた、ってわけだ。刑事デカの風上にもおけねぇな」


 悟は、そう言って次に尾根の腕の中でもがく文香を見た。


「なぁ文香さん、三日前に到着したそのシャンプーは何本?」


「二本発注して二本届きました」


 文香は首だけ悟に向けてこたえた。そのうちの一本が麻薬入りである。


「それって少ない、よな?」


「はい。どちらかというと、あの業者さんから仕入れる物は別の売れ筋のヘアケア用品が多いんです。そういったものは月数回発注するんですけど、シャンプーを発注したのは三ヶ月ぶりでした」


「いちおう、それでもあのシャンプーは常に何本かは店在庫として維持してるのよん。おしゃれイメージのサロンとしては、ああいう上等品をカウンターにディスプレイしとく必要もあるの。腐ることもないし」


 今度は尾根が説明した。あの高価なシャンプーが文香の店では月一本も売れていなかったことは卸業者が卸数から判断していたのだろう。客の手に渡らず在庫となっていたことを額田が確信できたのもそのためだと思われる。


 そして……


「文香、文香ァ!」


「に、兄さん……」


 兄妹はまだ抱き合っている。というより兄の尾根が妹の文香をガッチリ拘束しているように見える。オーナーと雇われ美容師の垣根を越えた兄の独占欲もまた、強し重し。


「文香、あんたが犯人じゃなくてよかった、よかったわーん」


「に、兄さん……恥ずかしいから、はなして」


 なんとかかんとか尾根の拘束を逃れた文香の目は涙ぐんでいる。額田に濡れ衣を着せられそうになった彼女を救うため、昨日鵜飼ら薩国警備の第七隊が動き、事件の裏をあばいたのである。その間、悟が文香をかくまっていた先は好爺老師こうやろうしの異名をとる神宮寺じんぐうじ平太郎へいたろう邸だった。


「もっとも、いち刑事にすぎないあんたひとりで出来る犯罪じゃない。“バック”の存在があるはずだ」


 鵜飼は、黙りこくっている額田に言った。そして、尾根は次の“拘束の対象物”を悟……ではなくその鵜飼にさだめた。


「ああん、鵜飼さぁん! カッコいいわぁ!」


 尾根は鵜飼のたくましい体に抱きついた。


「あなたのおかげよん、本当にありがとう!」


「ああ、いや……」


 今度は鵜飼が困る番だった。


「すごく、ガチムチでステキなカ・ラ・ダ。アタシの好みだわん」


 どうやら尾根は優男の悟より大柄で精悍な鵜飼を選んだようだ。


「あなたみたいな誠実そうな人、もろタイプよん。妻と別れてもいいくらいだわん」


「いや、俺もいちおう結婚している身だが……」

 

「まぁ、これって秋に咲く男同士のアヴァンチュールだわ! アタシのハートが燃え上がりそう。いいえ、もう爆発してるわ!! フリフリ不倫よぉー」


 たくましい鵜飼の胸板にすりすりと頬を寄せる尾根。


「一条さん、本当にありがとうございました」


 濡れ衣が晴れた文香は深々と頭を下げた。


「なァに、俺はたいしたこたァしてねぇよ」


 悟は秋の澄んだ晴れ空すら嫉妬させるほどの爽やかな笑顔でこたえた。


「いいえ、一昨日の晩、私を助けてくれたじゃないですか」


「君を抱いて崖の下に飛んだだけさ」


「あのときの一条さんの腕の中、あったかかった……」

 

「美人を抱いて、俺のハートが熱くなってたかもしれねぇな」


「もう、バカ……」


「一条さんと文香もくっついたみたいね。兄妹揃って同時に運命の人が見つかるなんて、ダブルカップル成立のサイコーの日だわん」


「いや、だから俺には妻が……」


 ニンマリしている悟と対象的なようすの鵜飼。その鍛え抜かれたボディに体を預ける尾根はすっかりメロメロになっている。よほど好みに合うようだ。


 そのとき、エンジンの音が鳴った。道路にタイヤをきしませて、白い覆面パトカーが急速発進したのである。そしていつの間にか額田がいなくなっている。


「あ、逃げやがった」


 悟は猛烈スピードで去りゆく覆面パトカーのテールを見た。それは凄まじいコーナリングを見せたあと、あっという間に死角となる近隣の家の向こう側へと消えていった。周囲の警官たちは一連の騒動で混乱しているらしく、あ然としている。


「にゃろう、往生際の悪い……」


 逃げた額田に悟が悪態をついたとき、クラクションが鳴った。


「一条さん、乗れ!」


 薩国警備のワンボックスの運転席から鵜飼が顔を出した。どうやら尾根の愛の拘束を逃れたようである。


「一条さん……」


 保身のため自分に罪をなすりつけようとした真犯人の額田が逃げたことで、再び文香の顔が暗くなった。不安であろう。


「文香さん、ちょっくら額田の野郎をとっ捕まえてくらァ」


 けれど悟が彼女のほそい肩に置いた手は、ときに悪を斬り、ときに弱き人々に優しく差し出してきたものである。そして多くの依頼人たちを安心させてきたものでもあった。


「私、一条さんのことが……」


「おっと、みなまで言うなよ。事件が解決したあとの楽しみがなくなっちまう」


 悟は文香にそう言い残し、ワンボックスの助手席に乗った。


「あーン、アタシの鵜飼さァん、頑張ってねー」


 尾根の声援を背にし、悟と鵜飼を乗せたワンボックスは額田を追うために走り出した。



 

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