悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 12

 

「あなたに麻薬……薬物売買の嫌疑がかかっている。我々と同行願おう」


 鵜飼は文香に、そう言った。


「麻薬……?」


 文香がわけがわからぬ、といったようすで立ちすくんでいるなか、ワンボックスの中から制服制帽を着けた男性警備員たちがぞろぞろと降りてきた。薩国警備のEXPER《エスパー》だ。鵜飼の部下たちである。その数は四人。


「一条さん、彼女を引き渡してもらおう」

 

 部下たちを背後に従え、鵜飼が威圧的に催促した。


「おいおい、文香は俺の依頼人だぜ。事情もわからずに引き渡せるかよ」

 

 文香の隣で悟はニヤけながら答えた。この男は、どんなピンチのときでもこんな風である。


「事情は今話したとおりだ。彼女が麻薬の売買に関わっている可能性がある。話はこのあと警察で聞く」


 鵜飼が言ったとき、いつの間にか悟と文香の背後の道を別の七名の男たちがふさいでいた。おそらく全員が刑事であろう。国や地方公共団体とのつながりが深いとされる薩国警備は案件によっては警察と連携する。


「篠原文香さんで間違いないかね?」


 刑事たちのうちで、五十代とおぼしき一番年長の男が警察手帳を見せながら前に出た。


「違法薬物対策課の額田ぬかだ晴臣はるおみです。我々の事情聴取に応じていただきたい」


 額田となのった刑事はワイシャツの上からジャンパーを羽織った、やや長身の男だ。警察手帳には警部の肩書きが記されている。ここにいる刑事たちのリーダーらしい。


「こんな時間まで仕事とは、あんたら警察も大変だな」


 悟は、刑事たちがここで待機していたことには気づいていたようである。


「一条さん、おとなしく彼女を引き渡せ」


 鵜飼は制服の上着を脱ぎ、投げ捨てた。見事に鍛えられた肉体はワイシャツの上からでもわかるものである。彼はネクタイも外した。悟との戦闘の意思表示のようだ。


「こらこら鵜飼、もう夜中だぜ。騒ぐと近所迷惑だろ」


「麻薬が売り買いされることのほうが迷惑だ」


「任意なら、文香には拒否する権利もあるんじゃねぇか?」


「近日中には逮捕状が取れる。どのみち彼女には話を聞くことになる」


 やけに、やる気満々な鵜飼のようすを見て、悟はため息をついた。


「文香さん、先方があんなことおっしゃってますけど?」


 悟は文香のほうを見た。


「わ、私、知りません。麻薬なんて……」


 薩国警備と警察に囲まれた恐怖からか文香の顔は青ざめ、そして足は震えていた。


「ホント? じゃあ君を信じちゃっていい?」


「ほ、本当に知らないんです!」


 昼間、狂言していたときとはあきらかに違う文香の態度である。嘘をついているようには見えない。


「OK」


 悟は文香の肩を抱き……


「悪いが俺の依頼人は知らないと言っている。引き渡すわけにはいかねぇな」


 そして引き渡しを拒否した。


「そうか。ならばやむを得まい」


 いつの間にかワイシャツの両袖の上から手甲ガントレットをつけていた鵜飼の姿は一瞬にして消えていた。そして悟もまた文香のそばにはいなかった。


 次の瞬間、コンマ数秒前の立ち位置から数メートルのところで、ふたりは激突していた。風より速い両者の身のこなしである。悟はフライトジャケットの懐のショルダーホルスターから抜刀した光剣オーバーテイクで鵜飼の左手刀を受け止めていた。剣と拳での鍔迫り合いとなっている。


「不意打ちとは、なかなか卑怯だな」


 悟はオーバーテイクを諸手に持ち、その紅い光刃を自身の正面に置いていた。


「先に動いたのはあんただ」


 鵜飼の手刀も自身の正面にある。彼の手甲は藤代アームズ製のもので、特殊合金ネオダイヤモンドで出来ている。腕だけでなく手の甲や指先までを覆う長さであるため、悟のオーバーテイクとこうやって打ち合うことが可能だ。


「俺にはおまえのほうが先に動いたと見えたがね」


「三ヶ月前の試合ではあんたに負けたが、今の俺はあのときとは違うぞ」


「三ヶ月程度で得られる境地なら、たいしたもんじゃねぇな」

 

 最接近して鍔迫り合っている両者の対決は二度目だ。以前の試合では悟が勝った。あのときは蒸し暑い夏の夜だったが、今は肌寒い晩秋の夜である。


「足甲もつけている。手加減はいらんぞ」


 スラックスの下も武装しているようだ。先に動いた鵜飼のローキックが飛んだ。悟は一歩さがって回避する。鵜飼は左に上体を傾け、上段に右のトラースキックを放った。悟は首を後ろに振って、鼻先三寸でかわす。


「予告抜きなら当たってたかもしれないぜ。残念だったな」


 防戦する悟は一定の距離を維持しながら後退し、続く鵜飼の掌底をかわした。文香のアパートを前にしたここは崖に面した狭い道路であるため、両者の足どりは直線的となる。


 轟音うならせ、鵜飼の前進攻撃が続く。甲を着けたキック、パンチともに重く鋭い。巨体でありながら俊敏である彼はA型の超常能力を発動させていた。それは“驚異的な身体能力”と呼ばれ、全身を均等強化させるものである。パワーとスピードの上昇著しい近接戦闘向きの能力だ。さらに鵜飼自身の格闘センスと体格上の有利が攻めの手に上乗せされている。上手く獲物を追い詰める動きを見せる。


 しかし鵜飼の長いリーチの外から悟は一歩を踏み込んだ。防戦一方からの急激な攻撃への転換は凄まじい速さだった。紅く輝くオーバーテイクの光刃が逆水平の軌道を闇夜に描き、鵜飼の喉元を襲う。多方向性気脈者ブランチの悟は右手に気を集中させ、稲妻のようなカウンターを繰り出したのだ。


 手甲をはめた両腕でガードした鵜飼は、その衝撃で吹っ飛んだ。いや、さすがは薩国警備最強の一角とうたわれる男である。吹っ飛ばされたかのように見えた彼は墜落などせず道路に片手をつき、すばやく受け身をとった。今の悟の一撃で離れた両者の間合いは、大きく踏み込んで七歩分ほど。


「相変わらず逃げながら攻撃するのが上手いな」


 直立した鵜飼は、悟の剣を防御した両腕の手甲の無事を目視で確認した。さすが頑丈な藤代アームズのネオダイヤモンド製のものである。


「俺は美容師なみにサービス精神旺盛なんで序盤は魅せるためのショーマンシップに徹してやったのさ。部下の手前、おまえにもメンツがあるだろうからな」


 悟は鵜飼が引き連れて来たEXPERたちに向けて顎をしゃくった。皆、鵜飼の部下たちであり、戦況を見守っている。信頼を置く上司の勝利を願っているのだろう。一条悟というフリーランスが過去に鵜飼に勝っていることを知っているので、余計にその思いは強いはずだ。


 多方、額田ら刑事たちは息をのんでふたりの戦いを見ていた。屈強な彼らであっても異能者同士の戦闘を見る機会など滅多にないから当然であろう。いや、通常人の視力で追うことも大変なはずだが、それでも魅了されているのならば、ショーマンシップを語る悟の思惑にはまっているとも言えよう。剣聖は防戦する姿すら華麗に見せる、との世間評は世界共通の認識でもあった。


 数秒睨み合って、再度両者は激突した。数歩の間合いなどまばたきする間もなく縮む。またも悟の剣と鵜飼の拳が鍔迫り合いとなった。


「鵜飼、ひとつ訊いておくぜ」


 オーバーテイクを押し込みながら、悟は確認した。


「今日の俺の動きを察知してたろ? なぜ、わざわざおまえがここに来た?」

 

 薩国警備の情報網は鹿児島全土に張りめぐらされている。今夜、悟が文香といっしょにいたことなど、すでに知られていたはずだ。ましてや昼間、鵜飼の部下の畑野茜に頼んで『美容室 tun』の固定電話に残されていた非通知着信履歴の発信元を調べてもらったばかりだ。そこから文香の狂言が発覚した。


「俺は、“あんた対策”さ。頑固なあんたが簡単に彼女を渡すことなどないだろうからな」


 鵜飼は右腕の手甲でオーバーテイクの刃をガードしながら真相を告げた。すると、それと同時に他のEXPERたちが前に出た。彼らも鵜飼の加勢に入るため戦闘態勢をとる気か?


「なるほど……」


 無勢の不利を感じたか、悟のほうから距離をとった。そして彼は、すぐさま跳躍した。鵜飼の頭上を飛び越え、着地した先は文香の隣だった。


「文香さん」


 刃をおさめたオーバーテイクを懐にしまった悟は、これまで呆然とふたりの戦いを見ていた文香に訊いた。


「俺は君を信じると言った。君は俺を信じるか?」


 麻薬売買の嫌疑をかけられている女への問いかけである。彼女はそれを否定し、悟は彼女を信じた。昼間、引き抜きにあっていると狂言していたときとは事情が違う。


「はい……」


 文香の目は、まだ不安に怯えていたが、それでも口調ははっきりとしていた。寒空の下、悟への確固たる信頼を白い吐息で明かした形の良い唇は嘘などついていない。


「じゃあ、俺から離れるな」


 悟は右手で文香のほそい腰を抱いた。そして気を脚に集中させた。


 次の瞬間、この場にいる誰もが驚いたに違いない。文香の腰を抱いたまま、悟は夜の空に飛んだ。なんと道路の金網を飛び越え、真っ暗闇の崖下に踊ったのである。


「一条を逃がすな、追え」


 鵜飼が指示を出すと、EXPERたちが急いでワンボックスに乗り込んだ。文香を連れて消えた悟を追うために……



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