不思議なパンプキン 狙われた農業ガール 19
急激に側転した矢作が、その体勢のまま蹴りに転じた。このとき手を地につけている。当然、腕の長さの分だけ軌道が高い。捻りを加えた反撃はトリッキーなだけでなく速かった。悟の頭上を襲う。
反応した悟はギリギリのタイミングで後方に退き、かわした。脚力上昇に特化したQ型超常能力者の矢作が放った今の側転蹴りは両足ごと空から落ちてくるものだった。オーバーテイクで受け止めても力負けする。しかもヤツはスラックスの下にネオダイヤモンド製の足甲をはめている。喰らったらひとたまりもない。
「おいらの“フォーリャ”をかわしたずらか、アンタやはり凄い男ずら」
悟が後退したため、間合いが遠のいた。その中で、矢作は嬉しそうに笑った。敵が強ければ強いほど熱くなる、異能者の悲しい習性がそうさせるのだろう。
「見た目に騙されちゃいけない、ってのは菜々子のかぼちゃと同じだな」
言葉を返す悟も笑うしかなかった。死を装い、鹿児島に帰ってきた彼は結局、ここでも戦いに明け暮れている。こちらは、そんな自分の運命を嘲笑ったのである。
今の矢作の側転蹴りはフォーリャという技だ。ヤツは今まで空手の使い手と見せかけていた。しかし、フォーリャはカポエイラの技である。また地に手をつく前、痛みに苦しむ表情を大げさに見せたのは演技か。それらはセイヨウカボチャの味と食感を持つニホンカボチャ、というあの不思議なかぼちゃ同様、意表をついてくるものだった。見た目に騙されちゃいけない、とは技と芝居に長け、強くとも風采が上がらない矢作に対する褒め言葉でもある。
「決着をつけるずら」
空手とカポエイラを良く使う矢作は、また正対してみせた。対する悟はオーバーテイクを右手にやはり正対する。両者間の距離は約七メートル。俊敏な異能者同士の向き合いならば、まばたきするよりも速く、その間合いは詰まる。
両者、互いに向かって同時に駆け出した。いや、小数点以下のタイミングで矢作が先だったか。そして超常能力により脚力を向上させているヤツのほうが必然的に歩が進む。悟が二歩踏み出した時点で、もうふたりは近接していた。それほどに矢作の脚は速い。
矢作の強烈な右のハイキックが飛んだ。上体をかがめ、それを避けた悟はオーバーテイクを斜め上に振り上げる。狙いは、高く上がった矢作の膝裏だった。脚が伸び切ったところを打つ大胆な戦法である。
右手に気を込めたオーバーテイクの衝撃に、さすがの矢作も体勢を崩し、左手を地につけた。上げた右脚が軌道の頂点……つまり力の解放点に達したときに脆さが出る。矢作の右ハイキックは連続攻撃の起点だったはずだが悟はそれを狙った。それに続く蹴りを放つため逆の左足が軸足として強くふんばっていなかったことも転倒の要因である。
立ち上がりかけた矢作の胴を悟はオーバーテイクで強打した。
「まだ続けるか?」
悟は、ダウンした矢作に戦意を問うた。今の攻撃でヤツの肋骨の何本かは折れたであろう。だが、これで死なないのが頑丈な異能者という人種である。
「やはりアンタは強いずら、おいらの負けずら」
地面に大の字で仰向けになっている矢作は雲の多い晴れ空を見ていた。戦闘の続行は不可能のようである。
「どうやら、おいらはまだまだ修行が足りないらしいずら」
負けた悔しさがあっても、どこか爽やかな後味が残る。そんな矢作の心境を映した空なのかもしれない。遥か遠き地表にすら影を落とすほどの雲はあっても、そのすきまから輝きは差し込んでくる。勝者と敗者、どちらにも公平にふりそそぐ太陽の光は、今までふたりの間にあった激闘の空気をも穏やかに浄化するもので、やはり爽やかだ。
「おいらの中にある戦士の本能が叫ぶずら。“アンタを倒せ”と」
しかし、それで友情が芽生えてクサい仲になることなどない男たちである。攻撃を受けた胸を手で抑えながら、矢作はよろよろと立ち上がった。
「だが、今のおいらではアンタに勝てないずら。修行を積んで一から出直すずら」
矢作の姿が消えた。脚力に優れるQ型超常能力者は跳躍力も大きい。ヤツは一瞬にして、一本の大木の枝に飛び乗っていた。
「一条サン、アディオスずら。再戦のときはおいらが勝つずら」
そこから矢作は数本の木々の枝を飛び移り、この場からいなくなった。その姿は、まるでジャングルに生息する野生の猿のようだ。二秒もしないうちに、影も形もなくなった。
「追わぬのか?」
悟の背後から声がした。あらわれたのは神宮寺平太郎である。偉大なこの老人が戦いを見物していたことには気づいていた。
「俺は薩国警備のEXPERでも警察でもないからな」
悟は光刃をおさめたオーバーテイクを懐のホルスターにしまった。電脳の存在たる真知子のデータベースの中にも名がなかったあの矢作はおそらく異能犯罪者なのだろうが、今は一介のフリーランスに過ぎない身で追う理由もない。
「もっさりとした見た目に合わず、なかなか良い使い手じゃったのう」
冬も近いというのに半袖のアロハシャツとカーゴ短パンで外を出歩く平太郎は、爽やかな陽光を禿げた頭に反射させながら言った。
「まァ、世の中ってのは狭いもんだ。生きてりゃまた会うこともあるかもしれねぇな」
悟は頭をかいた。かつて最後にして“偶然”の剣聖と呼ばれた彼は、平穏に暮らそうとしてもなぜか敵を増やしてしまう自分の宿命を知りつつも、それを受け入れるしかないこともわかっているのである。
鹿児島市城山にある悟の洋館を学校帰りに訪れた津田雫は、たいそう驚いた。いくつかのダンボールに詰められた大量のかぼちゃが玄関先に置いてあったからだ。
「雫、このかぼちゃ美味いんだぜ!」
悟が、そのうちの一個を取り出した。スーパーでよく出回っている球状に近いものと違い、それはゴツゴツとしていて、でこぼこがはっきりとしている。
「依頼人の菜々子から今回のお礼ってことでたくさんもらったんだよ。品評会で大賞を取ったくらいだから味は格別さ」
嬉々と語る悟。それは食に関してガッツリ派である彼にしては珍しいことだった。
(どうしたのかしら? お肉がたくさんあれば喜ぶ一条さんが、今日はかぼちゃを前にしてはしゃいでいるなんて)
制服姿の雫は驚いてしまった。普段から“肉がない献立に価値はねぇ”、“人間の体を作るのは肉”、“肉は最強の万能食”と語るあの悟が、かぼちゃを褒め称えている。なかなか見られる光景ではない。
「雫、今日はかぼちゃ料理を作ってくれ。肉はいらねぇ、かぼちゃかぼちゃ」
しかも、そのようなことを言い出したものだから雫はさらに驚いた。“一日に摂取すべき肉と野菜の割合は九対一が理想”などとも語る悟が肉はいらないと言ったのだから当然だ。ここ鹿児島に季節はずれの雪でも降る前触れではないだろうか。
制服のブレザーを脱ぎ、ブラウスの上からエプロンをつけた雫は台所に立ち、まな板の上にかぼちゃをのせた。
(でも珍しいわね。ニホンカボチャだなんて)
実物を見るのは初めてだった。スーパーに出回っているセイヨウカボチャとは明らかに見た目が異なるが、実は味も食感も異なることを、料理上手なこの女子高生は知っていた。
「見た目はニホンカボチャだが、中身はセイヨウカボチャなんだぜ。だから調理法はいつもどおりでOKさ」
テーブルに着席している悟が言った。ニホンカボチャは水気が強く薄味。セイヨウカボチャは甘みが強くホクホクしている。現代人の好みにはセイヨウカボチャのほうが合っていることも、市場を制している理由だ。
(本当かしら)
セイヨウカボチャの味と食感を持つニホンカボチャなどというものが存在するのか、と疑いつつも雫は、頭の中にあるかぼちゃ料理のレパートリーを検索してみた。パンプキンスープ、パンプキンパイ、パンプキンサラダ……いくつもある。
(でも、とりあえずは……)
とりあえずはオーソドックスに塩茹でしたものを出そうと考えた。すぐにできるし、お通しの代わりになる。それに、このかぼちゃの味にちょっと興味がわいたからだ。
切り分けた茹でかぼちゃを皿にのせ、テーブルの上に置いた。すると……
「これだよこれ、いっただっきまーす」
と、また変なアクセントをつけて悟は箸を取った。
「んーッ! 美味い。こりゃ日本一、いや世界一のかぼちゃだな」
肉ではなく、野菜を食して喜んでいる。あの悟が……もはや、ここ鹿児島で雪を見ること以上に珍しい。
彼の向かいに着席した雫も、自分の皿にのせたそのかぼちゃを食べてみた。
(甘くて、美味しい……!)
箸を持たない方の手で口をおさえ、驚いた。塩茹でしただけなのにものすごく甘い。さつまいもや栗を凌ぐほどだ。
(それに、ホクホクとしているわ)
そして、その歯ざわりと食感はまさにセイヨウカボチャのもの。口の中で、ほどよくほぐれ、崩れてゆくのだ。ニホンカボチャは、もっとねっとりとした感じだと聞いている。
(不思議なかぼちゃね)
どうやらセイヨウカボチャの味と食感を持つニホンカボチャ、という肩書きは伊達ではないようだ。成績優秀で東大すら狙える雫の頭脳をもってしても理解できないこのかぼちゃ、品評会で大賞を取る理由もわかる。やはり、この世にふたつとないものは高評価を得るのだ。そして、なにより味が卓越している。
「な、美味いだろ雫」
差し向かいの悟が訊いてきたので、雫はちいさく頷いた。肉がなくとも、この大食漢を満足させるのだから逸品と言わざるを得ない。それくらいに美味しいかぼちゃだった。
「だろ? そうだろ?」
と、悟はなおも美味しそうに食べている。雫は、そんな彼をじっと見つめた。
(そういえば、この前)
雫は先日、悟に出した夕食のメニューを思い出した。唐揚げやとんかつなど、肉が多すぎて野菜が少なかった。いくら悟の好みに合わせたとはいえ、食事のバランスの観点から反省したものだった。
(それを考えれば、良いことかしら)
これを期に悟の食卓に野菜を増やすきっかけができるかもしれない。現在の彼の世話人は風邪で療養中の高島八重子なので、今度いつ食事を作りに来ることができるかわからないが、すこし野菜を増やしてみようかしら、などと思ってもみた。
(かぼちゃは体に良いし、いい機会だったかもしれないわ)
豊富なベータカロテンやビタミンC、さらにカリウムやカルシウムも含むかぼちゃ。夕食のおかずのみならず、スイーツの材料にもなるので、出せば食卓がバリエーションに富むことうけあいだ。
「ん、どした雫?」
見られていたことに気づいたらしく、悟が箸をとめた。口のまわりにかぼちゃがくっついている。二枚目が台無しだ。
「いいえ、なんでもないです」
雫は微笑し、心のうちを隠すため、もうひとくちかぼちゃを食べた。本当に甘い。
「あンだよ、俺の顔見てたろォ?」
「なんでもないです、ったら」
肩にかからないほどのショートヘアをかすかに振り、雫は笑いをこらえた。かぼちゃを美味しそうに食べる悟を見て、かわいいと思ってしまったのである。男嫌いな自分にしては珍しいことだと自覚しながらも、それを口に出す必要はないと感じた雫は、このかぼちゃと同じくらいに人の気持ちも不思議なものだと理解し、悟の食事を作るためにふたたび台所に立った。
『不思議なパンプキン 狙われた農業ガール』 完
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