不思議なパンプキン 狙われた農業ガール 14


 農栄組合主催の“かごしまかぼちゃアワード”は二年に一回おこなわれるかぼちゃの品評会である。今年で五回目を迎える当品評会は例年どおり、鹿児島市 与次郎よじろうにある農栄組合直轄のスーパーを会場とする。午前九時から県内の著名人を審査員とした試食会が始まり、その後、出場するかぼちゃたちは表の大型駐車場で一般販売される。


 会場となるスーパー『ノーエーマート与次郎店』の建物二階にある会議室では皆が準備にいそしんでいた。運営するスタッフたちの手により机が連結され、その上にいくつかのガスコンロが置かれた。参加する農家の面々は各々が育てたかぼちゃを野菜コンテナに積んで持ち込んでおり、指定の場所に並べている。


 その中にオーバーオールを着た菜々子の姿もあった。彼女が父から受け継いだかぼちゃは娘の名を冠した“ナナコ”という。セイヨウカボチャの味と食感を持つという不思議なニホンカボチャである。菜々子はナナコが入った複数の野菜コンテナにセロテープで自分の名前が書かれた参加者シートをはった。他者のものと区別するためである。


「菜々子さん、これで全部かな?」


 悟は軽トラからおろした最後の野菜コンテナを、ブルーのシートが敷き詰められた床に置いた。


「はい、ありがとうございます。一条さんのおかげで助かったわ」


 菜々子は、それにも参加者シートをはった。


「なんのなんの、力仕事はお手の物さ」


 いちおう、菜々子との“契約”は品評会がおこなわれる今日までであるため、悟はここまでついてきた。そのついでの手伝いとして、かぼちゃを全部運んでやった。


「すみません、ご面倒をかけてしまって」


 と、頭を下げる菜々子。彼女がさらわれそうになってから数日、蛭田の動きはなかった。だが、このかぼちゃが世に出ては困るはずなので、今日なんらかのアクションをおこしてくる可能性は充分に考えられる。しかし人が多く集まるここで悪事を働くのは難しい。なにか別の手を用いるだろうか?


「いいのいいの! それより喉乾いたな、なんか飲む?」


「うーん……じゃあ、はちみつミックスで」


「OK」


 悟は菜々子に手を振って廊下に出た。


「おや?」


 そこで悟は意外な人を見つけた。杖をついて歩いてくるその人は、こちらに気づくと、あからさまに不快そうな顔をした。


「お前か……こんな所で何をやっている?」  


 藤代グループの総帥、藤代ふじしろ隆信たかのぶだった。いかにも大物らしく、数人の背広姿のとりまきを連れている。


「藤代さん、あんたこそなんでここにいるんだ?」


 悟は訊いた。薩摩の怪物とも呼ばれ、鹿児島最大の権力を持つこの老人がアットホームなスーパーの二階にいると違和感がある。


「私は今日、品評会に審査員として招かれたのだ」


 隆信は渋い声で答えた。八十をこえているが、見た目は十ほど若く見える。その顔だちは精悍と端正の中庸と言える見事なもので、海外の某名俳優に似ているとの評もある。しかも、この年代にしては長身で、均整のとれた体をしているため、大物らしく目立つ。


「あんたが、かぼちゃの品評会に?」


 そこまで言って悟は思い出した。鹿児島県内に複数の大型スーパーを出店している藤代グループは、この品評会を主宰する農栄組合と付き合いが深い。しかも地元の名士である隆信は金融機関であるノーエーバンクの口座に多額の貯金をしており、たしか准組合員でありながら役員をつとめていたこともあった。有名人なので招かれたとしても不思議ではない。


 隆信は答えず、ただ杖をついたまま直立している。悟よりも背が高いこの老人は泥染めで仕上げられた黒に近い藍色の大島紬を着ている。こういう場にしてはややカジュアルな格好だが、あまり肩肘はらぬ品評会なので、それで良いのだろう。周囲にいる数人の背広組はただのとりまきではなく護衛者で、おそらくその中には薩国警備のEXPERが混じっているはずである。


「おい坊主、おぬし、こんなところでなにをしとるんじゃ?」


 今度は背後から聴き知った声がした。悟が振り向くと、神宮寺じんぐうじ平太郎へいたろうの顔があった。


「じ、爺さんこそ、なにやってんだ?」


 隆信に続く意外な出現にさすがの悟も驚いた。


「そりゃ、こっちのセリフじゃわい」


 と、答える平太郎の格好は冬も近いと言うのに半袖のアロハシャツとカーゴ短パン。さらに禿げた頭にはデカいサングラスを乗っけている、というイカれたものだ。こちらもけっこうな御老体。元気なものである。


「わしゃあ、今日の品評会に招かれたんじゃ。審査員としてな」


「あんたもかよ」


 隆信と同じく平太郎も今回のかぼちゃの品評会に呼ばれたらしい。徒手空拳術に長け、好爺老師こうやろうしの異名を持つこの老人は見た目によらず鹿児島の異能者たちからの尊敬を集める身で、一般の人々からの知名度も高い。こちらも招かれることに不自然はない。


(真知子のやつ、ジジイふたりが出ることを黙ってやがったな)


 悟は生前の真知子が悪戯っぽく笑う顔を思い浮かべた。今は電脳の存在となっている彼女は、悟を困らせたとき、よくそうしたものだった。


「坊主、おぬしは何用じゃ?」


「俺は“仕事”だよ」


 平太郎は昔から悟のことを“坊主”と呼ぶ。子供のころも今も変わらぬ仲だ。変わったことといえば悟が剣聖となり、現在は死を装って鹿児島に潜伏していることくらいのものである。


 隆信と平太郎の目が合った。数秒のち……


「やぁ、藤代さん。相変わらず偉そうにしとるのう」


 平太郎のほうから話しかけた。


「おまえのほうは相変わらず偉く見えんな」

 

 答える隆信は面白くなさそうな顔をした。この両老人も古くからの仲だ。かたや築き上げた業績に比例して見た目と態度が尊大で、かたや勝ち得た名声に比例せず風貌と言動が軽佻である。だが、両者とも鹿児島で最も尊敬される立場にいる。


(ったく……相変わらず仲の悪いふたりだ)


 悟は内心ため息をついた。


(まてよ、このふたりが審査員ってことは、俺が口を聞けば菜々子のかぼちゃを勝たせることができるな)


 などと一瞬、よからぬ思いをめぐらせたが、すぐにその考えを頭から追い出した。そんなことをしても菜々子が喜ぶわけではないし、第一、この老人たちが話にのるとは思えない。


「あいにく、わしは偉くないのでな」


「そんなことは知っている」


「女と酒が生きがいの高齢者に地位などいらんよ」


「他に生きがいがないのなら寂しいものだな」


 悟を挟んで、かるく舌戦を繰り広げる両老人。ちなみに年齢は八十代の隆信のほうが上である。


 向こうから農栄組合のジャンパーを着た男たちが数人やって来た。品評会の運営スタッフたちであろう。


「んじゃ、俺はこれで」


 と、悟は、そそくさとこの場から退散した。


(まったく、偉い爺さんたちだ)


 やって来た運営スタッフたちが慇懃丁重な様で隆信と平太郎に頭を下げているのを尻目に、悟は自分と菜々子の分のジュースを買うため、階段を降りた。






 午前八時半。品評会が始まるまで、あと三十分ある。菜々子は会場となるスーパーの一階脇にある女子トイレにいた。


(一条さんが手伝ってくれたおかげで、準備が早く終わって助かったわ)


 洗面台で洗った手を、オーバーオールのポケットから取り出したハンカチで拭きながら、菜々子は鏡に映る自分の顔を見た。


(いやん、前髪が乱れてる)


 菜々子は手櫛で前髪を整え、再度、鏡を見た。日に焼けているが顔には自信がある。普段から化粧ッ気がないため、街ゆく女たちを見て自分には洗練された色気が欠けていると思うこともあるが、元が良いのはやはり得だ。


(一条さんに見られても恥ずかしくないようにしなくっちゃ)


 大事な品評会を控えているのに、なぜか悟のことを思い出し、鏡の中で表情を作ってみる。誘拐されそうになったのを助けてもらって以来、彼のことが気になる。女性的な顔をした優男のハンサムで、普段は飄々としており、あまり頼りになりそうには見えない。だが、有事になると強さとカッコ良さを発揮する。そのギャップが良い。だから、かわいく見られたいと思う。


(よし、かわいさ完璧!)


 笑顔がキマった鏡の中の自分が背中を押してくれそうな気がした。悟のことはともかくとして、とりあえず品評会を終えることが大切だ。父が残してくれたかぼちゃが世に出るか否か、それは今日決まる。


「やあ、おはよう菜々子君、元気そうだね」


 悟……のものではない男の声に、鏡の中でせっかく作った良い表情が一瞬でたち消えた。左手の入り口に立っている男は、そのかぼちゃを狙う、いわば敵だ。


「ひ、蛭田さん……!」


 反射的に身構える菜々子。鏡の中で悟のために表情を作っていたのを見られたのならかなり恥ずかしいが、それ以前に自分を誘拐しようと企てた男である。危険を感じるのは当然だった。


「菜々子君、やはり僕と手を組む気はないのかな?」


 蛭田の要求とは、父が作ったかぼちゃの製法……つまり交配法の譲渡である。今まで危害をくわえようとしてきたくせに、いけしゃあしゃあと言う。


「蛭田さん、ここ女子トイレですよ!」


 さすがに菜々子はツッコんだ。ここは男子禁制の女子トイレである。


「いやいや、あの男の目が届かない所といえば、ここしかないからねえ」


 あの男、とは悟のことであろう。ダークスーツで身をかためた蛭田はゆっくりと歩をすすめ女子トイレ内に侵入してきた。そして菜々子は後ずさる。


「あのかぼちゃを勝手に品評会に出されると僕が困るんだよ。世に出てしまうとね」


「あ、あれは父のかぼちゃです」


「そう、たしかに君のお父さんが作ったかぼちゃではある。だが……」


 後ずさる菜々子の背中が壁に当たったとき、先が尖った蛭田の革靴も止まった。相対するふたりの距離は、さほどない。


「君は、なぜお父さんが、あの不思議なかぼちゃを作ろうとしたか知っているかね?」


 蛭田が訊いてきた。


「それは、父が先生だったときに……」


 菜々子は途中まで答えて口をつぐんだ。セイヨウカボチャの味と食感を持つ不思議なあのニホンカボチャを作ろうとした理由……それは小学校の教師だった父が、ある児童の質問に答えられなかったことがヒントになったからだ。


「そうだ。君のお父さんは、“なぜセイヨウカボチャとニホンカボチャは同じかぼちゃなのに味も形も食感も違うのか?”という教え子からの質問に答えられなかった。その質問が、あのかぼちゃを作るヒントになったことは間違いない」

 

 なぜ、赤の他人の蛭田が、それを知っているのか?


「実は君のお父さんにその質問をした児童というのは、なにを隠そう、子供のころの僕だったのだ」


 蛭田は言った。





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る