悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 13
一条悟が、ツンデレ美容師の篠原文香を連れて姿を消した二日後の午前。ここ『美容室 tun』の前には数台の警察車両が停まっていた。そのうちの一台はセダンタイプの白い覆面パトカーで、あとは白黒ツートンカラーのパトカーである。
「ど、ど、ど、どういうことなのよ、これは?」
文香の兄であり、ここのオーナーでもある尾根雄太郎の声は、いかめしく店の前に立つ数人の警官たちを見たせいか完全にひっくり返っている。警察からの連絡を受け、ここに来た。
「電話で話したとおりです。あなたの妹さんに麻薬及び向精神薬取締法違反の疑いがかかっております」
違法薬物対策課課長の額田晴臣警部は朝一番でとってきた令状を見せた。文香が麻薬の売買に関わっていたという。
「冗談じゃないわよ! 文香……妹が、そんなことをするはずないわ」
「今から店内を調べますので」
額田はジャンパーのポケットに令状をしまい、右手の平を差し出した。店の鍵をよこせ、と言っているのだ。
「調べたって何も出ませんからね!」
尾根は半ばキレ気味に店の鍵を渡した。
「それは、すぐにわかることですな」
額田は受け取った鍵を傍らにいた部下の刑事に渡した。自信満々の様子である。
店内から麻薬が見つかったのは、ほどなくしてのことだった。客に販売するため置かれていたシャンプーのボトル容器内にしのびこませてあった物を捜査員のひとりが発見した。
「これが、あなたの妹さんが売買していた麻薬ですな」
額田は、中身がシャンプー剤に混ざらないように密封されているビニール袋を尾根に見せた。白い粉が入っている。
「手慣れた巧妙な手口ですな」
額田の言うとおりだ。付着したシャンプー剤が拭き取られたそのビニール袋は口が小さいボトル容器に入れられるよう丸められていたものだ。洋服屋などで値札付けに使われる短いプラスチック製のループでさらに小さくまとめられている。両端を強く留められるものでほどける事はないが、ハサミで簡単に切れる。
「古典的なやりくちですが効率が良く回収もすぐできる。売人は麻薬の仕入れ方をあれこれと工夫するものですが、昔から手口自体は進歩していないものです。だが言い換えればシンプルなやり方が一番確実、ということでしょうな」
尾根に、そう説明した額田は、部下の警官たちにさらなる捜査を命じた。
「そ、そんな……なにかの間違いだわ。文香が、麻薬なんてものに手を出すはずがないわ」
そう言いながらも、青ざめた尾根はフラフラと足どりを崩し、客が座る店のチェアーの背もたれに手をついた。一昨日の晩から行方がわからない妹が麻薬の売買に関わっているなどと信じたくはないのだろうが、目の前に事実と実物を突きつけられた結果、ショックで肉体の平衡感覚を失してしまったのだろう。
「全国的に薬物取り締まりが強化された結果、ここ十年で麻薬は高騰しているのですよ。この一包……約二グラムといったところですかな。これだけで末端価格は十万を超えるでしょうな」
「で、でも文香は……愛想はないけど普通よ! 麻薬を吸ってた様子なんてなかったわ。つーか吸ってたら、さすがにわかるわよ!」
「売人が麻薬中毒者とは限りませんよ。むしろ売買に関わる者の大半は麻薬の恐ろしさや中毒者の悲惨さを知っているので、自ら服用したりはしないものです」
額田は証拠品である麻薬入りビニール袋を部下のひとりに手渡した。捜査員たちはシャンプー剤やトリートメント剤の在庫の他、壁の引き出しやレジの内部、カウンターの引き出しをひっくり返している。他にないか探しているのだが、今のところはシャンプーの中に隠されていた一包のみのようだ。
「ところで、あなたはフリーランスの異能者を雇っていたようですな。おとといの夜、妹さんといっしょにいましたが」
額田は悟のことを訊いた。
「そ、それがなによ?」
「どんな依頼だったのですかな?」
「そ、それは……」
尾根は言葉に詰まった。例のツンデレサービスをやめさせるため、他店からの引き抜きがあったと狂言したのは文香自身であり、そのことで悟を雇ったのが尾根である。それと麻薬に関係はないが、この状況で“狂言”の二文字を出すのはためらわれた。ますます文香の行動が怪しまれる。
「そのフリーランスは妹さんを連れて逃走しました。ひょっとしたら、そいつが妹さんをそそのかしたのかもしれませんがね」
「そ、そのことは警察から聞かされてるわよ。でも、一条さんがそんなことをするはずがないわ!」
「昨日今日会ったばかりの人間なのに、なぜわかるのです?」
「そ、それは……あ、アタシも経営者で美容師のはしくれよ! 人を見る目くらいあるわよ!」
「そういうものですか?」
「そうよ! あの一条さんは、たしかにぱっと見は優男すぎて頼りなさそうだけど、でも信用できる人だわ! アタシにはわかるわよ」
尾根が断言すると、額田はため息をついた。
「フリーランス異能者などというのは街の解決屋をうたっていても、結局はならず者なのですよ。あの一条という男も金欲しさに妹さんの悪事の片棒を担ごうとしているのかもしれません」
「そんなことないわ! そんなこと……」
「尾根さん……」
額田は冷えた目で文香が日頃からきれいにしている店内を見まわした。今は他の麻薬を探すため、捜査員たちがとっ散らかしている最中である。
「警官の立場でこんなことを言うのもなんですが、人が犯罪に手を染める背景として一番多いのは“悩み”なんですよ」
「悩み?」
「抱えた悩みは人の判断力を狂わせるものです。そしてかまってほしくて罪を犯す。そう、誰かにかまってほしくなるんですよ」
言われてみれば文香が狂言に走ったわけもそれだった。彼女はオーナーであり兄である尾根に優しくしてほしかった。だから引き抜きがあったと嘘をついていた。
「あなたは随分と妹さんにつらく当たっていたそうですな。捜査の都合上、近隣の住人や、この店の客に聞き込みをおこなった結果わかったことです」
「アタシはここのオーナーよ! 売上を改善するために説教をすることくらいあるわ!」
「なんでも、ツンデレ接客とやらがウリだそうですな」
「それが何よ!」
「夜、そこの公園のベンチで妹さんがひとりで泣いていた、という目撃情報も得られているのですよ」
それを聞き、尾根は絶句した。
「あなたが厳しくしすぎたことが原因、と言えなくもないのですよ。いや、むしろ、それが最大の理由かもしれませんな」
仕事中、文香は決して尾根の前で涙を見せることはなかった。どんなに厳しく接しても。だが、芯が強い彼女でも誰もいないところでは泣いていたのである。兄ですら知らない妹の繊細な一面があったのだ。
「麻薬は金になりますが、末端の売人にすぎないであろう妹さんが得られる手数料などたかが知れています。別に金欲しさでやっていたわけではなく、あなたから受けた日頃のストレスが判断力と常識を狂わせたのかもしれませんな」
責めるように額田が言うと、尾根は待合い客用のソファーに座り込んでしまった。
「アタシが……アタシが、文香を追い詰めたっていうの……?」
文香がツンデレ接客に抵抗を感じていたことは知っていた。客の苦情を受け、ネットで中傷されていることも。しかし、それが好結果を生んできた以上、経営者としてやめさせるわけにはいかなかった。けれど、そのことは文香の精神に大きな負担をかけ、狂言に至るところまで追い詰めたのである。
捜査員のひとりが額田のそばにやって来て、他に麻薬は発見されなかったと報告した。
「よし、これから篠原文香のアパートへ行き、家宅捜索をおこなう。大家に連絡をいれろ」
額田は、部下たちに指示を出した。
「尾根さん、いちおう関係者としてあなたにも立ち会っていただきたいのですが、御同行願えますかな?」
額田に肩を叩かれた尾根はまだソファーでうなだれていたが、しかしやがて勢いよく立ち上がった。
「いいえ! やっぱりなんかの間違いよ! 文香は麻薬になんか関わっていないわ! 兄のアタシが言うんだから絶対よ!」
目に見えないものであっても、兄と妹の絆は強かったのだ。尾根は言い切った。兄の自分が信じなくてどうするのか? いま文香の力になれるのは兄の自分だけなのだ。
────よく言った、尾根さん。あんたは文香にとって、最高の兄貴だぜ!
空に輝く太陽のように明るいその声は、かつて多くの人を救ったものだった。国境を越え、善良なる人々のためにあまたの悪を斬ってきた“彼”のことを、心無い大人たちは偶然の剣聖と呼び、そして“彼”に憧れた少年少女たちは最後の剣聖と呼んだものである。異能業界最高のスーパースターはいまや伝説となり、この世界に無敗の剣歴と華麗な記憶を残して死したと報道されている。
「何者だッ!?」
額田が目を向けた先にいたのは、まさにその人である。剣聖スピーディア・リズナーがここ鹿児島でフリーランスとして生きているなどとは、世界中の誰も知らない。
「尾根さん、あんたの言うとおりさ。文香は麻薬なんかに関わっちゃいないぜ」
一条悟は言った。
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