悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 8

 

 夜、『美容室 tun』の玄関には“CLOSED”の木製プレートがかけられていた。一日の営業を終えた店内にいるのは、この店のオーナーである依頼人の尾根、引き抜きにあっているというツンデレ美容師の文香、そして一条悟の三者。さっきまでサロンらしくヒーリング系の音楽を流していた有線機器の電源はオフになっており、今は静まり返っている。


「あー、結論からいえば……」

 

 二人を前に、悟は今回の騒動の真相を話した。  


「しつこい引き抜きの電話があった、ってのは、文香さんの“狂言”だ」

 

 そう言うと、尾根の顔色が変わった。


「狂言? ど、ど、どういうこと?」

 

 尾根は自分の横で、うつむいたまま立ちすくむ文香を見た。


「これでいいんだよな、文香さん?」


 悟は、そんな文香に確認した。返事がないのが肯定のサインであろう。


「文香、一条さんの言ってることはホントなの?」


 信じられない、と言った風で文香をにらみつける尾根。血相を変えている。怒りの表情だ。


 文香が店名をなのらない同業者から引き抜きの勧誘にあっている。悟は、その同業者に話をつけるよう尾根から依頼をされた。しかしそれは文香の狂言だった。彼女のはっきりしない態度言動から、そのことを疑った悟は薩国警備の畑野はたのあかねに頼み、この店にかかってきた電話の発信元を調べてもらったのだ。その結果、文香の携帯電話から数度の非通知発信があったことがわかった。店の固定電話に着信履歴を残すことで狂言にリアリティを持たせるためだ。


「文香、なんとかおっしゃい!」


 尾根はヒステリックな声で怒鳴った。罪の意識からか目に涙を浮かべている文香は、ただ震えるだけで何も言わない。

  

「あんたって子は!」


 右手を上げる尾根。強烈な平手打ちが炸裂する前に悟は、ふたりの間に割って入った。


「まァ、待ってくれ尾根さん、彼女の話も聞いてやってくれ」


「待てないわよ! 文香、あんた何考えてんの? ウソついて一条さんに迷惑かけて。一発ブチかましてやらないと、こっちの気がすまないわ」


「尾根さん、あんた文香さんの“兄貴”だったんだな。知らなかったよ」


 この美容院のオーナーである尾根と雇われ美容師の文香。実は、ふたりは兄妹だった。苗字が違う理由は尾根が婿養子だからである。これらのことは、さきほど文香から聞いた。


「いやー、尾根さん。あんた結婚してたんだな。そのことも意外だったよ。はっはっは」


 いきりたつ兄の尾根と、すっかり萎縮してしまっている妹の文香の間に立つ悟は極力ヘラヘラと笑顔で、この場をおさめようとした。彼らしい進行の仕方である。


「兄妹といってもアタシと文香は経営者と美容師の間柄よ! 私情を挟んだら、やってけないわ!」


「いやー、まァ、それはわかるんだけどねぇ」


 まあまあ、と制する悟。尾根がここに帰ってくる前に文香に事実を問いただしたところ、彼女はあっさりと狂言を認めたのだった。


「文香さんは、兄貴のあんたに、もうちょい優しくしてほしかったのさ」


 悟は、なぜ文香が狂言を企てたか、そのわけを話した。


「なによ、それ?」


「妹の自分が引き抜きの勧誘を受けている、と言えば、あんたがすこしは優しくしてくれる。文香さんは、そう考えたのさ」

 

 悟はレジ横にあるヘアケア用品たちの脇に添えられているハガキ大のPOPを見た。マジックペンによるカラフルな手書きのもので、“買ってくれたら、あたしだってすこしは感謝するんだからねっ”とある。文香が書いたものだろう。こんなところにも健気なツンデレ営業努力のあとがある。


「ど、どういうことよっ?」


「うーん、つまりだな……いや、ここは文香さん自身の口からハッキリ言ったほうがいいかな」


 悟は口をつぐんだままの文香の肩をかるく叩いた。ツンデレ接客をしているときの強気な彼女と違い、今は震えて小さくなっている。嘘をついていた後ろめたさがあるわけだから当たり前のことである。


「に、兄さん……」


 意を決したか? 文香は重い口を開いた。


「兄さん……私……」


「職場ではオーナーと呼びなさいって言ってるでしょ!」


「す、すみません」


「まあまあ尾根さん、今だけは兄貴として文香さんの話を聞いてやってくれ」


 怒り心頭といった感じの尾根を両手で牽制し、なんとか間を取りもとうとする悟。すると文香は……


「私、もうツンデレ接客は嫌なんです」


 と言ったのだった。



 

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