悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 7

 

「あなたは、昨日の……」


 ツンデレ美容師、篠原しのはら文香ふみかは、たいへんに驚いた様子を見せた。まさか昨日の客が、自分の身にふりかかったトラブルを解決するために現れる、などとは夢にも思わなかったことだろう。


「いやぁ、昨日はありがとう。そして今日はよろしく」


 と、悟のほうも、まさか二日連続でここを訪れることになろうとは思ってもいなかったので、カットしたての頭をかきながら照れ笑いをした。


「すごい偶然だわ、まさか一条さんが、ここのお客様だったなんて。いいえ、これは偶然じゃなくて、アタシとの赤い糸の存在を感じちゃう」


 そして、勝手なことを言う尾根。今回の依頼人は、ここのオーナーたる彼であり、文香ではない。


「ところで、文香……」


 一転、尾根は急に険しい顔をし、スマートフォンを取り出した。


「最近、売上が落ちているわね、どういうことかしら?」


 彼はスマートフォンの画面を見ながら、文香に追及した。


「今は忙しい時期ではないけれど、そのことを考慮しても悪いわ」


 さきほど悟の前で見せていた様子とは明らかに異なる尾根の厳しい姿勢だ。そして文香は神妙な顔のまま、固まってしまっている。オーナーと雇われ美容師の立場ならば当然のことではある。


 尾根はカウンターに立ち、タッチパネル式になっているレジの画面を慣れた手つきで操作しはじめた。


「お客様はそこそこ来てるのに、売上が悪いってことは単価の問題ね」


 彼はレジの画面とスマートフォンの画面を交互に見た。ここのレジはモバイル端末と連動しているのだろう。そうやって尾根は常時売上を管理していると思われる。さすがイマドキの経営者だ。


「文香、あんた、ちゃんとお客様にトリートメントやヘアケア用品をおすすめしてるの? そういう努力が足りないから単価が上がってないんじゃないの」


 レジの横には、いくつかの色とりどりのボトル容器のシャンプーやジャー容器タイプのトリートメントが置かれている。


(高ッ……!)


 悟は、それらヘアケア用品に添えられているプライスカードを見て驚いた。スーパーやドラッグストアで取り扱っているものより遥かに値段が高い。さきほど某ハンバーガーチェーン店ですませた自分の昼飯代の三倍ほどはする。だがサロン専売のアイテムならば値が張るのは当然だろう。


「販売努力が足りてないのよ販売努力が。あと、ちゃんとツンデレサービスはしているの?」


 尾根の追及は続く。やはり昨日、八重子が言ったとおり、あのツンデレは、この美容院のサービスの一環らしい。


「ツンデレ好きな男性のお客様は多いのよ。今の御時世リピーターを増やすには美容師としての腕だけではダメなの。プラスアルファのサービスが必要なのよ」


「いや、昨日そのツンデレサービスはしてくれたよ。それにトリートメントもすすめてくれたし。ほらほら、俺の髪ツヤツヤでサラッサラ」


「ツンデレによる癒やし空間の演出は、あんたに与えた宿題だったわね、それをもっと徹底なさい」


「あぁ、昨日すごく癒やされたよ、この美容院は落ち着くね」


「あと、表の掃除がなってないわ。お客様から見て清潔感のあるたたずまいにしなさいと何度も言ってるでしょう!」


「ああ、昨日俺が来たときはきれいにしてたよ。この時期は風が強いからゴミが飛んでくるんだよ」


 強烈な尾根の剣幕に言い返せない文香を不憫に思い、悟は懸命に助け舟を出したが、あまり効果はなかった。やはりオーナーと雇われ美容師の間にある上下関係は絶対らしい。


 尾根はスマートフォンを上着の内ポケットにしまった。そして、ため息をひとつつき……


「ところで例の件は、こちらの一条さんにお願いすることにしたわ」


 と、言った。


「例の件?」


 それまで尾根の説教に萎縮していた文香が口を開いた。


「あんたが、しつこく引き抜きにあってる件よ。一条さんはハンサムな上に、とっても腕がたつフリーランス異能者の方なのよ」


 尾根の説明を聞いた文香は悟のほうを見た。ツンデレな態度だった昨日と違い、今日はなんだか自信なさげな風である。


「あんたを引き抜こうとしてる業者に一条さんからひとこと言ってもらうわ。揉め事解決のプロですもの」


「で、でもあたし、そんな話聞いてません」


 文香は、はじめて反抗した。


「なに言ってるの! ここの店をあんたに任せてる以上、代わりはいないのよ!」


 しかし、オーナー尾根の言葉は絶対のようである。文香は、また固まってしまった。


「一条さん、詳しい話は文香に聞いてくれるかしら? アタシ、別の店もまわらなきゃならないのよ」


 鹿児島市内に四店舗を構えている、という尾根は、なにかと忙しいようだ。


「文香、事情は一条さんにちゃんと話すのよ、あと売上改善のための提案書を今週中に提出なさい」


 彼は文香に厳しい声をかけ、そして……


「ああン、一条さん、これからもこのお店にいらしてね。今回のお仕事だけのお付き合いなんて、アタシいやいやいやン」


 今度は甘ったるい声をあげ、悟の腕にすがりついてきた。いま両者の体が密着している。


「あ、ああ、この仕事終わっても、また客として来るから」


「まァ、うれしいわ、約束よ、ヤ・ク・ソ・ク……」


 本当に嬉しそうな尾根は手を振ると出て行った。店には悟と文香だけが残された。


「は、ははは……おもしろいオーナーさんだな」


 悟の立場としては笑うしかなかった。しかし、説教された文香の表情は完全に沈んでしまっている。強気なツンデレモードのときの彼女は、どこかへ行ってしまったようだ。


「あー、なんか、しつこい引き抜きの誘いにあっているそうだね」


「はい……」


「なんて業者? 俺がひとこと言ってやるから」


「それが……」

 

 悟の質問に対する文香の歯切れは悪い。なぜだろうか?


「わからないんです」


「あらら、そうなの」


「はい、お店や会社名はひとことも告げず、“今のお店を辞めてうちで働きませんか? 待遇は今より良くなりますよ”って」


「そりゃあ、また妙ちくりんな引き抜きの電話だな」


 悟はカウンター奥の固定電話機を見た。レジ同様、タッチパネル式のもので、わりと新しい機種のようだ。あれにかかってきたはずである。


「最後にかかってきたのはいつ?」


「たしか、さきおとといの今くらいの時間だったと思います」


「ちょっと見てもいいかな?」


「はい……」


 悟は固定電話機を操作し、文香が言った時間の履歴を調べてみた。画面には“非通知”と出ている。引き抜き行為なのに自分の正体を明かさない、というのはたしかに変ではある。


「あ……」


 そのとき文香は通りに面した窓のほうを見た。悟も同じほうに目を向ける。向かい側にある駐車場……月極めのもので、この店が借りているのであろうそこに車が入るのが見えた。


「お、お客様みたいです。話はあとでいいですか?」


「ああ、いいよ」

 

 悟は文香にOKサインを出した。ほどなくして、ベルの音とともに店の玄関が開いた。


「こ、こ、こ、こ、こんにちは」


 男ウケの良いこの美容院らしく、入ってきた客はやはり男であった。昨日ここで会ったおじさんと違って若い。黒縁眼鏡をかけている。


「よ、よ、よ、よ、予約してたんで、よ、よ、よ、よ、よろしくお願いしままます」


 まだ二十代前半くらいか。チェックのシャツとダボダボのジーパンを穿いたおとなしそうな青年だ。ここの常連だろうか? やけに緊張している風である。


「なにやってたのよ!? 一分遅刻じゃない!!」


 さっきまで尾根に叱られて沈んでいた文香が、急にサービスモードに入った。つまり客に対するツンデレな態度だ。


「す、す、す、す、すみません。道が混んでたもので……」


 気弱そうな青年客は何度も頭を下げてあやまった。


「べ、べつに待ってたわけじゃないんだからねっ」


 唇を尖らせてぷい、とそっぽを向く文香。このあたり、演技なのだろうが上手い。本当にツンデレになりきっている。立派な美容師魂……いや、この場合はむしろ商魂といったところか。


「えへへ」


 と、青年は、うすら笑いを浮かべた。やけに嬉しそうだ。ツンデレがウリのこの美容院に来る客、ということは、もちろんツンデレが好きなのだろう。男という生き物は馬鹿なものである。


「きょ、今日は、どうすんのよっ?、忙しいんだから、は、は、は、早くしてよねっ!」


 文香の顔は赤い。これすらも演技ならば、たいしたものだ。


「んじゃあ、こないだと同じで」


 ここの会員カードを見せた青年は、これまた嬉しそうな顔をしてオーダーした。


「んもう、そこに座んなさいよ!」


 そしてツンデレを演じ続ける文香が着席を促した。


(大変な商売だな)


 二人の様子を見ていた悟は、そんな彼女に少々同情した。本当は、かなり無理してやっているのではないか、と思ったのである。



 

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