悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 2


「この美容院には男が喜ぶ“サービス”があるんだよ」


 おじさんは答えた。いやらしく笑いながら。


「サービス?」


 悟は首をかしげた。この“Beauty Salon tun”という名の美容院には男の客しかいないという。理由は、そのサービスにあると、このおじさんは言っているのだ。


「いったい、どんなサービスなんだい?」


 男が喜ぶサービスとはなにか? おそるおそる悟が訊ねると……


「それは入ってみればわかるさ」


「もったいぶらずに教えろよ」


「そいつは身をもって体験したまえ。おっと、おれはこれから、ケーキ屋のカワイコちゃん店員にアタックしに行くところなんだ。時間がないので失礼するよ」


 おじさんは、きれいにカットされた短髪に太い指先を当てた。大事な告白を前に身だしなみを整えるため、この美容院に寄ったらしい。


「兄ちゃん、一度この店に入ったら、あんたもその“サービス”の虜になるぜ、うっへっへっへ」


 またも、いやらしく笑ったおじさんは、向かい側にある駐車場に停めてあったミドルクラスのセダンに乗り込んだ。そのまま発進し、道路の向こうへと姿を消した。


(このパーマ屋には、どんなサービスがあるんだ?)


 走りゆくおじさんのセダンのテールランプを見送った悟は、美容院のほうへ目を向けた。小さいが一見、普通の洒落た店である。だが、なにやら男を喜ばせるサービスがあるというではないか。


(入ってみるか)


 悟の決意は興味本位からきたものではなかった。あんなメタボ腹の五十代くらいのおじさんが入るような店なら、自分も入れると判断したのである。知らない美容院に男ひとり、というのは少し抵抗があったが、髪を切らずに帰ったら八重子にスポーツ刈りか五分刈りにされてしまう。それは回避しなければならない。


 悟は意を決し、美容院のドアを開けた……






 美容院“Beauty Salon tun”の中は外観に比して狭いものだった。客用のたった一脚のスタイリングチェアがあり、その前の壁に台と鏡が設置されている。内装は玄関同様、一部が木造りで洒落ており、ところどころにリラックスムードを演出するためか観葉植物が置かれている。


 狭いにもかかわらず窮屈に感じないわけは内壁が白く、店内が明るいからだろう。中央のスペースに物はなく、全体的に開放感がある。広く見せるための工夫がほどこされていた。


「ごめんください」


 玄関を開けたときカランカランと鈴が鳴ったが、なんの反応もなかったので悟は声をかけた。だが、しんとしたままだ。ここは美容院なので美容師がいるはずだが。


「ごめんください」


 もう一度、言った。すると店奥のドアが開いた。


「はい」


 と、出て来たのは若い女だった。“いらっしゃいませ”ではなく“はい”のひとことだった。明るい色のショートボブが似合っている美人なのだが、表情から読みとれるテンションは低く、なんだかツンとした感じで愛想なさげだ。


「あー、開いてるのかな?」


 入ったことを少々後悔しながらも悟は勇気を出して訊いてみた。


「うち、完全予約制なんですけど」


 女は、やはりツンとした感じで答えた。ここまでくると愛想なしを通り越して機嫌が悪そうである。


「あぁ、すんません。じゃあ出なおしてきます」


 悟が出ていこうとすると……


「別にいいですよ。今予約あいてますんで」


 ため息まじりに女はチェアのほうを向いた。着席を促しているようだ。


「あ、でも無理しなくても……」


「早くしてもらえます?」


「はい、わかりました」


 彼女の、ローテンションな迫力に圧され、つい従ってしまった。愛用の黒いMA-1型フライトジャケットを壁のハンガーにかけ席につくと、彼女は悟の首にタオルを巻いてくれた。どうやら、ツンツンと怖そうなこの女が、ここの美容師のようだ。


「ま、まさか、そのタオルで俺の首を締める気じゃないよな? はっはっは」


 なんとか打ち解けようと悟はギャグを言った。だが、前の鏡に映る美容師らしき女はツンとした表情でこちらを一瞥したのち、完璧に無視をキメた。彼女は壁の引き出しから散髪用のケープを取り出し、タオルを巻き終えた悟の首にセットした。そしてブラシでボサボサに伸びた悟の髪をブラッシングした。


 頭頂部からオールフロントにされた悟は鏡を見た。というか伸び切った前髪が目にかかっている状態なので見づらいのだが、なんとか見えた。彼女は自分の横にじっと立っている。やはりツンとした表情だ。そのまま約三十秒の静止時間が過ぎた。


「ん? あ、ああオーダーね。えーと……」


 美容院での注文など、とっさに思いつかなかった。だから悟は……


「す、スポーツ刈りと五分刈り以外で頼むよ、わっはっはっは」


 と、二度目のギャグをぶちかました。今度こそ打ち解けようと果敢にチャレンジしたのである。だが鏡の中の彼女は……


「ご注文は、はっきりとおっしゃってくださいませんか? 当店ではカット後の切りなおしとかしませんので」


 と、冷ややかな対応。顔だけでなく言葉までツンとしている。


(や、ヤバい店に入っちまったなァ)


 悟は本気で後悔したが、カットの体勢に入っている以上、後の祭りである。


「お、おまかせで……」


「はじめてのお客様のおまかせはお断りしています」


「で、では長くもなく短くもなく、普通で」


「横は?」


「りゅ、流行に合わせて」


「前髪は?」


「は、流行りに合わせて」


「後ろは?」


「ぶ、流行ブームに合わせて」


 悟が曖昧に答えると、彼女は“やれやれ”といった感じで再度ため息をつき……


「わかりました。今度からは注文を決めてきてください」


 と、言った。無愛想に接してくるわりに“今度”があると思っているらしい。


 彼女は美脚を強調するスキニーデニムの腰にかけた革製の“ハサミホルスター”に右手を伸ばした。それに何種類かのハサミや、その他の美容用具が収納されている。


「動かないでください」


 相変わらずツンとしたローテンションな声で注意を促すと、彼女は取り出した一本のハサミを悟の頭髪に当てた。



 

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