悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 3

 


「動かないでください」


 相変わらずツンとしたローテンションな声で言うと、女はハサミを悟の頭髪に当てた。どうやら髪を濡らさぬドライカットのようである。


(ほう)


 鏡に映る彼女の手際を見た悟は心の中でほめた。無愛想だが、なかなかのカット技術である。髪が乾いた状態で切るドライカットはウエットカットと違い毛髪のクセや広がり具合を確認しながらの作業となるため、仕上がりがイメージに合ったものになりやすいという。反面、手間と時間がかかり、高い技術を要するらしいので、ドライカットで切ってくれる店は親切だということになる。たとえツンツンと愛想が悪くても……


 悟が首に巻いているケープや床に落ちる毛髪の量は、かなりのものだった。相当伸びていたのだから当然だ。もちろん長さに比してカットの時間もかかるのだが女の手際が良いため、ずっと座っていることの退屈さは感じなかった。というか彼女が醸し出すピリついた雰囲気のせいで眠くもならない。


「あまり、髪型にこだわりとかないんですか?」


 彼女がツンツンボイスで訊いてきた。もちろんテンション低めで。


「こんなに伸ばし放題でボサボサとか、ありえないんですけど」


「ははは、めんどくさがりでね」


「顔は、すごくカッコいいのに残念」


「ははは、そうかな」


「でも、髪型がイマイチだと全部台無し」


「ははは、ごもっとも」


「顔は素敵なのに」


「ははは、ありがとう」


「でも、髪型にこだわりがないのは美容師から見ると絶望的」


「ははは、今日から気をつけるよ」


 なんだか、けなされているのか褒められているのかわからないが、たぶんけなされているであろうツンツントークが重々しく展開する中、いつの間にかカットが終わったらしく、彼女はハサミをハサミホルスターにしまった。


「シャンプーします」


 彼女は店の端から、車輪がついた移動式のシャンプー台を運んできた。シャワーが付いた円形のもので下が窪んでいる。


「倒します」


 もはや機械的ともいえるツンとした事務口調で彼女は言い、チェアのレバーを手で操作した。背もたれが倒れ、座っている悟の首がシャンプー台の窪みにすっぽりと収まった。ここは美容院なので、床屋と違い、仰向けの体勢でのシャンプーとなるようだ。


 彼女はホースを少し伸ばしたシャワーのハンドルを回し、湯を出した。温度を確認するためか湯をかるく触ったあと、悟の髪にシャワーを当ててきた。


「かゆいところがあったら、我慢してください」


 普通は“かゆいところがあったら、おっしゃってください”ではないだろうか? あまり優しくないツンとしたセリフの後、髪をひと通り濡らすと、シャワーを当てながらもう片方の手の指で悟の頭皮をマッサージするようにしてきた。いわゆるシャンプー前の予洗い、というやつである。これが一分ほど続いた。


 予洗いが終わると、彼女はポンプ式の容器からシャンプーを手に取り、さらに両手で泡立てた。女子ウケしそうなフルーティーな香りが漂うそれで、彼女は悟の髪を洗いはじめた。


(これは、悪くない感触だな)


 悟はまた、頭皮をマッサージするように洗髪する彼女の手際に感心した。シャンプーがもたらすスーッとした心地と共にツボが刺激され、毛根が活性化していくような気がする。そして毛穴に詰まった汚れがみるみる落ちてゆくような感じがするのだ。シャンプーとは髪ではなく頭皮を洗うもの、とは世の男たちが皆、知っているスカルプ・ケアの一般常識であるが、自宅の風呂場で実践できている者は少ないという。この女、やはりプロである。ツンツンとしていて愛想はないが……


 シャンプーのさなか、悟はそっと目を開けてみた。仰向けになっている自分の頭の位置に立ち、丹念にシャンプーを続ける彼女の服装は細いスキニーデニムと、これまた細くピチピチの半袖白Tシャツである。


(見えねェかな)


 胸に有名ブランドのロゴが打たれているそのTシャツはデニムのベルトループ部分にかかる程度の短い丈のものだ。いま悟の至近距離にある裾から彼女の臍くらいは見えても良さそうなものだが、これがなかなかガードが固い。見えそうで、見えない。


「目を開けないでください、シャンプーが目に入ったら痛いですよ」


「あァ、わりィわりィ」


 悟は目を閉じた。その直前、Tシャツの布地の上から網膜に焼き付けた彼女の胸は口調同様にツンと上を向いたCカップ美乳といったところだ。世界中で“人間トラッキングマシン”と称された剣聖の視力は相対する敵の技量も、仕事中の女の肉体も正確に測る。見誤ることはない。


「当店では、美容業界最先端技術の“分子浸透圧ハイパーマイナスイオンスチームトリートメント”をおすすめしております」


 シャンプー後、かるいタオルドライののち、チェアを起こした彼女は、ツンとした口調ですすめてきた。


「オプションとなりますが、カットのお客様には二千五百円で提供しております」


「あー、いや、そこまでは……」


 断ろうとした悟の正面にある鏡に映っている彼女はツンと無表情のたたずまいを見せていた。


「あ、じゃあお願いします」


 悟はツンとした彼女の無言の圧力に降参した。もう、いろいろな意味で諦めたのだった。この美容院にいるうちは。


 彼女は二種のトリートメント剤を両手の平の上で混ぜ合わすと、半乾きの悟の髪に塗布した。そして打出の小槌のような形のスチーマーを構え、四十センチほどの距離から、マイナスイオンを含んでいるであろうスチームを噴射した。こうやってトリートメントを髪に浸透させる仕組みのようだ。美容業界の進歩はめざましいものがある。


 そのあと彼女は悟の髪をドライヤーで乾かし、ブローした。カットと合わせた所要時間は一時間と十分ほどだったろうか。できあがった悟の髪型は長くもなく短くもないミディアムスタイルだ。そして締めの分子浸透圧ハイパーマイナスイオンスチームトリートメントの効果か髪がしっとりさらさらと落ち着いている。もうボサボサとは言わせない。


「ありがとう、おかげで髪も頭皮もさっぱりしたよ」


 フライトジャケットを羽織った悟はレジで現金を支払った。カットとトリートメントで合わせて六千円弱。これを高いと思うか安いと思うかは人それぞれだろうが、あいまいなオーダーでこのようにしっかりと仕上げてくれたのだから元は取ったと言える。たまには美容院も良いものだ。


「今度から予約しておこしください。あとご注文は具体的にお願いします。顔はカッコいいんですから、髪型にはこだわりを持ってください。ボサボサだと、いくらなんでもダサいです」


 受け取った金をレジに入れた彼女は冷え切ったツンツン口調で言った。


「わかった、そうするよ。今日はありがとう」


 悟は帰ろうと思い、まわれ右した。すると……


「ま、待って……ください」


 彼女が呼び止めてきた。なぜか、切ない声で。


「その……あの……」


 そして彼女はうつむいている。顔が赤くなってゆく。なにかあったのか? 腹でも痛いのか?


「つ、つ、次のお客様まで、まだ時間があります……お、お、お、お、お茶くらいなら……淹れてあげてもいいんですよ……」


 さっきまでは、やけにツンツンとしていた彼女だが、今は雰囲気が違う。やけに恥ずかしがっているようで、口調はたどたどしい。


「いや、今日はいいや。また今度……」


「今度……が……あるんですか? あたし……こんなに愛想なしなのに」


「家近いからさ」


 悟が言うと、彼女は一枚のカードを両手で差し出してきた。


「う、う、う、うちの……お、お、お、お客様用の……会員カード……です」


 それには“美容室 tun Members Card”と書かれている。彼女は悟に、ここの常連になってほしい、と言っているのだ。


「べ、べ、べべべべ……べべべ……」


 頬を紅潮させながら“べ”を連発する異常な状態の彼女は懸命に言葉を紡ぎ出そうとしている。そして会員カードを差し出している両手は、ぷるぷると震えていた。


「お、おい、どうした? 大丈夫か?」


 尋常ではなさすぎる彼女の様子を目の当たりにし、さすがに心配になった悟が訊くと……


「べ、べ、別に……」


 彼女は目を強く閉じた。そして……


「べ、別に、また来てほしいって言ってるわけじゃないんだからねっ!! これは仕事なんだからねっ!!!」


 なぜか彼女は、急激にデレたのだった。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る