悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室

悟がタジタジ? 愛のツンデレ美容室 1

 

「一条さんッ!」


 鹿児島市 城山しろやまにある一条悟が住まう洋館にヒステリックな女の声が響いたのは、秋も深まった十一月下旬のことだった。


「一条さん! 今日という今日は許しませんわ、覚悟なさい!」


 悟の“現メイド”である高島たかしま八重子やえこは右手に“ハサミ”を持っていた。そして今、その切れ長の目は怒りに燃えている。これは、ただごとではない。


「ま、ま、ま、待て八重子、話せばわかる。だから、ちょっと待て」


 さっきまでダラダラと寝ッ転がっていた寝室のベッドの上で、悟は八重子に理解を求めた。


「た、たしかに“整理整頓はきちんとするように”という君の言いつけを破って、脱いだ服を廊下にとっ散らかしたり、脱いだ靴下を玄関にとっ散らかしたり、買ってきたビッグバーガーセットの紙容器を片づけてなかったり、食い終わったカップ焼きそばの容器を流し台に放置していたのは俺の失態だ。だが、いくらなんでも……」


 そう、いくらなんでも凶器のハサミを持ち出すほどのことであろうか? 家は掃除をすればきれいになる。靴下も洗えばきれいになる。服もたためば元に戻る。だが失った命はかえっては来ない。かつて世界を股にかけた剣聖であったこの男は数えきれないほどの人の生き死にに関わってきた。だから、そのことを痛いほどに知っている。


「だからね八重子さん、そのハサミをおさめて……」


「お黙りなさいッ!」


 怒りの八重子は黒い修道服姿。いくつかの宗教団体を母体としている退魔連合会の退魔士である彼女の仕事着は毎度おなじみのシスタールックだ。長い黒髪はヴェールで覆われており、首からはロザリオをかけている。いかにも神に仕える者の格好……なのに手には物騒なことにハサミを持っている。


「たしかに片づけられない一条さんのぐうたらぶりには呆れてものが言えませんわ、でもそのことはとっくの昔にあきらめています」


 怒りが嘆きに変わったか? 八重子の美しい顔に悲しみの影が宿った。憂いの表情はシスターに似合う。たとえハサミを持っていても……


「へ? 違うの? そのことじゃないの?」


「違いますが違いませんわ! 今度私が来たときにまた散らかっていたら、晩ごはんは酢の物と野菜だけのスペシャルヘルシーメニューにいたします!」


「わ、わかりました。今後は肉のために片づけます。だからハサミをおさめて……」


「そうはいきません! 私はもう我慢の限界なのです! なんですか、その長ったらしく伸びた髪は!!!」






 さいきん悟の髪は、ずいぶんと伸びていた。サイドは耳のずいぶん下まで達しており、前髪は目を隠している。後ろは背中にかかっており、たしかに長い。めんどくさがりの悟はかなりの期間、散髪に行っていなかった。


(そ、そのことかよ。ビックリさせんなよ)


 悟はシスタールックの八重子が手にしているハサミを見た。たしかに散髪用のものである。散らかっていたから自分に危害をくわえようとしていたわけではなさそうだ。


「殿方の髪は短く清潔であるべきです。私は一条さんのその汚らしく伸びてボサボサになったヘアースタイルに我慢ならないのです」


 平素より低い八重子の声が今日は、いちだんと低かった。喉の調子がまだ悪いようだ。彼女はこないだまで風邪をひいており、悟のメイド業を休んでいた。その代打として薩国さっこく警備から“初代メイド”の津田つだしずくが派遣されていたので、この家はゴミ屋敷にならずにすんだ。


「よって本日は私が一条さんの散髪をいたします」


 風邪の影響からか、八重子の声はドスのきいたものになっている。なかなかの迫力だ。


「ど、どんな風に切る、のかな……?」


 ベッドの上に正座し、おそるおそる訊ねる悟。正直、イヤな予感しかしない。


「今も言いましたが、殿方の髪は短く清潔であるべきです」


「はあ」


「ですから、スポーツ刈りにいたします」


「いや、ちょっと待て。急激なイメチェンは俺的に困る」


「なんなら五分刈りでもよろしくてよ」


 几帳面できれい好きな八重子の、短髪をすすめる感性はわからなくもないが、それを押し付けられるほうはたまったものではない。悟は困り果てた。


「あ、そういえば今日は金生町きんせいちょうの異能者紹介所に行く日だった。なにか仕事が入ってないかなぁ」


 悟は、わざとらしくぽんと手を叩き、退室しようとした。さる犯罪組織に追われ、死を装って生まれ故郷の鹿児島に帰ってきた元スーパースターの彼がフリーランス異能者として、すすんで自分から仕事を探しに行くことなどない。これ幸い、とバカンス気分で当分はのんびり過ごすつもりでいた。だから逃げるための口実だ。


「お待ちなさい」


 八重子は悟の、長く伸びた襟足を左手で掴んで引っばった。


「いでででで、抜ける抜ける!」


「お仕事なら依頼人の方に失礼のないよう、余計にさっぱりする必要がありますわね」


 “チョキチョキ”と、八重子は二度ハサミをカラ切りした。切れ味鋭そうな良い音である。


「さあ、いきますわよ」


 八重子は悟の襟足にハサミを当てた。


「うわわあああッ、待て八重子、待ってくれぇー」






 涼やかな風そよぐ午後一時半。悟は自宅にしている洋館から徒歩で十五分ほどのところにある住宅街にいた。


(まったく、とんでもない目にあうとこだったぜ)


 なんとか八重子からの“斬殺”を免れたボサボサ髪をかきながら悟は歩道を歩いていた。秋風になびく理由は長いからにほかならない。スポーツ刈りや五分刈りにされたら、なびくことなどなくなるし整髪も楽だ。だが、あまり短くされるのも困りものだ。


(しかし、散髪しなきゃ帰れねぇな)


 悟は八重子に“外で散髪してくる”と告げて解放されたのである。つまり散髪しなければならない。というか散髪しなければ本当にスポーツ刈りか五分刈りにされてしまう。あのキレ具合から察するに非常にヤバい状況だ。


(たしか、近くにパーマ屋が……)


 このあたりはヒマしてるときの悟の散歩コースである。たしか美容院があったはずだが……


(ああ、あれだあれだ)


 住宅街のやや外れ、人通りがあまりない道沿いに一軒の美容院がたたずんでいた。


(客は……いるのか?)


 その美容院は普通の家を半分にぶった切ったほどの小さなものだった。木造りの洒落た玄関に横長の看板がかけられている。


(Beauty Salon tun……“つん”って読むのか?)


 悟は、流麗な筆記体で書かれた看板の字を読んだ。それが、この店の名のようだ。


(うーん……ここにするかな)


 迷う悟。世界中の異能犯罪者や人外の存在を相手にしてきた度胸満点の彼であっても、知らない美容院というのは、かなり入りづらいものである。客層がわからないし、ましてや予約もしていない。そもそも男が入ってもOKな雰囲気の店なのか? 昼下がりのマダムや若い女御用達の店ではないのか? もしそうなら余計に入りづらい。いや、しかし伸びた髪を切らなければ家に帰れない。八重子にスポーツ刈りか五分刈りにされてしまう。


 入ろうか入るまいか悟が迷っていると、カランカランという音をたてて、美容院の玄関のドアが内側から開いた。


「じゃあ、また来るよ!」


 と、ごきげんな様子で出てきたのは、グリーンのブルゾンを羽織った五十代くらいのおじさんだった。この店の客のようだ。カットを終えた直後らしく、短髪がきれいにセットされている。


「もしもし、ちょっといいですか?」


 悟は路上で、そのおじさんを引き止めた。


「なんだい兄ちゃん? 怪しげな勧誘ならお断りだよ」


 と、答えたおじさんの容貌は顔も含めてたいしたものではなかった。背は悟と同じくらいだが、ブルゾンの下に着ているシャツの腹が出ており、全体的にずんぐりむっくりしている。


「いやいや、違うんだ。あんた、このパーマ屋の客かね?」


「いかにも」


「とある事情があって俺は今、大至急髪を切らなくちゃならない立場なんだ。この店は男が入っても問題ないタイプの美容院かね?」


 悟が訊くと、おじさんはメタボ腹を揺すって笑った。


「兄ちゃん知らないのか? この店は男の客ばっかりだよ」


「そうなのか?」


「そうともさ、この店で女の客なんか見たことないよ」


「なぜだ? パーマ屋で男の客ばっかとは、なんか理由があるのか?」


 悟が訊くと、おじさんはこう答えた。


「それはな、この美容院には男が喜ぶ“サービス”があるんだよ」




 

 


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